今日の産経ニュース(2022年5/12日分)

山梨女児不明 発見の骨、DNA型一致 死亡と判断 県警 - 産経ニュース
 鑑定結果ではどうも「失踪した少女の遺骨」のようです。
 「事件性があるのかどうか」が勿論重要です。事件性があっても「犯人追及できるか疑問」ですが事件性がないなら「不幸な事故」にすぎない。あえて言えば「遺骨の追悼のみ」で事が済む(犯人追及の必要がない)ので、遺族や警察としても「精神的苦痛」はまだ「事件性がある場合」よりはましです。
 勿論、事故だとしても「事故を防げなかったのか」「もっと早く遺骨が見つからなかったのか」という苦しみはあるでしょうが「犯人が見つからない」という苦しみよりはマシです。


【正論ヒストリア】日本・タイ 軍事同盟と友好の記憶海軍兵学校の戦前の日本製軍艦 - 産経ニュース
 太平洋戦争開戦後に日本軍がタイに駐留したことを「日タイの友好関係」として美化する「産経の非常識さ」には心底呆れます。
 なお、

日泰攻守同盟条約 - Wikipedia
 ピブーンソンクラーム*1首相(以下、ピブーン)による独裁体制が固められ、フランス領インドシナに日本軍が進駐すると、かつてフランスに奪われた領土を奪還すべく出兵、駐留フランス軍と紛争となった(タイ・フランス領インドシナ紛争)。翌年に日本軍の介入で講和が成立し、これによってタイは旧領土のほとんどを回復できたため、日本への協力姿勢を強めた。1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開始と同時に、日本軍はタイ南部へ奇襲上陸した。当時、タイは第二次世界大戦に関して中立を宣言していたが、日本はタイを枢軸側の同盟国とすることと、タイ領を経由してイギリス領マレーに侵攻することを意図していた。日本の計画ではすぐにピブーン政権から進駐同意を得るはずであったが、実際には同意獲得までにはしばらく時間がかかった。交渉の間に、タイ軍と日本軍との間で戦闘となり、双方で数百人が死傷した。
 日本とタイの停戦後、坪上貞二・駐タイ大使とピブーン首相の間で日泰攻守同盟条約が調印された。タイ政府は1942年1月25日に米英に対して宣戦布告した。条約は1945年9月2日、タイの敗戦により破棄された。ピブーンは失脚し、タイ新政府は攻守同盟条約締結や対米英宣戦布告を「日本の軍事力を背景に無理やり実行させられた」ものとして、その違法性、無効性を連合国に訴え、1946年から1947年にかけて、回復した旧領土をフランスに返還した。その結果、タイ国民は連合国による裁きを免れた。また、日本に対して、戦争賠償を要求し、日タイ特別円協定 - Wikipediaが締結された。
 なお、その後勃発した第一次インドシナ戦争においてフランスが敗北したため、タイがフランスに返還した土地はカンボジア王国ラオス王国の領土となった。

そうであり、ウィキペディアを見るだけで産経の「美化」が事実に反することがわかります。
 まず第一にタイが日本に協力したのは「フランスに奪われた領土を日本の力を借りて取り戻す」という極めて党利党略的な物だったわけです。「ミャンマーのアウンサン(当初日本の協力で独立しようとしたが、日本の敗戦が濃厚になると連合国に鞍替え)」「インドのチャンドラ・ボース(日本の敗戦が濃厚になるとソ連に亡命して英国と対決しようとしたが事故死)」などの「党利党略的な態度」と全く変わらない。
 第二に日本は「太平洋戦争開戦後のタイ駐留」について「タイを舐めていた」のか、「タイとの間に事前にきちんと根回しをしなかった」が故に戦闘が発生し、タイ側に死者を出しています。
 第三に「日本の敗戦」でタイまで巻き添え(戦犯追及や戦後賠償など)を食いそうになるとタイは「枢軸国入りは日本に強制されたもので本心ではなかった、奪った土地もフランスに返すから許してくれ」と連合国に泣きを入れて見事に逃げ切っています。あげく「枢軸国のはず」なのに、日本から戦争賠償まで受けている。
 「日タイ同盟」でググったら

◆柿崎一郎*2『草の根の日タイ同盟:事件史から見る戦時下の日本人とタイ人』(2022年、京都大学学術出版会)
【内容紹介】
 太平洋戦争中の日タイ同盟ほど奇妙なものはない。なにしろ,「敗戦国」であったはずのタイは,大したお咎めもないどころか,抗日勢力として認められたのだ。この二面外交についての研究はすでにある。しかし,では「味方であって味方でない」関係が,普通の人々(タイ民衆と現場の日本兵)の間では,どんな様相だったのか? 

もヒットしました。
 なお、産経の記事においてはこうした事実は何一つ触れられていません。

*1:1897~1964年。1938~1944年、1948~1957年に首相

*2:横浜市立大学教授。著書『タイ経済と鉄道・1885~1935年』(2000年、日本経済評論社)、『物語タイの歴史』(2007年、中公新書)、『鉄道と道路の政治経済学:タイの交通政策と商品流通・1935~1975年』(2009年、京都大学学術出版会)、『東南アジアを学ぼう:「メコン圏」入門』(2011年、ちくまプリマー新書)、『都市交通のポリティクス:バンコク・1886~2012年』(2014年、京都大学学術出版会)、『タイ鉄道と日本軍:鉄道の戦時動員の実像・1941~1945年』(2018年、京都大学学術出版会)など