新刊紹介:「歴史評論」2023年7月号

特集『岐路に立つ文化財の保存・活用と歴史学
◆観光考古学の現状と展望(田尾誠敏)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

「考古学観光」取り込みへ政府系金融機関が提言|NHK 関西のニュース2023.3.6
 高松塚古墳キトラ古墳がある奈良県明日香村を取り上げ、ホテルの誘致の取り組みなどを評価する一方で、施設の展示の多言語化や、古墳が多い大阪・堺市など他の地域との連携が課題だとしています。
 日本政策投資銀行関西支店の保坂福斗さんは「考古学観光で、何百万人も観光客が来るわけではないが、消費単価に注目して、富裕層を誘致することは持続可能性の観点からも重要だ」と話しています。

奈良・明日香村、遺跡で3億円? 考古学観光に経済効果 - 日本経済新聞2023.4.15
 「飛鳥美人」の壁画で有名な高松塚古墳を擁する奈良県明日香村が、歴史的な遺跡巡りを中心とする「考古学観光」に商機を見いだしている。星野リゾートは明日香村内に宿泊施設を開業する予定で、日本政策投資銀行DBJ)は明日香村の考古学観光による経済効果を3億円と試算するなど、考古学観光への期待が高まっている。

クロストーク on 文化観光×文化財情報オープン化:何ができるか、何をすべきか
趣旨説明:
 2020年5月に成立した文化観光推進法は、地域の文化資源の利活用に関するあらたな政策的取り組みの根幹となるものです。博物館等の文化施設は、文化観光推進事業者と連携して、地域の文化資源の魅力の増進、情報通信技術を活用した展示と外国語による情報の提供等の文化観光事業に取り組むことで、文化・観光・経済の好循環を創出することが期待されます。
登壇者:中尾智行*1 文化庁参事官(文化観光担当)付 博物館支援調査官
    竹内寛文*2 文化庁参事官(文化観光担当)付文化観光支援調査官

地域の文化遺産を活かした観光
講師:村上佳代氏(文化庁地域文化創生本部・文化財調査官)

品川区の文化資源と文化観光
主催:観光考古学会
後援:品川区・品川区教育委員会・一般社団法人日本考古学協会
開会挨拶
 品川区長代理 和氣正典 氏(品川区副区長)
10:30 報告1「大森貝塚遺跡庭園の現状と課題」寺門雄一氏 (品川区教育委員会庶務課文化財係長)

武蔵国分寺跡の保存と観光活用
主催:観光考古学会
共催:国分寺市国分寺市教育委員会、武蔵野文化協会
後援:一般社団法人日本考古学協会公益社団法人日本文化財保護協会、公益財団法人たましん地域文化財団、こくぶんじ観光まちづくり協会、多摩考古学研究会、国分寺市遺跡調査会
◆来賓挨拶
 井澤邦夫(国分寺市、観光考古学会顧問、全国史跡整備市町村協議会前会長)
 高野律雄(府中市
 馳浩(石川県知事、第20代文部科学大臣、観光考古学会顧問)

 つまりは「観光考古学」とはかなりの程度「文化庁文科省)」「観光庁国交省)」、つまり国が政策的に後押ししてる性格があり、そしてそれに地方自治体(上記の「高松塚古墳」の奈良県明日香村、「大森貝塚」の東京都品川区、「武蔵国分寺跡」の東京都国分寺市など)や観光業者も協力してる点は否めません。
 「だからダメだ」と言う単純な話でも勿論ないわけですが。
 それにしても観光考古学でググったら

葛飾柴又の文化遺産と観光
 日本を代表する景観地「葛飾柴又」をどのようにして守り、活用しながら後世に伝えていくことができるのかを検討します。

なんてのがヒットしましたが「明日香村(高松塚古墳)や、品川区(大森貝塚)、国分寺市国分寺跡)」ならともかく「はあ?」感がありますね。
 葛飾柴又は「寅さんの聖地」で今更どのようにして守り、活用しながら後世に伝えていくことができるのかもないと思うんですが。それとも1996年に渥美清が死んでから「27年経つ」んで、寅さんパワーも薄れてきたんですかね?。それとも「寅さん人気では、柴又八幡神社古墳 - Wikipediaなど葛飾柴又の考古学的文化財が守れない」つう話か。

【参考:葛飾柴又】

博物館につれてって!:ジャパンナレッジ 葛飾区郷土と天文の博物館
 東京都葛飾区にある「葛飾区郷土と天文の博物館」。案内人は考古学(地域考古学)が専門の谷口榮氏*3
 昨年の平成21年(2009)3月に博物館2階「郷土のフロア」の常設展示「かつしかのあゆみ」のリニューアルを行った。その中心的な展示替えとなったのが「葛西城の時代」であった。葛西城は、関東が戦国乱世となる享徳の大乱が勃発した15世紀中頃に山内(やまのうち)上杉氏によって築かれる。16世紀には小田原北条氏に奪取されるなど、幾多の攻防が繰り返されてきた。


◆大学教育の中の「観光歴史学」(宮瀧交二*4
(内容紹介)
 大東文化大学で「観光歴史学」の講義を持つ著者が自らの取組について説明していますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
【参考:観光歴史学

学科の特徴/歴史文化学科/学科紹介|大東文化大学 文学部
 本学が他に先がけ実践する「観光歴史学コース」は、歴史研究の成果を実際に旅行・観光業に生かし、社会に還元します。

観光歴史学とは何か(歴史文化学科 WEB体験授業)公開。今後も続々公開予定/ニュース|大東文化大学
観光歴史ガイド養成プログラム|大東文化大学リカレント教育

私たちが伝えたい観光(Vol.13)|国際観光学部 国際観光学科|阪南大学国際観光学部教授 來村多加史*5
 私の担当科目である「観光歴史学」はその一部を担っています。それは「観光の歴史」を教える授業ではなく、「観光のための歴史学」を教える授業です。
 わかりやすく説明するため、1枚の写真を用意しました。奈良の東大寺で寺の壁を学生に説明している私です。土で作った壁ですが、等間隔に昔の瓦をはさんでいます。そこに奈良時代の瓦が含まれているのです。1300年前のモノがこんな身近に並んでいるのです。そのことを説明すると、たいていの人は驚きの声をあげます。それほど大きな感動ではありませんが、1日のうちに小さな感動を重ねてゆくと、旅の終わりには、かなりの充実感をもっていただけます。「ああ、今日は案内してもらってよかった」と、本心からそう言っていただけるのです。ただ、考えてみてください。どうして私は「奈良時代の瓦」であることがわかるのでしょうか。そこが知識と経験のなせるワザなのです。


文化財保存活用地域計画の行方(奥野麦生)
(内容紹介)
 埼玉県白岡市で「文化財保存活用地域計画」の作成に関わった著者が自らの取組について説明していますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

白岡市文化財保存活用地域計画の認定について/白岡市
 令和3年7月16日(金曜日)に開催された文化庁文化審議会文化財分科会において答申され、白岡市文化財保存活用地域計画が文化庁長官の認定を受けました。埼玉県内では初めて、全国でも24番目の認定となりました。
 文化財保存活用地域計画とは、平成31年4月に文化財保護法が改正されたことにより制度化されたもので、市町村が作成する地域における文化財の保存・活用に関する総合的な計画です。この計画は地域の歴史文化の特性に基づき、文化財の保存・活用のための目標や具体的な事業等を定めて計画的に取り組みを進めていくことで、計画的かつ継続的な文化財の保存・活用の促進を図ります。

多士彩々:白岡市民の「愛」「誇り」を遺産認定 地域の手で文化財守る 市教育委員会学び支援課 奥野麦生さん(61) /埼玉 | 毎日新聞2022.11.13
 白岡市は、市民が守り伝えたい歴史文化を「白岡遺産」として登録し、「地域の文化財を地域の手で守る」という独自の文化財保存活用の仕組み作りを進めている。提唱し、中心で活動する白岡市教育委員会学び支援課の奥野麦生さん(61)に狙いや実績を聞いた。

観光協会の20周年記念式典 | 岡しげお 公式WEBサイト*62023.2.6
 白岡市教育委員会・奥野麦生さんの「白岡市文化財保存活用計画における観光協会の役割」の基調講演は、観光協会がいかに大事な組織かを理解するうえで大変勉強になりました。観光事業は白岡市の発展にとって非常に重要な事業ですので、これからもしっかりと支援していきます。


◆博物館法「改正」前後の博物館(小野一之*7
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

博物館・美術館が変わる 新たなイベント続々 現場からは危機感の声も… | NHK2023.4.21
 博物館が求められる役割が変化している背景には、博物館法がおよそ70年ぶりに大きく改正されたことがあります。
 新しい法律では、さらに活用してもらおうと、博物館が行う事業にこれまで行ってきた展示などだけでなく、資料のデジタル化も追加されました。さらに地域の活力向上のため、文化についての理解を深める「文化観光」に取り組むところも出てくることになります。
 一方、博物館が新しい事業を始めることで、従来おこなってきた展示や資料の収集・保存、調査・研究などができなくなるのではないかという懸念の声も挙がっています。
 取材からみえてきたのは、予算と人手の不足という厳しい現状でした。
 学芸員の労働環境も深刻なものになっています。関東の公立博物館で学芸員をしている女性です。
 非常勤の学芸員としておよそ15年働きましたが、給料は上がらず、月の手取りは16万円ほどでした。
 数年前、正規の職員として採用されましたが、人手が足りず、先月の休みはわずか3日でした。
 地方の公立博物館などの予算はこの25年で半減。厳しい財政事情が学芸員の雇用に影響していると専門家は指摘します。
法政大学 金山喜昭*8教授
学芸員の非正規職の割合が43%もあるんですよ。その多くは若年者です。専門職の非正規率がそれだけ高いということは、博物館の人的資源が枯渇していくということが懸念されます」
 海外と比べ、日本は博物館などに対する支出が少ないとのデータもあります。政府予算における「文化支出」の割合は、0.11%。諸外国と比べた場合、対象6か国のうち5番目となっています。


◆日本遺産と市町村の文化財保護(立花実)
 神奈川県伊勢原市教委職員の筆者が、自らが関与した「伊勢原市での日本遺産登録(「古典落語の演目」としても知られる「大山詣り大山阿夫利神社)」が日本遺産登録された)」について述べていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考
江戸庶民の信仰と行楽の地 〜巨大な木太刀を担いで「大山詣り」〜|日本遺産ポータルサイト
日本遺産「大山詣り」 | 伊勢原市

「大山詣り」日本遺産に 国際観光都市へ向け本格始動 | 伊勢原 | タウンニュース2016.5.15
 高山市長は「これでスタートラインに立ちました。将来に向けて多くの方々に来て喜んでもらえる国際観光都市・伊勢原にしていきたい。これからは地元力・市民力に掛かっている。力を借りて進めていきたい」とあいさつ。最後には、会場全員で日本遺産認定を喜ぶ拍手が湧き起った。市商工観光振興課は「多くの人で賑わった江戸時代の大山。日本遺産を活用して地域の魅力を発信し、当時の賑わいを取り戻したい」と話した。

「宿坊」に修学旅行いかが…伊勢原市が新戦略 神奈川(1/2ページ) - 産経ニュース2018.11.16
 寺社の参拝客や僧侶のための宿泊施設「宿坊」を活用して、修学旅行の児童・生徒を受け入れる新たな取り組みを神奈川県伊勢原市が始めている。古くから霊山として信仰を集める大山(おおやま)を抱え、市内には45軒の宿坊が点在しているが、近年は宿泊客数が低迷し、減少傾向にある。市では児童・生徒を新たな観光客の客層として受け入れることで、地域活性化につなげたい考えだ。
 市観光協会によると、江戸時代に民衆の間で大山に参拝する「大山詣り」が流行。当時は仲間同士で団体をつくり、「大山講」として参拝する際に、宿坊に宿泊するケースが多く、江戸元禄期には約170軒の宿坊が立ち並び、明治末期にも約80軒が存在した。
 しかし、大山講の解体や個人旅行客の増加に伴い、宿泊客は減少の一途をたどり、現在は約半分にまでその数を減らしており、経営者も高齢化が急速に進んでいる。
 大山は平成25年に県が、(ボーガス注:中華街、赤レンガ倉庫、山下公園などの)横浜、(ボーガス注:大仏、鶴岡八幡宮などの)鎌倉、(ボーガス注:大涌谷芦ノ湖などの)箱根に次ぐ、「新たな観光の核」として認定。伊勢原市は「大山講」のにぎわい再現を目指して、観光による地域活性化に取り組んでいた。さらに28年には文化庁が「大山詣り」を日本遺産として認定し、修験文化や山岳信仰なども注目された。
 これらを契機に市は宿坊を「貴重な地域資源」と位置づけ、活性化策を模索。修学旅行生の受け入れに向けて、すでに旅行会社や学校への売り込みを開始しており、初のケースとして、今年5月には東京都八王子市の中学生約40人が修学旅行の宿泊先として滞在した。今後は年間5千人の受け入れを目指しており、現在、13の宿坊が受け入れを表明している。

国際会議後は「大山詣り」 伊勢原市、外国客誘致にパシフィコと協定:朝日新聞デジタル2023.5.9
 「コロナ後」に増加が期待される訪日外国人客(インバウンド)の誘致を目指して、神奈川県伊勢原市パシフィコ横浜横浜市西区)は8日、観光振興の連携協定を結んだ。国際会議などで訪れる外国人客らに、会議後のバスツアーなどで日本遺産「大山詣(まい)り」で知られる伊勢原市も周遊してもらうなど、協力態勢を深めていく。

 ということで「大山詣り」に限りませんが日本遺産登録は明らかに「観光客誘致」の目的があります。まあ、それはユネスコ世界遺産登録も同じですが。登録前と登録後に「富岡製糸場」に行ったことがありますが、明らかに登録後の方が観光客の数が増えています。


◆歴史のひろば「戦利品から略奪財産へ」(五十嵐彰*9
(内容紹介)
 小倉コレクション問題(勿論他にも略奪文化財はありますが)を中心に「戦前日本による韓国文化財略奪問題」が取り上げられています。
【参考:小倉コレクション

小倉武之助 - Wikipedia
 韓国政府は、1952年から1965年まで7次にわたる日韓会談で小倉コレクションの返還を議題にし続けたが、1965年の日韓基本条約締結にあたり、個人の所蔵品であることを理由に返還はされなかった。
 1981年、小倉コレクション保存会は同コレクションを東京国立博物館に一括寄贈し、解散した。

韓国国会議員 「小倉コレクション」の返還求める決議案提出 | 聯合ニュース2019.2.27
 韓国の与野党の国会議員が「小倉コレクション」の返還を促す内容を盛り込んだ決議案を国会に提出した。
 小倉コレクションは、日本による植民地時代に南鮮合同電気の社長などを務めた日本人実業家、小倉武之助氏(1870~1964)が朝鮮半島全域で収集した約1100点に及ぶ文化財。小倉氏の死去後、1982年に東京国立博物館に寄贈された。これらの文化財には盗掘など不法な方法で収集されたものが含まれている。
 決議案には韓日両政府に対し、小倉コレクションのうち、不正に持ち出された文化財について綿密に調査するとともに、返還に向けた協議を積極的に進めることを促す内容が盛り込まれた。

「略奪文化財、返還すべきなのでは」…日本教育界に動き(2) | Joongang Ilbo | 中央日報2023.2.6
 昨年には九州大学の入試にも文化財の返還をテーマにした問題が出題された。「ロンドンにある大英博物館*10と米国ニューヨークにあるメトロポリタン美術館*11など世界の主要博物館の相当数には植民地にあった遺跡、植民地原住民からさまざまな形で持っていった物が収蔵されている」という説明と共に「文化財返還」解決策について叙述させる小論文が登場した。
 この入試問題に紹介された本『文化財返還問題を考える負の遺産清算するために』を執筆した五十嵐彰氏は「略奪文化財返還が世界的な流れという状況の中で、日本もこのような流れを教え始めたことは重要な第一歩」と評価した。
 考古学者であり、市民団体活動を通じて文化財返還運動の旗振り役も担っている五十嵐氏は「入試に出題されるということは、結局学生としては今後学ばなくてはならないという意味で、良い方向での変化だと考える」と話した。
 五十嵐氏は東京上野にある東京国立博物館東洋館にある小倉コレクションの話を取り出した。東洋館に展示された文化財のうち半分以上が小倉コレクションというほど、同コレクションは大きな割合を占めている。これは日帝強占期時期に大邱(テグ)での事業で巨利を得た小倉武之助が収集したもので、小倉の死亡と同時に遺族が1980年代初め同博物館に寄贈した。伽耶の金冠はもちろん、新羅金銅冠、高宗*12(コジョン)の翼状冠飾、純貞孝*13(スンジョンヒョ)皇后の唐衣など1100点余りに達する。このうち一部は日本の重要文化財に指定されている。1965年韓日請求権協定当時、韓国政府は日本側に小倉コレクション返還を要求した。
 だが、日本政府は個人の所有物であることを理由にこれを拒否した。
 五十嵐氏は「国立博物館にある小倉コレクションと呼ばれる韓国文化財がなぜここにあるのかを記さなければならず、また、不法に持ち込んできて書くことができないならば返還するべきだということを人々は知るべき」と強調した。
 五十嵐氏は小倉のメモに言及した。小倉は1964年、自身が収集した文化財の目録と共に記録を残したが、ここには朱漆十二角膳も含まれている。小倉は「乾清宮で日本の刺客が閔妃〔明成(ミョンソン)皇后*14〕を暗殺した後に持ち出したと伝えられる」という記録を残した。五十嵐氏は「当時戦利品として持ち込んだものが東京国立博物館にあるということ自体が問題で、必ず返還しなければならない」と強調した。続いて「韓日請求権協定を交わした当時は個人所有物で返還するのが難しかったなら、今は国家である国立博物館の所有なので返還できるはず」と話した。


◆科学運動通信「水無瀬離宮を未来に残すために」(足立佳代、前川佳代*15
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

【大阪北東部・JR島本駅前開発問題】調査もせず壊される歴史遺産・豊かな自然。高層マンション建設がもたらす危機|人民新聞2022.3.28
 近年の工事や開発で行われた発掘により、町の広い範囲に水無瀬殿関連施設があったことが判明し、同時に住宅開発によって、人知れず遺跡が消滅する可能性にも直面している。
 私たちは、この場所を防災面・歴史的価値の面から「歴史防災公園にして歴史遺産としても価値を生み出し、町の誇りとしても生かせないか?」と町や開発業者に訴えたが、お金がないのでできない、としか言わない。文化財保護法上、開発事業者に指導権限のある大阪府文化財保護課などに何度か足を運び現状を訴えたが、大阪府として島本町の責任であると答えている。
 さらなる歴史遺産の保護を訴えるために、市民団体である「文化財保存全国協議会」、専門家の「日本庭園学会」や研究者の皆さんに相談しながら、この3月に埋蔵文化財調査を求める「要望書」を文化庁大阪府島本町・事業者・組合に送付した。文化庁がこの場所の歴史遺産の重要性に理解を示し、調査と保存に乗り出してくれることを祈るばかりだ。
 小さい町で町の税金を投入して駅前の一等地に歴史公園を造るのが難しいのは、理解できる。また、歴史の重要性に関心を持たない首長や議員がいてもおかしくはない。
 しかし、重要な文化財が町にあった場合、専門家からの意見があったとしても地権者の合意も必要になるであろうし、開発事業からいったい誰が守るのか?
 自分の住んでいる地域の後世に残すべき重要な歴史遺産、好ましい住環境を、いったいどうやったら守れるのだろうか? 地方自治、自主自立、住みよい環境の最適解を求め、考えさせられる毎日だ。

後鳥羽上皇ゆかりの離宮の庭園跡? 調査前に開発業者が壊す:朝日新聞デジタル2022.7.14
 後鳥羽上皇(1180~1239)ゆかりの水無瀬離宮の庭園跡を含む可能性がある越谷(こしたに)遺跡(大阪府島本町)で、13世紀前半の遺物が出土している「州浜状地形」を、開発業者が壊していたことがわかった。

後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬離宮の一部? 詳しく調べぬまま埋め戻す:朝日新聞デジタル2022.11.11
 後鳥羽上皇(1180~1239)ゆかりの水無瀬(みなせ)離宮の一部の可能性がある、大阪府島本町の越谷(こしたに)遺跡。開発事業者によって「岬状の州浜地形」の一部が調査前に破壊された問題で、発掘調査を行った町教育委員会が「自然堆積(たいせき)の可能性が高い」と判断し、埋め戻していたことがわかった。保存運動をしてきた研究者や町民は「十分な調査が尽くされていない」と反発している。
 問題は、実際に現地を訪問した複数の専門家が、州浜地形について「純粋な自然堆積とは考えにくい」との見解を示していることだ。

*1:中尾氏の「学問的(?)業績」については中尾 智行 (Nakao Tomoyuki) - マイポータル - researchmap参照

*2:「るるぶ」Web群を、「ユーザーにもっと密接に寄り添う」ものに再構築。JTBパブリッシングが進めるメディアとECのシームレスな連携 | ecbeingを見るに「JTBパブリッシングからの出向者」のようです。

*3:著書『東京下町に眠る戦国の城・葛西城』(2009年、新泉社)、『江戸東京の下町と考古学(増補改訂版)』(2019年、雄山閣)、『東京下町の前方後円墳・柴又八幡神社古墳』(2020年、新泉社)、『都市計画家(アーバンプランナー) 徳川家康』(2021年、MdN新書)、『千ベロの聖地「立石」物語:もつ焼きと下町ハイボール』(2021年、新泉社)

*4:大東文化大学教授

*5:著書『河内平野中部観光資源調査報告』(2021年、晃洋書房)等

*6:筆者の岡氏は白岡町議2期、埼玉県議4期歴任(保守系無所属のようです)。2023年4月の統一地方選で落選

*7:府中市郷土の森博物館学芸員、館長を歴任し、現在、大東文化大学非常勤講師

*8:著書『日本の博物館史』(2001年、慶友社)、『博物館学入門』(2003年、慶友社)、『公立博物館をNPOに任せたら』(2012年、同成社)、『博物館と地方再生』(2017年、同成社)、『転換期の博物館経営』(編著、2020年、同成社)等

*9:著書『文化財返還問題を考える』(2019年、岩波ブックレット

*10:例えばエジプトから略奪したとされるロゼッタストーンギリシャから略奪したとされるエルギン・マーブル(文化財返還問題 - Wikipedia参照)

*11:例えばエジプトから略奪したとされるハトシェプストの胸像

*12:1852~1919年。大韓帝国初代皇帝

*13:1894~1966年。大韓帝国2代皇帝(最後の皇帝)純宗(1874~1926年)の妃

*14:1851~1895年。大韓帝国初代皇帝・高宗の妃

*15:奈良女子大学古代学学術研究センター協力研究員。著書『源義経と壇ノ浦』(2015年、吉川弘文館