珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年3/9日分)(副題:ロシアのウクライナ侵攻)

プーチンの「最終闘争」―「ユーラシア人」vs「大西洋人」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「国連総会での非難決議」「G7諸国を中心とした制裁の動き」で「最終闘争(プーチン体制の危機)」になりかねない事態ですが、おそらくプーチンは「もっと事態を甘く見ていた(簡単にゼレンスキー政権が崩壊する)」のではないか。
 その点は「南京陥落で戦争が終わる」と甘く考えていた戦前日本軍のような考えではなかったか。

 日本人フリー・ジャーナリストたちがウクライナに入り始めた。
 今日段階で私の知り合いでは少なくとも4人の入国を確認した。ぜひ日本人の視点で独自の取材をやってほしい。そして無事に帰国することを祈っている。
 また、彼らが常岡浩介、安田純平両氏のように旅券の発給を拒否されるようなことにならぬよう、見守っていかなければならない。

 高世にとって常岡や安田はもはや「ウクライナに入国した日本人ジャーナリストが常岡、安田のように旅券発給拒否されないよう支援しよう」という「ウクライナに入国した日本人ジャーナリストという本論」にふれる前の「前振りのネタ」でしかないわけです。
 「常岡や安田」自体を大々的に取り上げる気はもはやない。高世にとってこの二人が「もはやどうでもいい存在」であり、関係もおそらく疎遠であることがうかがえます。おそらく「安田も常岡も大言壮語するがジャーナリストとしての能力は決して高くない」が高世の「二人への現在の評価」でしょう。

 国連はじめ国際機関や米国、NATOも、誰もロシアのあからさまな侵略戦争を止める実効的な手段をとれないでいる状況で、期待されるのはロシア国内の戦争反対の動きだ。

 小生も「ロシア国内のプーチン批判の動き」に「多少は期待」しますが過大評価はしていません。
 そもそも「権力(政府、議会)を大統領、『事実上の』与党党首(建前上の党首はプーチンの部下であるメドベージェフ元首相)のプーチンが支配してる」以上、デモやストのような形でしかプーチン批判はできません。
 ニクソン辞任のように「大統領弾劾」といった形で追い詰めることができない
 なお、高世の言う「国外から実効的な手段が執れない」が「今のところロシアのウクライナ侵攻が止まってない」という意味ならその通りですが「経済制裁」「NATOウクライナ軍事支援」はプーチンにとっては決して「軽い物ではない」でしょう。

 プーチンっていったい何を考えているのか?
 これは誰もが知りたいことだ。
 友人の水島朝穂*1早大名誉教授のブログに、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』の記事をもとにした興味深い指摘があった。

 俺なら高世に「友人」などと言われることは屈辱ですが、おそらく水島氏はそうではないのでしょう。

 「プーチンの行動を理解するには、どのようなイデオロギーが彼を動かしているかを知る必要がある」として、プーチンが、「ユーラシア人」と「大西洋人」との最終闘争(Endkampf zwischen “Eurasiern” und“Atlantikern”)を信じていると指摘している。プーチンNATOへの異様な拒否反応は、ここに起因しているようである。「特別の軍事作戦」がウクライナだけにとどまらない可能性も指摘されるのは、プーチンの「大ロシア主義」の世界にNATOが踏み込んできたからだろう。

 そんなご大層な話ではないでしょう。プーチンにとって「隣国ウクライナNATO入りすること」は「どんな手を使ってでも阻止しない」と「ロシアの国益プーチンの個人益」が害されるという理解なのでしょう(どういう意味で害されるのかはひとまずおきます)。
 従ってウクライナ侵攻は「他の旧ソ連諸国」や「ロシアの隣国(例:フィンランド)」への侵攻を意味しません。おそらくプーチンも「ウクライナ以外への侵攻」は考えてないのではないか。
 勿論「ウクライナ侵攻は考えてない」といいながら無茶な口実で侵攻を開始した「嘘つきのプーチン」に対して「他の旧ソ連諸国」や「ロシアの隣国(例:フィンランド)」が侵攻の恐怖を感じても非難はできませんが。

 「最終闘争」!?。石原莞爾*2の「世界最終戦*3」や人種戦争の勝利をめざしたナチズムを想起させるが、この解釈が正しいとすれば、プーチンは確固たる壮大なイデオロギーにもとづいて行動していることになる。
 権力や金への執着を行動原理にするその辺の「普通の」独裁者とは違うわけで、政策誘導は非常に難しいだろう

 高世には「おいおい(呆)」ですね。そもそも「そんなイデオロギー」に基づいてプーチンが行動してるかどうかが疑問です。
 ウクライナ侵攻が「金や権力維持」に有利という、「その辺の普通の独裁者」と同じ可能性は十分ある。
 また、イデオロギーに基づいていれば「イデオロギーのためなら死んでもいい」という人間ばかりでもない。
 プーチンも「ウクライナから撤退した方が有利だ」と思えばいくらでも撤退するでしょう。そもそも経済制裁自体「プーチン体制打倒」ではなく「プーチンの政策誘導(ロシア軍撤退)」が目的でしょう。
 なお、「ナチズム(ヒトラー)」「プーチン」はともかくここで「石原」を持ち出すのは明らかに不適切でしょう。
 なぜなら石原は確かに「満州事変の立役者」ですが、満州事変当時、石原(関東軍作戦主任参謀)の上司として「板垣征四郎*4(当時、関東軍高級参謀)」がおり、板垣の満州事変実行動機は「石原独自の戦争論」になど基づいてないからです。
 また、石原も

石原莞爾 - Wikipedia
 1930年代後半から、関東軍が主導する形で、華北内蒙古を国民政府(蒋介石政権)から独立させて勢力圏下とする工作が活発化すると、対ソ戦に備えた満州での軍拡を目していた石原は、中国戦線に大量の人員と物資が割かれることは看過しがたく不拡大方針を立てた。
 1936年(昭和11年)、関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)に対し、中央の統制に服するよう説得に出かけた時には、現地参謀であった武藤章*5が「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と反論し同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという。
 1937年(昭和12年)の支那事変(日中戦争)開始時には参謀本部第一部長(作戦部長)であったが、ここでも作戦課長の武藤などは強硬路線(拡大論)を主張、不拡大で参謀本部をまとめることはできなかった。
 日中戦争が泥沼化することを恐れて不拡大方針を唱え、トラウトマン和平工作にも関与したが、当時の関東軍参謀長・東條英機*6ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部第一部長から関東軍参謀副長として左遷された。その後、参謀長の東條英機と確執が深まった。石原の考えを理解しない東條を、東條が上司でありながら「東條上等兵」「憲兵隊しか使えない女々しい奴(東條は関東憲兵隊司令官の経歴がある)」などと呼んで馬鹿呼ばわりした。一方東條の側も、石原が上官である東條に対して無遠慮に自らの見解を述べることに不快感を持っていたため、石原の批判的な言動を「許すべからざるもの」と思っていた。石原は、昭和13年(1938年)6月に、病気を理由に関東軍参謀副長を辞任したいと申し出て、人事発令を待たずに内地に帰国して入院するという暴挙に出た。石原は特に処分を受けずに同年12月に舞鶴要塞司令官に補され、昭和14年(1939年)8月には第16師団長(京都)に親補された。太平洋戦争開戦前の昭和16年(1941年)3月に予備役へ編入された。これ以降は教育や評論・執筆活動、講演活動などに勤しむこととなる。

ということで「1937年9月の関東軍参謀副長への左遷」以降は明らかに軍中枢から外されます。
 石原の左遷(1937年9月)以降の「北部仏印進駐(1940年)」「南部仏印進駐、太平洋戦争(1941年)」などは石原には全く関係がない。

*1:著書『武力なき平和:日本国憲法の構想力』(1997年、岩波書店)、『東日本大震災憲法』(2012年、早稲田大学出版部)、『戦争とたたかう:憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(2013年、岩波現代文庫)、『はじめての憲法教室』(2013年、集英社新書)、『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(2015年、岩波書店)、『平和の憲法政策論』(2017年、日本評論社)など

*2:関東軍作戦主任参謀、関東軍作戦課長、歩兵第4連隊長(仙台)、参謀本部作戦課長、参謀本部戦争指導課長、参謀本部第1部長、関東軍参謀副長、舞鶴要塞司令官、第16師団長(京都)を歴任

*3:現在は「中公文庫BIBLIO20世紀」

*4:関東軍高級参謀、関東軍第2課長、関東軍参謀副長、関東軍参謀長、第5師団長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣支那派遣軍総参謀長、朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*5:関東軍第2課長、参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長兼調査部長(太平洋戦争開戦時)、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第2次、第3次近衛内閣陸軍大臣、首相(太平洋戦争開戦時)など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀