小生が何とか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集『古代戸籍研究の新たな可能性』
◆古代戸籍研究の現状と可能性(三舟隆之*1)
(内容紹介)
今回の特集の総論的内容。
なお、今回の特集のうち田中、里舘、岡田論文は、2021年10月23日に行われた「新古代史の会」での報告をもとにしており、本庄、道上論文もそれを踏まえた上での論述とのこと。
◆古代戸籍に見る戸主の任用原理:大宝二年御野国戸籍を中心に(田中禎昭*2)
(内容紹介)
「古代戸籍に見る戸主の任用原理」について「大宝二年御野国戸籍」を元に「戸政」を司る能力のある「年長者」がたとえ「前戸主の嫡子」ではない「前戸主の妾の子」「前戸主の兄弟」であっても任用されることが基本だったと見る一方で、例外として「戸主の母親(年長女性)」を後見人とした上で「若年者(前戸主の嫡子)」を任用する仕組みだったと主張している。
今後の研究が必要だが、こうした【1】嫡子継承ではない、【2】嫡子が若年の場合は後見人を立てる「戸主任用システム」は【1】嫡子継承ではない【2】持統上皇が若年である文武天皇(持統の孫、即位時14歳)の後見人を務めるなど、嫡子天皇が若年の場合は後見人を立てる「古代天皇制」とある種の共通点があり、相互に何らかの影響があった可能性も考えられる。
◆戸籍制度の展開(里舘翔大)
(内容紹介)
8世紀以降の戸籍制度の展開について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆賑給における寡の検討(岡田康佑)
(内容紹介)
賑給(しんきゅう)とは以下のような物です。
賑給 - Wikipedia
賑恤(しんじゅつ)とも呼ばれ、律令制において高齢者や病人、困窮者、その他鰥寡孤独*3(身寄りのない人々)に対して国家が稲穀や塩などの食料品や布や綿などの衣料品を支給する福祉制度、あるいは支給する行為そのものを指す。
◆概要
賑給が行われる原因として大きく2つに分けることができる、1つは天皇の即位や立太子、改元、皇族の病気や死亡など、国家的な大事が発生した時に行われるものである。もう1つは疫病や飢饉、地震など災害が発生した時に行われるものである。ともに、君主である天皇の徳を天下に知らしめて、国家統治の万全と支配秩序の正統性を謳うことを目的としていたと考えられる。
筆者は戸籍の検討から
カバネ - Wikipedia参照
【カバネの例】
◆臣
蘇我氏、巨勢氏、紀氏、平群氏、葛城氏、波多氏、阿部氏、穂積氏など。特に有力な者は大臣(おおおみ)と呼んだ。
◆君
「上毛野君」(かみつけぬのきみ)、「下毛野君」(しもつけぬのきみ)、「筑紫君」など
◆連(むらじ)
大伴氏、物部氏、中臣氏、土師氏、弓削氏、尾張氏など。特に有力な者は大連と呼んだ。
という上位階層については「寡」が少ない一方、カバネに該当しない下層民には「寡」が多いとしています。
◆戸籍小論:造籍の社会的インパクト(本庄総子*4)
(内容紹介)
古代戸籍制度については【1】基本的には戸籍は家族の実態を反映しているとする実態説、【2】戸籍は国の統治目的で作成されたもので必ずしも実態に合致してないとする擬制説があるとした上で、あくまでもこれは「議論を進める上での話の単純化」という面が大きく、実態説が「擬制的な面」を、擬制説が「実態の反映」を全否定しているわけではなく、あくまでも程度の問題(実態を羽根井しているという面を重視するか、擬制であるという面を重視するか)という話でしかないとしている。
その上で「造籍(戸籍の作成)」が家族の実態にどのような社会的インパクトを与えたか論じるべきとしていますが、指摘された具体的な「社会的インパクト」については小生の無能のため、詳細な紹介は省略します。
◆考古学における古代集落研究と戸籍(道上祥武*5)
(内容紹介)
考古学の観点から「古代集落研究と戸籍」について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
◆書評:洪郁如*6『誰の日本時代:ジェンダー・階層・帝国の台湾史』(2021年、法政大学出版会)(評者:橋本恭子*7)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替。
第23回 洪郁如さんインタビュー『誰の日本時代〜ジェンダー・階層・帝国の台湾史』 - YouTube
28分39秒の動画です。『誰の日本時代:ジェンダー・階層・帝国の台湾史』の著者である洪教授へのインタビューです。
インタビュアーは赤松美和子*8大妻女子大学教授です。
「誰の日本時代」 「ニホンゴデキン」大多数だった 朝日新聞書評から|好書好日(温又柔*9)
七年ほど前、台南のとある村を散策していたら、八十代と思われる老婦人に笑いかけられたので、「おばあさんお元気ですか」と挨拶をした。それまでの経験から、日本からの観光客を歓迎するこの年代の台湾人には、中国語よりは日本語で話しかけるほうが喜ばれると思ったのだ。ところが老婦人は、「ニホンゴデキンデキン」と笑う。「あたしは台湾語しか喋れないのよ」と言われてようやく私は、「日本統治期台湾」をめぐる自分の想像力の貧しさを悟った。
一八九五年から一九四五年のこの時期を、台湾では「日本時代(リッブンシーダイ)」と区分する。
この「時代」に生を受け、幼少期・青少年期を過ごした「台湾人」と「『日本語人*10』は常に等号で結ばれてきた」。とりわけここ日本では、九〇年代以降、日本のメディアにも頻繁に登場した李登輝*11に代表される、日本統治下の台湾で習得した日本語で流暢に語る台湾人たちのイメージもあり、その印象は特に強烈だろう。
しかし、「戦前の台湾社会ではむしろ、日本語と無縁な『非日本語人』が大多数を占めた」。何しろ「日本統治全期を通して、台湾社会全体にとって識字とは」「一つの希少な技能だった」のだ。
本書は、「置き去られた広大な非識字層*12」を対象に「学校の外に溢れていた『日本時代』の記憶」を手繰り寄せることで、台湾社会史の豊かな厚みを伝えてくれる。
台湾史にしっかりと縫い込まれた「日本時代」とは、「私は二二歳まで日本人だった*13」といった、悲哀に満ちた己の運命を巧みな日本語で日本人に向かって直接語れる人々のものであると同時に、ニホンゴデキンデキン、と私に言った老婦人のものでもある。
忘れてならないのは、「日本時代」を台湾人に強いた側が、自らに都合よくその時代を解釈してはならないという点であろう。
「日本時代」よりもずっとあとに生まれ、九〇年代に留学生として来日した著者が日本語で著した本書は、「(ボーガス注:李登輝など)戦前世代の日本語使用者に大きく依存してきた日本の台湾認識」を更新し、「台湾の過去、日本が深く関わった時代に正面から向き合う」ための、次なる一歩へと誘う。「過去の歴史に向き合うための基礎作業」は、いま始まったばかりだ。
「日本(台湾総督府)の台湾近代化」の中でも日本語はおろか「教育が行き届かず、識字能力(読み書き能力)すらない台湾人が多数存在したこと」を指摘し、「台湾の近代化は日本のおかげ」「台湾は親日」とする産経らウヨの主張の虚偽性を批判してる著書のようです。
朝日らしい書評であり、まず産経には載らない書評ですね。
社会学部 地域研究(近現代台湾社会史)/洪郁如ゼミ | 社会学部 | 一橋の教育 | 一橋大学 一橋大学で学びたい方へ
江角直人さん:社会学部4年
「親日家が多い」と言われる台湾ですが、それは一面に過ぎません。過去の歴史を含めて総合的に理解しなければ、今日の台湾を誤解していることになり、真の意味で友好的な両国関係を築けない。それがゼミナールを通して学んだことです。
*1:東京医療保健大学教授。著書『日本古代地方寺院の成立』(2003年、吉川弘文館)、『浦島太郎の日本史』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本古代の王権と寺院』(2013年、名著刊行会)、『「日本霊異記」説話の地域史的研究』(2016年、法藏館)、『古代氏族と地方寺院』(2020年、同成社)
*2:専修大学教授。著書『日本古代の年齢集団と地域社会』(2015年、吉川弘文館)
*3:「鰥」とは61歳以上のやもめ(妻を亡くした夫)、「寡」とは50歳以上の未亡人(寡婦)、「孤」とは16歳以下の父親のいない子ども、「独」は61歳以上の子どもがいない者を指したが、実際の運営上は「独」は50歳以上とされていた。明治維新の際に新政府が全国民向けに発出した五榜の掲示においても、第一札で「鰥寡孤独廃疾ノモノヲ憐ムベキ事」が定められている。
*6:台湾出身。台湾大学卒、東京大学大学院博士課程修了。一橋大学教授。著書『近代台湾女性史』(2001年、勁草書房)
*7:著書『「華麗島文学志」とその時代:比較文学者島田謹二の台湾体験』(2012年、三元社)。島田謹二(1901~1993年)は戦前、台北帝国大学教授を務めた。『華麗島文学志』は1995年に刊行された島田の著書。(島田謹二 - Wikipedia参照)
*8:1977年生まれ。著書『台湾文学と文学キャンプ』(2012年、東方書店)
*9:1980年生まれ。台湾・台北市生まれだが、3歳より東京都で育つ。両親は台湾人。東京都立飛鳥高校、法政大学卒業、法政大学大学院修士課程修了。2009年、「帰去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞し、作家デビュー。2016年、『台湾生まれ 日本語育ち』(2015年、白水社)で日本エッセイストクラブ賞受賞。2017年、『真ん中の子どもたち』(2017年、集英社)で芥川龍之介賞候補。2020年、『魯肉飯のさえずり』(2020年、中央公論新社)で織田作之助賞受賞。2022年、「祝宴」で野間文芸新人賞候補(温又柔 - Wikipedia参照)。
*10:日本語が使える台湾人のこと
*11:1923~2020年。台北市長、台湾省主席、副総統(蒋経国政権時代)などを経て台湾総統
*12:「響きが差別的」なので近年はまず見かけませんが、昔の言葉だと「文盲」ですね。試しに「非識字」でググると各国政府 非識字克服へ努力/読める 書ける 中南米/10年で4カ国が達成(2009.9.14)、字読めない子増える コロナ禍の遠隔授業影響か―ブラジル:時事ドットコム(2022.2.12)、街角から:読み書きできない子供たち サンパウロ支局・中村聡也 | 毎日新聞(2022.3.16)など、多数、日本語記事がヒットするところ、「文盲」でググると中国語の記事ばかりヒットすることにはびっくりしました。
*13:1923年生まれの李登輝の言葉。これについては例えば【李登輝氏死去】戦後台湾の象徴 「22歳までは日本人だった」(1/2ページ) - 産経ニュース(2020.7.30)、追悼・李登輝 櫻井よしこが明かす「日本を愛し抜いた“民主化の父”の素顔」 | 文春オンライン(月刊文春2020年10月号収録)参照