澤藤『さあ、やせ我慢でも元気を出そう』等に共感&『衆院選挙結果にすぐには触れないリベラル21』と『「志位の個人的魅力ガー」の広原盛明』に呆れる(追記あり)

澤藤統一郎の憲法日記 » さあ、やせ我慢でも元気を出そう。

 自公への批判も、その受け皿となったのは維新だった。なんたることだ。自民を叩いて、維新を太らせたのだ。もしかしたら、(ボーガス注:九条改憲新自由主義(弱者切り捨て)という意味では)自民よりもはるかに危険な維新の連中を。
 とはいうものの、あらためて思う。(ボーガス注:自公、維新の悪政で生活に苦しみ、時に『維新のコロナ失政による大阪の医療崩壊(死ななくていい人間が維新のせいで多数死亡)』のように国民に生死に関わることもあるとは言え)選挙で負けたからといって、(ボーガス注:『関ヶ原合戦で負けた石田三成』『萩の乱江藤新平』などのように)首を取られるわけではない。これが文明社会だ。
 次の選挙を待てばよいのだ。次の選挙で勝てばよいのだ。そのための策を練り、民意を結集する努力をすればよいのだ。それしか方法はない。
 来年夏の参院選、その次に来たるべき統一地方選挙、そしてまたくる解散・総選挙。社会を変えるには、少しずつの毎日の努力を積み重ね、その成果を議会に反映させるしかない。

澤藤統一郎の憲法日記 » 憲法公布記念の日に、あらためての憲法擁護の決意を。

 秋日和の「文化の日」である。いうまでもなく憲法公布記念の日。
 周知のとおり11月3日は、明治天皇・睦仁の誕生日である。
 日本国民は、かつては臣民として主権者たる睦仁や裕仁に臣従を余儀なくされていた。その隷従の時代を懐かしんだり、奴隷主に等しい睦仁の誕生日を祝したりする時代の空気の復活を許してはならない。
 にもかかわらず、総選挙での保守側の大勝という衝撃の結果は、私たちのこの社会の民主主義の未熟さを示して余りある。改憲派議席も3分の2を超えているのだ。流れを上ろうとする水鳥の如く、絶えず全力での水掻きを続けないと、たちまちにして時代は後戻りする。逆コースが現実なものとなりかねない。
 秋日和の「文化の日」、あらためてそれぞれが日本国憲法の理念を大切にしようと決意をすべき日でなければならない。

 勿論、「今回の敗戦」を巻き返すことは楽なことではないでしょう。澤藤氏*1もそんなことはわかっているでしょうが、「空元気」「痩せ我慢」でもそれ以外に道はないわけです。
 なお、以前も書きましたが

◆中曽根政権下でのスパイ防止法制定断念
◆安倍政権(第二次以降)下での検察庁法改定断念、地上イージス配備断念
菅義偉政権下での入管法改定断念

などのように「選挙に勝たなくても」ある程度のことは可能です。それは「選挙がどうでもいい」と言う話では勿論ないですが。
 なお、「選挙制度の違い(昔は中選挙区制)」などいろいろな違いがあるので単純比較できないとは言え、今回の件で小生は「1983年体制」「1986年体制」「土井たか子ブーム」を思い出しました(といっても土井ブームはともかくそれ以外は『まだ幼かった』のであまり記憶が無いのですが。つまり本で得た知識ですね)。
 まあ、最近の若者は「1955年体制」も知らないかもしれませんが。
 1983年体制とは何か。1983年衆院選で自民は「わずかながら」過半数割れに追い込まれ*2新自由クラブとの連立を実行します(田川誠一新自由クラブ代表が自治相として入閣)。ほとんどの人間が連立というと思いつくのは「片山内閣」「細川、羽田内閣」「村山自社さ内閣」「自公連立」「民主党内閣」でしょうが中曽根内閣も一時は「連立内閣」でした。河野洋平氏の「中曽根内閣科学技術庁長官」というキャリアも実は「新自由クラブ代表」としての入閣です(その後の宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相は自民党幹部としての入閣だが)。
 このとき野党側から出てきた言葉が「もはや1955年体制ではなく、1983年体制」です。「自民がわずかと言え、過半数割れして連立に追い込まれた。次の選挙ではもっと自民の議席を減らす」。
 しかし1986年選挙では自民が大勝。新自由クラブとの連立も解消されます。このことによって「1983年体制」と言う言葉は死語になる。
 このとき、中曽根首相ら自民側が言った言葉が「もはや1955年体制ではなく、1986年体制」です。「自民党の我が世の春が始まった」という認識だったのでしょう。実際、この時期の赤旗や前衛などでは「1986年体制による中曽根改憲の危機にどう立ち向かうか」なんて記事が結構あったようです。
 しかし中曽根らの思惑は「1986年の社会党大敗」を受けて登場した土井たか子委員長による土井ブームによって挫折する。このことによって「1986年体制」と言う言葉も死語になる。
 まあ、その土井も残念ながら「1991年の統一地方選敗北」で委員長を辞任しますが。俺は「偶然これらの言葉を何かの本で読んで知った」のですが、まあ「1983年体制」「1986年体制」なんて「当時、生きてた人間」ですらどれほど知ってるかどうか。
 それはともかく、何が言いたいかと言えば「政治とは一寸先は闇」つうことですね。「過剰に楽観的になってもまずい」ですが過剰に悲観的になる必要も無いでしょう。まあ、そういう「空元気」「痩せ我慢」で俺は自分の気力を奮い起こそうとしてるつう面は勿論ありますが。
 それにしても澤藤氏や広原*3の記事など「他人の記事を転載すること」も多い「リベラル21」が未だに「衆院選挙結果」について「いかなる形でも記事を載せないこと」には心底呆れますね。
 それで何が

リベラル21
 私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った

なのか。
 「立民敗北」「改憲派(自公、維新)2/3」にショックを受けてるにせよ「詳しい分析は今後行うが、現時点での我々リベラル21のコメントを行う」という形でコメントすべきでしょうよ。
 俺みたいな個人ブログではなく「護憲を旗印に掲げた運動体のブログ」がそんなんでいいのか。
 まあ、「この敗戦は、我々、反自民派の敗北である(野党執行部に問題がないとは言わないが、彼らだけの責任にすることはおかしい)」という「自省の念があるらしい澤藤氏(澤藤統一郎の憲法日記 » さあ、やせ我慢でも元気を出そう。参照)」ならともかく
不人気で魅力のない野党党首が〝野党共闘不発〟の引き金を引いた、「能面ロボットスピーチ」(枝野立憲代表)や「強面(こわもて)演説」(志位共産党委員長)では有権者を引き付けることができない、岸田内閣と野党共闘(その3) - 広原盛明のつれづれ日記なんて野党への悪口雑言を敗戦後に「自分を棚上げにして言う広原氏」の記事などは載せる必要は無いとは思いますが。
【11/4追記】
 その後11/4にやっと衆院選雑感を掲載したリベラル21ですが、それが小生が『すべてを枝野と志位氏の個人責任にし、自らの政治責任を直視することから逃げる論外の内容』と酷評した広原氏の駄文不人気で魅力のない野党党首が〝野党共闘不発〟の引き金を引いた、「能面ロボットスピーチ」(枝野立憲代表)や「強面(こわもて)演説」(志位共産党委員長)では有権者を引き付けることができない、岸田内閣と野党共闘(その3) - 広原盛明のつれづれ日記だから心底呆れます。まだ澤藤氏の澤藤統一郎の憲法日記 » さあ、やせ我慢でも元気を出そう。を乗せた方がましでしょう。リベラル21は『自らには敗戦責任はない。すべて立民と共産の指導部が悪い』とでも強弁する気なのか。そんな『低い志』でよくも『私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った』なんて抜かせたもんです。
 腹が立ったのでリベラル21 不人気で魅力のない野党党首が〝野党共闘不発〟

◆責任転嫁にも程がある
 11/4にやっと衆院選雑感を掲載したリベラル21ですが、それが『すべてを枝野と志位氏の個人責任にし、自らの政治責任を直視することから逃げる論外の内容』という広原氏の駄文だから心底呆れます。リベラル21は『すべて立民と共産の指導部が悪い、我々は悪くない』とでも強弁する気なのか。そんな『低い志』でよくも『私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った』なんて抜かせたもんです。「出るメンバーが米田佐代子*4(1934年生まれ)、岩垂弘、田畑光永、横田喬(いずれも1935年生まれ)、坂井定雄(1936年生まれ)、広原盛明(1938年生まれ)、阿部治平(1939年生まれ)、澤藤統一郎(1943年生まれ)など、70代以上の老人だらけで新鮮味がなく、内容もくだらない」「社会的影響力皆無」の「有害サイト」リベラル21はもはや「サイトを閉鎖してこの世から亡くなること」こそが「社会奉仕、社会貢献」でしょう。と言うことでお願いだから早く消滅してください。40代のオッサン(それでも、あなた方『リベラル21に巣くう70代の老害』よりは若いですが)からの切なる願いです。

という「敵対的な」酷評コメントを投稿しました。おそらく掲載拒否でしょうが。まさにリベラル21の連中は『リベラル21 あまりに無内容、しかも厚顔*5』と言っていいでしょう。とはそういえば「俺たちのどこが無内容で厚顔だ」と怒り出すのでしょうが。
【追記終わり】
 「野党が無力だから悪い」て「政治では国民皆がプレーヤーだ、だから自分もプレーヤーだ。責任の軽重はあっても、自分が敗戦責任について無罪と言うことはあり得ない」という自覚がまるでないらしい広原氏には呆れますね。
 しかもそこで出てくる言葉が「党首の個人的魅力」て(呆)。小生は立民・枝野や共産・志位氏が「自民・岸田や公明・山口、維新・松井」などに比べて「魅力が無い」とは思いませんがそれはさておき。
 こんな馬鹿なこと(馬鹿な主張だと俺は思います)を広原氏が言うのも彼が「何故か国民は護憲、新自由主義否定という立民や共産が訴えるテーマに余り関心が無いらしい」「むしろ改憲新自由主義支持なのかもしれない」などという事実を認めたくないからでしょう。
 「政策面で負けた」ということになると、「護憲、新自由主義否定」という立場の広原氏としても「敗戦は俺たちにも責任がある」と認めざるを得ない。
 しかし「枝野や志位に政治家としての魅力が無い」とすれば「広原氏は反省しなくて済む」。
 本気で広原氏がこんなことを考えてるなら馬鹿だし、自らの責任に向き合いたくなくて「すべてを枝野や志位氏に押しつけたい」なら卑怯者です。
 「よほど酷いタマ」なら話も別ですが、選挙において「党首の個人的魅力」など持ち出すのはどう考えても適切な認識ではない。
 多分広原氏は「バカではなくて卑怯者」の方でしょうが。俺は広原氏が「そこまでバカだ」とは思っていませんので。つうか誰も「広原が一番悪い」等とは言っておらず「野党共闘支持、自民批判派は皆一定の反省が必要。一億総懺悔的な形で野党執行部の責任を曖昧にしていいとは言わないが、一方ですべてを野党執行部の責任にすることも不適切で卑怯」としかいってないのにそんなに「自己の責任」に向き合うことが広原氏はいやなのか。
 そんなに広原氏は「敗戦原因が何か真摯に向き合うこと」よりもすべての責任を枝野や志位氏に押しつけて「自分のちっぽけなプライド」を保持する方が大事か?
 それとも、もしかして「俺の邪推」ですが、これは「2004年京都市長選挙(共産などの支援で広原氏が立候補したが敗戦)」で「広原なんか立てるから負けた。広原に魅力が無いのが大きな敗因」とでも「一部の共産党支持者」などに言われたことへの「17年越しの意趣返し」なのか。つうか、京都市長選で敗戦した過去がある御仁が「つまりあの市長選の敗戦はあなたに魅力が無いことが大きな理由ですか、広原さん?*6」と言われかねない「枝野や志位の個人的魅力ガー」を言える神経には心底呆れますが。
 この点は「政策面で負けた*7」と認識し、「どう今の自民(あるいは公明、維新など)の政策が間違ってるかを選挙民に訴えていくか」を問題にする論者*8
kojitakenの日記
澤藤統一郎の憲法日記
五十嵐仁の転成仁語:SSブログ
 まあ五十嵐氏の場合「全国革新懇代表世話人」なので広原氏ほど無責任に「自己責任」から逃げるわけにも行きませんが。
紙屋研究所
等の方が広原氏よりずっとマシです。
 というコメントを広原ブログにしますが多分掲載拒否でしょうね。掲載したところで応答せずに黙りか、「共産支持者の志位擁護」で片付けるだけでしょうが。いや確かに「共産支持」の俺は「志位氏を大筋で支持しています」。
 たぶん「ひいき目」もあるでしょう。
 しかし、それを割り引いても俺は「志位氏を無理にかばってる」つもりは全くありません。広原氏の「すべてを党首の個人的責任」にする論はあまりにも無責任でしょう。
【追記】
 以上の文章(ただしコメント投稿後に、上の文章を加筆修正しましたので、掲載コメントとは若干違います)を広原ブログにしたら速攻で掲載されました。とはいえ後で削除かもしれませんし、削除しない場合も、応答するか疑問で、応答する場合も「共産支持者の志位擁護」で片付けるだけでしょうが(11/4追記:今のところ「コメント削除常習の高世」と違い「コメント削除」はしないものの俺に対して応答はせずに黙りです。そんなんでよくもまあ「政治を変える」と広原氏もほざけるもんです。広原氏を心の底から軽蔑しますね)。
 なお、広原氏が「野党共闘には限界があった(連合に忖度して、枝野がおっかなびっくりだった→それが不振の一因かもしれない)」としながらもそれを

【1】「その限界を乗り越えて、連合に忖度しないという形で野党共闘をさらに進めるべき」なのか
kojitakenの日記
澤藤統一郎の憲法日記
五十嵐仁の転成仁語:SSブログ
紙屋研究所
などはこの立場でしょう。俺もこの立場ですが。
【2】連合に忖度する立民との野党共闘など、共産党、あるいは反自民にとって「大して成果もない(今回共産は微減)」と評価して野党共闘を辞めるべきなのか
 俺は少なくとも「積極的な意味」では、この立場ではありません。枝野の後釜が「希望の党騒動」の前原や細野のような輩となり「連合の言いなり」に立民から野党共闘破壊に動いた場合のみ【2】の立場です。

どういう方向で解決すべきなのか言わないのも「デタラメで卑劣」というべきでしょう。広原氏には本気で「政治を変える気」があるのか。
 まあ、俺だって「自公支持の両親など周囲との軋轢を恐れてリアルの政治活動はしないヘタレの臆病者(ここで政治ブログ記事を書いてるだけです)」「今回の敗戦をどう打破するか妙案もない無能」ですが、とはいえ「党首の個人的魅力ガー」で「自分の責任」から逃げようとする広原氏よりは「真面目に政治を考えてるつもり」です。
 「国民すべてが政治のプレーヤー」と考える俺にとって「今回の敗戦」は「責任の軽重」はあっても「俺も含む全国民の責任」であって、「特定の個人や団体(広原氏の場合は枝野や志位氏)」だけに悪口するような「広原氏のような恥ずかしい振る舞い」はとてもできません。

*1:弁護士。著書『岩手靖国違憲訴訟』(1992年、新日本新書)、『「日の丸・君が代」を強制してはならない:都教委通達違憲判決の意義』(2006年、岩波ブックレット

*2:とはいえ当時の野党に「細川連立」のような連立政権を作る機運はなく、連立政権は生まれませんが

*3:京都府立大学名誉教授。著書『開発主義神戸の思想と経営』(2001年、日本経済評論社)、『日本型コミュニティ政策:東京・横浜・武蔵野の経験』(2011年、晃洋書房)、『観光立国政策と観光都市京都』(2020年、文理閣)など

*4:但し米田氏だけは『月刊経済』に最近起稿したこともあり、「反共分子の多い」リベラル21のメンバーの中では珍しく共産党には好意的です。俺も「米田氏に対して」は悪感情はなく、むしろ好感情を持っています。

*5:但しこの記事(田畑光永)の内容は岸田首相の「新しい資本主義」への「過去の自民党の経済政策への明確な反省がない厚顔の上、何が『新しい』のか意味不明で無内容」と言う批判です。岸田への批判自体は一応正しいとは思いますが。

*6:おそらくそう言われたら「俺に責任がないとは言わないが、すべてを俺の個人的責任にするな!」「共産党などには責任はないのか?」というのが広原氏でしょう。全くデタラメな御仁です。「プライドを守るために言うことが無茶苦茶になる」と言う意味では広原氏は「はてな村からトンズラしたid:Mukke」と似たり寄ったりのメンタリティなのでしょう。

*7:勿論この「負けた」とは「選挙民の十分な支持が得られなかった」と言う意味にすぎず「政策が間違ってる」と言う意味ではありません。

*8:これらの論者には勿論、意見の違いはあります。なお、ここではこれらの論者の主張についての俺のコメントは特に述べません。