今日も「カス駄犬」「クズ駄犬」「クソ駄犬」ことkojitakenに悪口する(2023年10月15日記載)

「おじいちゃんが支える岸田文雄政権」(時事通信)にも関わらず、比例投票先に立民を選ぶ人は10%を切り、維新の約7割にとどまっている - kojitakenの日記

 私が岸田だったら年内解散の意志を固めるところだ。

 勿論「kojitakenは岸田ではない」。勿論カス駄犬が言うように「内閣支持率が現状より良くなることはない」と言う悲観的見方から岸田が年内に早期解散を打つ可能性はゼロではない。
 但し一方で「内閣支持率が現状より良くなる可能性が少しでもあるなら、あらゆる手を打って上昇に努める」可能性も無論ある。
 「ガソリン補助金当面継続」「統一協会解散請求」も「支持率上昇狙い」の一つでしょうし、「今後ありうると予想される」補正予算可決もそうした手の一つでしょう。そして「解散を年明け」に持ち越す可能性も当然ある(あえて言えば「解散無しの任期満了選挙」も「絶対にない」とまでは言えない)。
 あるいは「菅おろしのような岸田おろしが起こって、いつ解散するかを決めるのはポスト岸田(従って誰がポスト岸田になるかによって状況が変化する)」と言うこともあり得る。しかし「にもかかわらず」id:kojitakenが年内解散を確定的事実のようにやたら叫ぶのは「だから泉を早く下ろせ」と言いたいからでしょう。要するに結論ありきです。「解散がなく任期満了選挙であっても、泉が代表では敗北必至」としか思えないので、結論「泉を下ろせ」自体には俺も同感ですが、だからといって結論ありきでデタラメを放言していいわけではない。というかそんなことをやればkojitakenの信頼が失われるだろうにそうした認識はどうもkojitakenにはないらしいので呆れます。まあ、既にまともな人間はkojitakenなど「信頼も評価もしてない」とは思いますが。奴を評価するのはもはや「奴の同類、類友」だけでしょう。


全体主義的な組織防衛で一貫した人が多数派である限り、日本が真に民主制社会になる日は来ない(れんれん氏のコメントより) - kojitakenの日記

 naoko氏の名前ばかり出すと個人攻撃みたいになってしまって心苦しい*1のですが、というのは私にはnaoko氏は「なんでこんな結構リベラルな人が泉健太を支持するのだろうか」と思ってしまうような人だから

 リベラルな人は泉を支持しないでしょう。「乃木神社参拝」泉は左翼どころか「穏健保守とすら言えない右翼」だからです。
 「従軍慰安婦」強制を否定/自民・民主議員ら 米紙への意見広告/批判・怒り世界から/米副大統領も「不愉快」(2007.6.24)が報じる「右翼意見広告の賛同者」には民間右翼「櫻井よしこ(国家基本問題研究所理事長)」、右翼議員「稲田朋美」「河村たかし」「西村真悟」「平沼赳夫」「松原仁」らと一緒に泉も名を連ねています。つまりは「naoko」に対するkojitakenの認識がおかしい。

 私が何があっても敗北主義には絶対に立たないことです。何があろうと勝てるチャンスがある限り、勝利への執念を捨ててはならないと思います。

 予想外の発言に驚きました。自称「反自公、反維新」でありながら「立民も共産もれいわも社民もダメだ!(ならば、どこを反自公、反維新の担い手と思うのか?)」と悪口しかせず、自分を「絶対正義」の立場に置いてるとしか思えない、そして、どう見ても「口舌の徒」にすぎず「市民連合」等、リアルな政治活動に従事しているとは思えない*2id:kojitaken*3は「彼にとってのあるべき正義」が一番大事で「勝ち負け」は最初から度外視してるかと思っていました。
 俺個人は「勝利の展望と、自分の希望する政治方向」のバランスを俺なりに取った上で「野党共闘支持&共産支持」の立場を取り、また、その立場から「壊滅的な批判(全否定的な批判)」を共産や野党共闘に対してすること*4は「現実無視」で適切でないと思って「していません*5」がそれが共産に対する支持者の「組織防衛」、「権威主義」だのkojitakenが言いたいなら「勝手に言ってろ」です。
 kojitakenのような「俺だけが正義」「俺の考えに反する連中は不正義」なんて狭量な態度はおよそ「勝利への執念」に反すると思います。俺にはおよそ彼と「彼の支持者(類友)」は理解できませんし、理解したいとも思いません。

*1:俺に対して下劣な個人攻撃をして恥じない野郎が良くも言ったモンです。

*2:「リアルな政治活動に従事していない」のは俺も同じですが。

*3:彼以外にも例えばリベラル21の老人連中もおそらくそう(野党各党に悪口するばかりでリアルな政治運動に従事してるとは思えない)でしょうが。

*4:とはいえ、実際のところ「壊滅的な批判」をしたいとまで否定的な感情を共産や野党共闘に持ったことは今までないですが

*5:勿論共産や野党共闘を評価しないならそんな配慮は不要です。またそうした配慮が行きすぎると「配慮を口実にした太鼓持ち」にしかなりませんが、とはいえ全く配慮しないわけにもいかないでしょう。