尾崎秀実の慧眼

新刊紹介:「歴史評論」2021年12月号 - bogus-simotukareのブログコメント欄で

id:Bill_McCrearyさん
 正木ひろし氏ですら、日本の南京攻略で戦争が終わると考えていたというのは、当時の日本人がいかに中国のことを知らなかったかですね。前に1928年生まれの人(故人)に、南京陥落時の話を聞いたことがありますが、それで戦争は終わると思っていた、中国共産党の話など何も知らなかったということでしたね。当時の日本人(それこそ天皇から一般人に至るまで)が中国のこと(たとえば中国側の対日抗戦意欲とか)をよりよく知っていれば、あんな戦争はしなかったでしょうね。

というご指摘を受けましたが、「中国側の対日抗戦意欲」などを評価し、日中戦争の長期化、泥沼化を予想した人間も勿論少数ながらいました。その一人が尾崎秀実です。以下の通り、メモしておきます。ソ連スパイとして死刑となった彼ですが、ジャーナリストとして有能な人間*1であり、ソ連スパイとして死刑にならなければ、戦後、有能なジャーナリストとして活躍したでしょう。
 しかし彼は「あえて」ソ連スパイの道を選んだわけです。

尾崎秀実論文集
◆尾崎秀実『長期抗戦の行方』(『改造』1938年5月号)から一部引用(赤字強調は俺がしました)
 次に支那側の長期抵抗の将来について考へて見よう。
 長期抵抗の可能性を決定するものは結局に於て民族的結合力の問題に帰着するが、この点では、支那は確かに一段の進歩を遂げたことは事実である。支那は戦争によつて軍事的にも、政治的にも経済的にも全体として力を弱められ、国家的な抵抗力を弱めつつあるのは事実であるが、歴史の長い眼から見た、民族的凝集力は飛躍的な前進を遂げたものと思はれる。
 一九三一年以来支那の民衆は日本との抗争によつて漸く自らの地位を知り始め、今次の日支戦争によつて殆んど絶望的に民族的な統一へ駆り立てられたのである。
 勿論かかる結合力、凝集力は今日さまで高く評価し得ないかもしれないが、とにかくこの巨大な民族が一定の方向を与へられたといふことは大きな事実である。
 成程、支那の抗日民族運動なるものは見た眼では決して華かに景気のいいものではない。我々、かつての支那の一九二四年頃から一九二七年当時の素破らしく元気のいい民族運動の波の昂揚を見た者にとつては寧ろ意気銷沈とすら見受けられる。しかしそれは明らかに皮相の観察であらう。
 他日日本が、戦争の効果をあげ、国民政府を圧伏する時があつたとしてもこの民族的結合の問題は残るものと思はれる。
 何よりも挙国一致といふことは現在の支那の人気ある題目となつてゐる。
 挙国一致、全国各党各派を容納するといふことがかけねなく遂行されつつあるやうに見受けられる。

 国共両党の真意は今日と雖も目前の戦略的考慮に基づいて提携しつつあるといふ事実は否定出来ないから分裂は将来起り得ないと見ることは誤りであらうが、それにしてもかかる分裂の生じるためには余程大きな事情の変化を必要とするに違ひないのである。
 支那を征服した二つの民族戦の場合、元、清の場合について調べて見ると、元が南宋と敵対関係に入つたのは一二三四年であつて、広東の新会県崖山に追ひつめられた陸秀夫等が元将張仏範等に攻められて帝を奉じて海に投じ、南宋が亡んだのが一二七九年でその間四五年かかつてゐる。
 また清の場合を見るに、努兒哈赤がホトアラに即位し国号を金としたのが一六一六年で、清将呉三桂が桂王を雲南に殺し明の全く滅んだのは一六六二年である。その間やはり四六年かかつてゐる。
 もとより今日に於ては、蒋介石を以て王朝の主に比較することも出来ないし、種々の事情が変つてゐるからこの例は必ずしも妥当ではないが民族抗争が長期にわたる性質のものとして全然意味のない示唆ではないのである。
 先頃行はれた臨時国民党大会の宣言、諸決議、及びその結果として現はれた諸事件は、これをもつて総べて、日本の新聞に報ぜられた如く、断末魔のあがきと断ずることは出来ないやうに思はれる。

*1:だからこそソ連にスパイとしてスカウトされたわけですが