◆荒木のツイート
https://twitter.com/ARAKI_Kazuhiro/status/1464244377438490624
荒木和博
昨日25日付の産経新聞。予備役ブルーリボンの会のシンポジウムについて告知記事を載せてくれました。
といったところで、もはやそんな集会は「右翼仲間・産経」しか報じてくれない。しかもその産経も「特筆大書」ではなく「2段程度のベタ記事」です。
北朝鮮人権映画祭告知記事(新潟日報): 荒木和博BLOG
つまりは「新潟日報以外はほとんど報じてくれない」ということでしょう(苦笑)。
一式双発高等練習機を見に行って思ったこと(R3.11.29): 荒木和博BLOG
7分21秒の動画ですが「いつも通り」見る価値は全くありません。馬鹿馬鹿しい。
陸軍一式双発高等練習機を見に行ってきました。立川飛行機(現:立飛)が製造した多用途の練習機で、1300機以上製造された非常に使い易い機体だったそうです。展示されたのは立川市の立飛敷地内。公開された機体はもともと昭和18年(1943)に秋田から青森に飛行中エンジントラブルで十和田湖に不時着水したもの。引き上げられて三沢で展示されていましたが、製造した立飛が譲り受け、展示しました。それを見ながら感じたことをお話ししました。
なんてことは「荒木が建前上の活動目的とする」拉致被害者救出(拉致被害者の帰国)と全く関係ない。そもそも救う会関係の活動ではなく「荒木の個人的趣味」で見に行っただけですから。
何せ荒木が動画で話してることは「昔はこうした優秀な飛行機を作っていたのに、今は国産ジェットなど作ってなくて悲しい。GHQが国産飛行機の製造を一時禁止していたことが痛かった」、「今回の客は、若者の方が中高年より多かったと思う。若者の方が安保防衛政策では現実的ではないか」だのですから。
なお、荒木の言う「現実的」とは要するに「九条改憲」「敵基地攻撃能力(先制攻撃能力)保有」などのことですが、馬鹿馬鹿しい。
当然ながら「旧陸軍の飛行機を見に行った人間=軍事タカ派」とは限らないわけです。立飛だってそういう右翼的な、政治的な思惑で展示してるわけでもないでしょう。
それにしても「この動画は拉致解決が目的じゃなかったのか?。完全にお前の好き勝手な漫談じゃねえか、荒木(呆)」ですね。
【参考】
一式双発高等練習機 を 見てきた ♪~ - 問答無用!!!2021.11.26
【短報】東京立川にて一式双発高等練習機を一般公開中(11月28日まで) - 用廃機ハンターが行く!2021.11.26
80年近い時経て古里に 十和田湖から引き揚げの旧陸軍機 東京・立川で一般公開 | デーリー東北2021.11.26
2012年に十和田湖から引き揚げられた旧陸軍の「一式双発高等練習機」の一般公開が25日、東京都立川市で始まった。製造元(ボーガス注:立川飛行機)を前身とする不動産賃貸業の立飛ホールディングス(東京)が譲り受けた同機は、80年近い時を経て古里に戻ってきた。
国内に現存する唯一の機体として「重要航空遺産」の認定を受け、青森県立三沢航空科学館で約8年間展示されていた。保管に一層適した環境で後世に残そうと所有者の県航空協会が寄贈。輸送が終わり、同社は立川市内にあるグループ企業の倉庫で28日まで無料公開している。
日本製航空機の一覧 - Wikipedia
1952年(昭和27年)にGHQによって機体開発の一部再開が認められたことにより、日本の航空産業は新しい時代に入ったが、禁止の年月は日本から航空技術が失われるには十分であった。戦前の航空技術者の大半は生活の糧を求めて鉄道や自動車の分野に流出した。また、ジェットエンジンの実用化や超音速の実現など、世界の航空技術は日本の終戦時の技術を遥かに上回る水準に達していた。日本はアメリカ製の機体をライセンス生産(ほとんどの部品を国内で調達・生産する方式)することにより、技術を再取得しなければならなかった。
<社説>国産旅客機 展望を速やかに示せ:東京新聞 TOKYO Web2021.11.18
三菱重工業が国産旅客機「スペースジェット」(SJ)の開発を凍結してから一年が過ぎた。商用化に必要な認証(TC)取得作業は続けるという説明だったが、現場から伝わる様子は“店じまい”するかのような動きばかり。経営陣は今後の行く末について迅速に展望を示すべきだ。
(中略)
もし復活を期するなら、適切なタイミングで凍結を解かないと、年々難しくなるだけだろう。
予讃線と愛媛の話(R3.11.28): 荒木和博BLOG
5分43秒の動画ですが「いつも通り」見る価値は全くありません。馬鹿馬鹿しい。
第一に「荒木が建前上の活動目的とする」拉致被害者救出(拉致被害者の帰国)と全く関係ない。
第二に
私は小学校にあがる前後、(ボーガス注:予讃線*1八幡浜駅がある)愛媛県八幡浜市に住んでいました。気持ちの上では自分の故郷
という説明文で想像つくでしょうが「荒木のノスタルジー話」でしかない。
鉄道趣味話といえる話では全くありません。荒木ももはや「まともな鉄道趣味話」をすることができないようです。つまりは「浅い鉄道ファンだ」ということですね。