立民の無法を批判したがらない野党共闘支持者(共産党執行部含む)に呆れる

◆澤藤統一郎の腰抜け振りに呆れる
 澤藤統一郎の憲法日記 » 「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」の採決に反対し、改憲手続法抜本改正の慎重審議を求める声明(明日の採決強行を危惧して再掲)と5月5日に記事掲載したので、5月7日には烈火のごとく怒って「強行採決批判する」かと思いきや、それはせずに

澤藤統一郎の憲法日記 » 世相いろはカルタ
【一部紹介】
い 犬も呆れたアベマスク
ろ 論よりPCR
は 花よりワクチン
に 憎まれバッハ*1世にはばかる
ち 血塗られた(ボーガス注:ミャンマーの)軍事政権
む 無理無体香港ウィグルチベット
さ 三戦三敗 菅の不人気
き 聞く耳もたない(ボーガス注:学術会議会員の)任命拒否
も モリカケ桜未解決

だそうです。そんなこと(菅のコロナ失政批判、東京五輪批判、ミャンマー軍事政権批判、中国の少数民族問題批判)より強行採決を批判したらどうなのか。
 澤藤の腰抜け振りには心底呆れますね。
 おそらく「強行採決批判」をすれば立民批判が不可避ですが、澤藤統一郎の憲法日記 » 総選挙前哨戦の「野党勝利」と「共闘に弾み」に祝杯!とまで立民を持ち上げた手前「立民批判したくなくて」澤藤統一郎の憲法日記 » 世相いろはカルタでお茶を濁してるのでしょう。
 まあ、この辺りの「立民への忖度」はリベラル21ちきゅう座も同じで「マジで脱力します」。

【5.11追記】
澤藤統一郎の憲法日記 » 「改憲手続き法・改正法案」は、小手先の修正を施してもなお欠陥法案である。
 やっと「立民批判を始めた澤藤」ですが、腰が引けてることには変わりありません。
 さて、5.10(月)のTBSラジオ森本毅郎スタンバイ「日本全国8時です」でコメンテーターの山田惠資氏は

◆そもそも枝野さんは過去に改憲案を発表したことがあっていわゆる護憲派とは違う。「護憲派」共産、社民との共闘のために改憲論を自重してるだけです。
◆立民党内にも共産、社民のような護憲派もいるが、自民党のような改憲右派もいる。立民は憲法問題では一枚岩ではない。
◆結局、枝野代表、福山幹事長たち党執行部が、党内の改憲右派にも護憲派にもいい顔をしようとして、選挙民や支持団体の「改憲派(支持団体だとたとえば連合の右派執行部)」にも「護憲派(例えば支持団体だと連合傘下の左派労組)」にもいい顔をしよう(どっちの票も何とか取り込みたい)として、どっちつかずの態度を取っただけでしょう。政治家がそんなことでいいんでしょうか?。そんなヌエ的なことしたら「改憲派護憲派も」どっちの票も取り込めないんじゃないですか?
◆大体、今国会で法案成立の見込みと言われていますが「付則に書かれた3年後の見直しが実施されるまでは改憲の発議は出来ない(立民)」「いやそんな合意してない(自民)」て、法案が成立してない今の段階で自民と意見対立が表面化してる。そんなんで立民は賛成して筋が通るんですか?

と批判してましたが全く同感ですね。


共産党のふぬけ振りに心底呆れる(とはいえ、今後も涙を呑んで共産支持するとは思う)

日本共産党_国会info
 本日(5/7)、立民・共産国対委員長会談を開催。安住国対委員長は、国民投票法の採決について「対応が分かれたことは残念だが、野党の連携を崩してはならない。一層、連携を強化したい」と発言。穀田国対委員長は「野党の共闘はいささかも揺るがない*2」と応じ、国会や選挙での共闘の強化を確認しました。

 まだ「衆院憲法審査会で可決されただけ」で衆院本会議、参院本会議で法案が可決成立してもいないのに、マスコミ報道でも「5月最終週か6月上旬に法成立の見込みか」で「今は5月上旬」なので、しばらく余裕があるのに、「今後は自公の強行採決に協力するな」「今後もこのような態度なら野党共闘を白紙に戻したい」「本文に書き込ませると枝野代表が言っていたのは何だったのか。付則でいい、今後の検討事項でいいとはどれほど腰砕けか。『我が共産党に対する背信』以前に『立民支持者に対する食言行為』では無いか」と抗議しても当然でしょうに何でしょう、この「何があろうと野党共闘が一番大事」という腰抜けでふぬけな態度。
 「重要な貿易相手国」中国を「大国主義、大党主義、覇権主義」「もはや共産党とは言えない」とまで批判するなら立民の横暴で無法な態度を「最大野党なら何でも許されるという思い上がった大党主義、覇権主義」「もはや野党共闘のパートナーとは言えない」と批判したらどうなのか(なお、俺個人は『日本共産党の中国批判』には浅井先生同様殆ど賛同しません)。結局、浅井先生が嘆くように「保守票を少しでも獲得したい」というスケベ根性による『日本共産党の中国非難』にすぎないのか。そういう「右傾化」で立民の無法も容認するのか。「宮本顕治氏」が生きていたら志位執行部のふぬけ振りに憤激しているのでは無いか。
 「国民投票法可決」を「立民が自公に協力すると決めた以上、もはや不可避。共産がどんなに反対しても立民は無視するだろう(これからは消化試合になる)」「だからその件で立民批判はしない」「とにかく立民との野党共闘は今後も続けたいから、立民批判は自重する」「改憲案の国会提出発議(あるいは国会での改憲案可決成立による国民投票実施や、国民投票実施された場合の改憲案可決成立)を今後阻止できればそれでいい(それが現状での最善だ*3)」と思うのならはっきりそう言って下さい。もちろんそう公言した場合、「だったら最初から国民投票法改定反対なんて言うな」と心の底から共産党執行部を軽蔑しますが(ただしそれでも立民や国民民主よりは共産の方がマシだと思いますし、今後も支持すると思いますが。もちろん自民二軍・維新は論外です)。共産党は「目先の党利党略」よりも「筋を通すこと」を長年訴えてきた政党では無かったのか。
 「筋を通すこと」こそが『急がば回れ』、長い目で見れば支持者の信頼を得てプラスになるという価値観でやってきたんじゃ無かったのか。

日本共産党委員長発言(朝日新聞)|コラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ
<日本の世論におもねるのは日本共産党らしくない>
 私が気になったのは、「日本共産党中国共産党は兄弟か親戚かと思っている人が多い。綱領改定できっぱりした対応をとることは‥誤解を解くうえで力になる」という志位氏の発言です。かなり以前までならともかく、私は(ボーガス注:日本共産党野党共闘に舵を切った)今の日本社会でこのような見方がいまだ支配的だとは思えません。その点では日本共産党の「現実主義路線」(私個人には世論迎合路線と映りますが)が多くの日本人の見方を改めるのに「功績」があったというべきです。それなのに、肝心の日本共産党のトップが相変わらずこのような強迫観念にとらわれているということこそ重大な問題なのではないでしょうか。そしてそういう強迫観念にとらわれたまま、そういう「世論」の「誤解を解く」ものとして綱領改定に走るというのであれば、正に本末転倒といわなければなりません。それは客観的にいって、「世論におもねる」行為以外の何ものでもないからです。
 私としては、「日本共産党よ、世論におもねることなく活動していた1960年代の党の初心を思い出してください」と言わざるを得ません。

という浅井氏の共産党批判を改めて思い起こさずにはいられません。浅井先生と違って「リアルな政治活動などしていない(ブログ記事しか書いてない)」、「元外務省キャリア官僚で大学教授、著書も多数有る浅井先生ほど有能でもない」俺としては「リアルな政治活動に従事し、かつ俺よりは有能である志位氏」を批判するのには躊躇するところもあるのですが、今の共産党に対しては浅井先生同様の失望を覚えざるを得ません。そして「あの浅井先生も批判してるんだし、俺の批判は間違ってないと思う」ということで批判文章を書いてみました。

*1:もちろん東京五輪中止or延期派の澤藤がIOC会長バッハを批判している。

*2:いやむしろ「揺るがせろよ、何があっても揺るがせないんじゃ公明党の自民支持と変わらないだろ。下駄の雪か?」「『今後もこんな対応で衆院本会議、参院本会議での採決に応じて法案を成立させたら野党共闘の白紙撤回もあり得る』ぐらい言えよ。もう国民投票法は共産にとって消化試合かよ」と失望し、怒りを覚えるのは俺だけではないのでは無いか。

*3:最悪の場合「法案が可決されても、それでいい」と思う程度には俺も現実主義ですが、それは「現時点で共産がろくに立民批判せず、法案可決を事実上容認し、この問題について事実上の消化試合にすること」とはわけが違います。