プロ野球・阪神タイガースが18年ぶりリーグ優勝。ヤクルトは野村克也「弱者の野球」の負の遺産である死球禍を引き起こした痛恨の一年 - kojitakenの日記
昨夜はプロ野球・阪神タイガースが「アレ」を達成したが、あのチームは(ボーガス注:優勝できない物の、2019年3位、2020年、2021年2位、2022年3位と)一昨年から毎年優勝して当たり前の戦力を持っていて、違うのは昨年までの「勝てる戦力を優勝に導けない」(ボーガス注:矢野)監督ではなく、「勝てる戦力を確実に勝たせることができる」岡田彰布監督が「強者の戦い」をしたことだ。直接的には岡田采配が阪神優勝の最大の要因ではあろう。
kojitakenも書くように「矢野(2019年3位、2020年、2021年2位、2022年3位)から岡田に監督が変わったら優勝」とは素直に考えれば「矢野に比べ岡田が有能」ということでしょう。
小生も「野球素人の無知」なので「ここが岡田のすごいところだ」なんて説明はできませんが(但し、その岡田もオリックス監督時代(2010~2012年)はBクラスに低迷したまま監督を辞任。オリックスの低迷は岡田辞任後の2020年(2020年は最下位)まで続くがその後、中島監督が就任した2021年に優勝し、その後も2022年優勝し、今年2023年も優勝の見込み。成績で考えれば明らかに中島監督(2021年~)は有能と言えるでしょう。これまた「野球素人の無知」なので「ここが中島のすごいところだ」なんて説明はできませんが)。
「弱者の野球」というのは「どうしても無理がある(下手をすると『選手の酷使→早期引退』などの弊害も生まれる)」と思うので俺個人は好きではありません。
私は岡田監督からは不遜さを感じるので決して好きなタイプの人ではないが、彼の才能を認めないわけにはいかない。
kojitakenの「尊大な態度」「傲岸不遜さ」を嫌う俺からすれば「お前が言うな」ですね。
野球選手(1985年の阪神のセリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献)、監督(2005年、2023年に阪神監督として優勝)として一定の成果を上げた岡田が「不遜な点」があるとしてもある程度理解できますが「何ら世間に自慢できる成果のない無名人id:kojitaken」がやたら「態度がでかい」のには心底呆れます。
それに「野村野球が好き(kojitaken)という人間が、岡田に向かって「不遜さ」云々というのも「はあ?」ですね。
野村の場合「受け狙いで不遜なキャラをあえて演じた」という面はあったでしょうが、どう見ても「自分の才能」によって「不遜な面」はあったでしょうに。
例えば「妻サッチーの脱税を素直にわびれない」というのは「不遜」以外の何物でもないでしょうに。野村と比べたら岡田など「全然不遜ではない」と思いますね。単に「kojitakenがアンチ阪神」とかそういう話ではないのか?
【参考:阪神ファンの岡田評価】
住友陽文*2
岡田監督が矢野監督のやり方を否定して、選手起用や戦略を立て直し、その結果優勝した。矢野野球を継承したわけではないのに、SNSではいまだに「矢野さんのお陰」、YouTubeでも「金本→矢野」と継承してきての今年の優勝と言う人がいる。何を見てそんなことを言うのかと思う。ファンからしても、「なんでこれほどの戦力を持ちながら優勝できないのか。監督のせいで負けた試合が一年に何試合もあるし、監督の考え方のせいで選手のポテンシャルを活かせない」とずっとここ数年歯がゆかった。2008年に岡田監督が辞めてから、ずっと再任を待望していた。そしてぶっちぎりの優勝。今年のことだが、村上頌樹投手(3年目)がブレイクした時も「俺の時には頑張ってもらえなかった」と矢野は発言した。昨年、村上が2軍で良い成績を出していたのに一度も(ボーガス注:一軍での)チャンスを与えなかった監督が、「選手が頑張らなかったから」だと言う。二度と阪神に関わってほしくない
住友陽文
矢野監督は「精神論が多かった」と選手が言ってたそうです。二人の監督のコメントを比較してもそうでしょ。「予祝」って何ですか。
住友陽文
矢野元監督の助言のほとんどは精神論だったと言われている。確かに公にしたコメントでも、例えば特守ノックをしたあとでも、「俺の気持ちをどれだけ選手が感じ取ってくれるか、俺の気持ちを選手が受けとめられるか」と発言。技術向上というより、自分の情を選手に注入する機会がノックだった。だから先に上がって練習を切り上げた佐藤輝明ではなく、最後まで自分の打ったボールを拾った大山悠輔にサード位置決定の軍配を上げた。つまり矢野監督にとって、自分の気持ち(ボール)を選手がどれだけ真面目に受けとめる(捕球)か決めてだったわけだ(と思える)。マイペースの佐藤よりひたむきな大山が評価されるのはそのためか。それに反して岡田彰布監督の助言は明確な戦術論・技術論だ。外野フライを打ちたい時はバッテリーは外野フライを打たせたくない時なので、低めを打ってゴロで内野手の間を抜けというのが岡田の助言だったし、併殺ねらいの守備に対しては、あえて内角のシュートをひっぱって三遊間を抜いていけと。矢野監督の姿勢は、まるで天皇みたいだった。明確な方針を打ち出して選手にはっきり伝えるのではなく、以心伝心で感じろというのが矢野だった。
住友陽文
矢野燿大氏は「固定するほどズバ抜けている選手がいなかった」と言うが、(ボーガス注:監督在任中の)4年間でそういう選手を育て、そういうチームに編成できなかったということだ。なんで選手のせいにするのか。守備を固定させるからこそ育つという考えはこの男には一切なかったんだな。自分は責任を負わず選手に丸投げか。
岡田彰布氏は善し悪しをはっきり言うのでキツく聞こえるが、選手のせいにはしなかった。自分の責任で決断し、選手に丸投げなどしなかった。プライドも大事にした。意味不明の気色の悪い「予祝」や「波という文字」とか、そんなことを聞かなくなるだけで、だいぶ精神衛生上よくなる。岡田監督がやることには明確で合理的な根拠があった。責任も負ってくれた。盗塁は基本、岡田監督がサインを出した。矢野は全部選手任せだった。
【参考】
【岡田阪神研究(1)】岡田氏の監督復帰、阪急トップの決断だった - 産経ニュース
昨年9月、大阪・茶屋町にある阪急阪神ホールディングス(HD)の役員室に重苦しい空気が流れた。
「来季監督は岡田彰布(あきのぶ)氏に要請しなさい」
阪神の藤原崇起(たかおき)オーナー(現阪神電気鉄道相談役)の平田勝男2軍監督の昇格案は、角和夫阪急阪神ホールディングス(HD)代表取締役会長兼グループCEO(最高経営責任者)に瞬く間に却下され、阪神電鉄本社首脳の覚悟はあっけなく崩れた。
2006(平成18)年、村上ファンドに買い占められた阪神電鉄株を、阪急ホールディングスがTOB(株式公開買い付け)で買い取り経営統合した経緯がある。以降、角会長の言葉は重かった。9月22日、阪神は大阪市内のホテルで岡田氏に監督就任を要請。08年の辞任以来、15年ぶりの阪神監督復帰が決まった。
阪神電鉄本社内では最後の最後までこんなやり取りが続いた。
「われわれは平田2軍監督(ボーガス注:現在、阪神一軍ヘッドコーチ)の昇格で一本化している」
「一刻も早く阪急側に平田昇格を承認させてほしい」
1月31日、矢野燿大(あきひろ)前監督が突然、春季キャンプがスタートする前日の全体ミーティングで退任を表明。「俺の中で今シーズンをもって監督は退任しようと思っている」。指揮官の前代未聞のシーズン前の退任発言はマスコミに大きく取り上げられ、動揺したのか、阪神は開幕から9連敗を喫し、最悪のスタート。かろうじて68勝71敗4分けの3位に終わる。17年連続のV逸。次期監督の選定はチーム再建策の一丁目一番地だったが、8月を迎えても阪神球団の次期監督リストに「岡田彰布」の名前はなかった。
そこには岡田監督への強いアレルギーがあった。前監督時代(2004年~08年)、岡田監督の歯に衣着せぬ発言などで球団首脳は何度も苦い思いをした。監督付広報担当は何人も交代。〝扱いにくい〟というイメージは阪神に浸透していた。さらに、角会長と早稲田大学の先輩後輩という間柄で昵懇の岡田氏を招聘すれば、タイガースの主導権を阪急側に奪われる…という危機感があったのだろう。
ところが、晩夏を迎えても、藤原オーナーは動かなかった。その理由は、総帥・角会長の意中の人が誰であるか知り尽くしていたからだ。
実は、角会長は早くから岡田監督の人間性や勝負師としての能力を高く評価しており、初めて岡田監督就任を希望したのは2014年に遡る。その時はチームが最終的に2位に食い込み、クライマックスシリーズを勝ち抜いて日本シリーズに出場。最終的に和田豊監督は続投し、岡田監督の再登板は幻に消えた。翌年の15年も角会長は岡田監督復帰を希望するも阪神・坂井信也オーナーの希望で金本知憲(ともあき)監督が誕生している。
過去、阪神側の監督選びを尊重してきた角会長だったが、今度は引かなかった。経営統合以来、タイガースの優勝を待ち望んだが果たせないまま16年が過ぎた。チーム運営に対する疑問は膨れ上がり、矢野監督のキャンプ前日の退任発言や、その行動を事前に知りながら許可した球団に憤りを感じていた。
岡田監督就任が10月に正式発表され、その2カ月後、阪急阪神HD社長の杉山健博(たけひろ)氏が、初めて阪急出身者としてタイガースのオーナーに就任した。タイガースの主導権が阪神から阪急に移った決定的な瞬間だった。
藤原前オーナーら阪神首脳が恐れていたことが現実となった。阪神側が候補にも挙げなかった岡田監督再登板は、タイガースの阪急支配の象徴的な人事だった。しかし、その結果が18年ぶりのリーグ優勝となった。〝角の決断〟はタイガースをリーグの頂点に導いた。勝負の世界は結果が全てである。
【岡田阪神研究(2)】「普通でええ」 リーグ断トツの四球数に表れた岡田イズム - 産経ニュース
「普通にやるだけやん」
「ビッグプレーやファインプレーはいらんから」
岡田彰布監督(65)が口癖のように発してきた言葉だ。今季の阪神には昨季の覇者、ヤクルトの村上(ボーガス注:2022年のセリーグ三冠王(首位打者、本塁打王、打点王))のような突出して活躍した選手がいないのが大きな特徴だ。何が18年ぶりのリーグ優勝をもたらしたのか。
象徴するのが四球数の激増だ(記録はいずれもリーグ優勝を決めた14日現在)。阪神が奪った四球は、昨年の358個を優に上回るセ・リーグ最多の452個。2位ヤクルトと46個の差があり、最少の中日とは179個も差がある。
個人では、大山88個(昨季59個)がリーグ最多で、近本64個(同41個)、中野53個(同18個)。中野は昨年の約3倍の四球を選んだ。ボール球を振ったり、早打ちで簡単に凡退したりするのを防ぐだけでなく、相手投手の球数を増やすことで中盤以降、攻略の機会を得ることもできた。
その典型が6月4日のロッテ戦(甲子園)だ。160キロ台の剛速球を武器に開幕4連勝中だった佐々木朗に6回で102球も投げさせ、今季初黒星をつけた。
阪神は総得点504と、出塁率3割2分4厘もリーグトップの数字を残した。本塁打数はリーグ5位の71本と少ないながらも、四球でチャンスをつくって得点する場面がいかに目立ったか。岡田監督は「四球はヒット1本と同じ」と強調する。開幕前に指揮官が球団に(ボーガス注:四球について)年俸の査定ポイントをアップさせたことも大きな後押しとなった。〝岡田イズム〟を徹底させたことは、間違いなく優勝の大きな一因だった。