ロシアによるウクライナ侵略に関しても、事前の識者の解説では「ロシア軍の国境配備は駆け引きの一環」「プーチン大統領は合理的だから、全面侵攻はありえない」といった楽観論が少なくなかった。やはり正常性バイアスが働いていたのか。
確かに「ある種の正常性バイアス(『そんな事態は起こるわけがない』と評価)」かもしれませんが、今回のプーチンの行為「親ロシア勢力支配地域にとどまらないウクライナ全面侵攻」が「それほど非常識だった」ということです。
NATOがウクライナを軍事支援しているため軍事的に勝利できる保証がない上に、仮にロシア軍が短期的には勝利してもウクライナ側が「ゲリラ戦の続行」で「第二のアフガン化」する恐れがある。おまけに「G7諸国」は侵攻前から「ロシアの石油禁輸」などの報復措置を公言していました。これで「親ロシア勢力支配地域にとどまる部分侵攻」ならまだしも「全面侵攻」に踏み切るプーチンの方がおかしい。
あげく、よほど追い詰められているのか、産院空爆は「フェイクニュース」だとロシアが主張 - 高世仁の「諸悪莫作」日記も批判するように「病院攻撃」などという国際法違反行為までやるひどさです。
あえて言えば「楽観論から対米戦争を開始した戦前日本=プーチン」であり、「日本が対米戦争などするわけがないと油断していた米国=プーチンの全面侵攻を予想していなかった識者」でしょう。
そして「正常性バイアス」というなら「ロシアの原発攻撃」を目にしながら、未だに原発推進論を唱える産経らウヨの方こそ「正常性バイアス」でしょう。
指導者がいつも合理的で説明可能な政治判断を行うのであれば、人類の歴史はもっと平和だったろう。
確かにその通りでその悲惨な一例が「戦前日本の対米開戦(但し産経は詭弁で正当化しようとしますが)」「毛沢東中国の文革」などです。但し、今回の侵攻までは「プーチンは戦前日本や毛沢東ほど無茶苦茶ではない。不正選挙の疑いはあれども、複数政党国家ロシアで、とにもかくにも1990年から30年も政権を維持してきた。毛沢東のような絶大な権威もないのに子分のクーデターを許さなかった。さすがにウクライナ全面侵攻はしないだろう」と一定の評価をされたわけですが。
馬鹿馬鹿しい。今回のプーチンのような「対外侵攻」を金正恩、習近平はしてないのに寝言にもほどがある。なお、プーチンだってウクライナ相手にさすがに核は使用しないでしょう。その程度の常識はさすがにあるのではないか。
【主張】チェルノ原発停電 ロシアの蛮行は許されぬ - 産経ニュース
ロシア批判はしても、こうしたリスクを理由にした脱原発は絶対に主張しないのが産経らしい。
日本人も志願したウクライナ義勇兵 「ひとごとでない」 - 産経ニュース
日本からの義勇兵参加をめぐっては、「私戦予備・陰謀罪」に該当するとの指摘もあった。同罪は刑法93条に規定され、外国に対して私的に戦闘行為をする目的で準備や計画をした場合、3月以上5年以下の禁錮刑を科すというものだ。
今回の義勇兵は該当するのか。東京都立大法学部の星周一郎*2教授(刑法)は、大使館の募集に応じた場合でも「罪に抵触する可能性は低い*3」とみる。ポイントは「私的戦闘」をどう解釈するか。ロシアとウクライナは国の正規軍どうしの戦闘を継続しているとして、「私的な戦闘と言えるかは難しいだろう」との考えだ。同罪の原型は明治期に定められた旧刑法にある。星教授は江戸時代末期に、薩摩藩や長州藩が外国に戦争を仕掛けたケースを前提にしていたようだと指摘する。
薩摩藩や長州藩が外国に戦争を仕掛けたケースとは、薩英戦争、下関戦争のことですね。
「ポーランドに侵攻も」 駐日大使が危機感 - 産経ニュース
さすがに本気ではないでしょう。ロシアの脅威を煽る気持ちはわかりますが明らかなデマはまずいでしょう。
【西論プラス】ウクライナ侵攻を非難しないインド 「非同盟」思考から脱却を 大阪編集長・岩田智雄 - 産経ニュース
「安保理、国連総会でのロシア非難決議」で「賛成票を投じなかった」とはいえ「反対ではなく棄権」なので「全面擁護」しているわけではありません。
「BRICSでの関係」「中印紛争、印パ紛争でのソ連の支援(そしてその後も続くロシアによるインドへの軍事支援)」が背景にあるとみられています。
独仏首脳がプーチン大統領と会談 停戦求める - 産経ニュース
仏独首脳、プーチン氏と電話会談 戦闘停止改めて求める - 産経ニュース
仏大統領、独首相と共にプーチン大統領と会談 「短期の外交解決難しい」 - 産経ニュース
フランスやドイツが本気で「和平仲介する気がある」のか、「ロシアには和平意思がない」と見切った上で単に「ロシアには和平交渉をやる気がない(我々は和平交渉に尽力してるのに)」という「ロシア批判のための前振り*4」かはともかくこうした和平の動きは大いに支持したい。
前者の場合は勿論、後者の場合でも「プーチンの居直りを批判する」という意味で意義がある。