新刊紹介:「経済」2023年10月号(その2:チリクーデター50年)(2023年8月13日に記載)

【追記その1】
 今日でチリ・クーデターから50年(同時多発テロからは22年) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記その2】
キッシンジャー米元国務長官 死去 米中の国交正常化に寄与 | NHK | 訃報
米国のキッシンジャー元国務長官死去、100歳 沖縄返還交渉に関与:朝日新聞デジタル
キッシンジャー元米国務長官が死去、100歳…ベトナム戦争終結に貢献・ノーベル平和賞受賞 : 読売新聞
キッシンジャー元米国務長官死去 100歳 米中国交正常化やベトナム和平に貢献 - 産経ニュース
 予想の範囲内ですが彼の黒歴史「チリクーデター」には触れていません。
 しかし、「ジャニー喜多川死後の批判の高まり」のような「チリクーデターでのキッシンジャー批判」を今後期待したい。
【追記終わり】
◆チリクーデター50年:アメリカの関与を中心に(本田浩邦*1
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

米国が支援したチリ・クーデターから50年、いまだ続く大国「介入主義」の源流 | 政策・マーケットラボ | ダイヤモンド・オンライン(本田浩邦)
 チリのサルバドール・アジェンデの人民連合政府が1973年9月11日、ピノチェト将軍を首謀者とする軍事クーデターで崩壊してから、半世紀がたとうとしている。
 アメリカ政府および中央情報局(CIA)が全面的にお膳立てをした軍事クーデターで、直後の軍事独裁政権による大量の市民の殺害や拷問、投獄は全世界に計り知れない衝撃を与えた。
 自由や民主主義を標榜するアメリカが、自国企業の権益擁護のため、自らの意に沿わない他国の政権の転覆を図ったものだが、アメリカにかぎらず、大国が自国利害から他国の主権を侵害し一方的な軍事侵攻をするのは、(ボーガス注:米国の)イラクアフガニスタン戦争、そして(ボーガス注:ロシアの)ウクライナ戦争とも共通する。
 歴史の教訓を得るためにも、真相解明が重要だ。
◆1973年9月11日に軍事クーデター、46年続いた民主政体が崩壊
 軍のクーデター派による大統領府モネダ宮殿への総攻撃が始まったのは、9月11日早朝だった。
 クーデターに対する市民の激しい抵抗は数日間続いたが、陸軍司令官だったピノチェトを中心とする軍事評議会が権力を握ったことが発表された。
 クーデターによって4万人が殺害され、10万人が逮捕、拷問、100万人が国外に脱出し、2500人が行方不明といわれている。
 臨時政府によって議会は閉鎖され、左派政党は解散させられた。組合活動家の一人は、「労働者が100年かけて築き上げたものが、一夜にして失われた」と述べた。
◆火種は3年前の大統領選挙妨害、権益失うのを恐れたニクソン政権
 クーデターの火種は、その3年前にあった。
 1970年9月4日の大統領一般投票で「人民連合」(UP)を基盤にした社会党のアジェンデが、中道のキリスト教民主党と右派の国民党をおさえ比較多数を獲得した。
 しかし過半数には達せず、上位2人による10月の決選投票でのアジェンデ選出を阻む動きがにわかに高まった。
 チリに大きな権益を持つアメリカ企業(ITT、ペプシなど)はCIA、国務省にクーデターを持ちかけ、ニクソン大統領やキッシンジャー大統領補佐官ら政権中枢はそれを積極的に推し進めた。
 企業やニクソン政権は、アジェンデ政権が成立したらアメリカ資本の国有化は避けられず、キューバソ連など共産主義に接近し、ラテンアメリカは窮地に陥ると主張した。
 決選投票を前に、CIAは反アジェンデ宣伝や議会での多数派工作によってアジェンデ当選を阻止すると同時に、それがうまくいかない場合には、一部軍人によるクーデターを組織し、議会を停止し、一時的な軍政を敷き選挙をやり直すもくろみだった。
 クーデター計画に軍人をリクルートするにあたり、CIAは、アメリカは海兵隊を送る以外はいかなる協力もし、報酬をも支払うことを約束した。
 実際に数名の将軍には、数万ドルずつのカネが渡された。
 しかしクーデターは、護憲派の軍最高司令官シュナイダーの暗殺を引き起こしただけで未遂に終わった。
 アジェンデ政権成立後、政権に対する攻撃がふたたび強まった。アメリカは、アジェンデ政権の承認の拒否、経済関係の打ち切り、国際機関からの融資の停止を行い、さらには銅製品の輸出をも妨害した。
 72年になると、CIAは、中小企業のストライキを組織し、翌年4月にはエル・テニエンテ銅山のストなどによってふたたび経済の混乱を画策した。クーデター前には資本流出と物価上昇が加速し、経済は危機的状態に陥った。
 ストライキや破壊活動が蔓延するなか、徐々にクーデター側に回る軍人が増え始めた。
 アメリカ政府とクーデターとの結びつきをかぎつけたアメリカ人ジャーナリスト、チャールズ・ホーマンはクーデター派によって殺害された。82年のアカデミー(ボーガス注:脚色賞)受賞作『ミッシング』*2という映画はその経緯を描いている。
 クーデター後、ピノチェトを議長とする軍事政府評議会による独裁政治が始まった。
 彼は議会を解散し、人民連合などの民主主義をかかげる政党を非合法化し、最後には全政党の活動を禁止した。言論、出版、集会、デモ、ストライキの自由は剥奪された。暴力的な支配がたちまち全国へ広がった。
 「死のキャラバン」として知られる軍部の作戦で、労働組合員や学生、芸術家など左翼とみられた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。
 さらにピノチェト政権は、ラテンアメリカ軍事独裁政権の横のつながりを強化し、民主運動を圧殺した。
 アルゼンチン、ウルグアイパラグアイなどの軍事政権の間で人民連合の要人の情報が共有され、亡命先で殺害された。
 本部はパナマに置かれたが、チリがその中心となり「コンドル作戦」と呼ばれ、ラテンアメリカだけでなく、欧米にも触手を伸ばした。
 暗殺されたシュナイダー司令官の後任であった護憲派のブラッツ将軍は、クーデターの後、アルゼンチンに亡命したが、翌年9月、ブエノスアイレスピノチェトの秘密警察(DINA)が車に仕掛けた爆弾によって妻とともに暗殺された。
 クーデターから半年の間に物価は15倍、失業率は20%へと上昇した。経済の立て直しを担ったのが、ピノチェトの経済顧問となったチリ・カトリック大学経済学部長のセルヒオ・デ・カストロシカゴ大学留学組だ。
 彼らは「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれる、政府が介入をやめれば経済は直ちに均衡を回復するという市場理論の信奉者たちであり、クーデター直後から水を得た魚のように動き出し、新自由主義的改革を行った。
 人民連合が国有化した資産を元の企業に返還し、土地を元の所有者に戻すといった土地制度改革の巻き戻しを行った。1975年には、シカゴ学派の本家本元ともいえるミルトン・フリードマン*3と費用便益分析で有名なアーノルド・ハーバーガー*4がチリを訪問している。
 ただし軍事政権は、アジェンデ時代に国営化した銅の鉱山会社アデルコだけは民営化しなかった。銅が輸出の85%を占めたおかげで、チリは完全な経済破綻を免れたといわれる。
研究者のなかには、アメリカの支配層は、チリの国有化政策よりも農地改革をより危険視したと見るものもある。それがラテンアメリカのみならず、世界の途上国に与える影響を考えたからだという。
 しかしこうした政策にもかかわらず、物価と失業はむしろ急上昇を続けた。74年のインフレ率は3.5倍、75年にGDPはマイナス13%、工業生産も20%低下し、失業率は20%と高水準のままだった。
 その後は底を打ったのか、76年のGDPは3.8%、1977年には10%以上と経済は回復した。
 回復過程の評価が難しい一つの理由は、通貨ペソの減価とIMF世界銀行などからの優遇された借り入れ条件で多分に演出されたものだったことによる。
 しかもそのような経済も、1980年代のアメリカの金利引き上げに伴う途上国経済危機のなかで大きなダメージを免れることはできなかった。82年には再びGDPは10%以上ものマイナスとなり、83年もマイナス5%と低迷した。
 その後、経済は持ちなおすが、それも同様に他のラテンアメリカ諸国にはない国際機関からの格別の支援をうけ、欧米からの資本の受け入れに支えられたものだった。しかも1960年代のフライ政権からアジェンデ政権の輸出促進政策が、時間をおいて効果を持ったという事情も付け加わっている。
 より重要なことは、一般の庶民にとっては、GDPの伸びに所得が追いつかず、福祉や教育など社会資本の整備のための支出は70年代初頭よりも2~3割削減され、経済格差は広がるばかりだったという事実だ。
◆いまだ機密解除されない資料、悲劇がなぜ起きたのか、解明必要
 ピノチェトは1989年の国民投票で大統領任期延長を否定され、大統領の座を退き、その後も隠然たる力を保持したが、89年10月、病気治療のために訪れたロンドンの富裕層御用達のクリニックで逮捕された。
 スペインで「人道の罪」で起訴されたことによるものだが、88年までチリが拷問禁止条約を結んでいなかったことから、誘拐・殺人については不起訴となった。
 その後、チリに送還され、裁判を受けたが、不正蓄財などの罪で告発されたのみで、誘拐・殺人などの罪についてはうやむやとなり、2005年9月、チリ最高裁は最終的にピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとして罪状を棄却。ピノチェトは翌年、91歳で死去した。
 半世紀前、クーデターが起きた当時は、自由や民主主義を標榜するアメリカが政権転覆に関与していたことが明らかになり、世界に衝撃を与えた。
 アメリカという民主主義国の「裏」に何があるのかが問われ、国内でもベトナム戦争と並んでアメリカの帝国主義的対外政策に対する批判と反発が強まり、そして社会の分裂という大きな痛手をアメリカ自身も受けた。
 しかし、ニクソン政権がどこまでクーデターに関与したのか、例えば、ニクソン大統領に関する、クーデターの直前とその後についての文書などは(ボーガス注:ニクソンの共犯者であるキッシンジャー国務長官が存命であることもあって)いまだに機密解除されていない。
 一方で、こうした大国による強権行為や直接および間接的介入は、アメリカだけではなく、旧ソ連や現在のロシアのウクライナ侵攻、ミャンマー支援など枚挙にいとまがない。
 いまのウクライナ戦争は(ボーガス注:米露が介入した朝鮮戦争ベトナム戦争等がそうだったように)元CIA長官レオン・パネッタ*5が言うようにアメリカとロシアの「代理戦争*6」の面がある。
 いまだに機密解除されていない資料が数多くあり、国際社会の教訓とするためにもこれを機に事件の一層の実像解明が期待される。

 今回、本田記事が読みたくてダイヤモンドオンラインに登録(ただし無料登録)しました(まだ経済は刊行されてないので当然、読めませんが筆者は同じなのでダイヤモンドオンラインと内容的には概ね同じでしょう)。共産党に近い月刊「経済」なら理解できるのですが、ダイヤモンドにこういう記事が載るのがすごく意外。
 なお、こうした「米国帝国主義の無法(合法的な選挙で成立したアジェンデ政権を軍事クーデターで転覆)」が日本共産党の「敵の出方論」に影響したとやはり見るべきでしょう。
 また、小生は「911テロ=CIAの自作自演説」「ウクライナ戦争=アメリカの謀略説(ロシアがはめられた)」といった陰謀論を支持しませんが、こうした陰謀論については「米国の自業自得」の面もあると思います。チリクーデターなど、米国の無法は現実に存在したわけですから。
 しかし本多勝一氏の「ルーズベルト陰謀論」(この人たち(本多勝一氏と進藤栄一氏)大丈夫かと本気で思った(デマ本を真に受けて、ルーズヴェルト陰謀論を本気で信じている馬鹿な人たち) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)もこうした「本物の米国の謀略(CIAによるチリクーデター支援など)に対する怒り」が変な形で歪んだ代物でしょうか?
 『ミッシング』チャールズ・ホーマンレオン・パネッタについては以下を紹介しておきます。
 なお、ダイヤモンド論文では、映画としては『ミッシング』のみ紹介した本田氏ですが経済論文では『サンチャゴに雨が降る』(1975年)を紹介しています。

余録:「9・11」といえば、今では2001年の… | 毎日新聞2019.11.5
 「9・11」といえば、今では2001年の米同時多発テロのことだが、元々は1973年のチリ・クーデターを指すことが多かった。世界で初めて自由選挙で誕生した社会主義政権がピノチェト将軍率いる軍に倒された事件だ▲米中央情報局(CIA)が暗躍し、著名な歌手や文化人を含めた多数の市民が犠牲になった政変劇は「サンチャゴに雨が降る」(75年)、「ミッシング」(82年)など映画にもなった

ミッシング(1982年)
 行方不明の息子を探し続ける父を演じたジャック・レモン*7は、こういう静かな映画で静かな芝居をさせても実に上手い。
 本作のハイライトではありますが、大勢の聴衆がいるスタジアムで息子にマイクで呼びかける姿は、なんとも切ない。
 ジャック・レモン演じる行方不明になった息子を探し続ける父エドワードは、ニューヨークで成功したビジネスマンであり、合衆国政府を信じている、いわゆる保守層である。
 だからこそ、反政府的とも解釈されかねない息子夫婦の行動・思想を理解できないところがあって、義理の娘のSOSを聞き業を煮やしたようにチリへ渡航してきている。しかも出国前にはアメリカで議員に働きかけ、チリでかなり優遇されるように根回しをしてきており、国を味方につければ事件は解決すると信じているのである。
 それは決して間違った手段だとは思わないし、アメリカ国民という立場からすると、当然のことでしょう。
 どんな手段をとるにしても、息子を無事に取り戻すという目的が達成されればいいのですから。
 しかし、その目論見は見事に裏切られる。在チリの大使館連中は全くアテにならず、怪しげな軍人たちもウロチョロする環境であり、調査を依頼してもロクすっぽ行動せずに、適当な報告をする。
 オマケに義理の娘は感情的になって、現地の大使たちといがみ合いになり、捜査は一向に進展しません。
 本作はそんなジレったい捜査の過程をジックリと描いており、何とも言えないニュアンスのラストに向っていく。
 この虚しくも、物悲しいラストがあるからこそ、本作は傑作になった。この無情感、虚脱感が何とも言えない。
 明日への希望など微塵も感じさせないラストではあるが、体制に飲み込まれ翻弄された人々の想いというのを言葉ではなく後ろ姿で表現するという素晴らしいラストだ。
 確かに大きな組織である国家を相手にするサスペンスだと思うと、少々見劣りするだろうけど、僕は本作の主旨はそこじゃなく、否定的に考えていた息子夫婦の足跡を辿るにつれ、それをなんとか拾い集めて、無事に奪還しようとするものの、時機が遅すぎた現実の残酷さ、それを拾い集める虚しさにあるような気がします。
 明るい映画を観たい人には向かないかもしれませんが、息子の足跡を一つ一つ辿りながら、なんとか近づこうとする姿が何とも痛ましくも、感動的ですらあると思います。
 同じ年に『ブレードランナー*8』の音楽で評価されたヴァンゲリス*9が、本作のメインテーマを作曲していて、どこか物悲しくも彼らしい美しさある旋律なのですが、このメインテーマの曲も映画を彩っていて、実に素晴らしい。
 本作はアカデミー作品賞にノミネートされ、カンヌ国際映画祭ではグランプリを獲得しました。
 対外的な評価は十分に得たとは思いますが、やはり本作で出色なのはジャック・レモンの味わい深い芝居だろう。
 当時、若手女優としてブレイクしていたシシー・スペーセク*10とのガップリ四つになった芝居合戦も見応え十分だ。
 僕は喜劇役者としてのジャック・レモンも好きだけど、本作のようなシリアスな映画のジャック・レモンの方が良いと思う。
 本作のスパイスが利いているなぁと感じたのは、エドワードが「合衆国がお前らを野放しにするわけがない!」と(ボーガス注:息子の殺害に加担した疑いのある駐チリの米国大使館職員に)警告をして帰国の途につくわけですが、こんな酷い仕打ちにあいながらも尚、国を信じるということを捨てられない。
 別にエドワードが洗脳を受けているわけではないのですが、ビジネスで成功しているという彼の背景もあるのだろう。
 人はそう簡単に変わることができないということの証左でもあるかもしれないが、国を信じても息子は帰って来ない
 救いが一切ない映画ではありますが、シリアスな社会派映画好きな人にはオススメしたい作品です。
 ギリシア出身のコンスタンチン・コスタ=ガブラス監督の一つの到達点とも言うべき傑作であると思います。

 話が完全に脱線しますが「巣くう会を信じても娘は帰って来ない」と有本明弘と横田早紀江には言いたいですね。多分「小泉訪朝から20年以上経っても進展がないこと(しかもその間に横田滋や有本嘉代子が死去したこと)で、もはや信じてないがそれを面子から認められないだけ」だと思いますが。
 これについては

なんとも無様で無残な話だと思う(拉致被害者家族の有本明弘氏) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2019.7.16
有本嘉代子さんに限らず、横田滋氏もけっきょく巣食う会との泥船に乗っちゃったから、お孫さんとの再会も墓参りなどもできなかったのだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.2.7
けっきょく反北朝鮮の道具として使い倒されただけじゃないか(横田滋氏の死) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.6.6

を紹介しておきます。

『ミッシング』(1982年): 映画フェイス2007.11.27
 ジャック・レモンといったら『チャイナ・シンドローム』(1979年)でシリアスに熱演してたのが印象に残っています。(ボーガス注:1959年公開の『お熱いのがお好き』、1960年公開の『アパートの鍵貸します』、1968年公開の『おかしな二人』、1970年公開の『おかしな夫婦』等で)それまではコメディ専門と思っていたのでなおさら印象的でした。
 そんなわけで私的には『チャイナ・シンドローム』(1979年)以降のジャック・レモンの方がいいと思っています。
 そんなわけでこれは力作です。政治的メッセージよりも嫁と義父の関係の描写がいい見ごたえのある作品でした。

[映画] ミッシング Missing (1982年) | 人と映画のタペストリー2012.9.25
 この映画は1973年、チリの軍事クーデター直後の混乱の中で失踪したアメリカ人ジャーナリスト「チャールズ・ホーマン」の行方を追う父と妻が、チャールズはクーデターの背後にあったCIAの係わりを知ったために処刑されたのではないかという結論に至るまでの数日間の首都サンチエゴでの捜索を描いている。
 チャールズ・ホーマンは実在の人物で、1942年生まれなので、1946年生まれのクリントン大統領やブッシュ大統領(息子)とほぼ同世代である。この世代はアメリカの団塊の世代として、ベトナム反戦運動やヒッピー運動に深く影響を受けた世代である。映画では、チャールズ・ホーマンは好奇心は強いがちょっと軽はずみな児童文学作家として描かれているが、実際のチャールズ・ホーマンはハーバード大学を卒業後、しっかりとジャーナリズムの訓練を受けたライターであった。この映画はトム・ホーサーがチャールズ・ホーマンの死を調査して1978年に出版した本を基にしている。
 1973年、クーデターが起こった時、チャールズ・ホーマンはたまたま美しい保養地のビニャ・デル・マールに滞在していたが、そこでは実は密かにクーデターの計画がなされていた。ビニャ・デル・マールでチャールズ・ホーマンが誰とコンタクトをし、何を知ったのかは不明だが、9月17日、彼は突然クーデター派のチリ軍部に逮捕され、首都サンチアゴの国立競技場に拉致された。クーデター後、競技場は臨時の刑務所として使用されていたのだ。彼はそこで拷問を受け、処刑されたと伝えられる。アメリカ人なのに彼が反クーデターの犯罪者として処刑されるには、CIAの隠れた同意があったはずだというのが、この映画の主張である。彼の死体を競技場の壁に埋めたと主張するチリ当局に対して、ホーマンの家族は死体引渡しを求めた。実際に死体が米国の妻のもとに届けられたのは6ヶ月後で、その時は死体の腐敗が激しく、本人と判断するのが不可能だったいう。ホーマンの妻は後にDNA鑑定を依頼し、その死体がホーマンのものではなかったことを知った。
 チャールズ・ホーマンの誘拐と処刑はニクソンが大統領であった時に起こっている。その後ホワイトハウスは一貫して、CIAのチリクーデター介入を否定してきたが、クリントン政権は隠された秘密公文書を調査し、1999年に初めてCIAがチリのクーデタに参与していたことを認め、証拠文書を公開した。チャールズ・ホーマンの死についてもクリントン下の政府関係者は「非常に残念なことだ」と述べ、駐チリアメリカ大使館がクーデター後の大混乱の中、アメリカ市民を守ろうと全力を尽くしたのは事実だが、ホーマンに関してはその必死の努力が及ばなかった可能性があることを示唆している。
 チャールズ・ホーマンの未亡人、ジョイス・ホーマンは2001年にチリの法廷にアウグスト・ピノチェトに対して夫の殺人の罪で訴訟を起こした。その裁判の調査過程で、チャールズ・ホーマンはチリの民主制を追及し、軍部の反対派に暗殺された進歩派軍人レネ・シュナイダーの生涯を調査していたことがわかり、レネ・シュナイダーを暗殺したアウグスト・ピノチェト派にそれを嫌われ殺害された可能性が示唆された。2011年にチリ政府は退役海軍軍人レイ・デイビスをチャールズ・ホーマンに対する殺人罪の判決を下した。

映画 ミッシング (1982米):e-徒然草:So-net blog2011.5.16
 チャールズの行方を求めて、父親エドジャック・レモン)と妻ベス(シシー・スペイセク)はサンディアゴアメリカ大使館を訪ね協力を要請します。大使館の調査結果は、クーデター軍はチャールズを拘束していない、チャールズは自ら姿を隠したのではないかというをものです。調査に不満をもったエドとベスは、自ら調査を始めます。国家利益を優先する大使館は、CIAのクーデター関与を知ったチャールズを密殺し、口をつぐんだというわけです。
 ウォール街の金融ビジネスとその成功を絶対の善とする保守的なエドは、理想主義の息子とその妻ベスに対して批判的で、我が子の生死が危ぶまれるこの期に及んでもベスと諍う始末。病院から死体置き場までエドはベスはチャーリーを探し廻りますが、この困難な捜索によってふたりの隔たりが徐々にちぢまり、南米の異国でアニメーションを作成しようというチャーリーを理解するようになります。
 見どころは息子の安否を尋ねて異国をさすらう頑固親爺のジャック・レモンでしょう。自分の理想とかけ離れた不肖の息子とその嫁を最後は受け入れ、家族の共同の敵=アメリカ国家と対決しようという一途さです。
 映画『ミッシング』が優れているのは、チリの軍事クーデターの後ろにCIAがいたという告発とともに、このエドというアメリカ人の類型化ではないでしょうか。自国の都合で他国の政権をひっくり返す国家も、家族のために自国に闘いを挑むエドも、ともに『アメリカ』なのだというわけです。

【映画レビュー】ミッシング/コスタ・ガヴラス | POP MASTER2018.1.2
 一人息子チャーリー(ジョン・シェア)の行方を心配する父親役のジャック・レモンと、義娘のシシー・スペイセクのドラマが本作の見物になるのだが、これがなかなか深刻。
 もちろん名優二人による演技のアンサンブルは素晴らしいのだが(ジャック・レモンはこの演技でカンヌ国際映画祭の男優賞を獲得)、演出的にアメリカ領事館に不信感を抱くようになる過程が、どーにもこーにもうまく消化しきれていない。僕の目には、「ストレスがたまりまくって手当たり次第にわめき散らす、ヒステリー状態の父娘」にしか見えないのだ。
 敬虔なキリスト教徒で保守的な父親、左翼的で理想主義者の娘というギスギスした関係が、事件をきっかけに修復され、真の親子関係を結ぶに至る、というプロット自体は悪くない。
 しかしながら、ポリティカル・サスペンスには不釣り合いなぐらいに、ヴァンゲリスのポワ~ンとしたテーマ(これ自体はいい曲なんですが)が流れるたび、ドラマがおセンチな方向に向かってしまって、いまひとつコスタ・ガヴラスが訴えたかったであろう「アメリカ政府の偽善に対する怒り」が見えにくくなってしまっている。
 あと、どうでもいいことですけど、テリー(メラニー・メイロン)っていうチャーリーの女友達が登場するんだが、二人でリゾート地のビーニャ・デル・マールヘ日帰り旅行に出かけて、キャッキャしまくっていて、浮気感がプンプン。
 ジャック・レモンも「彼女と息子はどういう関係だったんだ?」と詰問する場面が出てきたりする。この二人の関係はドラマ進行上は何ら影響はない訳で、ヘンに勘ぐられてしまうような描き方はしない方が良かったんじゃないか。
 サスペンス的な展開も弱い。失踪したチャールズが残した日記から、二人は「クーデターにアメリカ政府が加担していたんでは?」という疑念を濃くするんだが、そのシークエンスが映画の4/3を過ぎたあたりで登場するものだから、観ているこっちは今ひとつ事態の展開をつかめないのだ。
 第35回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞した作品ではあるが、個人的にはあまりノレない映画でした。

「ミッシング」 1982 - BookCites2022.10.22
 クーデターに巻き込まれて行方不明となった男の妻と父親が、心を一つに協力し合って必死に捜索する物語かと思いきや、二人の間には大きな溝があり、主人公である父親はわだかまりを抱えながら行動を共にしている。
 古い人間で信仰心が篤く、保守的な主人公は、若く進歩的な考えを持つ息子たち夫婦のことを元々快く思っていなかった。今回の事件も、彼らの左翼的な活動が原因ではないかと疑っている。さらに、現地の公的機関は信用できないとすでに見切った最初から関わっている妻と、まずは彼らに頼ろうとする後からやってきた主人公の間には、タイミングの違いによる温度差も生じている。それでも男を見つけ出したいという思いは同じで、一枚岩でないながらも互いに協力し合う。
 そんな二人の様子を見ていると、この映画は保守的な考えを持つ主人公が、信念を打ち砕かれていく物語のように見えてくる。連行されたとされる息子は『どんな悪いことをしていたのだ?』訊ねた主人公が、『悪いことをしないと捕まらないと思っているの?』と返され、戸惑う表情が印象的だった。
 現実を目の当たりにし信念が揺らぐ主人公を、ジャック・レモンが好演している。息子の妻と和解するシーンも感動的だ。
 (ボーガス注:息子は殺されたらしいという)悲しい結末を迎え、帰国することになった主人公たち。見送る領事館の人間らに「国がお前らを許しはしない、訴えてやる」と息巻く主人公に、この期に及んでまだ信じているのだなと、なんとも言えない気持ちになった。
 事実を基にした物語で実際はどうだったのかは知らないが、国を訴えるというマイノリティになった主人公は、きっと多数派の「保守派」に叩かれたのだろうなと想像してしまう。保守だった人間がある日を境に保守とは呼ばれなくなり、保守に叩かれるようになる*11のはよく見る光景だ。

米青年チャールズ・ホーマンの失踪事件の解明に新たな一歩2003年12月28日(木村奈保子
 皆さんは映画『ミッシング』(コスタ・ガブラス*12監督、1982年)をご存じだろうか。
 アジェンデ政権下のチリでジャーナリストとして活躍する米国青年チャールズ・ホーマンが、1973年のピノチェット軍事クーデターに巻き込まれ、『失踪』を遂げた事件、この事件をドキュメントしたトマス・ハウザー*13『チャールズ・ホーマンの処刑』を映画化したものである。ホーマンは同年9月17日に軍に拘束され、わずかその2日後には処刑されていた。映画でもホーマンの妻と父親が戒厳令下のチリで脅迫と妨害をはねのけながら必死の捜索をするが、ホーマンの死という最も悲劇的な結果に終わり、その真相は闇の中に葬られる形でジ・エンドとなっていた。
 ホーマンがなぜ殺害されなければならなかったのか、彼の殺害について許可を与えたのは誰だったのか、という真相を突き詰めて行けば、クーデターに対するアメリカの関与のドロドロとした部分が明白になるはずだ。ホーマンは単に「関与」を知ったから殺されたのではない。彼は、絶対知ってはならないこと、「民主主義」や「解放」の偽りの看板を掲げる米国がやるはずがないこと、米国民に知らされてはならないことを知ってしまったのである。それは映画でも出てくる「ミル・グループ」という米の対中南米軍事諜報工作機関である。この機関は、アメリカのラテンアメリカに対する全面的で系統的な帝国主義的な軍事的政治的介入、社会主義志向の政権や反米民族民主政権の転覆と軍事独裁政権の樹立工作等々を引き受けていた。
 歴代米政権は、米国がチリのクーデターに深く関わっていたということも、ホーマンの死について何らかのことを知っていたということも、未だに公式に認めていない。映画『ミッシング』の物語は今もなお続いているのである。

ウクライナ「最悪のシナリオは消耗戦」元国防長官が警告 | NHK2022.8.17
 ウクライナにとっての「最悪のシナリオは長期にわたる消耗戦に陥ること」と指摘する人がいます。
 アメリカのオバマ政権時に国防長官やCIA長官を務めた、レオン・パネッタ氏です。
【以下、パネッタ氏の話】
 プーチン大統領が、ここ数年の間に、アメリカとその同盟国の弱体化を嗅ぎ取ったことに疑いの余地はありません。
 プーチン氏がクリミア侵攻やシリア、リビアへの介入、そしてアメリカとその選挙システムへの大胆なサイバー攻撃といった攻撃的な行動に向かった背景にあるのは、「アメリカとその同盟国は弱い」という認識だったと私は見ています。
 なぜなら彼は一度も、その代償を支払わされてこなかったからです。
 そして、プーチン氏がウクライナへの侵略をもくろんでいた時、バイデン大統領がアフガニスタンからの軍の撤退によって求心力を低下させ、アメリカの信頼度への評価が、同盟国内でも割れていることをプーチン氏は目の当たりにしました。
 ですから、「アメリカは弱い」という認識に基づいて、プーチン氏はウクライナへの侵攻に踏み切ったのです。
 ただ、彼が予期していなかったのは、アメリカとNATOの加盟国が長い歴史の中で初めて、結束したことです。
 そして、侵攻に踏み切れば、ロシアが高い代償を支払うことになることをしっかりと明確に示したことです。
 いま起こりうる最悪のシナリオは、この戦争が長期にわたる消耗戦に陥ることです。なぜならそれはまさにプーチン氏がもくろんでいることだからです。
 プーチン氏は、アメリカとその同盟国の力を時間をかけて弱らせようとしています。そうなるのを許してはならないのです。
 私たちは強く、結束していなければならず、ウクライナがロシアを確実に押し戻せるよう、必要なあらゆる対策を講じるべきなのです。それこそが今まさにやらねばならない最も重要なことです。

米国の介入に抗したチリの闘い 武力で導入された新自由主義 血生臭い謀略と弾圧に対峙した歴史 | 長周新聞2021.12.26
 親米右派陣営の選挙資金の大半をCIAが援助するなどの内政干渉をおこなってきた米国は、CIAを通じてメディアや出版社向けに大規模な助成金を注入し、「アジェンデが勝てば、共産主義ソ連による支配が訪れる」「彼らが提供するのは血と痛みだけだ」「必要なのは自由と民主主義だ」などのキャンペーンを新聞、ラジオ、パンフレット、ポスター、ダイレクトメール、垂れ幕や壁画などを使って大量に宣伝。とくにチリが保守的なカトリック国であることから、キリスト教徒や女性をターゲットに共産主義の恐怖心を煽る作戦を展開した。
 それでもアジェンデ支持の勢いは収まらず、当時のニクソン米大統領キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官は、アジェンデの当選阻止のためにキリスト教民主党議員の買収とクーデターという謀略に着手。シュナイダー陸軍総司令官にクーデターを持ちかけるが拒否されたため、軍部の反シュナイダー派に秘密裏に資金と武器を提供して彼の殺害にまでおよんだ。当時、米国のコリー大使は「アジェンデ政権下では、ナットもボルトも一つとしてチリに入れるのを許さない。あらゆる手段を使ってチリを最低の貧困状態に陥れてやる」と豪語している。
 この米国の手段を選ばない内政干渉に対するチリ民衆の反発を背景に、アジェンデは右派候補に大差を付けて大統領に選出された。
 アジェンデ政権の発足から1973年のピノチェトによる軍事クーデターに至る過程は、それを克明に記録した長編ドキュメント映画『チリの闘い*14』(パトリシオ・グスマン監督)に詳しい。同監督は、この映画撮影のためにピノチェト独裁政権から政治犯として連行され、フィルムを守るためフランスへの亡命を余儀なくされた。
 当時、米国務長官だったキッシンジャーは自著の中で、CIAが運送業者のストに1日に1800ドルを提供したことを認めている。またニューヨークタイムズ紙の報道によれば、CIAからのスト参加者への支援金は総額500万ドルにのぼっていた。
 これに対して、アジェンデを支持する労働者たちは、「産業コルドン(地域労働者連絡会)」を組織して数百におよぶ工場や企業、鉱山や農業関係施設を管理下に置き、工場のトラックを人員輸送手段に使うことで交通網の麻痺を回避し、大多数の労働者が政府の呼びかけに呼応して生産に従事した。右派団体は街頭でストに参加しないバスやトラック運転手の襲撃をくり返したため、街頭では50万人規模の人民連合派のデモがおこなわれ、反政府ストはようやく終息を迎える。
 議会内では、キッシンジャーが莫大な援助資金を投じたキリスト教民主党が反旗を翻し、アジェンデ政権を違憲とする決議案を下院で可決させた。その政情不安に乗じて米国は攻勢を強め、国政選挙でアジェンデの弾劾に失敗すると、1973年6月にクーデター未遂事件を引き起こした。戦車6台と輸送車が大統領府(モネダ宮殿)を砲撃した。反乱軍の主謀者は米国の資金援助を受けていた陸軍の一部であり、選挙で選出された政権に対して国軍が攻撃を仕掛けた42年ぶりの事件となった。
 それでもアジェンデ政権の支持率は依然として高く、同年9月には史上最多となる約100万人の国民が首都サンティアゴに集結した。クーデター失敗を喜ぶ無数の市民で街頭が埋め尽くされるなか、人々は未遂事件を知りながら黙認していた(ピノチェトを含む)将校らを退役させる処分を求めたが、アジェンデは強権的措置をとることは現政権の合法性を脅かすとして将校らの処分を拒否。かわりに自らの政権の信任を国民投票で問うことを発表した。
 ところがそれが仇となった。国民投票実施日であった1973年9月11日、新たに陸軍司令官に就任したピノチェトを中心にした軍上層部がクーデターを実行。大統領府を包囲した反乱軍はアジェンデに辞任と国外退去を要求した。このときすでにチリ沿岸には米国の駆逐艦4隻が、反乱軍との合同作戦に参加するために接近していた。
アジェンデは、反乱軍の要求を最後まで拒否して大統領府に立てこもったが、空からはロケット弾による空爆、地上では砲撃や銃撃が入り混じる総攻撃を受け、燃えさかる大統領府の中でアジェンデは命を絶った。
 同時に、米国政府に追従したピノチェト率いる軍によってチリ国内の大衆運動は徹底的に弾圧され、街や鉱山、農地での武装抵抗はまたたく間に制圧された。数千人にのぼる市民や活動家が拘束され、チリ・スタジアム(サッカー場)に集められ、見せしめの如く銃殺された。
 中南米では現在でも「9・11」といえば、2001年の米同時多発テロではなく、民主主義が踏みにじられた1973年のチリ・クーデターのことを指す場合が多い。
 米国は同様の手法でアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにも軍事独裁政権を成立させ、多国籍企業の草刈り場にした。
 CIAが暗躍する反政府運動の弾圧は続き、チリでは90年の民政復帰までに、3000人をこえる人々が死亡や「行方不明」になり、拷問や投獄などの被害者は7万人をこえたとされる。国外に避難した人は100人あたり2人程度と見積もられている。
 あれから半世紀の時をこえて、2021年12月、チリで「新自由主義の墓場にする」ことを宣言する新大統領が誕生した。35歳の新大統領ガブリエル・ボリッチ氏を含む若い世代にも「団結した民衆は決して敗れない!」の歌声とともに、このような苛烈なたたかいの歴史が受け継がれ、南米において狂気に満ちた軍事的、経済的謀略や内政干渉をともなう新自由主義を乗りこえた新しい歴史の端緒がひらかれたことを意味している。独立と民主主義を求める人々のたたかいは、激しい弾圧と紆余曲折は避けられないが、そのたびに増していく民衆の力を押しとどめることはできないことをチリ人民のたたかいは教えている。

 『長周新聞』なんて信用しちゃダメだよ - kojitakenの日記(2009.7.21)
「長周新聞を参考文献に挙げるとそれだけで信用性をなくしますよ」(宮武嶺氏)/『長周新聞』の記事はなぜ信用できないか - kojitakenの日記(2023.7.7)というid:kojitakenや「kojitakenの類友(平たく言えば、バカでクズ)・宮武嶺」は長周新聞が嫌いなようですし、俺もこの新聞を全面肯定はしませんが「まともな内容と思う記事」はこうして紹介します(というか、多分今回が長周新聞初紹介ですが。日本人が無関心だからでしょうが、『チリクーデター50年』でググっても記事があまりヒットしないんですよね)。
 「金丸信氏を全体としては評価しなくても訪朝による第18富士山丸船長帰国は評価する」「小泉首相を全体としては評価しなくても訪朝による拉致被害者帰国を評価する」のと同じです。是々非々ということですね。
 なお、長周新聞と違い「米国帝国主義への批判意識」皆無の「米国ポチ」kojitaken(宮武もその点は同じ?)には心底呆れます。

*1:獨協大学教授。著書『アメリカの資本蓄積と社会保障』(2016年、日本評論社)、『長期停滞の資本主義』(2019年、大月書店)

*2:1973年9月のチリクーデター最中に起きたアメリカ人ジャーナリスト「チャールズ・ホーマン」失踪事件を描いたトマス・ハウザーの著書『チャールズ・ホーマンの処刑』をコスタ=ガヴラス監督が映画化した作品。アカデミー脚色賞、カンヌ国際映画祭最高賞(パルム・ドール)、主演男優賞(ジャック・レモン:「チャールズ・ホーマン」の父「エド・ホーマン」を演じた)受賞

*3:1912~2006年。シカゴ大学名誉教授。1976年、ノーベル経済学賞受賞。著書『選択の自由』(1983年、講談社文庫)、『資本主義と自由』(2008年、日経BPラシックス

*4:1924年生まれ。シカゴ大学名誉教授。著書『費用便益分析入門』(2018年、法政大学出版局

*5:1938年生まれ。クリントン政権行政管理予算局長、大統領首席補佐官、オバマ政権CIA長官、国防長官等を歴任。2019年に旭日大綬章を受章(レオン・パネッタ - Wikipedia参照)

*6:ウクライナ「最悪のシナリオは消耗戦」元国防長官が警告 | NHK(2022.8.17)などでのパネッタの物言いは「代理戦争」と言う「批判的な物言い」というよりはウクライナ戦争は単に「ウクライナの領土保全(ロシア軍の撤退)」に留まらず、「民主主義(米国陣営)VS権威主義(ロシア陣営)」であり「民主主義の勝利を目指す」という米国全面正当化論ですが。

*7:1925~2001年。1955年に『ミスタア・ロバーツ』でアカデミー助演男優賞を、1959年に『お熱いのがお好き』、1960年に『アパートの鍵貸します』でゴールデングローブ賞主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)、英国アカデミー賞主演男優賞を、1973年に『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を、1979年に『チャイナ・シンドローム』でカンヌ国際映画祭主演男優賞、英国アカデミー賞主演男優賞を、1982年に『ミッシング』でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞(ジャック・レモン - Wikipedia参照)

*8:フィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化(ブレードランナー - Wikipedia参照)

*9:1943~2022年。1982年に映画『炎のランナー』の音楽でアカデミー作曲賞を受賞(ヴァンゲリス - Wikipedia参照)

*10:1949年生まれ。1980年、実在のカントリー歌手ロレッタ・リン(1932~2022年)の生涯を描いた『歌え!ロレッタ愛のために』でアカデミー主演女優賞を受賞(シシー・スペイセク - Wikipedia参照)

*11:日本だと「今や家族会や巣くう会に裏切り者扱いされる蓮池透氏(元・家族会事務局長)」「自民支持者だった統一協会被害者(家族が入信)が自民批判を始める→自民に対する裏切り者扱い」なんてのがその一例でしょう。

*12:1933年生まれ。1969年、『Z』(1963年にギリシャで起きたグリゴリス・ランブラキス暗殺事件をモデルとしたヴァシリス・ヴァシリコスの同名小説の映画化)でアカデミー外国語映画賞カンヌ国際映画祭審査員賞を、1972年、『戒厳令』(1970年、ウルグアイでイタリア系アメリカ人のダン・アンソニー・ミトリオンが極左ゲリラグループ『トゥパマロス』によって誘拐、殺害された事件がモデル)でルイ・デリュック賞を、1982年、『ミッシング』でアカデミー脚色賞、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを、1990年、『ミュージック・ボックス』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。永年の業績に対し、1998年にルネ・クレール賞を、2019年にドノスティア賞(スペインのサン・セバスティアン国際映画祭)を受賞。『Z』、『告白』、『戒厳令』は、彼の『三部作』といわれる(3作ともイヴ・モンタン主演)。1982~1987年までシネマテーク・フランセーズの理事長を務めた。娘は『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年公開)で長編デビューした映画監督ジュリー・ガヴラス。息子のロマン・ガヴラスも映画監督(コスタ=ガヴラス - Wikipedia参照)

*13:著書『モハメド・アリ』(2005年、岩波現代文庫)、『チェルノブイリ』(共著、2011年、岩波現代文庫)等

*14:パトリシオ・グスマン監督による三部構成のドキュメンタリー映画。第一部『ブルジョワジーの叛乱』(1975年公開)、第二部『クーデター』(1976年公開)、第三部『民衆の力』(1979年公開)からなる(チリの闘い - Wikipedia参照)