今日の産経ニュース(2023年4/2日分)

【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】(918) クリミア奪還は可能か、充実のNW誌対談 - 産経ニュース

週刊文春』『週刊新潮』(ともに4月6日号)の『週刊現代』化、つまり老人雑誌化が止まらない。
「100年人生『年代別』休薬、減薬新常識」(『文春』)、「老化予防に食べてはいけない『NG』食」(『新潮』)。

 とはいえ月刊Hanadaの「デマ右翼路線」よりはましです。それにしても高齢者雑誌化が激しい「週刊現代やポスト」に比べればまだ

週刊文春
ジャニー喜多川「少年性虐待」6人の報告書

など「スクープ記事もある」とはいえ、昨今、この種の雑誌を買うのは「シニア世代」になりつつあるんでしょうか?
 花田が紹介しない記事以外でも

週刊新潮
◆急増「おひとりさま」の“死後”問題:自分の遺体はどうなるの 「相続」は? 「葬儀」「お墓」は!?

と明らかにシニア世代にシフトしています。


批評家の小浜逸郎氏死去 75歳 - 産経ニュース
 膀胱ガンでの死去だそうです。「1947年生まれ(享年75歳)」というのは今の時代では早死にでしょう。
 1947年生まれの著名人としては「鳩山由紀夫元首相」「赤嶺政賢衆院議員(共産党)」などがいます(1947年 - Wikipedia参照)。
 「産経文化人」小浜の名前でぐぐってみましたがやはり訃報記事はほとんどヒットしません(ヒットする場合も一番詳細なのは産経のようです)。まあ世間的な扱いはただの右翼論客でしかないですからねえ。
 産経ですら

 教育や家族、国家思想などを幅広く論じ、国士舘大*1客員教授横浜市の教育委員*2も務めた。「なぜ人を殺してはいけないのか*3」「福沢諭吉・しなやかな日本精神*4」など*5著書多数。

ですからねえ。「吉見義明氏の慰安婦研究」のような「小浜独自の業績」を書くことができないわけです。また産経記事が「横浜市教育委員時代につくる会歴史教科書を支持」などの「小浜の右翼性」に触れない点も興味深い。


【産経抄】4月2日 - 産経ニュース

「有事」にたとえられる少子化の時代に、一人でも多くの子供を産み育ててもらうための方策を、まず考えるのは理解できる。「児童手当をいまよりも手厚くする」「出産費用の保険適用についても検討に乗り出す*6」という政府の試案に、異論をはさむ余地はない*7
▼ないのだが、試案は「恒久的な財源」に一つも触れていない。防衛費の拡充という後回しできないミッションもある。必要な元手をどうひねり出すのか、岸田文雄首相の胸算用が聞きたい

 この産経記事は

1)軍拡(産経の表現では「防衛費の拡充」)を当然視している点
→むしろ軍縮すべき
2)財源論を指摘することで産経が何を岸田政権に求めてるのか不明な点
→是非はともかく「少子化対策には効果がない、むしろ少子化を前提とした制度設計をすべき*8」という主張ならともかく「財源が足りないから少子化対策を諦めろ」では論外です。また財源確保について、国債発行にせよ、増税にせよ、「他の歳出」削減にせよ、何をするのか、また増税の場合、何を増税するのか、歳出削減の場合「何を歳出削減するのか」で話は大きく変わってきます。

は問題ですが「財源についてはっきりさせろ」「そうでなければ評価できない」という指摘自体は正論です。

▼知られた小噺(こばなし)がある。
<米国は最先端の技術を集め、無重力でも水中でも摂氏300度でも書けるペンを開発した。一方、ロシアは(ボーガス注:宇宙において)鉛筆を使った。>
 どんな難問にも必ず現実的な落としどころがある、との皮肉にほかならない
▼人口が減り、働き手が減る中で、それでも成り立つ社会の仕組みに知恵を絞るときかもしれない。24時間営業のコンビニや、きょう注文すればあす届く宅配は、本当に必要*9か。

 この産経の表現では「少子化対策を諦めろ(少子化を前提に社会設計せよ)」と主張している疑いがありますね。だったらはっきりそう書くべきで曖昧にごまかすべきではないですが。
 実際、産経は社説でも

【主張】少子化対策 財源含めて実効性担保を 国民の危機感共有が大切だ - 産経ニュース
 少子化対策と同時に、政府は人口減少を前提にした社会の在り方についても、議論を深めてもらいたい。出産期の女性が減少する傾向はしばらく変わらないため、出生率が多少改善したところで、出生数の減少は続くことが予想されるからだ。

と書いています。
 なお、「少子化対策を辞めるべき」とは思いませんが一方で、ここまで少子化が深刻だと、産経社説が指摘するように「別途、少子化を前提とした制度設計」も考える必要はある気がします(どんな制度設計をすべきかはともかく)。
 なお、話が脱線しますがどんな難問にも必ず現実的な落としどころがあるといえば俺的には「北朝鮮拉致問題」ですね。
 「現実的な落とし所=経済支援とのバーター取引」でしょう。勿論俺だって「愉快ではない」ですが、それ以外に手がないのだからそうせざるを得ない。それを否定する家族会には呆れます。
 「それ以外に手がない」といえば「少子化を前提とした制度設計」もそうでしょう。今の日本が「それに該当するかどうか」はともかく、「ある社会(国家)」が「少子化を前提とした制度設計をせざるを得ない」のなら「そうせざるを得ません」(どんな制度設計をすべきかはともかく)。長く一人っ子政策だった中国(最近公式に辞めましたが)なんかは「少子化を前提とした制度設計をせざるを得ない」かもしれない。

*1:もともとは「国士」養成が目的の右翼大学ですからね。小浜のようなウヨが客員教授になっても不思議ではない。「名が体を表している」わけでこの点は「國學院大學国学)」「拓殖大学(拓殖=植民地運営)」などもその歴史上、今も右翼色が強い。

*2:小浜逸郎 - Wikipediaによれば、中田宏市長によって2008年に任命され、中田の退任後も2012年まで務めた。

*3:2000年、洋泉社新書y→2016年、PHP文庫

*4:2018年、PHP新書

*5:「など」の例としては小浜『男はどこにいるのか』(1995年、ちくま文庫)、『方法としての子ども』(1996年、ちくま学芸文庫)、『大人への条件』(1997年、ちくま新書)、『「弱者」とはだれか』(1999年、PHP新書)、『正しく悩むための哲学』(2000年、PHP文庫)、『「男」という不安』(2001年、PHP新書)、『人はなぜ働かなくてはならないのか』(2002年、洋泉社新書y)、『頭はよくならない』(2003年、洋泉社新書y)、『「恋する身体」の人間学』(2003年、ちくま新書)、『なぜ私はここに「いる」のか』(2003年、PHP新書)、『やっぱりバカが増えている』(2003年、洋泉社新書y)、『エロス身体論』(2004年、平凡社新書)、『正しい大人化計画』(2004年、ちくま新書)、『人生のちょっとした難問』(2005年、洋泉社新書y)、『「責任」はだれにあるのか』(2005年、PHP新書)、『死にたくないが、生きたくもない。』(2006年、幻冬舎新書)、『言葉はなぜ通じないのか』(2007年、PHP新書)、『癒しとしての死の哲学』(2009年、洋泉社MC新書)、『日本の七大思想家:丸山眞男/吉本隆明/時枝誠記/大森荘蔵/小林秀雄/和辻哲郎/福澤諭吉』(2012年、幻冬舎新書)、『ポリコレ過剰社会』(2021年、扶桑社新書)(小浜逸郎 - Wikipedia参照)

*6:勿論「少子化対策を疑問視する立場」であっても「子育て世代の生活支援」それ自体に価値を認めればこうした措置は実施すべき事になります。

*7:後述しますが、産経は「財源がない」と言う理由で「少子化を前提とした制度設計」を主張し「異論をはさんでいる」と思います。

*8:未読ですが、『子どもが減って何が悪いか!』(2004年、ちくま新書)、『これが答えだ!少子化問題』(2017年、ちくま新書)の著者・赤川学氏(東大教授)がこの立場の一人のようです。

*9:少子化による労働力不足→少子化対策」に対する産経流反論なのでしょう(「こうしたモノが必要か」と言われるときに問題視されてるのは労働力不足よりも、「コンビニを夜間も営業することによる電気」等といった省エネの観点だと思いますが)。なお、以前も別記事で書きましたが労働力不足対応については是非をひとまず置けば、「移民(外国人労働力)受け入れ」「高齢者、専業主婦など今まで労働力でなかった人々の活用」「ロボットの活用」等が考えられるでしょう。