目的と手段(2023年7月7日記載)

目的は手段を正当化しない | inti-solのブログ - 楽天ブログ
 これを読んで小生が連想したのが題名と内容がそぐわないじゃないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で紹介されていた映画『未来を花束にして』ですね。
 実はこの邦題、意訳であって「適切な意訳ではない(後で紹介するサフラジェットの過激さが全く表現できていない、というか明らかにそうしたイメージを避けてる)」と題名と内容がそぐわないじゃないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)は批判しています。
 「映画の原題」は「サフラジェット(未来を花束にして - Wikipedia参照)」なので、無理にひねらずにそのまま「サフラジェット」で良かったんじゃないか。
 特に近年においては

ミスティック・リバー(2003年)
 アカデミー主演男優賞(ショーン・ペン)、助演男優賞ティム・ロビンス)を受賞
ミリオンダラー・ベイビー(2004年)
 アカデミー監督賞(クリント・イーストウッド*1)、主演女優賞(ヒラリー・スワンク*2)、助演男優賞モーガン・フリーマン)を受賞

と「原題そのまま」は珍しくない。
 それはともかく「サフラジェット」ですが以下のように何ともすさまじいです。「現在の視点」では「何だかなあ」感がありますが「当時はそういう時代だったとみるべき」でしょうか。

サフラジェット - Wikipedia
 1912年はイギリスのサフラジェットにとっての転機となった。この年からサフラジェットは郵便ポストの中身に放火したり、窓を割ったり、時には爆弾を爆発させるなどの戦闘的な手法を取るようになった。1914年にはイギリス中で少なくとも7軒の教会が爆破・放火された。
 サフラジェットのひとりであったエミリー・デイヴィソンは1913年6月4日、エプソムダービーで国王ジョージ5世の馬であるアンマーに激突して死亡した。馬に「女性に参政権を」("Votes for Women")のバナーをピンでつけようとしていたという説もあるが、これについては議論がある。

http://www.news-digest.co.uk/news/features/16117-womens-suffrage-movement.html
◆サフラジェットによる直接行動の数々
◆放火
 1912年7月、イングランド南東部オックスフォードシャーにあるハーコート植民地相の別宅と、アスキス*3首相が観劇中だったアイルランドのダブリンにある劇場シアター・ロイヤルが狙われた。別宅への放火は未然に防がれたが、犯人には9カ月の禁固刑が言い渡される。劇場では2人のメンバーがカーテンに火をつけ、燃えた椅子をオーケストラに向かって投げ込むなどして禁固5年の判決が下った。
◆自殺行為
 1913年6月4日、戦闘的なサフラジェットの中でも特に過激派と言われたエミリー・ワイルディング・デービソンは、国王の馬が出場するというエプソム・ダービーへ出掛け、レースの最中にコースへ飛び出し、馬に蹴られて頭蓋骨を骨折。数日後に死去した。デービソンが死を意図していたかは不明だが、公衆の前でショッキングな行動をとることで、運動に光が当たることを望んでいたとされる。
◆器物破損
 1914年5月、ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されていたスペインの画家ベラスケスの「鏡のビーナス」を含む5点と、ロイヤル・アカデミーに展示された作品1点が刃物で切り裂かれるなどの被害を受ける。さらに大英博物館では展示されていたミイラを覆っているガラスが破壊された。これにより、各地の美術館・博物館では女性の入場に条件を付けるところも出た。

エミリー・デイヴィソン - Wikipedia
 1913年6月4日、デイヴィソンはエプソムダービーに出席した。レースが行われると、彼女は手すりをくぐってトラック内に侵入した。さらに彼女はジョージ5世が所有する馬アンマーの走路で両手をあげて立ちはだかった。王の馬は猛スピードで彼女に衝突した。騎手のハーバート・ジョーンズは脳震盪その他のけがを負ったが、回復して2週間後にはアスコット競馬場でアンマーに再騎乗してレースに出ることができた。しかしデイヴィソンはダービーの4日後に、事故による頭蓋骨骨折のため、病院で亡くなった。
 デイヴィソンがダービーに出席した目的はよくわかっていない。ロンドンに帰る往復用の鉄道チケット、その日行われるはずだったサフラジェットのダンス会のチケット、翌週の予定が書かれた日記を持った状態で発見されており、本人が殉教者になるつもりはなかったことを示唆している。但し、後の研究では、ダービーのため、その日は往復チケットしか買えなかったこと(往復チケットの存在は自殺意思の否定にならないこと)が指摘された。

 仮に「チベット焼身自殺」「アリス・ハーズ*4や由比忠之進*5焼身自殺」(明らかに積極的な自殺行為)とは違い「積極的に死ぬ気はなかった」にしても「話題になるなら死んでも構わない(「未必の殺意」ならぬ「未必の自殺意思」)」ではあったのではないか。やり方が無謀すぎますからね。

*1:1993年、『許されざる者』でアカデミー監督賞受賞

*2:1999年、『ボーイズ・ドント・クライ』でアカデミー主演女優賞受賞

*3:1852~1928年。内務省、蔵相等を経て首相

*4:1882~1965年。著書『ある平和主義者の思想』(1969年、岩波新書

*5:例えば「我が身は炎となりて―佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代」書評 「日本人とベトナム戦争」描く|好書好日参照