リベラル21に突っ込む(2022年8/16日分)

リベラル21 今こそかみしめたい。「日本は77年間、戦争をしなかった」と(岩垂弘)
 まあ、「ベトナム戦争などへの戦争協力」「イラク等への自衛隊派兵」の問題はありますが、戦後77年間、「ベトナム戦争イラク戦争、アフガン戦争などの米軍」「ベトナム戦争参戦の韓国軍」「アフガン侵攻のソ連軍」「ウクライナ侵攻のロシア軍(現在進行形)」などのような「海外での武力行使」が自衛隊になかったことは俺も「大変良かった」と思っています。だからこそ、俺は九条護憲派ですが。「改憲右派がどう言い訳しようとも」戦後ずっと九条改憲とは「自衛隊の海外派兵」が目的だったと言っていいでしょう。

 近代国家になった日本の最初の戦争は、1874年(明治7年)の台湾出兵である。

 正確に言えば「最初の対外戦争」ですね。内戦なら「旧幕臣榎本武揚*1大鳥圭介*2らの箱館戦争(1868(明治元年)~1869(明治2)年)、江藤新平*3島義勇*4らの佐賀の乱(1874年(明治7年)*5)が「台湾出兵より前」にありますので。
 なお、岩垂の文には「義和団事変(義和団事件義和団の乱、北清事変とも言う)鎮圧」が出てきません。
 以前、ある本*6を読んでいたら「近代日本の戦争というとほとんど日清、日露戦争、シベリア出兵、満州事変以降の日中戦争、太平洋戦争ばかりが日本では論じられるがもっと日本軍による義和団事変鎮圧が研究されるべきだ(中国史家の義和団研究は無論それなりにあるが日本史家の研究が少ない)」なんて趣旨の文が出てきましたが、「義和団に触れない」岩垂の文も近代日本の戦争というとほとんど日清、日露戦争、シベリア出兵、満州事変以降の日中戦争、太平洋戦争ばかりが日本では論じられるの一つになるわけです。
 私見では日本で「日本軍の義和団鎮圧」が注目されない理由の一つは他の戦争と違い、「日本の単独出兵」ではなく、「欧米との共同出兵」だからでしょう。
 とはいえ、実は義和団鎮圧で一番多くの兵隊を送ったのは日本ですし、後で触れますが、義和団鎮圧を契機に設置された支那駐屯軍が後に盧溝橋事件を起こしたことを考えれば「義和団事件鎮圧はもっと注目されるべき重要な事件ではないか」と思いますね。「共同出兵」ならシベリア出兵もそうですが、シベリア出兵の場合「出兵での米不足を見込んでのコメ買い占め→コメ価格の高騰→米騒動→寺内*7内閣総辞職」「尼港事件での日本人虐殺」という衝撃的事件があることが「義和団鎮圧に比べシベリア出兵が記憶されてる理由」として大きいのでしょう。
 勿論、義和団鎮圧を契機に設置された支那駐屯軍も「盧溝橋事件」を起こした軍隊として有名ですが【1】盧溝橋事件(1937年)は直接には義和団事件(1900年)と関係ない、【2】支那駐屯軍の盧溝橋事件(1937年)以前に関東軍張作霖暗殺(1928年)、満州事変(1931年)など無茶苦茶やってるので、関東軍が悪目立ちしている、というのが大きいのでしょう。
 なお、義和団事件をネタにした映画が『北京の55日』(1963年公開)でこれに「若き日の伊丹十三(1933年生まれ)が出演してる(柴五郎*8・陸軍中佐役)」つうのは伊丹ファンには「割と有名なエピソード」ですね(北京の55日 - Wikipedia参照)。
 ちなみにググってヒットした「義和団事件(北清事変)」関係の著書を以下に紹介しておきます。

北清事変が著書名にあるもの】
◆斎藤聖二*9北清事変と日本軍』(2006年、芙蓉書房出版)

義和団が著書名にあるもの(刊行年順:刊行年が同じ場合は著者名順)】
佐藤公彦*10義和団の起源とその運動:中国民衆ナショナリズムの誕生』(1999年、研文出版)
小林一美*11義和団戦争*12と明治国家(増補)』(2008年、汲古書院
佐藤公彦『清末のキリスト教と国際関係:太平天国から義和団・露清戦争、国民革命へ』(2010年、汲古書院)
◆吉沢南*13『海を渡る「土兵」、空を飛ぶ義和団:民衆文化と帝国主義』(2010年、岩波書店
◆菊地章太*14(きくち・のりたか*15)『義和団事件風雲録』(2011年、大修館書店)
櫻井良樹*16(さくらい・りょうじゅ)『華北駐屯日本軍*17義和団から盧溝橋への道』(2015年、岩波現代全書)

【参考:義和団事件

https://www.asahi.com/international/history/chapter03/textbook/02.html
 人民教育出版社の「中国歴史」には(中略)義和団との戦いについては「8カ国*18連合軍の中国侵略戦争」というタイトルで、4ページにわたって詳しく説明している。その冒頭は次のように書かれている。
 《1900年春に、義和団運動は京津*19地区にまで発展した。闘争の矛先は直接、帝国主義侵略勢力に向けられた。(中略)8カ国連合軍は北京の至るところで焼き打ちや殺害、略奪を行い、悪行の限りを尽くした。》
 日本では「北清事変」とか「義和団事件」と呼ばれているが、中国では「反帝*20愛国運動」として位置づけられている。

日中全面戦争のきっかけ/盧溝橋(ろこうきょう)事件から68年/歴史の真実はどこに─2005.7.7
 なぜ日本軍が北京近郊に駐留していたのでしょうか。
 日本は義和団事件(一九〇〇年)に関する「最終議定書」(一九〇一年)で中国への“駐兵権”をもっていました。この権利をたてに駐留したのが、のちに盧溝橋事件をおこした「支那駐屯軍」でした。
 義和団事件は、各国からの中国侵略に抗議した民衆の運動に対し、日本などの八カ国が連合軍を派遣し、鎮圧をはかった戦争のことです。中国への侵略そのものでした。
 鎮圧後、各国が中国に駐兵権を認めさせた条約が「最終議定書」でした。しかし駐兵目的は、公使館を守る(第七条)、北京・海浜間の「自由交通を維持」(第九条)に限定されていました。この権利を侵略拡大の足場にした国は、日本以外にありませんでした。
 日本は、盧溝橋事件の前年の一九三六年に、「支那駐屯軍」の兵力を約千八百人から約五千八百人へ三倍に増強しました。

日中全面戦争のきっかけ、盧溝橋事件とは?2006.7.6
 当時、中国は義和団事件(1900年、中国侵略に抗議した民衆運動を、日本など8カ国の軍が鎮圧をはかったもの)の「最終議定書」によって国内への外国軍の“駐兵権”をのまされていました。日本は、これを盾に、盧溝橋事件の前年には「支那駐屯軍」を1800人から5800人に増強。中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯させました。ここは北京の守備の要で、すでに中国軍がおり、両軍はわずか300メートルで対峙するかたちになりました。それが、いかに挑発的なことであったか。
 当時、陸軍参謀本部第一部長だった石原莞爾*21(「満州事変」を起こした中心の一人)は「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変(「支那事変」)の直接動機になつたと思ひます」(「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)と証言しています。
 しかも、現地では事件後まもなく停戦協定が成立し戦火の拡大を防ぐ条件がありました。ところが、近衛内閣は、大軍派遣を決定し、翌8月、「支那軍の暴戻(ぼうれい=乱暴で道理がない)を膺懲(ようちょう=こらしめる)し…」と政府声明、昭和天皇も「中華民国深く帝国の真意を解せず濫(みだり)に事を構へ遂に今次の事変を見るに至る」と中国側に戦争の責任を押しつけ、「中華民国の反省を促し速に東亜の平和を確立」するための武力行使だと強弁(37年9月)したのです。
 こうして始められた侵略がどれだけ多くの犠牲をだしたのか。「7月7日」は、私たちが忘れてはならない日です。

主張/盧溝橋事件70年/侵略の責任に向き合ってこそ2007.7.7
 そもそも日本軍が北京郊外という中国の中心部に布陣して軍事演習していたことが大問題です。日本が布陣していなければもともと(ボーガス注:盧溝橋)事件は起こるはずのないものでした。
 安倍首相は「北清事変議定書によって軍隊がいることを認められた」(昨年十月五日衆院予算委員会)とのべましたが、これは事実の露骨なねじまげです。
 一九〇〇年の義和団事件(北清事変)のあと出兵八カ国と中国が結んだ「議定書」による駐兵権は、北京と港の間の「自由交通の維持」のために特定の地点に駐兵するというきわめて限定されたものです。とりきめをたてに、日本軍が一方的に軍事行動を行い、発砲があったからといって侵略拡大の口実にしたのは正当化できない蛮行です。
 「発砲」が誰によって行われたかは不明ですが、それでも現地の日本軍と中国軍は、局地的事件として処理するため停戦協定を結びました。ところが当時の天皇制政府と軍部が協定をほごにし、すべて中国側の「計画的武力抗日」だと決め付け、朝鮮駐留の軍隊や「満州」の関東軍、さらに日本本土から大部隊を送り込み、全面侵略へと突き進んだのです。政府と軍部が盧溝橋事件を利用して全面侵略を始めた事実は明白です。

2014 とくほう・特報/日本の侵略戦争/■第1回■ 東方会議から「満州事変」へ/「在留邦人保護」を口実に2014.8.2
 中国近現代史が専門の久保亨*22信州大学教授は(中略)「在留邦人保護」を理由にした軍隊の駐留が、次の侵略の火種になっていったと指摘します。
 「在留邦人保護を目的とした中国への軍隊駐留は、欧米列強の侵略に反対する排外主義的な民衆蜂起の『義和団事件』(1900年)に始まります。他国の駐留軍が規模を縮小する中で、1936年に日本は以前は数百人規模の駐留軍を5800人規模に拡大しました。この軍隊が1937年に、日中全面戦争の発端となる北京郊外での軍事的衝突、盧溝橋事件をひき起こします」

*1:江戸幕府で海軍副総裁。蝦夷共和国総裁として起こした箱館戦争に敗れ下獄するがその才能が評価されて釈放。明治新政府に仕え、駐露公使、海軍卿、駐清公使、第一次伊藤、黒田内閣逓信相、黒田、第一次山県内閣文相、第一次松方内閣外相、第二次伊藤、第二次松方内閣農商務相など歴任

*2:蝦夷共和国陸軍奉行として関わった箱館戦争に敗れ下獄するがその才能が評価されて釈放。明治新政府に仕え、工部大学校(東京大学工学部の前身)初代校長、学習院院長、駐清公使、枢密顧問官など歴任

*3:文部大輔、司法卿、参議などを歴任するが征韓論に敗れて下野。佐賀の乱を起こすが敗れて死刑

*4:北海道開拓判官、侍従、秋田県初代権令(知事)などを務めるが下野。佐賀の乱を起こすが敗れて死刑

*5:同じ1874年発生だが、佐賀の乱が2月、台湾出兵が5月で佐賀の乱の方が早い。なお、台湾出兵佐賀の乱で表面化した士族の不満を台湾に向ける狙いもあったとされる。

*6:後で紹介する義和団関係の著書のどれかの「前文」だった気がします。なお、情けない話ですが、「明らかに専門的な研究書だった」ので斜め読みしただけでキチンとは読んでいないし、だからこそ内容どころか、著書名も覚えてません。とはいえ「日本史家はもっと義和団事変(北清事変)を研究すべきだ」という前文の内容からは「斎藤聖二氏の本だったかな?」という気はします(斎藤氏は日本史家なのに対し小林一美氏、佐藤公彦氏は中国史家、吉沢南氏はベトナム史家、菊地章太氏は比較宗教学なので。なお、桜井良樹氏も日本史家ですが、斎藤氏の本が『義和団事件(北清事変)研究』なのに対し櫻井氏の著書は『義和団事件を契機に生まれた支那駐屯軍研究(支那駐屯軍は盧溝橋事件を引き起こしたことで知られる)』なので義和団事件研究からは少しずれており、その点が「斎藤本だった気がする」と俺が考える理由です)。

*7:1852~1919年。第1次桂、第1次西園寺、第2次桂内閣陸軍大臣朝鮮総督を経て首相

*8:1860~1945年。佐世保要塞司令官、下関要塞司令官、第12師団長、台湾軍司令官など歴任

*9:茨城キリスト教大学教授。著書『日独青島戦争』(2001年、ゆまに書房)、『日清戦争の軍事戦略』(2003年、芙蓉書房出版)。「日独青島戦争」という呼び方はあまりしないと思いますが、「第一次大戦での日本の青島攻撃」のことです。

*10:東京外国語大学名誉教授。著書『中国の反外国主義とナショナリズムアヘン戦争から朝鮮戦争まで』(2015年、集広舎)、 『中国近現代史はどう書かれるべきか』(2016年、汲古書院)、『陳独秀・その思想と生涯(1879~1942)』(2019年、集広舎)など

*11:神奈川大学名誉教授。著書『清朝末期の戦乱』(1992年、新人物往来社)、『中華世界の国家と民衆』(2008年、汲古書院)、『M・ヴェーバーの中国社会論の射程』(2012年、研文出版)、『中共革命根拠地ドキュメント:1930年代、コミンテルン毛沢東、赤色テロリズム、党内大粛清』(2013年、御茶の水書房)、『日中両国の学徒と兵士』(2018年、集広舎)、『わが昭和史、わが歴史研究の旅』(2018年、鳥影社)など

*12:事変、乱と表現される事が多いかと思いますが確かに「戦争」です。

*13:1943~2001年。茨城大学教授。著書『ベトナム現代史のなかの諸民族』(1982年、朝日新聞出版)、『戦争拡大の構図:日本軍の「仏印進駐」』(1986年、青木書店)、『ベトナム戦争と日本』(1988年、岩波ブックレット)、『ベトナムの日本軍:キムソン村襲撃事件』(1993年、岩波ブックレット)、『ベトナム戦争』(1999年、吉川弘文館)、『同時代史としてのベトナム戦争』、『私たちの中のアジアの戦争:仏領インドシナの「日本人」』(以上、2010年、有志舎)

*14:東洋大学教授。著書『儒教・仏教・道教』(2008年、講談社選書メチエ→2022年、講談社学術文庫)、『葬儀と日本人』(2011年、ちくま新書)、『道教の世界』(2012年、講談社選書メチエ)、『妖怪学の祖・井上圓了』(2013年、角川選書)、『ユダヤ教キリスト教イスラーム』(2013年、ちくま新書)、『魔女とほうきと黒い猫』(2013年、角川ソフィア文庫)、『阿修羅と大仏』(2014年、幻冬舎ルネッサンス新書)、『エクスタシーの神学:キリスト教神秘主義の扉をひらく』(2014年、ちくま新書)、『日本人とキリスト教の奇妙な関係』(2015年、角川新書)など

*15:「しょうた」ではなく「のりたか」だそうです。

*16:麗澤大学教授。著書『大正政治史の出発:立憲同志会の成立とその周辺』(1997年、山川出版社)、『宮本武蔵の読まれ方』(2003年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『帝都東京の近代政治史:市政運営と地域政治』(2003年、日本経済評論社)、『辛亥革命と日本政治の変動』(2009年、岩波書店)、『加藤高明』(2013年、ミネルヴァ書房・日本評伝選)など

*17:1901年の北京議定書に基づき日本が設置(支那駐屯軍 - Wikipedia参照)

*18:オーストリア=ハンガリー帝国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア、イギリス、アメリカのこと

*19:北京(現在の首都)と天津のこと

*20:反帝国主義の略

*21:1889~1949年。関東軍作戦主任参謀として満州事変を実行。関東軍作戦課長、参謀本部作戦課長、戦争指導課長、参謀本部第一部長、関東軍参謀副長、舞鶴要塞司令官、第16師団長など歴任

*22:著書『戦間期中国〈自立への模索〉:関税通貨政策と経済発展』(1999年、東京大学出版会)、『戦間期中国の綿業と企業経営』(2005年、汲古書院)、『社会主義への挑戦 1945~1971』(2011年、岩波新書)、『日本で生まれた中国国歌:「義勇軍行進曲」の時代』(2019年、岩波書店)、『現代中国の原型の出現:国民党統治下の民衆統合と財政経済』、『20世紀中国経済史論』(以上、2020年、汲古書院)など