今日も「カス駄犬」「クズ駄犬」「クソ駄犬」こと「エダシン(枝野盲従分子、枝野信者)」kojitakenに悪口する(2023年10月30日記載)

一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割に比べて7割と倍近く大きい (広原盛明氏) - kojitakenの日記
 記事タイトルだけでうんざりしますね。
 「田舎地方大学(京都府立大)の元教授(京都はともかく全国的には無名の存在)」「老害」の広原といい、カス駄犬といい何でこう共産に敵対的なのか。
 「共産の協力なし」で自公政権と戦う気なのか。率直に言って「共産党」と比べ、「無能、無力、無名」でしかない広原やクソ駄犬が良くここまで偉そうなことが抜かせたモンです。
 なお、コメント欄で指摘がありますが「機関紙・赤旗部数が減っていい」とは言いませんが、昨今の共産支持層は必ずしも「機関紙購入者」はないでしょう。
 また今でも「機関紙部数」が一番多いのは共産でしょう。
 また「一般の新聞や雑誌」についても購読者は減少傾向にあります。そうしたことを全部無視して共産に悪口とは「何だかなあ」ですね。

◆宮武
 2021年衆院選で立民と共産など*1選挙協力したこと自体は肯定的にとらえていますが、枝野*2代表の立民と志位共産との選挙協力で失敗した部分は「限定的な閣外協力」まで約束したことだと思っています。

 と宮武やカス駄犬が言うのは「認識として正しいかどうか」はともかく「言論の自由」です。
 しかし

 立民は共産に我慢させ続けていたので、志位氏らが共産の支持者の方々に立民との選挙協力をご納得いただくためには、閣外協力という「リップサービス」をせざるを得なかったのだと思っています。

とまるで志位氏が悪い(枝野が被害者である)かのように言うのはおかしいでしょう。
 「どんな理由があるにせよ閣外協力の約束を受け入れたのは枝野」です。閣外協力が「問題」というならその責任は枝野にある。
 せざるを得なかったとは、どれほど宮武とカス駄犬は枝野に甘いのか。連中はもはや「エダシン(枝野信者)」と呼ぶべきでしょう。
 よくもまあ「エダシンの自分ら」を棚に上げて「オザシン(小沢信者)」「ヤマシン(山本太郎信者)」だのふざけたことが抜かせたモンです。
 というか枝野が「閣外協力を約束しなかった」からといって「立民が勝てた保証はおそらくどこにもない*3」のに良くも放言できたモンです。
 と言うか俺的にはむしろ逆に「閣外協力止まりだったこと」が失敗ではなかったか?、と思いますけどね。
 「結局、閣内には入れないのか」ということが共産支持層の野党共闘への意欲をそぐ(野党共闘候補だからと言って必ずしも立民候補に投票しない)とともに「立民は閣内協力できないような政党(共産)と選挙協力するのか?」「単に共産の票が欲しいだけの野合ではないのか?」「自公は閣内協力している」という「野合イメージ」を強め、「立民以外(自公、維新、国民民主)への投票」を助長したのではないか。
 衆院選敗北後の立民の「共産への無礼な態度(代表は泉ですが)」はまさに「枝野の閣外協力」が「単に共産の票が欲しいだけの野合ではないのか?」というイメージをさらに強め、立民をさらに低迷させたのではないか。

◆宮武
 枝野代表はたいした「敗北」でもないのに選挙で負けた責任を取って辞任。志位委員長らは「後退」について全く責任を取りません。
◆カス駄犬
 衆院選は宮武さんが書く通り「たいした『敗北』ではない」惜敗だったのだから枝野が辞める必要などなかった。ましてや共産の志位委員長は敗北の責任を認めなかった。

 「大した敗北ではない」というのは「枝野万歳」のエダシンである「宮武やクソ駄犬」の枝野評価にすぎません。
 「連合の芳野会長」「現在、立民代表の泉」などは「重大な敗北」とみなし、責任者・枝野の代表辞任を求め、「枝野辞任論」が立民の「主流派になった」わけです。そして枝野も渋々でアレ、辞任論に従い辞任した。
 そうした「枝野辞任論の主流化」を阻止できず、また枝野辞任後に「枝野に近いとされる立民党内リベラル派(逢坂、西村代表代行*4など)」ではなく「泉の代表就任」を招いたのは「エダシンたち(宮武やクソ駄犬など)が政治的に無能」だったからにすぎません。
 「泉立民」を誕生させた「自分たちエダシンの無能さ」を「まともに反省もせずに」共産に悪口雑言などとんでもない話です。
 一方、共産においては「志位辞任論」など主流派ではなかった。
 是非はともかく「共産の伝統的文化」は「党首(委員長)が辞めればそれだけで事態が好転する保証はどこにもない」のだから「選挙の敗北を理由に党首が辞める必要は必ずしもない(むしろ苦しい時期に辞めるのは敵前逃亡で無責任ではないか、状況を立て直してから、あるいは後を任せられる後進をきちんと育ててから辞めるべきではないか)」であり、「責任を取る=辞めるではない」という話です。

新春対談/東京大学教授 本田由紀さん/日本共産党委員長 志位和夫さん2022.1.1
◆志位
 30代、40代の男性の働き手にも響くような訴えをどうやればできるかということは、本当に考えなければいけないなと思いました。

志位和夫委員長の幹部会報告/8中総2023.6.24│党紹介│日本共産党中央委員会2023.6.24
 これは、個々の選挙区で議席増をめざして果敢にたたかうなかで力及ばず「共倒れ」となった場合の地方党組織の問題点の指摘ではなく、あくまでも中央の指導上の反省点として明確にしておきたい問題であります。

と言った志位発言からはむしろ志位氏が「敗戦責任」について痛切に感じてることが理解できます。
 但し繰り返しますが是非はともかく「共産の伝統的文化」は「党首(委員長)が辞めればそれだけで事態が好転する保証はどこにもない」のだから「選挙の敗北を理由に党首が辞める必要は必ずしもない(むしろ苦しい時期に辞めるのは敵前逃亡で無責任ではないか、状況を立て直してから、あるいは後を任せられる後進をきちんと育ててから辞めるべきではないか)」であり、「責任を取る=辞めるではない」という話です。
 いずれにせよ「衆院選敗戦を理由に枝野に辞任を迫り、自分が後任代表になったのに、参院選敗戦でも衆参補選全敗でも辞めない泉(そしてそれを容認する岡田幹事長、長妻政調会長、逢坂、西村代表代行ら立民幹部議員)」を問題視するならともかく、「党が違う」のだから、志位氏(共産)が辞任しなかったことと、枝野(立民)が辞任したことは何の関係もない。
 「志位が委員長を辞めないから枝野も代表を辞めなくていい」「枝野が代表を辞めたから志位も委員長を辞めろ」とか言う話ではない。
 それはともかく、コメント欄でも指摘がありますが、「海江田*5(共産との野党共闘否定)→岡田*6(共産との野党共闘)→前原*7(共産との野党共闘否定)→枝野(共産との野党共闘)→泉*8(共産との野党共闘に消極的)」と代表が替わるたびに方向がコロコロ変わり一貫性がない「民主党(海江田、岡田)→民進党(岡田、前原)→立民党(枝野、泉)」が「選挙敗戦で党首が辞める(但し参院選敗北、衆参補選全敗でも代表を辞めず居座る今の泉は違いますが)」から「まとも」なのか。俺には到底そうは思えません。

 私は志位委員長らが共産が「前進」したという実績を党員らに形として見せるために、枝野代表に「閣外協力」まで言うように強く求めたんだと思うんですよね。

 というのは「エダシン」である宮武やカス駄犬が枝野をかばうための「根拠レスの放言」にすぎません。枝野がそう主張してるわけでも何でもない。
 そもそも繰り返しますが「どんな理由があるにせよ閣外協力の約束を受け入れたのは枝野」です。
 「最大野党代表」枝野の立場が「志位氏に比べてとてつもなく弱い」とは到底言えず、強く求めたと、まるで「無力な枝野に、豪腕志位氏がゴリ押しした」かのような宮武らの物言いは「無茶苦茶な枝野擁護&志位誹謗」でしかない。
 というかいかに「エダシン」として「枝野擁護」したいとは言え、最大野党党首なのに「ミニ野党・共産の志位委員長」にそこまで「なすすべなく手玉に取られる無能な人間」として枝野を描き出すことで「そんな無能な人間・枝野が万年与党・自民党相手にまともに戦えるのか?」「仮に政権交代で、無能な枝野が首相になったとして海千山千の外国政治家相手にまともな外交ができるのか?」「つまり枝野は志位の言いなりでやはり自民、公明、維新、国民民主が批判するように立憲共産党ではないか!」という疑念を「枝野信者以外(特に野党共闘に参加する共産、社民、れいわの支持者とは違い、自公、維新、国民民主支持者などそもそも枝野に好意的でない面子)」に感じさせるのではないか?、と思わないところが「宮武やクソ駄犬」の「エダシンらしいバカさ」です(連中の物言いが、共産に対して失礼極まりない誹謗であることはひとまず置きます)。
 ここで躊躇なく「志位氏に手玉に取られる無能な枝野(クソ駄犬や宮武の描写)」が「自民党相手に立派に戦える」「まともな外交ができる」というバカがエダシンなのでしょうが「枝野信者以外(特に野党共闘に参加する共産、社民、れいわの支持者とは違い、自公、維新、国民民主支持者などそもそも枝野に好意的でない面子)」は「エダシンはバカだな」「枝野礼賛のためにはどんな詭弁でもありか?」と呆れるだけででしょう。
 宮武(一応、代言(弁護士)だそうですが)のような「レベルの低い愚物」を「三百代言(詭弁を弄する人間への罵倒の言葉)」というのでしょう。
2)そして枝野が「閣外協力を約束しなかった」からといって「立民が勝てた保証はおそらくどこにもない」
 なお、閣内協力まで求めた志位氏にとっては閣外協力止まりだったことは恐らく不満(とはいえ「閣外協力の約束すらなし」よりは「まだマシ」と渋々受け入れた)だったろうし、一方、「クソ駄犬や宮武の枝野擁護」とは違い、せざるを得なかったどころか、枝野は「閣外協力止まりに止めて、共産からのフリーハンドを確保した」「これで連合支持者には『共産とは一線を画した』といい、共産支持者には『閣外協力を約束した』といい、連合からも共産からも票が得られる、選挙で勝てる、俺は有能だ」とどや顔だったのではないか。しかし、その枝野のもくろみは衆院選敗北、枝野代表辞任で崩壊しますが。

 立民の代表が枝野氏ではなく泉氏になっているのですから、共産支持者の方には立民に対してはもちろんのこと、今の共産執行部に対してもかなり警戒感を持っていただきたいと思っています。

 警戒心を持つ理由が特にありませんのでねえ。勿論、志位執行部に「看過できない問題」があれば批判しますが、今のところ俺にとってはそういう問題はない。しかも警戒心を「立民代表が泉になったから持て」というのも「はあ?」「立民代表が誰かと、共産執行部への警戒心と何の関係があるの?」ですね。
 現時点において共産執行部が泉に無茶苦茶にすり寄ってる事実はないでしょうに。
 むしろ俺的には「詭弁を弄してまで枝野を持ち上げるエダシン2人=宮武とカス駄犬」については改めて

・こいつらの言うことは全て枝野万歳だ
・枝野を持ち上げるためなら平気でデタラメな事を言うのがこいつらだ
・こいつらは全く信用できん

という「軽蔑の思い」を強くしました。そしてエダシンのこの二人こそ「もっと枝野に対する警戒心を持つべき」ではないか。
 なお、宮武らエダシンは故意に無視していますが、今の枝野は無役ではない。
 立民党「つながる本部」特別参与と言う役職に枝野は就いています(なお、「つながる本部」本部長が泉代表)。
 たとえ「特別参与」が実権の全くない名誉職にすぎないとしても、無役でない以上、立民の現状について枝野は無罪ではあり得ません。なお、これは「明らかな名誉職」と思われる最高顧問(現在は菅、野田元首相)も話は同じです。
 というか、そんなに「枝野万歳」のエダシンならクソ駄犬や宮武は「枝野の代表復帰(あるいは幹事長、政調会長などの要職復帰)」運動でもしたらどうか。
 「あのとき枝野が代表を辞めなかったら」と後ろ向きなことを言っても何がどうなる話でもない。
 「枝野が代表を辞めなかったら」と言っても「既に辞めている」以上、そんなぼやきには何の意味もない。

宮武さんには

 立民と共産の「連携」についてどう書かれるのか楽しみ

とまで書いていただいたのにこれまで反応できずに申し訳なかった

 「エダシン&反共分子」宮武とクソ駄犬の「馴れ合い」には本当に吐き気がしますね。ご本人達は「建設的な意見交換」とでもいうのでしょうが(呆)。

 泉健太の単なる挨拶回りに共産党が「立憲と合意」と発表

 おいおいですね。根拠レスで志位委員長を嘘つき呼ばわりする気なのか。
 可能性としては「泉が嘘をついてる可能性」もあるのに。というか常識で考えて「嘘をついてるのは泉の方」でしょう。

*1:「など」で片付けるのは「社民、れいわ」に対してあまりにも無礼ではないか。

*2:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)、立憲民主党代表等を経て現在立憲民主党「つながる本部」特別参与

*3:閣外協力を約束しなかったら立民が勝てたという根拠があるなら出して欲しいモンです。

*4:とはいえ逢坂や西村の存在感の無さを考えれば連中が代表になっても残念ながら「今の惨状」とあまり違いがない気がしますが

*5:菅内閣経産相民主党代表、立憲民主党最高顧問等を経て現在、衆院副議長

*6:鳩山、菅内閣外相、民主党幹事長(菅代表時代)、野田内閣副総理・行革相、民主党代表代行(海江田代表時代)、代表、立憲民主党常任顧問等を経て現在、立憲民主党幹事長

*7:鳩山内閣国交相菅内閣外相、野田内閣国家戦略担当相、民主党政調会長(野田代表時代)、民進党代表等を経て国民民主党代表代行

*8:希望の党、国民民主党国対委員長、国民民主党立憲民主党政調会長等を経て現在、立憲民主党代表