子どもたちの自殺を食い止めるには2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/27日分)(副題:今日も高世に悪口する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで高世に対して「批判的、否定的」にコメントした子どもたちの自殺を食い止めるには - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
棄民する国なりコロナもアフガンも (静岡県 飯田健彦)
「拉致被害者が最優先」という巣くう会、家族会の暴論を容認し「日本人妻帰国」を実現不可能にすること(ある種の棄民)に加担する高世がよくもいったもんです。というか日本人妻だけでなく、「拉致被害者が最優先」だって「口からでまかせ」ですよねえ。
拉致解決の「現実的な策」は「小泉訪朝での日朝平壌宣言」のような「経済支援とのバーター取引しかない」のに巣くう会、家族会はそれを否定している。あげく「特定失踪者」なんてデマまで放言している。
拉致被害者だって日本は「棄民する国」のわけです。その「棄民」に「当事者のはずの」家族会が積極的に加担する。呆れて二の句が継げません。もちろん「人間のくず」高世も「巣くう会、家族会の幇間、太鼓持ち」としてそうした「棄民」に加担しました。
そもそも自殺したくなくなる心をつくるという、いわば予防に踏み込むことが必要だと私は思っている。
珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/27日分)(副題:今日も高世に悪口する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが何故高世は「強い心なら自殺しない」と個人の自己責任にしてしまうのか。
「弱くてもいいじゃないか、周囲が支えれば」「つらければ弱音をはけばいいじゃないか」「社会全体で自殺を予防しよう」という考えが何故できないのか。
小生は自分が「そんなに精神的に強くない」と自覚してるし、ほとんどの人間は「そんなに精神的に強くない」と思ってるので高世のような考えには全く賛同できません。
高世は例えば竹内結子 - Wikipedia(まあ例は誰でもいいのですが)に対して「弱い心だから自殺したのだ」というのか。自殺者に対して無礼にも程がある。
自己肯定感については、岡野守也*1先生のワークショップのやり方を紹介したい。
まず、「あなたはまじめです。まじめでなければ、こんなワークショップに来たりはしないですよ」と言う。
(中略)
そうするとたいていの人が、「そうか、私ってまじめなんだ。いいところがあるんだ」と気づいてくださる。
同じように、「好奇心」や「積極性」、「行動力」や「理解力」、そして「向上心」があることを指摘する。「好奇心がなければこんなところに来たりしないよね」とか、「積極性がなければわざわざ参加したりしないでしょう」などと言う。
(岡野守也『生きる自信の心理学*2』PHP新書P244-245)
「手前が岡野とやらに傾倒するのは勝手だがふざけたことぬかしてんじゃねえぞ、高世!」で終わる話です。
もう「高世のような生きる価値のないクズ」が絶賛してるという時点で俺的には「岡野も高世並みのクズなんだろうな」「とにかく高世みたいなクズが褒めるようなもんは評価しないから」「とにかく高世は故郷の山形に隠居しろよ」「会社潰した無能がでかい口たたいてんじゃねえぞ!」が俺の価値観ですね。つうか高世が紹介する岡野のワークショップとやらは「うさんくさい自己啓発セミナーの一種」にしか正直見えませんね。「瞬間的には」もしかしたら効果があるかもしれませんが「持続性がある」とはとても思えない。
「このワークショップとやらで岡野はいくらカネ取ってるんだろう?」が俺の感想です。
*1:サングラハ教育・心理研究所主幹。西洋心理学と大乗仏教(唯識思想)を融合した「唯識心理学」、「コスモス・セラピー」を独自に考案し、その普及に長年取り組んでいる。著書『唯識のすすめ:仏教の深層心理学入門』(1998年、NHKライブラリー)、『自我と無我』(2000年、PHP新書)、『唯識と論理療法』(2004年、佼成出版社)、『道元のコスモロジー』(2004年、大法輪閣)、『よくわかる般若心経』(2004年、PHP文庫)、『空海の『十住心論』を読む』(2005年、大法輪閣)、『いやな気分の整理学』(2008年、NHK生活人新書)、『仏教とアドラー心理学』(2010年、佼成出版社)、『コスモロジーの心理学』(2011年、青土社)、『「日本再生」の指針:聖徳太子『十七条憲法』と「緑の福祉国家」』(2011年、太陽出版)、『ストイックという思想』(2012年、青土社)など(岡野守也 - Wikipedia参照)
*2:2002年