今日の朝鮮・韓国ニュース(2023年5月25日分)(副題:谷・うな丼大臣の発言に呆れる、ほか)

「神様どうか もう2年だけでも」 横田早紀江さん 体調不良明かす:朝日新聞デジタル
横田早紀江さん「神様、あと2年だけでも力を…」 横田滋さん死去から3年を前に:東京新聞 TOKYO Web
 ほとんど話題になってないことに「拉致の風化」を改めて実感します。それにしても完全にお涙頂戴記事ですね(呆)。
 まあ、確かに早紀江(1936年生まれ)で存命の人間(例:長嶋茂雄巨人終身名誉監督福田康夫元首相等)もいる反面「故人(例:落語家・桂歌丸、漫画家・さいとうたかを古谷三敏等)」もいるので彼女が体調不良ならいつ亡くなってもおかしくないでしょうが。


北朝鮮「人工衛星」打ち上げ通告 今月31日から来月11日の間 | NHK | 北朝鮮情勢2023.5.29
 「発射の是非」はともかく、いきなり無通告で発射するのではなく「5月31日~6月11日に発射予定」として「一番早い31日発射でも通告は3日前(28日)」ということは「それなりに常識的な態度」として評価できるでしょう。北朝鮮も「いたずらに軍事的緊張を高めたいわけではない」のでしょう。


関東大震災の朝鮮人虐殺を動物園のライオンに例えた日本の大臣【独自】-Chosun online 朝鮮日報

 23日の参議院内閣委員会で、杉尾秀哉*1参議院議員立憲民主党)は日本の治安に関する最高責任者である谷公一国家公安委員長関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺事件における警察など公権力の関与を調査するよう求めた。治安責任者の谷委員長は「政府が調査したところでは事実関係を把握する記録は見つからなかった」と答えた。杉尾議員が再度、「日本政府の中央防災会議報告書がある」「国立国会図書館にも日本の有識者たちが書いた文書がある」と追及したが、谷委員長は「記録を見つけることはできない」という答弁ばかりを繰り返した。
 日本の国会で、関東大震災による朝鮮人虐殺に関連し、政府と野党の間で舌戦が繰り広げられたのは100年ぶりのことだ。1923年の帝国議会で、田淵豊吉*2議員(無所属)と永井柳太郎*3議員(憲政会→立憲民政党*4)が日本政府に朝鮮人虐殺問題を提起したことがある。
 杉尾議員は同じ答弁を繰り返す谷委員長に「答弁書を読むだけでなく、自分の言葉で答弁していただけないか」「今年は関東大震災(ボーガス注:が起こった1923年*5)から100年となる年であり、今回の機会を逃せば永遠に機会がなくなるだろう」と言った。こうした指摘に、ムッとした谷委員長は「私が責任を持って述べる言葉だ」「過去の大災害の時に多くのことが起きた。最近も熊本地震の時、動物園からライオンが逃げたという事実ではない話が出て、人々を不安にさせた」と反論した。その上で、「過去の大災害における流言飛語への対応については、我々は歴史から謙虚に学び、安全・安心の確保につなげていく必要がある。二度と起きないようにするのが責務だ」と話した。これに対して杉尾議員は「今、動物園からライオンが逃げたという話ではない。人の命の話なんだ」「これ以上、政府は(この問題から)逃げ続ける訳にはいかない」と述べた。

 例の「谷・うな丼大臣」の発言ですが「本当か?」ですね。「ライオン」云々は「今だって流言飛語はでる(でもライオンの流言飛語について政府調査はしていないし、野党も調査要求しなかった)」という居直りとしか理解できず、事実なら大臣辞任に値するでしょう。
 「ライオン事件では死人が出ていないが関東大震災では虐殺が起こってる、同列視できない」と杉尾氏が憤慨するのも当然です。
 そもそも「うな丼」時点で大臣辞任して当然でしたが。

*1:TBS『JNNニュースの森』キャスター、ワシントン支局長、社会部長、解説委員など歴任

*2:1882~1943年。1920年、新婦人協会(平塚らいてう市川房枝ら)の主張に賛同し「女性の政治参加」を実現すべく「治安警察法第5条改正案」を提出し提案理由演説を行う(この時は法が成立しなかったが、1922年に治安警察法は5条1項(女性の政党加入禁止)、2項(女性の政治集会参加禁止)のうち1項は戦後まで存続したが、2項が改正され政治集会参加が可能となった)。1923年、関東大震災時における朝鮮人虐殺事件を、1929年、張作霖爆殺事件を追及する演説を行う(田渕豊吉 - Wikipedia参照)。

*3:1881~1944年。立憲民政党幹事長、斎藤内閣拓務大臣、第1次近衛内閣逓信大臣、阿部内閣鉄道大臣(逓信大臣兼務)、大政翼賛会常任総務等を歴任

*4:1927年に憲政会と政友本党が合併して誕生

*5:1923年 - Wikipediaによれば1923年には他にも「日本共産青年同盟(現在の日本民主青年同盟)設立(4月5日)」「ヒトラーミュンヘン一揆(11月8日)」「難波大助の虎ノ門事件(当時は摂政だった昭和天皇の暗殺未遂、山本首相が引責辞任:12月27日)」等がありました。