珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年4/23日分)(副題:福田首相の退任を『拉致解決』の観点から深く惜しむ)

メルケルならプーチンを止められたか? - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 メルケル*1は15歳のときロシア語コンテストで優勝したほどロシア語は完璧だし、(ボーガス注:KGB工作員時代に東ドイツに駐在した)プーチン*2は、ドイツ語に堪能だから、二人が会えば通訳抜きで丁々発止の議論をしていたという。
 メルケルはロシアの属国、東ドイツで育ち、ロシア人のやり方を裏の裏まで心得ている。会見でプーチンを厳しく批判したり、大事な問題では一歩も妥協しない姿勢を見せながらも、したたかにロシアとの妥協点を模索してきた。
 もし彼女が今もドイツの首相だったら、プーチンウクライナ侵攻をひょっとして食い止められたか、それは無理でも、今とは違った展開になったのではないかと思っている。

 「メルケルならプーチンを止められたか?」についての俺の感想を書いておきます。
 第一に「アンチプーチンの高世ですら、そう言いたくなる気持ち」はわかる。先日のTBSラジオ森本毅郎スタンバイ』のコーナー『話題のアンテナ日本全国8時です』でも水曜日コメンテーター・伊藤芳明*3が「メルケル首相ならプーチン相手にもっとうまくやれたんじゃないかという声がドイツ国内であるようだ」と言っていましたし。
 ただし第二に「そのように言えるまともな根拠がない」。
 第三に「プーチンウクライナ侵攻」が云々された時期にはメルケルは「首相ではない」のでそういう話をしてもどうしようもない。
 勿論「カーター*4元大統領(クリントン*5政権の特使)の訪朝、金日成*6との会談→米朝核合意(1994年)*7」「カーターやクリントン元大統領の訪朝→身柄拘束された米国人の解放」などのように「退任後のメルケルが特使(ドイツ政府か、NATOか、国連か、どこの特使はともかく)として訪露しプーチンと会談、何らかの成果」の可能性も「ゼロではなかった」でしょうが現実には「侵攻前に」そんなことはなされなかったのだから「イフの話をしても仕方がない」*8
 「カーター訪朝、金日成会談」のような「メルケル訪露、プーチン会談」がウクライナ侵攻前になかったのは「残念ながら」要するに「その可能性が低かった」ということでしょう。そもそも「誰もそんなことを彼女に頼まなかった」のでしょうが、仮に頼んでも引き受けたかどうか。引き受けたとしてプーチンが「メルケルとの交渉に応じた」かどうか。応じたとして成果があったかどうか。
 多分、今後の停戦交渉などでも「残念ながら(?)メルケルが登場することはない」のではないか。
 なお、話は完全に脱線しますが俺は

もし福田康夫内閣がもっと長く続いていれば、拉致被害者が帰国したのではないか、それは無理でも、今とは違った展開になったのではないかと思って

います。

「北朝鮮は追い詰められているのになぜ福田首相は制裁を解除するのか」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト2008.6.28
 6月13日、福田康夫首相は、「(北朝鮮拉致問題で)話し合う姿勢が見えた。交渉プロセスの入り口に立ったと考えていい」と語り、日本の北朝鮮政策を転換させ、これまで続けてきた制裁措置の一部を解除することを発表した。
 福田首相は、安倍晋三前政権の圧力に力点を置いた「対話と圧力」路線から、対話に力点を置く融和外交に大転換した。

第179回国会 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第4号(平成23年11月28日(月曜日))2011.11.28
谷田川元委員
 三年前の八月に、当時の福田内閣北朝鮮に対して、拉致の再調査をしてほしい、そういう話をしたところ、北朝鮮も一たんはオーケーして、その後、一カ月後、福田総理の退陣に伴って、その再調査はなしにするということになりました。

など、様々な情報から福田首相は「制裁一部解除(2008年6月)→水面下交渉→首相訪朝→経済支援とのバーター取引による拉致被害者帰国」という形での「拉致問題解決」を狙っていたのではないか、と思うからです。他の問題はさておき「拉致の解決」に限れば「福田内閣が制裁一部解除(2008年6月)から3ヶ月後に退陣し、短命に終わったこと」、そして「後継の麻生内閣が福田路線を継承しなかったこと」は本当に不幸でした。

 歴史に残る名宰相として語り継がれるだろう。

 任期は長いのですが「ブラント*9の東方外交」「コール*10東西ドイツ統一」のような「わかりやすい成果」がないので果たしてどうか?
 なお、俺的に「歴史に残る名政治家」といえばその一人は「太陽政策金大中・韓国大統領」です。おそらく「アンチ北朝鮮」「救う会幇間太鼓持ち」高世はそういう価値観ではないのでしょうが。
 なお、私見ではメルケルの問題点の一つは「後継者の育成に失敗したこと」でしょう。長期政権は「メルケルの個人的人気」におそらく過ぎなかった。だからこそメルケル退任後「長期政権への飽き」もあって社民党に政権を奪還された。
 そもそも現在のショルツ首相(社民党)が「メルケル政権厚労相財務相」だったことでわかるようにメルケル政権は「長期政権ではあっても社民党との大連立」でしたし。

*1:コール政権婦人・青年問題担当相、環境相キリスト教民主同盟(CDU)幹事長などを経て首相

*2:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

*3:毎日新聞カイロ特派員、ジュネーブ特派員、ワシントン特派員、外信部長、編集局長、専務・主筆、論説特別顧問など歴任。著書『アラブ:戦争と生活』(1991年、三一新書)、『ボスニアで起きたこと:「民族浄化」の現場から』(1996年、岩波書店)など

*4:ジョージア州知事を経て大統領。2002年ノーベル平和賞受賞者

*5:アーカンソー州知事を経て大統領

*6:北朝鮮国家主席朝鮮労働党総書記

*7:多分、「アンチ北朝鮮」高世は今でもこの合意を評価しないのでしょうが。

*8:なお、「グテレス国連事務総長(元ポルトガル首相)」「バチェレ国連人権高等弁務官(元チリ大統領)」「ミシェルEU大統領(元ベルギー首相)」「ストルテンベルグNATO事務総長(元ノルウェー首相)」などのように元首相、元大統領が国連などの要職に就くことは少なくありませんがメルケルはそうした道を今のところ歩んでいません。

*9:西ベルリン市長、キージンガー内閣副首相・外相などを経て首相。1971年ノーベル平和賞受賞者

*10:ラインラント・プファルツ州首相などを経て首相