共産党誹謗、野党共闘否定にいそしむ某「反日本共産党&自民党支持者(白頭先生)」(追記あり)

立共野党共闘はいったいいつまで?: 白頭の革命精神な日記2021年10月26日
 むしろ「選挙結果予想」を信じれば失礼ながら、「議席消滅のNHK党が存続できるのはいつまで?」「自民、公明、立民、維新、共産に比べ元々の保有議席が少ない上に、現有議席維持か微増にとどまるとみられる社民党*1やれいわ新撰組、国民民主党*2が存続できる(以下略)」でしょうが、それはともかく。
 今日も以前から批判対象としている「奇人変人」の白頭先生に突っ込みます。
 今回の文章は、アンチ日本共産党分子にしておそらく自民党支持者「白頭先生」が「日本共産党に悪口してるだけの駄文」です。
 過去に
『gotoトラベルを辞めても旅行客が減るか分からないからやめなくてもいい』という変人(追記あり) - bogus-simotukareのブログ(2020.12.12)
『丸川大臣は間違ってない、夫婦別姓(丸川が反対)と旧姓使用(丸川が利用)は違う。批判者は間違ってる』という変人(追記あり) - bogus-simotukareのブログ(2021.3.2)
「コロナバブルの終焉は近い(7/24時点)」が「入院トリアージが必要だ!、菅は間違ってない(8/6時点)」になってしまった先見性のないバカ - bogus-simotukareのブログ(2021.8.9)
で批判しましたが「丸川の夫婦別姓反対は間違ってない」「菅首相のコロナ対応は間違ってない」など、ぶっちゃけ「その言動がどう見ても自民党支持者としか思えない白頭先生(それでいて自称『チュチェ主義者』だそうです*3)」がこんなことを言っても「自民党の応援、今日もご苦労様です。野党共闘がそんなに脅威ですか?(嘲笑)」「コロナ問題でgoto擁護なんかして(しかし自民がgotoを一時中止したら『中止するな!』等とは言わずに黙り)『自民党支持者』ってバレバレじゃないですか(失笑)」としか言い様がありませんが。
 まあ、俺も「枝野代表、福山幹事長らの無礼な態度」には共産支持者として、正直憤激していますが、一方で「現実も見据えないといけない」。
 「自民党批判」の立場に立つならば、いたずらに共産が立民と対立して自民党を利するわけにも行かないでしょう。この種の御仁にはありがちなことですが「共産党と立民にはいろいろと対立がある」「このまま野党共闘していいのか」というだけで「ではどうするべきだと思うのか」何も言いません。
 まあ、この御仁の場合「自民党支持(但しその事実を隠したい)」らしいので「何も言わないのでごまかす」のは「ある意味当然」ですが。とはいえ「gotoを続行してもいい。菅は間違ってない!」などと放言するようでは「自民応援団」というその本性はバレバレですが。

 共産主義者たるもの組織的統制は必ずしも苦ではありません。党の路線は科学的でありその指導は正しいので、正しい指導に服することは吝かではないのです。しかし、そのような組織的統制の外にあり、また共産主義者特有の思考をするわけでもない一般有権者の純朴で一途な共産党支持の思いを共産党指導部はどのように考えているのでしょうか?

 おいおいですね。「『(常に?)党の路線は科学的でありその指導は正しい』て、むしろ『クリーンな政党』を宣伝文句にしていたくせにモリカケ、桜の安倍すら容認する公明党を支持し続ける公明党員のことだろ!」ですね。
 「(常に?)党の路線は科学的でありその指導は正しい」と日本共産党員が「思い込んでる」と決めつける根拠は一体何なのか。
 そして「人生いろいろ、支持者もいろいろ」とはいえ、むしろ「党員よりも党外の支持者」の方が「野党共闘には比較的抵抗がない」のではないか。
 なお、俺は「組織的統制の外にあり、また共産主義者特有の思考をするわけでもない一般有権者」ですが自民党を利したくないので基本的には「共産執行部の野党共闘路線」を一応は受け入れています(不満がないとは言いませんが)。

 立憲民主党が「共産票がなくてもいける」と考えるようになれば、立共野党共闘は早々に瓦解するでしょう。

 「公明票がなくても自民はやっていけると思うなら、自公連立は崩壊する」レベルの寝言です(どう見ても当面崩壊しそうにないですが)。「遠い将来」はともかく当面の立民は客観的に見て「共産票がなくてもいける」なんて状況では明らかにないでしょうに。
 もちろん「共産や党内リベラル派(菅直人元首相(現・立憲民主党最高顧問)、辻元清美氏など)を敵視する前原(当時、民進党代表)が小池都知事を過大評価*4した結果、小池と手を組み、共産や党内リベラル派と手を切ろうとしてかえって自滅」した「希望の党騒動」のようなことがあるので「今後どうなるか」は部外者には何とも言えませんが。
【追記その1】
 コメント欄で「中選挙区の話」が出ていますのでそれについて一言。
 ご存じの方もいるでしょうが、戦前日本は小選挙区制でいわゆる二大政党制も「一応成立していました(政友会VS民政党)」。
 しかし、それについて「二大政党制は死票が多く良くない」と言う理解から戦後、「中選挙区制」になったところ、また「小選挙区制」にしてしまうのだから日本人も「呆れたバカ」と言うべきでしょう。
 なお、小選挙区制について言えば1990年代以前にも「鳩山一郎政権」「田中政権」が「小選挙区導入」を「自民党にとって有利」との判断の下、画策し「ハトマンダー」「カクマンダー」(元ネタは「ゲリマンダー」)と呼ばれ、当時の野党(社会党共産党など)やマスコミの反対で導入に挫折したことも「日本政治史についてある程度詳しい人間」にとっては常識の部類です。
【追記その2】
 おそらく白頭先生もそうでしょうが俺も「立民が比例で得票をあれほど減らす→その結果、連合や民主党内ウヨ議員が『共産との共闘で比例で得票を減らした』と言いだし、野党共闘をぶち壊そうとする」という状況は考えてなかったので上の文章は「そうした意味」では多少修正の必要がある気もします(つまり連合の圧力などで立民から野党共闘を破壊する危険性が出てきた)が、そのままにしておきます。
 なお、俺個人は1)共産党との野党共闘で、比例の得票が減ったのかどうかは疑問、共産と共闘しなくても、『改革イメージ*5』の維新に票を奪われていたのではないか(これについては立民が政策をネオリベ側に寄せていれば衆院選に負けなかったかどうかは大いに疑問 - kojitakenの日記参照)、2)経緯的には、共産と共闘してなかった海江田代表時代が「民主党にとって苦しかった」からこそ「窮余の一策」として「共産を含む野党共闘」に踏み切った、3)むしろ共産と縁切りすると『現在の立民の党勢』は急速には増大しないと前提するならば*6小選挙区で勝つことが今以上に難しくなるつう意味で「野党共闘を続けること」が立民にとって「良策」だろうと思っています。

*1:このままでは「新社会党沖縄社会大衆党のような地方政党化」や「立民への合同」は避けられないのではないか。

*2:このままでは自民、立民、維新のいずれかへの合同を画策する可能性は十分あるでしょう。

*3:と言いながら「チュチェ主義者ではない」俺と比べても「朝鮮学校無償化除外問題」についての言及が明らかに少ないことには『何だかなあ』感を禁じ得ません。

*4:客観的に見てあの時点でのああした行為は「危険な博打」としかいいようがなく実際、かえって前原は自滅しました。

*5:と言うのが「維新批判派」の俺には全く理解できませんが、「維新シンパ」にとってはそういう理解のようです。

*6:まあ、民主党政権下野後、民主党の党勢は回復してないのだからそのように「悲観的に見なさざるを得ません」が。