「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート89(追記・訂正あり)

■自慢話「幻の祖国に旅立った人々」はやはり無理しても出してよかった(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2273
 言ってる意味がさっぱりわかりません。『幻の祖国に旅立った人々』は三浦の著書ではなく小島晴則の著書の「はず」ですが、何で「やはり無理しても出して良かった」と「出版社の小島担当編集者でもないはず」の三浦が自慢し『尊敬する方々*1に(自著として?)贈呈』するんですかね。自慢も贈呈も小島(あるいは小島担当の編集者)がやるべき事じゃないの?。それとも「事実上三浦の著書」なのに「小島編」となってるという意味不明な話なんでしょうか。何でそう言う意味不明なことをするのかわかりませんが。

石高健次氏*2、石丸次郎氏*3川人博*4・山下敏雄・土田庄一各弁護士など、脱北者の日本定着や北の人権問題にかってから取り組んでくれた方々からの暖かいお言葉もうれしい。

 三浦ごときゲス右翼に「暖かい言葉を贈る」と言う時点で石高らがまともでないことが明白だ。特に「特定失踪者」なんて寝言に荷担する川人ら「バカウヨ弁護士」は論外。弁護士資格を剥奪して欲しいとすら思う。

自分*5は農家の二男坊で、戦時中から貧しさを体験してきた、その後、東京に出てきたときに浮浪児がたむろしているのを見て、こういう世の中の矛盾をなくさなくてはいけない、平等な社会を作るためには共産主義しかないと考えた、

でそういう人間が何で今、右翼運動に全力投球か訳がわかりません。今の日本だって生活苦にあえぐ人はいるわけでそういう人を救おうとか小島は思わないんですかね。

(注:小島氏は)後に読んだ作家の司馬遼太郎氏の、イデオロギーというのは、左右を問わず、悪い酒のようなものだ、という言葉に深くうなずかされたと述べ、イデオロギーにとらわれているときというのは悪い酒に酔っぱらっているような状態で、本人は正しいと思っているけれども、現実を全く見ないで酔った幻想を見ている状態であり、醒めてしまえば、なんと愚かなことをしたかと思い知らされる、(注:帰国事業の時の)自分はまさにそういう状態だったと語りました。

・やれやれです。今の小島は三浦らウヨ仲間とともに「極右イデオロギー」という「悪い酒」に酔ってると思うのですがご本人にその自覚はないようです。小島が『醒めてしまえば、なんと愚かなことをしたかと思い知らされる』と極右イデオロギーを反省する日は来るのか。残念ながら来ないでしょうね。もちろん三浦のようなゲス右翼にはそんな反省の日などあるわけもない。
・なお、司馬氏の本文を読まないと評価は出来ませんがもし司馬氏が「イデオロギーそれ自体」を否定してるのだとしたら間違いでしょう。「俺は右でも左でもない」という「主観的には中道のつもり」の人にありがちな勘違いと思いますが「右や左」だけがイデオロギーじゃない。「イデオロギー=物の見方」だからイデオロギーのない人間なんていません。問題は「イデオロギーを持つこと」ではなく「そのイデオロギーが間違っていないか」と絶えず懐疑的に振り返り、適切に修正する能力の有無でしょう。「言うは易く行うは難し」ですが。

寺尾氏の論法は、北朝鮮にも問題があるのではないか、まだ朝鮮戦争が終わって数年なのにそんなに発展しているのだろうか、などと質問が来ると、「もちろん北朝鮮はまだ遅れている点はある」と認めたうえで「しかし、共産主義は資本主義と比べて好不況の波がない、経済は確実かつ急速に成長する、平壌も地図が間に合わないほどの建設ラッシュだ、今は遅れているように見えても必ず近い将来資本主義国を追い抜く」と答えたといいます。100%嘘の宣伝ではなく、いくつかの真実を混ぜることで全体のウソや幻想を確実なものに見せるという、これはかなり高度なテクニックでしょう。

いやテクニックではなく主観的には「真実」だったのでしょう。もちろん「主観的に真実だから問題ない」と馬鹿な事は言いませんが勝手に「故意の嘘つき呼ばわり」するのはいかがなものか。
 故意の嘘つきはむしろ「大東亜戦争はアジア民族解放が目的」などと未だに強弁する三浦の方でしょう。


■アジア自由民主連帯協議会二周年関西記念講演会「中国の脅威とアジアの自由」
http://freeasia2011.org/japan/archives/3000
■アジア自由民主連帯協議会二周年関西記念講演会「中国の脅威とアジアの自由」(2月22日堺)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2269

 三浦が宣伝している『アジア自由民主連帯協議会』が講演会を開催するという話です(なお、三浦は協議会の理事です)
 ゲストスピーカーが「慰安婦暴言を理由にあの極右政党・維新すら除名処分にした西村眞悟」です。
 基調講演者の石平も『「日中友好」は日本を滅ぼす!:歴史が教える「脱・中国」の法則』(2005年、講談社プラスアルファ新書)、『中国大虐殺史:なぜ中国人は人殺しが好きなのか』(2007年、ビジネス社)、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(2013年、PHP新書)という反中国本を多数出版し、「南京事件否定論者」渡部昇一との対談で「南京事件は中国の捏造」と放言したという反中国バカです(ウィキペ「石平」参照)
 まったく西村や石平のごときバカをスピーカーにして何が「アジアの自由と民主主義」なのか。ただの極右集会じゃないですか。低劣な反中国暴言が吐かれるのでしょうが、正式に報告が出たら後で突っ込みます。
 なお、またこのバカウヨ集会に「ペマ・ギャルポチベット)」「イリハム・マハムティ(日本ウイグル協会会長、世界ウイグル会議副総裁(アジア太平洋担当))」、「オルホノド・ダイチン(モンゴル自由連盟党代表)」が出席するようです。連中は本当に馬鹿野郎です。

【追記】
なお、協賛団体『眞悟の会・堺』は言うまでもなく西村の後援会の一つでしょうが、『日本再生の会』も西村の後援会のようです(西村の公式サイトhttp://www.n-shingo.com/による。ただし公式サイトの記述は『日本再生同志の会』)。協議会の講演会と言うより西村の講演会に協議会が乗っかったに過ぎないように思いますね。つまり『眞悟の会・堺』『日本再生の会』主催、協議会協賛が実態でしょう。


■2月18日 神戸にて朝鮮学校問題報告会開催(救う会兵庫) 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01065
 朝鮮学校無償化除外や補助金不支給という差別的主張を正当化する差別発言炸裂のゲス集会でしょう。萩原遼が講演するそうですが、萩原もウヨの差別に荷担するとは全く落ちぶれたモンです。「朝鮮学校無償化除外」「日朝平壌宣言の破棄」などの差別的、非現実的主張をしたあげくそれに共産党が同調しないことを「北朝鮮政治体制の全面容認」であるかのように党を誹謗すればあの男が党から除名されるのも全く当然でしょう(何で共産党日朝平壌宣言支持を萩原がそう理解するか訳がわかりませんが)。何度も言いますがむしろ除名が遅すぎたくらいです。
 兵庫県や神戸市が現時点ではそういう差別に荷担していない(荷担していないですよね?)のがせめてもの救いです。


北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 結成20周年記念集会のお知らせ(2月22日大阪、3月9日東京)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01064
 詳しい報告が上がったら突っ込むことにします。
都知事選で田母神支持*6を公言する極右・三浦小太郎が副代表を務めるような」
朝鮮学校無償化除外という差別に荷担するような」
「会の公式サイトにアップしたエントリ(http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01055)で『柏崎の労組が北朝鮮拉致の共犯』というデマを垂れ流すような」
「いかれた極右団体はとっととつぶれろ」としかいいようがないですが(もちろん他にもこの会のいかれたところは山ほどあります)。id:noharra川人博萩原遼と言った「自称人権派を名乗る元左翼」も含めて会員ってのは屑揃いなんでしょう。20年前はまともだったのかもしれませんや今や完全に落ちぶれたわけです。


■河信基氏のツィート(2014年1/25)

河信基(ha-shingi) ‏
安倍は拉致問題解決を妨げている。拉致問題解決には韓国、中国の協力が不可欠だが、ヒットラーの親友を尊崇するトンデモ靖国参拝で全部ぶち壊し。論理的には、拉致問題解決のためには安倍を(注:政権から)追い出すしかない。

おっしゃるとおりです。別に拉致解決に役立ったとしても「政教分離と日韓・日中関係」の問題から「靖国参拝はやるべきではない」ですが役立たないんだから、なおさら「拉致解決を公言する安倍」がやるべき行為ではない。本来、家族会や救う会拉致議連が安倍批判すべき話ですが、「これらの団体は極右団体」でしかないのでそういう話に全くならないわけです。


■いつもながらid:noharraがゴミで屑過ぎる

朝鮮学校への支援廃止反対派は、張成澤*7一派への凄惨な粛清*8に賛成していないならそう発言しなければならない!! 

id:noharraってアホやなあ、といつもながら思う。
根拠もないのに「朝鮮学校無償化除外反対派は皆、北朝鮮シンパで張粛清を擁護してる」とでも思ってるのか、手前は。どーしよーもないバカだな。国連人権理事会やピレイ国連高等弁務官日弁連も無償化除外を批判してるって俺がバカの手前に教えてやったろうが。国連や日弁連が張の粛清を擁護してるなんて事実がどっかにあるのか?
・つうか、既に『【談話】北朝鮮張成沢氏の処刑について』(http://www.jcp.or.jp/web_info/2013/12/post-7.html)、『北朝鮮、張氏を処刑、あまりに異常かつ残忍、志位委員長が談話』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-14/2013121401_02_1.html)で「張粛清は残虐で容認できない」と北朝鮮を批判してる日本共産党が一方で朝鮮学校無償化除外について主張『高校無償化、学ぶ権利をすべての子どもに』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-11/2010031101_05_1.html) 、『日本共産党・知りたい聞きたい:朝鮮学校の無償化除外は?』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-10-03/20101003faq08_01_0.html)、『授業料無償 朝鮮学校なぜ除外、オモニ会 国連に代表派遣へ』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-26/2013042615_02_1.html)、『無償化 朝鮮学校にも、国会内で集会 国連委の勧告報告』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-01/2013060114_01_1.html)などで朝鮮学校無償化除外を「違法で不当、即時除外を辞めよ」と批判してることをどう思ってるんだ?。「それは良かったですね」で済ますなよ、カス。
 お前明らかに無償化除外批判派に「張粛清支持者」「北朝鮮シンパ」のレッテルを貼ろうとしてるだろ。手前は日本共産党にきちんと自ブログ「弯曲していく日常」(http://d.hatena.ne.jp/noharra/)だの、ツイッターhttps://twitter.com/noharra)で「日本共産党にげすな言いがかりして済みませんでした」と謝罪しろよ。
・つうか、お前の発言は
「米国のイラク攻撃を批判する奴はフセインの独裁を批判しなければならない」
「中国のチベット支配を批判する奴はダライがオウム真理教から金をもらったことを批判しなければならない」ぐらいくだらないな(他にもいろいろ例はあるだろうが)。「Aと主張する奴はBと主張しなければならない」なんて論理関係はこの場合ないだろ。ま、あるとしてもだ、別にそれは「Aが間違ってること」を全く意味しない。「Bを主張しないのはおかしい、Bと主張しろ」とは言えてもな。
 「フセイン独裁を批判しない奴が米国のイラク攻撃を批判しても」、少なくともイラク攻撃批判自体は正しいと俺は思うし、別にダライがオウム真理教から現金もらったことを批判出来ない人間だからって中国のチベット統治は批判していいんじゃねえの。正直な話、ダライ批判出来ないMukkeさんやid:noharraみたいな糞野郎が中国批判とかふざけるなとは思うが、中国批判の是非とは関係ないわな。つうかそういうことにしないとお前が「ダライのオウム真理教からの金銭受領を批判しない限り」「中国のチベット統治」を批判出来なくなるってわからないほどのバカか、id:noharra。ああ悪い、お前はバカで屑だったな。
 ちなみに俺個人は張粛清については次のように思ってる。
1)張粛清は北朝鮮の公式発表では「金正恩打倒のクーデターを計画したから」、であり少なくとも公式発表を信じる限り処刑は合法だろう。死刑反対論に立てば話は別だが、その場合批判されるのは死刑一般であり北朝鮮の張処刑に限らない(なお、死刑執行方法が残虐という批判は別途あり得る)
2)もちろんそうした北朝鮮の公式発表が正しいという保障はない
3)とはいえ正直な話、俺も北朝鮮の公式発表が正しいかどうか確認する興味もない(どうやって確認するんだ?、て問題もあるが)。確認しても拉致問題とか日朝間の諸問題の解決に役立つわけでもないし。
 間違ってれば(つうか虚偽発表なら)批判するのに当然やぶさかではないが。
 現時点では「内政問題だから日本人としてはノーコメント」が一番いい態度じゃねえの?
 なお、id:noharraがリンクしてる守る会のエントリ『虐殺者に魂捧げる朝総連 幼い子供たちまでも(統一日報記事)』(http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01063&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)には別途突っ込む。一言で言えば「お前らゲス右翼が騒いでることは朝鮮学校無償化除外の正当化理由にならない」だが。

3)俺も(注:張成沢粛清についての)北朝鮮の(注:張が金正恩打倒のクーデターを計画したので処刑したという)公式発表が正しいかどうか確認する興味もない。確認しても拉致問題とか日朝間の諸問題の解決に役立つわけでもないし。>北朝鮮人民が何人殺されようが俺の知ったことではない、とシモツカレ氏は、言い切ってしまう。

おいおい。お前と俺が問題にしてたのは「張成沢粛清をどう理解するか」って問題じゃなかったのか?。いつの間に「北朝鮮人民が何人殺されようが俺の知ったことではない」なんて話になってんだよ。お前みたいなバカと話するのは本当に疲れるぜ。

@sigesige00 氏とシモツカレ氏は「独裁者金正恩による自国民虐殺を、50年以上の持続に関わらず、問題視せず」、援護し批判者を悪質な差別者と呼ぶことが確認された

sigesige00氏はともかく*9俺は「金正恩の自国民虐殺」なんて問題については一言もコメントしてないし、俺がお前を差別者と呼ぶのは「朝鮮学校無償化除外という悪質な差別を実行して恥じない守る会の一員だから」であって、お前が言うような理由で「差別者と呼んでない」んだが。他人の主張をまともに理解してから批判しろよ。

野原は朝鮮学校への補助金に反対は、していない。総連が少中学生を、殺人者の翼賛に利用するのは罪悪であり糾弾すべきだと言っている。

前者について言えばid:noharraが「朝鮮学校への補助金反対を主張する守る会の一員」で、かつ「私は会員だが会の方針には反対だ、補助金は与えられるべきだ」などと守る会批判を何一つ言っていない以上、「反対はしていない」などというのは恥知らずな言い訳に過ぎない。こんな言い訳が許されるなら「私は自民党支持者だが特定秘密保護法案には反対だ、法案反対というアクションを何ら起こさなかったが反対だ」という醜い言い訳もOKになるだろう。
 後者について言えば余計なお世話。当時者たる在日の皆さんが考えるべき事で部外者(日本人)が何様か。
 それに、少なくとも「殺人者・昭和天皇(アジア太平洋戦争の主犯)」を戦後象徴として崇敬し、「殺人者・東条英機A級戦犯として処刑)」を英雄として祀る靖国に首相・安倍が参拝するような日本国の人間が偉そうにそういうことをほざく資格があるとは俺は全く思わない。

スターリン*10より毛沢東*11よりも先にとっくに歴史のゴミ箱に投げ込まれるべきだったのに、ちょっとした偶然で生き延びてしまったがために、北朝鮮人民の限りない不幸は続いている

言ってることが意味不明。何故かid:noharraにとっては「スターリン毛沢東」よりも金日成*12同志が気にくわないらしいがその理由は不明だ。なお、id:noharra的には「中国が毛を建国の父として顕彰してること」とは関係なく「文革で四人組*13が裁かれたこと」と「中国が改革開放を進めてること」により「毛沢東は歴史のゴミ箱に投げ込まれた」ことになってるらしい。と書いたら

中国では毛沢東はゴミ箱に放り込まれてはいませんね。

だって。おいおい、あの文章はどう見ても「毛は歴史のゴミ箱に捨てられた」としか読めないぞ。小学校から国語やり直せよ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20140116
その言い方も定着せず、国民が大被害をうけたその出来事は、公式には「先の戦争」と、婉曲な回避表現で言うことになっているようだ。

 嘘つくなっての。一番定着してるのは、未だに「太平洋戦争」だろうね。次が「アジア太平洋戦争」か。id:noharra君の「定着してる」が何を意味するのかわからないが、最近では
倉沢愛子*14ほか編『岩波講座 アジア・太平洋戦争』全8巻(2005年〜2006年)
山中恒*15アジア・太平洋戦争史:同時代人はどう見ていたか』(2005年、岩波書店
・吉田裕*16『日本近現代史6:アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)など専門書ではない一般書籍にも使われるようになっており、かなり定着したと言えるだろう。

自国の根拠*17も名指し得ないとはこっけいな国もあったものである。

 こっけいなのはデマカセはいてる手前だろ。どうせ手前みたいなゴミは生きてても社会の役にたたないんだからチベットでガソリン焼身自殺でもしてお前が大嫌いな中国に抗議でもして来いよ。  
 id:noharra君が大好きな「オウム真理教から金もらって恥じない」ダライラマも中国が叩けて大喜びだろ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20140116#c
であるとすれば、「対米国戦争」とだけ思い込みたい=「対中国(+アジア諸国反日派)*18戦争」という面を無視したい、という歴史修正主義の恥ずかしい国家ですね。

・太平洋戦争と呼ぶ人間だって「インパール作戦」とか「太平洋以外でおこわなれた戦争」位知ってるだろうし、それを否定する気はないだろ。
単に「太平洋戦争という用語が一番普及してる」というだけで根拠もない妄想吐くなよ。しかも俺は「アジア太平洋戦争」と言う用語も最近は普及していると書いただろうが。
・つうか歴史修正主義者(河野談話否定派)「三浦小太郎」が副代表の,守る会にいて三浦批判を何一つしない癖に「歴史修正主義の恥ずかしい国家」とかほざくなよ。手前は三浦批判一つ出来ない分際で歴史修正主義批判者面か。恥を知れよ。


■虐殺者に魂捧げる朝総連 幼い子供たちまでも(統一日報記事) 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01063&utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
 マジでくだらない。そんなことが朝鮮学校無償化除外の正当化理由になるわけがあるまい。日本人として本当に恥ずかしい。俺はこういう差別に憤りを感じないような奴(例:id:noharra)はマジで同胞(同じ日本人)とは認めたくない。差別を容認することは絶対に自分に「被害として」返ってくることだろう(いわゆるニーメラーがどうとか言う話)。つうか俺は人間として差別に荷担する恥知らずでいたくない。id:noharraのようなチンカス野郎と違って俺には差別や不正に恥を感じるそれなりのプライドもあれば美意識もある。
 そして「虐殺者・昭和天皇(アジア太平洋戦争の主犯)」を「戦後象徴として崇敬し続けた」日本政府・日本社会とか、「虐殺者・東条英機A級戦犯として絞首刑)」を「英雄として合祀する靖国神社」と「そこに参拝する安倍首相」をどう思うか、三浦は言ってみろと言いたい。俺なんか「昭和天皇病気時の異常な自粛騒動」「東条の英霊化(靖国合祀)」とか考えたら恥ずかしくて三浦みたいなこんな馬鹿な事は言えないぜ。

【追記】

sigesige00
@noharra @BridgeoverTrobl @han_org (注:id:noharraは)いいかげん(注:私、sigesige00を)疲れさせるのをやめてほしいですが…まず在日朝鮮学生少年芸術団の活動は朝鮮学校の活動ではない。学校の放課後にテコンドー教室を開くのと同じ、別の活動である。

 なるほど。うかつにも気付いていませんでしたが重要な指摘ですね。ま、朝鮮学校の活動だとしても偉そうに部外者がどうこう言う事ではないと思うし、ましてやそんな事は無償化除外などの差別を正当化しませんが。


■小島晴則編「幻の祖国に旅立った人々」(高木書房)1月27日発売予定ですhttp://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01062

当時これに反対したのは、韓国政府及び民団、そしてごく一部の日本国内の民族派だけ

 自慢か、カス野郎。そもそも何故「帰国事業に多くの在日が応じたか」を考えれば当時の韓国政府や民団、右翼(民族派とかかっこつけてるんじゃねえ、正直に右翼と名乗れ)に「俺達は帰国事業に反対した」などと自慢する資格は全くない。
 「在日が帰国事業に応じた理由」、それは「日本の在日差別が酷く」かつ「韓国政府がそうした在日に対し『つらかったら我が国に帰国しなさい』などとは言わなかったから」ではないか。
 「当時の韓国政府や民団、右翼」が帰国事業に反対したのは「帰国した場合の在日の人権を危惧したから」ではない。「帰国事業に多くの人間が応じ、アンチ北朝鮮の自分らの面子が丸つぶれになること」や「帰国者によって北朝鮮が発展することを恐れたから」ではないか。
 「当時の韓国政府や民団、右翼」は「在日の人権に配慮したわけではない」から彼らは「在日差別をなくそうともしなかった」し、「韓国に帰国したければしなさい」とも言わなかった。それでよくもまあ自慢が出来るもんだと心底三浦らバカウヨを軽蔑する。


下村博文文部科学大臣記者会見録(平成26年1月7日)
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1343111.htm
 文科省サイトのキーワードに『朝鮮学校高校授業料無償化』とあるので何らかの発言がされたようです。下村の不愉快な暴言(まあ、100パー朝鮮学校への不当な暴言でしょう)をわざわざ動画で聞いて自分で文字起こしする気になりませんので、文科省が正式な文字起こしを掲載した時点で、引用の上、コメントしたいと思います。

【2014年1/11追記】
文字起こしが乗ったので引用してコメントします。

記者)
 先ほど、この1年間を、就任当初のことから振り返ってお話をされていましたが、最初に大臣がやられたお仕事が、朝鮮学校の高校無償化適用除外について省令を改定するという記者会見をされました。それで、この間、国連の社会権規約委員会とか全国の弁護士会、それから、各市民団体等からも、これは民族の教育権を奪う人権侵害ではないかという議論もありますし、訴訟も起こっています。毎週金曜日には、朝鮮学校の高校生たちとか大学生が文科省前で、民族の歴史や文化、言葉を学ぶ権利を奪わないでほしいというデモンストレーションをやっていますが、そういった行動については、大臣はどの程度御存じなのでしょうか。
大臣)
 まず、朝鮮学校については、朝鮮総連と密接な関係があり、教育内容、それから人事、財政にその影響が及んでいることなどから、「法令に基づく学校の適正な運営」という指定基準に適合するということには当てはまらないということが1点。

・動画に寄ればこの記者はフリージャーナリストの西中氏。動画を視聴すると、西中氏が「フリージャーナリストの西中と申します」と言うのが聞こえるが何故か文科省文字起こしではそうした名乗り上げは一切文字起こしされない。名乗り上げまで、文字起こししてる官庁もあるのだが。
・しかしこういう質問はフリーランスでないと出ないのが今の日本なのか。「会社所属ジャーナリスト」はそういう質問をしないのか。
・西中氏のようなフリージャーナリストも質問するようになったのは「民主党政権の功績」と認識してるがそれでいいんでしたっけ?。
・「フリージャーナリスト、西中」でググったらヒットした「西中誠一郎氏」(ツイッターhttps://twitter.com/NISHIDEB)が質問をした西中氏だろう。
・下村にはやれやれですね。朝鮮総連とつながりがあれば差別していいと公言できる下村の脳みそはさっぱり理解できません。

それから、省令改正により指定の根拠となる規定を削除した。このことによって、昨年2月20日付けで不指定処分を行ったということで、この処分を変更する予定はありません。
 そして、朝鮮高校の高校無償化に関する不指定処分が差別ではないかというお話でありましたが、これは先ほど申し上げたように、朝鮮学校朝鮮総連と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響を及ぼしているという、そういう意味での法令に基づく学校の適正な運営という指定基準に適合していないというふうに判断したわけであります。そもそも、学校教育法の第1条になる高校を目指す、つまり、それは朝鮮学校都道府県知事の認可を受けてということでありますから、そうすれば、これはすぐそのまま対象になります。

 ばかばかしいですね。「1条校になれば対象になるから差別じゃない」なんて公言できる下村の脳みそはさっぱり理解できません。まあ、そもそも「申請したとして1条校に認定するかどうか」「認定されたとして詭弁で無償化除外しないかどうか」何の保障もないわけですが。

それからまた、北朝鮮との国交が回復すれば、現行制度で審査の対象となり得るわけです。

やれやれです。台湾と国交がなくても台湾系学校は確か無償化対象ですし、「国交の樹立」などという学校にどうにも出来ないことを持ち出すことが不当だとは思わないんでしょうか。
 もちろん「国交樹立されたからといって」当然に無償化対象に下村がする保障もどこにもない。

ですから、学校教育法第1条に定める学校に自ら転換する、日本の教育制度の下で、しかし、一方で独立性を生かしながら学校運営をするというふうに方向転換してもらえば、これは対象になることでもあるわけでありまして、そうしないということで、自ら今、朝鮮学校が位置付けを行っているということについては、これは我が国の法制度下において、現在、今申し上げたようなことで対象としていないということで、これは差別には全く当てはまらないというふうに申し上げたいと思います。

どう詭弁を吐いたところで差別は差別です。

記者)
 とはいいましても、朝鮮学校は歴史的に1条校ではなく、各種学校という扱いでずっとやってきたということもありますし、そういった外国人学校も、ほかにもあるわけです。やはり今、グローバル化とか、100年に一度という教育のチャンスだというお話がありましたが、朝鮮学校の卒業生が果たした役割は、この間、韓流ブームを含めて非常に大きいと思うのですけれども、今までの過去の評価について、地方自治体の関係も、今、壊れつつあるわけですが、その辺の今の状況について、大臣はどのようにお考えでしょうか。

 
 産経的な考えからの質問ではなく「差別許すまじ」という良識からの質問であることがはっきりと伺えます。

大臣)
 二つありまして、一つは、朝鮮人の方々の子弟全員が朝鮮学校に行っているかというと、実際は、多分1割近くしか行っていないというふうに思います。

ばかばかしい。そんなことが差別の正当化理由になると本気で思ってるんでしょうか。この理屈だと「入学者が少なければ韓国学校や華僑学校など他の外国人学校も対象外にしてOK」ということにもなりかねません。

一緒に日本社会の中で共生していくという意味で、朝鮮学校ではなくて日本のほかの学校に行っているという事例が圧倒的なわけです。ですから、ほかの民族学校と違って、特に朝鮮学校というのは、非常に朝鮮総連の影響下にある、そういう特殊下にある位置付けであるということが一つあるわけで、これは朝鮮人の方々の子弟が選択の中の一つとして位置付けているということです。
 ですから、そういう政治的な介入ではないかと思われるような位置付けである朝鮮学校というのは、今申し上げたように、日本の学校教育法第1条校には当てはまらない。ですから、例えば韓国系の学校がそのことによって、今、日本の学校教育法第1条校に位置付けた、そういう学校に変わっているところもあります。ですから、そういう選択肢はあり得るのです。
 するかしないかは、朝鮮学校の判断ということになってくるわけですし、また、その中で、もう一つは、国交が正常化すれば、これは、今言われたようなほかの民族学校と同等に扱うということもできるという意味での、我が国と北朝鮮の今における国交が樹立していない、そういう問題点があるわけであって、これは拉致問題等、政治的な問題が解決しない限りは、なかなかそれは解決するということにはつながらないということで、これは外交問題であるし、政治問題に関係することでありますが、少なくとも、日本に生まれた子供たちについて、日本で学びたいという子供に対しては、チャンス、可能性が提供できるような、そういう教育システムであることは事実ですから、差別ということには全く当てはまらないことであるというふうに申し上げたいと思います。

 何度も言いますが下村がどう強弁しようと差別は差別です。


■守る会関東支部学習会のお知らせ(1月25日)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01060

韓国は今内戦状態にある

 まあくだらないですね。何が内戦状態かといえば北朝鮮を巡る政策論です。俺の理解では
1)武力を使ってでも北朝鮮打倒せよ、と唱える極右
2)北朝鮮に対して批判的で、太陽政策ほど融和的ではないが、1)ほど危なくはなく、基本的に外交での解決を目指す(朴クネ大統領ら与党)
3)北朝鮮べったりではないが、朴政権の態度を批判し、金大中盧武鉉政権の太陽政策復権を唱える(金大中盧武鉉政権の流れをくむ野党)
4)北朝鮮べったりの極左
といったところが、韓国の状況でしょう。
 で、まあ1)や4)は少数派で、主流は2)と3)の争いの訳です。もちろん「2」も「3」も細かいバリエーションがあるでしょうけど。
 で三浦ら守る会一味がつるんでるのは1)であり、そうした極右連中は「3」を「4」だと誹謗中傷するし、「2」についても「なぜ俺達1を支持しない」と悪口雑言するという馬鹿話です。「1」なんか支持できるわけがないでしょう。どっちにしろそれのどこが内戦なんでしょうか。


■今年は1854年クリミア戦争ナイチンゲールが従軍し160周年(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2221

1854年、今から160年前、日米和親条約が結ばれ、吉田松陰はペリーの黒船に乗り込もうとして拒否されました。今の日米関係やアジア情勢を思うと意義深いものを感じます。

 何が意義深いんだかさっぱりわかりませんね。もっと鮮明な文で書けばいいのに。

 私がナイチンゲールという人に興味を持ったのは3年程前、福田和也氏の「超・偉人伝」(新潮文庫)という実に面白い(これは福田氏の知識はもちろんだが、聴き手の「おばはん編集長」の並々ならぬ才覚も度量も感じさせる一冊で、とにかく面白いからお読みになることをおすすめする)本でした。

 お仲間ウヨの駄本を宣伝せずにはいられないところがウヨの三浦らしい。「ウヨではない」斎藤美奈子の『紅一点論』(2001年、ちくま文庫)なんかは紹介されないわけです(読んだことはありませんが斉藤本でも「統計学者としてのナイチンゲール」について言及があるようです)。

 これは「大人のための偉人伝」(木原武一著、新潮社)で出てくるエピソードですが、イタリア統一の英雄ガリバルディに会って少し話しただけで「この人全然実務能力がない」と切り捨てるところは、厳しいけど全くその通り

 この三浦の文章では具体性がなくて何とも評価のしようがありませんね。イタリア統一戦争において軍司令官として活躍してるガリバルディのどこがナイチンゲールにとって「実務能力がない」んでしょうか。「軍人としての能力はあるが平時の政治家の能力はない」と言う意味なのか、「軍人としても能力があるか疑問、彼はカリスマとして軍を率いたが軍事作戦は彼の功績ではなく部下の功績」と言う意味なのか。
 なお、統計学者としてのナイチンゲールについてはググって見つけた、以下を紹介しておきます。

東京理科大学フローレンス・ナイチンゲールは優れた統計家でした』
http://www.tus.ac.jp/madonna/mame/mame1.html
・統計研修所『ナイチンゲールと統計』
http://www.stat.go.jp/training/6kouryu/m15-1.htm
・統計エピソード集『ナイチンゲールと統計』
http://www.stat.go.jp/teacher/c2epi3.htm


 ちなみに「統計エピソード集」はなかなか面白いので他にもいくつか紹介しておきましょう。
・統計エピソード集
アメリカ大統領選挙の番狂わせ(前編)〜 標本調査における偏り1』
http://www.stat.go.jp/teacher/c2epi4a.htm
アメリカ大統領選挙の番狂わせ(後編)〜 標本調査における偏り2』
http://www.stat.go.jp/teacher/c2epi4b.htm


やしきたかじん氏 新たな「地方の時代」の先駆者 (三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2213
 三浦がウヨ仲間のやしきたかじんに気持ち悪くなる仲間褒め、よいしょをしているだけの駄文です。
 単なる一タレントに過ぎないたかじんの何が『新たな「地方の時代」の先駆者』なんでしょうか。
 大体三浦の文章にはどこにも「地方の時代」云々なんて内容は書いてありません。書いてあることは単に「たかじんが大阪で人気があった」と言うことに過ぎません。
 たかじんがいかに酷い人間であるかはたとえばkojitakenの日記『やしきたかじん死亡: あの「極右番組」の司会者』(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140108/1389108341)、『ああ、また「たかじん」の極右番組か(呆)』(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131023/1382485951)をご覧下さい(他にも探せばたかじん批判記事はいくらでもあるでしょう)。自らが司会を務める番組で「南京事件否定論」「河野談話否定論」などの極右暴論を垂れ流すバカ極右がたかじんであり、まともな人間ならたかじんを手放しでたたえたりはしないでしょう。ましてや三浦は自称とは言え「人権活動家」です。人権活動家がたかじんの問題点を批判せず手放しで絶賛。これだけで三浦が「たかじんと同レベルの極右であること」がわかります。
 まあ、三浦は他にも「チャンネル桜の常連出演者」「極右雑誌(月刊正論、月刊日本ジャパニズムなど)の常連寄稿者」という「極右以外何物でもない行動」を山のようにしていますので、「人権派ぶってる」三浦の本性が「田母神や西村眞悟」と同レベルというのはよほどのバカでない限りわかる話ですが。そんな男を「会副代表」にして恥じない「守る会会員ども(id:noharra萩原遼川人博など)」には心底呆れます。id:noharraらも当然、「極右たかじんを褒める極右・三浦」同様、「南京事件否定論河野談話否定論」を何とも思わない極右なのでしょう。
 三浦のアホ文章にも突っ込んでみましょう。

よかれあしかれテレビというメディアは政治であれ芸能人スキャンダルであれ同じレベルの娯楽にしてしまう宿命を持っているのだから、有意義な討論とかはもともと無理なのだと思う。

 言ってることが無茶苦茶ですね。そんな事でたかじんの極右番組が正当化出来るわけがないでしょう。政治番組だって「NHK日曜討論」「田原総一朗サンデープロジェクトテレビ朝日)」などたかじんの番組と比べてずっとまともな番組は山ほどあるわけです。
 さすがの三浦も「たかじん番組は有益」とはいえないものの「ウヨとして何とか擁護しようとして」「でも面白いからいいじゃないか」とここまでとんちんかんな事を言うのは醜悪の極みです。つうかこの理屈だと「三浦が出演するチャンネル桜の討論番組」も『有意義な討論ではない→見る価値もない』ということになりますが、それで三浦はいいんでしょうか?。ま、そう皮肉を言われたら「ああでもないこうでもない」と詭弁がでるんでしょうけど。

たとえば正直、今古舘アナウンサーとかをテレビ朝日のニュースで観ていると痛々しいのは、彼が娯楽や、かってのプロレスを中継していたときの面白さを自らが政治を語るとき封印してしまう、もしくは封印せざるを得ないこと

 何がどう「痛々しい」んですかね。ニュース番組でプロレス中継のような「燃える闘魂!、アントニオ猪木!」のようなしゃべりができるわけないでしょう。視聴者が「ふざけてるのか!」と怒り出しますよ。TPOをわきまえたしゃべりをすることは何らおかしな事でも痛々しいことでもない。
 「ニュース番組に求められる面白さ」というのはそういうものではない。古舘氏のニュース報道をどう評価するにせよ、三浦のようなとんちんかんな人は普通いないでしょう。
 古舘氏の前任者・久米宏だって「ニュースステーション」と「ザ・ベストテンのような娯楽番組」ではトーンは違うわけです。 
 お笑い芸人だって「まじめさが求められる番組」ではまじめに振る舞うわけです(例:NHK「ウオッチング」「ブラタモリ」でのタモリ。「笑っていいとも」での振る舞いとは明らかに違うでしょう)。
 もしたかじんが「政治番組をプロレス化していた(三浦はそう認識した上でたかじんを褒めているようですが)」のならそれは褒められることではなくむしろ非難されることでしょう。政治とはそういうおちゃらけていいものではない。そういうやり方でしかたかじんが「政治番組をできなかったのなら」たかじんがTPOをわきまえることが出来ないバカだと言うだけです。たとえば葬式には葬式の、結婚式には結婚式のTPOが求められます。そういう式にフォーマルな服ではなく「アロハシャツ」ででも登場したら確実に非難されるでしょう。たかじんがやったのはそういう愚行に過ぎません。
 

私がたかじんさんを初めて聴いたのは、彼にとって屈辱でしかなかっただろう、ガンダムの映画主題曲でした。

 ウィキペ「砂の十字架」*19によればこの時期のたかじんは歌手として鳴かず飛ばずで、やりたくてやった仕事ではなかった。
 また、たかじんが、アニメ主題歌を歌謡曲より格下に見ていたこと*20に加え
1)レコードカバーに「たかじんの写真がなくアニメ主人公アムロ・レイの写真」ということ
2)アニメ作者の富野由悠季谷村新司の歌唱を希望したがそれがかなわず*21ファンでも何でもないたかじんになったため、たかじんへの態度は冷淡だった
ということでたかじんは相当不満だったらしい。

【追記】
1)三浦がたかじんの番組を好意的に評価したらウヨがコメ欄に登場。

播磨真悟
 三浦先生、たかじんさんの論評有り難うございます。
(中略)
田母神さんを最初に出演させたのも『そこまで言って委員会』であり、南京大虐殺の偽写真を最初にTVで暴いた*22のも『そこまで言って委員会』です。

 この「バカウヨ」播磨のコメントで皮肉にも「いかにたかじんの番組が酷いか」がよくわかりますね。
 この播磨のコメントに三浦はどう答えるかといったら、無視するか「適当な回答でごまかすか」どっちかでしょう。さすがに播磨に調子を合わせて「南京大虐殺否定論」や「田母神のコミンテルン陰謀論」を支持はしないでしょう。勿論ウヨとして「南京大虐殺否定論」「田母神のコミンテルン陰謀論」を批判することも三浦はしないし、それによって三浦が「所詮、田母神と同レベルのゲス右翼」と言うことは明白ですが【追記:「頑張れ日本の集会でお会いした」という小野正生なるウヨ人士のコメント『確かにスターチルドレン*23いいですよねえ』には『そうですよね』と応じる三浦ですが、播磨は予想通り完全無視です。三浦も実にわかりやすい性格してます】。
 自称「河野談話支持者」のid:noharraもよく三浦のようなゲス右翼が副代表の「守る会」に入会し続けられるものです。ま、そういう態度によってid:noharraの「河野談話支持」と言う言葉が「虚言であること」が明白ですが。でここまで俺に批判されても「俺の突っ込みを無視し続けること」しかできない卑怯者がid:noharraです。


■石川時事評論に「良書紹介」コラム書きました(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2208
 なお、「石川時事評論」は間違いで「時事評論石川」が正しいようです。ゲス右翼・三浦が寄稿する雑誌と言う事で見当がつきますがやはりゲス右翼雑誌のようです。つうか

かって月曜評論という優れたミニコミを出していた中澤茂和氏が、現在も「石川時事評論」という評論紙を定期的に発行しています。

ですからね。「月曜評論」というのはご存じの方もいるでしょうが「南京大虐殺中共のデマ」だの「河野談話はデマ」だの叫ぶ「正論」や「諸君」「ウィル」のお仲間雑誌(極右デマ雑誌)です。そんな雑誌を「優れたミニコミ」と言えるのだから三浦のゲス右翼ぶりも半端ではないですね。こんなゲス右翼・三浦を副代表に担ぎながら「人権団体面」できるバカの集団が「守る会」であり、そんな恥ずかしい団体の会員をやってるバカがid:noharraや「昔は左翼だったはずの」萩原遼川人博の訳です。

長谷川三千子「神やぶれたまわず」(中央公論新社

 長谷川というのは「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会発起人」「日本会議代表委員」で安倍のプッシュでNHK経営委員に就任した札付きの極右です。
 ちなみに長谷川がいかに異常な人間であるかについては以下を参照して下さい。

はてなブックマーク長谷川三千子「【正論】年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す」』
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/economy/news/140106/fnc14010603200000-n1.htm
 「少子化の原因は女性が外で働くからだby長谷川」という低能きわまりないアンチフェミ主張です。
 小生も

「女が外で働くなどとんでもないこと、だから結婚率も出生率も下がって少子化になる」「フェミが諸悪の根源」といういつもの産経クオリティ。いや少子化ってそういう話じゃないから

と言うブクマをつけました。
 小生以外もほとんどのブクマが「日本に比べ女性が社会進出しているヨーロッパ諸国(例:北欧)は日本より出生率が高いけど」「単にフェミ嫌いのウヨが因縁つけてるだけ」などという主旨の長谷川批判ブクマをしていますが、まあ、長谷川とはそういう馬鹿野郎です。
 そんな低能極右・長谷川を「低能極右雑誌・時事評論石川」において「良書の書き手」ともちあげる低能極右バカが三浦で「そんな三浦を副代表にして」恥じないバカ右翼の集団が「守る会」。でそんなバカ右翼団体に所属するバカ右翼の分際で「安倍の靖国参拝が許せない」など左翼ぶって「心にもない虚言」を吐くバカがid:noharraです。だったら手前は安倍信者・三浦小太郎が役員を務める「守る会」なんかとっとと脱会しろよ、id:noharra

福祉制度や医療保険なくしては生きていけない現状は、近代国家により私たちが完全に支配されてしまったことの結果なのだ。

 こういうバカ発言はやめて欲しいですね。まるで「前近代は相互扶助でうまくいっていた」と言いたげですがそんなことはないでしょう。そして「福祉制度や医療保険」は「租税」で成り立っているのだから「現代版相互扶助」でしょう。「支配」云々と否定的に理解するようなもんではない。
 もちろん「福祉ボランティア」のような「民間相互扶助」でもいいんですけどね。国家による福祉を全部「民間相互扶助」に置き換えるというわけにはいかないでしょう。

 漫画作品の傑作を挙げたい。講談社週刊モーニング」2013年10月17日号に、福島第一原発で実際に作業員として働いていた竜田一人による「いちえふ 福島第一原子力発電所案内記」という漫画が掲載された。著者は地震当時、仕事がなかったこともあり進んで福島第一原発での作業員に応募した。「今回の事故について放射線について自分なりに調べてみれば、一部のマスコミや市民団体が騒ぐほどではないと分かったし、彼らの言う福島の隠された事実みたいなものがあるとしたらそれを観て来てやろうじゃないかぐらいの気分になっていた」というセリフは、著者の冷静な視点と、表現者としての覚悟が伝わってくる。

 長谷川の話からなんでそういう方向に脱線するのかさっぱりわからないがそれはさておき。
 小生は竜田作品を読んだことがない。当然、竜田作品を読まないと何とも評価出来ないが「原発推進派の一人・三浦」が「竜田作品」をネタに「福島原発事故被害を過小評価したい」ことだけは三浦の文章でよくわかる(なお,竜田は「一原発労働者」に過ぎない以上、三浦が言うように「福島事故はたいしたことない」と彼が評価していたとしても、その認識が正しいという保障は勿論ない。読まないと何とも言えないが三浦の評価するような作品なら竜田と週刊モーニング編集部は「原発事故過小評価」を助長して恥じないその見識のなさを批判されて当然と思う。もちろん逆に三浦の評価が竜田作品の曲解であるなら三浦は竜田やモーニング編集部に大いに批判されてしかるべきだろう)。
 こんな「福島事故過小評価」を企む男・「原発推進派」三浦が副代表を務める「守る会」に入りながら「脱原発派」ぶれるid:noharraは「悪質な言論詐欺師」としか言いようがない。三浦のこうした言動はid:noharraの「脱原発」と言う立場とは明らかに矛盾するだろう(もちろんこういう問いかけをしても卑劣なid:noharraがいつも小生を無視し続けることはいうまでもない。どうすれば人間、あそこまで卑劣になれるのかid:noharraに教えて欲しい物だ)。
 ちなみに原発事故を扱った作品としては小生も知ってる物では、山本おさむ『今日もいい天気』赤旗日曜版に連載された、現在、双葉社アクションコミックスより発売)があるが、三浦が山本漫画をどう評価するか聞きたいものだ(原発推進派として三浦は、原発に批判的な山本漫画を悪口雑言か無視だろうとおおよそ予想がつくが)。
 なお、山本漫画については小生の過去エントリ及び、いくつかのエントリを紹介しておく。

参考
拙エントリ
『今日のしんぶん赤旗紹介(3/11分) (追記・訂正あり)』
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20120311/2504978316
紙屋研究所山本おさむ「今日もいい天気」』
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130220/1361297246

当時書かれた幾つかのデマにも的確に反論している。

というなら竜田の指摘するデマとは具体的に何か、三浦ははっきり書いたらどうなんですかね。
おそらく
1)「曖昧に書くことによって、原発推進派に対する批判全てがデマであるかのように三浦が印象操作しようとしてる」
2)「竜田による『デマ』という非難こそが『デマ』である」
のどちらかなんでしょうけど。

漫画最終部で、「警戒区名物 放れ牛」こと、牧場から抜け出した和牛が元気に増えていることを描く著者の「ほかの動植物も同様だ、彼らはこの禁断の地でむしろ自由にたくましく生きている」という言葉は胸に来るものがある。

「たくましく生きてる」とかいうその和牛は食えるのか*24と聞きたくなりますね。おそらく残留放射能で食えないんでしょうが。どこが「胸に来る話」なんでしょうか。

最後に、これは2010年に出版されたものだが、「パル判事」中里成章著、岩波書店を紹介する。

 長谷川の話からなんでそういう方向に脱線するのか、何故今頃4年前の本に因縁をつけるのかわからないがそれはさておき。
 この本、アマゾンレビューに寄れば「パルをネタに日本の侵略戦争を正当化するバカ右翼への批判本」らしい。要するに「パルの意見はインドの主流では全然ないし、そもそもパルはあのチャンドラ・ボース支持者だったので、中立・客観的な意見とは見なせない」という話だ。
 当然「パルをネタに日本の侵略戦争を正当化するバカ右翼」の一人・三浦は中里本への低能な悪口雑言しか書かない。三浦にとっては「とにかくパルをネタに日本の侵略戦争を正当化する輩」だけ、ただそれだけが「すばらしいパル評価」なのだ。
 こういう低能極右・三浦を「副代表」に担げる守る会の面子(例:id:noharra)には心底呆れる。
 最後に三浦が悪口雑言する中里本の「まともな書評」をアマゾンレビューその他から紹介する。
 中里本を読まずとも、これらのまともな書評を読むだけで三浦の「中里本への悪口雑言」が「デマをばらされた事への右翼の逆ギレ」で「言いがかり、詭弁」であることがわかるだろう。つうことで三浦の中里本への悪口雑言文章にはこれ以上突っ込みません。
 こんなゲス右翼・三浦を副代表に恥じない「守る会」の面子(id:noharra萩原遼川人博など)にはおよそ誠実さも知性もないのだろう。反論があるなら何とか言ってみろよ、id:noharra。都合の悪いときは黙りしかできないヘタレ野郎。

【エントリ】

http://blog.goo.ne.jp/karltosakura/e/ad6f460702dae98aa4b6965a63067760
 「パル判事」を読了。パルは日本の生きのこった戦犯どもに利用された。それだけではなく、本人もそれに悪乗りした。「勝者の裁判だ!」。確かに。それでは日本政府が自ら裁いたか。日本人の手によって裁けたか。大東亜の新秩序?それは日本がヨーロッパに代わって、支配し植民地とすること。その隠れみのの美句にすぎない。満州国の溥儀皇帝を、アジア一帯に作る策略だ。その策略で手を血に染めた岸を筆頭とする連中が、パルを担ぎ宣伝した。自らの罪を隠すために。パルがガンジーネルーを持ちだすのは滑稽だ。神話はたしかに創作されるものだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/kenpougyouseihouminpou/35857294.html
とりあえず、私が読み取った要点を箇条書きすれば、
1 職業は弁護士。刑事事件はあまり扱ったことはなく、専門は所得税法であった。
2 裁判官には、非常勤の代行として2回、計2年2か月のみ、臨時に就いたことがある。
3 同時にカルカッタ大学教授であった。専門はインド法制史であり、国際法や刑事法ではない。
4 国際法に関する論文や研究は、東京裁判とその周辺に関する一点のみである。
5 カルカッタ大学の副学長を1期2年間務めた。
 満了により終任しており、東京裁判判事に任命されたから辞職したということではない。
6 東京裁判選任は緊急で行われ、インドの多数の高裁判事に依頼を出したところ、はじめに承諾したのがパルであったため選任された。
 政府から個別の要請を受けたわけではない。
 むしろ非常勤であるため、平時なら候補に入ったとは考えづらい。
7 どちらかというと、ボースら急進派との接点が多く、ガンディーら穏健派との接触や共感を示すものは見当たらない。
8 ネルー*25らとも格別の親交はない。会議派とは、原則として主義や党派が異なる。
9 死刑反対論者である。
10 晩年は国連国際法委員を長く務めたが、東京裁判と同様に一貫して独自の持論を展開した。
 そもそも西欧発祥の国際法というものに懐疑的であり、議題や議決のほとんどに反発した。
11 晩年,ガンディーやネルー,非武装平和主義などにも言及したが、特に深い思索・研究に基づいて発言したという証跡は見られない。
 そのため、東京裁判意見書とも不整合を生じている。

http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etc5/syohyou294.html
 パルは著書から見てもヒンズー法史の学者であって、国際法は全く研究したことはなかった。パルは国際法の業績があったから東京裁判の判事に任命されたのではない。事実は正反対で東京裁判に加わってから国際法を勉強したのである。
(中略)
 パルはインド政府と協議して意見書をまとめたのではない。インド政府外務省のメノン次官は「彼が表明した見解は彼自身のものであって、インド政府のものではない」と覚書を発表した。
(中略)
 パルの意見書は奇妙な政治性が支配している。それは中国に対する態度に明確に現れた。「中国が内乱によって絶望的に無政府状態に巻き込まれたとき、その国民は国際法の保護を得るのは極めて難しい」という。そして「1937年の国共合作が日本の対中国戦争を誘発した」と因果関係を全く逆転した見方をしている。そして極めつけは中国が日本への抵抗運動として日貨排斥運動をおこしたことを「このような国際的ボイコットはまさに国際的不法行為である」とまでいうのである。日本は民主国家で中国は国家の態をなしていないから侵略してもかまわないという帝国主義的見解をパルが堂々と述べている。満州事変のキッカケをなした1931年9月の柳条湖事件をパルは「中国によって画策されたという日本の仮説を支持する」と事実認定を誤った。そして中国における日本の行為は自衛戦争であるという。パルは共産主義と戦う行為は正義であると頭から決めているようだ。パルの植民地主義帝国主義批判は連合国をけん制して日本を擁護するために持ち出された屁理屈で、「泥棒に泥棒を裁く資格はない」ということである。パルは欧米に対する日本とい図式でしか世界を見ていない。アジアにおける対立軸から目をそらしている。日本軍国主義と西欧植民地主義を連動させ、西欧批判でもって日本軍国主義を正当化できるとみたところに、パル意見書の基本的問題点があった。連合国側のパル意見書に対する反応はなく、戦犯の死刑が執行されると、パル意見書は東京裁判そのものとともに徐々に歴史から消え去った。
(中略)
 1966年パルを(注:日本に)招待する計画が持ち上がった。
(中略)
 岸信介*26が500万円を用意した。清瀬一郎*27が羽田に迎え、石井光次郎*28(注:佐藤内閣)法務大臣の推薦で日本大学名誉博士号を授与された。岸信介清瀬一郎の申請でパルに勲一等瑞宝章が贈られた。パル訪日を取り仕切ったのは岸信介であり、パルを真理と正義のためには巨大な欧米の権力に屈しない硬骨の人というイメージを作り上げ、叙勲することで日本の保守的なエスタブリッシュメントの世界に取り込むことであった。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2011/03/post_212.html
 著者、中里成章は、ベンガル史研究者である。日本と縁の深い3人のインド人(ラシュ・ビハリ・ボース*29、スバス・チャンドラ・ボース*30、ラダビノド・パル)はいずれもベンガル人で、「三人とも日本の右寄りの論者のお気に入りの人物であり、彼らに関して日本で行われている研究に問題がないとは言えない」という。
 パル判事は、「東京裁判でインド代表判事を務め、A級戦犯の被告全員が無罪であるとする反対意見書を提出した人として知られる」。そのパル判事を、「日本の右寄りの論者」はつぎのように語ってきた、と著者はいう。


東京裁判論争が続くなかで、全員無罪のパル意見書は、東京裁判批判あるいは東京裁判史観批判に恰好の論拠を与えるものとして利用されてきた。いまではラダビノド・パルという一人のインド人法律家は、東京裁判論争ひいては歴史認識をめぐる論争において、一方の側を代表するシンボル的存在に祭り上げられるにいたっている。パルはそうされるに足る見識をもつ高潔な人間として描かれ、時にはガンディーやネルーと並べて語られることさえある」。


 著者は、「パル意見書は裁判の意見書の形式で書かれてはいるが、実は政治性を強く帯びた文書」で、「何故パルは政治的なのか、いかなる意味で政治的なのかが問題である」という。そして、「それに答えるには、インド・ナショナリズムの思想と運動、政党政治の駆け引き、大学の学内政治、インド法曹界の人脈等々に対して、パルという人物がどういう位置にあったのかを解明しなければならない」と、インド近現代史、とくにベンガルの知識が必要だという。そのパルの「実像」を追求するために、著者は「インド近現代史研究者が一般的に使っている実証史学の手法」、つまり「インタビュー(聞き取り調査)、文書館での公文書や私文書の調査、現地語資料の調査、新聞・雑誌記事の調査などを愚直に積み重ねた」。
 本書は、「序章」、5章、「おわりに」からなる。第1〜4章では、パルの生涯を丁寧にインド近現代史のなかで辿っている。そして、第5章「パル神話の形成」で、「なぜ「実像」から懸け離れた「神話」が創造され、流通することになったのか」を明らかにしようとした。
 その結果、伝記的部分については、「おわりに−神話化を超えて」で、つぎのようにまとめた。


「パルはある哲学や思想を信奉して人生の指針としたり、ある特定のイデオロギーや政党の支持者となって世の中に働きかけようとするタイプの人間ではなかった。パルはガンディー主義者ではなかったし、主要なインド独立運動のいずれにも参加したことはなく、政党の党員になったこともなかった。しかしそのことは、パルが政治や思想と無縁の人間だったことを意味するものではない。パルは広い意味でのナショナリストであり、多様なインド・ナショナリズムの潮流のなかでは、保守ないし右寄りの立場に共感を抱いていた。具体的に言えば、パルの経歴を検討してみて分かるのは、右翼のヒンドゥー大協会、保守本流の会議派右派、それからファシズムコミュニズムの間で揺れるチャンドラ・ボースに近い立ち位置をとっていたことである。インドの独立前はヒンドゥー大協会とチャンドラ・ボースの周辺に位置し、独立後は会議派右派の周縁部に立場をシフトさせていった」。


 神話化にかんしては、第5章冒頭で、「現時点で言えるのはだいたい次のようなことである」と結論した。


「意見書の内容は初めの頃はあまり世に知られることがなく、一群の人たちの意識的な活動があって初めて、日本社会に浸透していった。彼らは意見書を出版し、あるいは、パル本人を日本に招いて、意見書の浸透を図った。東京裁判批判を目的とする出版と招聘、これら二つの活動に関わった人たちが、その過程でパル神話を創り出していったと考えられる。そこには意識的なイメージ作りもあり、無意識の誤解や誤りもあった」。「彼らの動きは早くも東京裁判の直後に始まった。一九五〇年前後の頃は彼らは少人数で、A級戦犯本人、その弁護人及び元大アジア主義者からなり、周辺に元ファシストの姿もあった。六〇年代になると、元軍人、国際法学者(大学教授)、昭和史研究者、法務省の官僚などが加わり、日本のエスタブリッシュメントも巻き込んだ人的ネットワークが形成されるようになった。両時期を通じて、新聞記者などジャーナリストが果たした役割にも無視できないものがあった。ネットワーク拡大の背後には、A級戦犯など元戦争指導者の復権*31という現実があった」。


 パルの神話化は、1966年10月に訪日し勲1等瑞宝章を受章した翌年、67年1月の死後も続いた。早くも亡くなった年の10月には、1952年と53年の2度、パルを日本に招いた中心人物の下中彌三郎平凡社創業者、1878-1961)とともに、2人の生涯を記念する碑が箱根芦ノ湖畔に建てられ、そのそばに1975年に「パール下中記念館」がオープンした。1997年にはインド独立50周年を記念して京都霊山護国神社に「パール博士顕彰碑」(「パール博士顕彰碑建立委員会」委員長、瀬島龍三*32)、2005年には靖国神社に「パール博士顕彰碑」が建立された。そのほか、愛国顕彰ホームページ(http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-pal.htm)によると、富山県護国神社に「パール判事の碑」、広島市の本照寺に「パール博士 大亜細亜悲願之碑」がある。それぞれの碑文は、以下の通りである。
 これら直後、1960年代、近年、それぞれの時期の「右寄り」の動きは、アジア太平洋戦争にかんして、いろいろな意味で共通にみられ、多くの日本人はそれに関心を示さず、結果として容認してきたがゆえに、今日「歴史認識問題」として残されることになった。また、2国間関係史は、近代において、それぞれ当事国のナショナル・ヒストリーに利用されるかたちで語られてきた。その「神話」が、現代に通用しないことが明らかになってきて、反動的な動きもみられる。著者は、これからの国際社会を見すえて、「おわりに」をつぎのように結んでいる。


「日本で行われてきた東京裁判をめぐる議論を国際社会に向かって開き、平和構築のための国際的な協同作業に繋げてゆくことを考えるべきときが来ているのではなかろうか」。


 本書にたいして、さまざまな意見があるだろう。まずは、「愚直に積み重ねた結果の報告」である本書を、主義主張を超えて、インド近現代史と日本近現代史の文脈で、著者目線で理解することからはじめたい。つぎに、東京裁判のもつ歴史性、国際性に注目したい。そして、平和構築のために「神話」からの解放について考えたい。そのことは、「あとがき」にあるパル判事の息子が、著者のインタビューにたいして、互いの見解が違うにもかかわらず、「ひとたび心を許すと、率直に思い出を語り貴重な資料を提供してくれた」こととおおいに関係している。見解や意見の違いを乗り越えて、真摯に歴史と向き合うことが、平和構築につながるという思いを、パル判事の息子は著者と共有していることを感じとったのだろう。

【アマゾンレビュー】

中里成章 「パル判事ーインド・ナショナリズム東京裁判ー」の画期的意義とその限界, 2011/11/7
Byヨウスケドン
 パル判決論争史上、画期的な労作である。著者の意図するところの保守派(田中正明渡部昇一氏ら)のパル神話は、完膚無きまでに論破されたということになろう。          
 つまり「パル博士は、国際法の専門家として、“法と正義”の立場に立って、判決を降した」というのは神話であって、「パル博士は、チャンドラ・ボースらのインド独立運動に対する強い共感の立場(インド・ナショナリズムの立場)に立って、日本擁護の判決を降した」というのが、真実であったということになろう。したがって、きわめて政治的な色彩の濃い判決内容であったのだ。

そもそもパルの意見書は、重みがあるものだろうか?, 2011/7/31
Byぽるじはど
 先ず、東京裁判判決書における判決は、多数意見の判事が作成し、パルは参加しておらず、反対意見書を提出したのみである事を記し、説明に移る。
 パルは、弁護士としては所得税法を専門とし、裁判官としては、2年あまり判事代行として、主に土地法関連の訴訟を担当。
 学者としてはヒンドゥー法史に関心があったが、これのような経歴の法律家が、法の下で国家の指導者が個人として責任を問われる、新しいタイプの国際裁判の判事としてふさわしかったのか?
 また、審理日数406日中109回欠席もするようなこと自体、判事としては不的確ではないか?
 そして出来上がった意見書についても、インド政府と協議しながら意見書を書いたものではなく、「インド政府のものではなく、あくまで個人としての見解を表明している」と、インド政府外務省メノン次官をはじめとする政府高官に、覚え書きで突き放されているものだ。
 ところが、東京裁判が終ってからもは全く無視され歴史に埋もれてしまったパル意見書を、サンフランシスコ講和以降次第に復活してきた岸信介らの日本保守政治家は、「大東亜戦争肯定論」として利用していった。
 このようにパルの反対意見書は、最初から、日本軍の傀儡であったインド国民党による対英反植民地闘争に極めて強い親近感を抱いており、「あらゆる論を駆使して全員無罪とする」との結論をもって書かれ、日本擁護を前面に出すが故に、国際人道法の基本原則を正しく見定める事に失敗しただけでなく、満州事変の事例に見るように(注:関東軍の犯行かわからないという)初歩的な事実誤認をし、事実でないと反論できなかった南京大虐殺については、その事実は認めるものの、ジョン=マギーの証言に関して誇張と評価するなど、残虐行為の規模を過少評価する尋常ならぬ努力も払い、そのような事例はB級とC級の戦争犯罪を取り扱う裁判で審査されるべきだとした。
 このような東京裁判とは無関係に近い内容であるパル個人の“意見書”が、いまだに持ち上げられたり論じられているのは日本だけで、著者も記すようにそれにはベンガル史研究家がやるべき事をやっていなかった部分があり、本書はそれに対する“宿題”の面もあるが、他方国際裁判所で、パル反対意見が判例として注目され論じられた事はないことも記しておかねばならない。
 更にパル自身、ガンディーを引用しているにも関わらず、それはパルにとっての都合の良い部分のみであり、日本のパル擁護者らは、パルの明確に日本の平和憲法を支持し、再軍備に反対した部分以外の、自分たちに都合の良い"日本無罪論"だけを更に引用し、"インド独立の志士達に向けた詩"を、日本の大東亜戦争肯定の詩であるかのように曲解して石碑に刻むような、整合性のないものとなっており、両者ともつまみ食いの引用で自身の論を立てており、それは引用元の意見でもなんでもない点も記しておく。

破壊される「偶像」と「神話」 2011/3/25
By 水無月
 東京裁判から60年以上が経過して今なお激しい論争の渦中にあるラダビノド・パル。著者は、歴史研究の方法論に基づいて、その実像に迫ろうとする。結論から言うと、本書は、戦後のある時期から一部の保守勢力によって捏造されるようになったパルの「偶像」と「神話」を完膚なきまでに叩き壊すことに成功している。そのように考えられるのは、本書が以下の3つの点を説得的に論じているからである。
 第一に、いろいろな意味で適性に問題があるにもかかわらずパルが東京裁判のインド代表判事に任命されたのは、植民地政府による事務手続き上の手違いによるものであったという点である。したがって、「ネルー首相の懇請と期待に応え」(田中正明*33『パール判事の日本無罪論』(2001年、小学館文庫))るべく就任したとか、「このひとのほかはないというインド朝野の輿望をになって」(東京裁判研究会編『共同研究・パル判決書:太平洋戦争の考え方』(1984年、講談社学術文庫)での一又正雄の文章)東京裁判に臨んだなどといったこれまで(注:日本右翼が)流布してきた俗論はまったくの誤りであることが明らかにされる。
 第二に、東京裁判におけるパルの意見書は彼の政治的志向を色濃く反映したものであり、公正公平なものであるとは到底言いがたいという点である。具体的には、パルがインドの独立前の時期にヒンドゥー大協会とチャンドラ・ボースの周辺に位置していたことを考えると、大東亜共栄圏を掲げた日本の戦争指導者を無罪であるとする意見を表明したことや一貫した反共的な態度をとったこと(特に、インドと同様に植民地主義の被害者であるはずの中国に対する批判的な姿勢)は驚くに値しない。
 第三に、親米派として復権を果たした保守勢力にとっては、「逆コース」と高度経済成長の流れに棹差しながら米国に対する批判と自己正当化をする上で、パルの存在はこの上なく好都合であったという点である。だからこそ、インド国内では「小者」にすぎなかったパルをインドを代表する偉大な思想家・哲学者であるかのように針小棒大に取り上げて、彼の判決の正当性を高めようとしたのである(純粋にパル判決の内容を問題にするのであれば、ネルー首相の懇請と期待に応えるべく就任したとか、インド朝野の輿望をになって東京裁判に臨んだなどといった嘘をついて、パルに箔をつける必要はないはずである)。
 なお、著者は、中島岳志*34の本『パール判事:東京裁判批判と絶対平和主義』(2007年、白水社)について7ページにわたる詳細な書評を書いている(『アジア経済』2008年8月号、http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZAJ/ZAJ200808_005.pdf)。本書の内容から容易に想像できるように、パルは(注:中島本の主張と異なり)熱烈なガンディー主義者でもなけれは、絶対平和主義の信奉者でもなく、中島氏の議論にはまったく根拠がないと極めて批判的な評価を下している(しかし、書きぶりは驚くほど冷静)。また、本書執筆の背景については、『アジ研ワールド・トレンド』2011年10月号に掲載されている「『パル判事』を上梓するまで」(http://d-arch.ide.go.jp/idedp/ZWT/ZWT201110_013.pdf)を参照。興味のある方は、参考にされるとよいだろう。

「パル神話」が種明かしされた後に残るのは・・・ 2011/4/23
By つくしん坊
 カルカッタ大学に留学経験のあるベンガル史研究者である著者が、東京裁判でインド代表判事を務め、A級戦犯全員が無罪であるとした反対意見書を提出した、ラダビノド・パルの生涯と思想をたどった本である。東京裁判におけるパル判事の意見書だけを取り上げるのでなく、生い立ちや知人関係から思想的な背景を追い、また子息や関係者とのインタビューも踏まえているので、内容には信頼感がある。パル判事が、「ガンディー主義者」や「平和主義者」であるとして大袈裟に持ち上げ、その反対意見書を金科玉条のごとく有難がって、東京裁判の不当性を唱えるのが「パル神話」であるとしたら、本書は「パル神話」の種明かしを行い、欺瞞性を暴いたものといえる。
  「神話」がたいていそうであるように、「パル神話」も、東京裁判に不満を持つごく一部の人達によるプロパガンダである。ラダビノド・パルの実像は、右翼的傾向のある弁護士が手続き上の偶然で東京裁判判事に選ばれ、持論を反対意見書にまとめたものである。その内容は、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くことの不合理性に関して、傾聴すべき点もあるが、日本の戦争責任を免責するものではない。 「パル神話」を作り上げた人々は、自分たちに都合の良いところだけをつまみ食いしているに過ぎないことが明らかにされる。
 本書により「パル神話」の欺瞞性が明らかにされた以上、今後、東京裁判に言及する論者は、本書を無視することは許されない。「あとがき」で著者が反省しているように、本書のような実証的な本はもっとずっと早く世に問われるべきだった。遅すぎたとはいえ、本書により、無知に基づく議論が少しでもなくなることを期待したい。

「パル神話」の虚像を剥ぎ落とす 2011/3/19
By 革命人士
 東京裁判のインド代表判事として、被告人全てに無罪判決を宣告したパル判事の生涯と、いわゆる「パル判決文」の日本における受容の歴史を描いている。本書の内容は一般に流布されている「平和主義、ガンディー主義者としての博愛の心に基づく無罪判決」など、日本にパルを紹介した田中正明が作った偽りのストーリーを、パル判事の息子やベンガル地方法曹界指導者への長時間にわたる聞き取り調査や現地語公文書や新聞などの一次資料からことごとく否定した。
 本書によると、独立時のどたばたで手違いでパルに判事への要請書が来たという。また戦時中、国民会議派が日本を激しく批判つつも宗主国の英国にも厳しく弾圧されていたにもかかわらず、パルは戦時中カルカッタ大学副総長やカルカッタ高裁の代理判事などの顕職を歴任していたことから、同じカルカッタを拠点としていたチャンドラ・ボースヒンドゥー至上主義者と近い思想を持っていたのではないかと見る。ただし、名弁護士、法学者ではあったが、正式な判事になったことは東京裁判以前になく、国際法東京裁判以前には研究した痕跡はなく、税法や相続法、法哲学が専門だった。
 ムスリムが多く、宗教対立が激しかったベンガルではヒンドゥーナショナリストが上層社会に多く、パルとの人脈も太かった。また、税法の専門家として富裕層とも付き合いが多かったようだ。そのことから、パルは強烈な反植民地主義者ながら反共保守主義的な考えを持ち、欧米への強烈な反感意識や反共の信念から日中戦争を「自衛のためだった」とする日本の主張を認める判決を書いたのではないか、と著者は見る。

パル意見書を考えるための必読本, 2011/5/14
By野原ひろし (埼玉県春日部市)
 本書を読んでから、レビュアー水無月さんが指摘する著者の中島岳志『パール判事』への書評及び本書で日本の研究者で最初にパル意見書をきちんと読んだと紹介されている家永三郎の論文「十五年戦争とパール判決書」*35を読みました。同論文では「パール判決の性格の歴史的由来(は)、他日専門家の手により解明されるのを待つ」とされており、四十数年を経て本書でやっとそれが着手されたと言えるのだと思います。
 本書で明らかにされた彼の実像とは、彼が東京裁判の判事に決定したのはイギリス総督下のインド政府の手違いによるものであったこと、また彼はその時既にカルカッタ大学副学長を退任していたこと、そして彼の裁判での意見書は独立後のインド政府の支持を得られなかったことなどです。特に彼が思想的にはヒンドゥー大協会に近い保守的なナショナリストであったことを明らかにし、意見書の作成にはある種の予断があったことを示唆したこと(これはB.D.A.レーリンク*36の「彼は先入観をもっていた。」(レーリンク著『レーリンク判事の東京裁判』(1996年、新曜社))という証言と符合します。)は、数々の神話から我々を解放するのに充分なものでした。
 立証には彼の親族や関係者への周到なインタビューを実施し、現地の伝記や遺族による略伝を参照するなど手が尽くされており、まずこれらは限りなく事実に近いものと思われます。

*1:俺だったら三浦になど尊敬されたくないね

*2:著書『金正日の拉致指令』(1998年、朝日文庫

*3:著書『北朝鮮難民』(2002年、講談社現代新書)、『北朝鮮からの脱出者たち』(2006年、講談社プラスアルファ新書)

*4:北朝鮮関係の著書に『金正日と日本の知識人』(2007年、講談社現代新書)、過労死関係の著書に『過労自殺』(1998年、岩波新書)、『過労自殺と企業の責任』(2006年、旬報社)など

*5:小島のこと

*6:舛添や細川の支持ならまだわかりますけどね

*7:失脚当時、国防副委員長、朝鮮労働党行政部長

*8:どの当たりが凄惨なのかしら?。処刑理由?。処刑方法?

*9:「sigesige00氏はともかく」と書いたのは、単にsigesige00氏の主張を確認してないのでよくわからないという話であってsigesige00氏が「金正恩による自国民虐殺を問題視していない」というid:noharraの見解に賛同してるわけではないので念のため。

*10:ソ連共産党書記長

*11:中国共産党主席

*12:国家主席朝鮮労働党総書記、朝鮮人民軍最高司令官

*13:江青(党中央政治局委員、毛沢東中国共産党主席の妻)、張春橋(党中央政治局常務委員、副首相)、姚文元(党中央政治局委員)、王洪文(党中央政治局常務委員、党副主席)

*14:著書『日本占領下のジャワ農村の変容』(1992年、草思社)、『「大東亜」戦争を知っていますか』(2002年、講談社現代新書)など

*15:著書『子どもたちの太平洋戦争:国民学校の時代』(1986年、岩波新書)、『暮らしの中の太平洋戦争:欲シガリマセン勝ツマデハ』(1989年、岩波新書)、『子どもが〈少国民〉といわれたころ:戦中教育の裏窓』(2003年、朝日選書)、『戦争のための愛国心:ボクラ少国民の作り方』(2004年、辺境社)、『少国民戦争文化史』(2013年、辺境社)など。テレビドラマ「あばれはっちゃく」、映画「転校生」の原作者としても知られる。

*16:著書『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書)、『日本の軍隊:兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『日本人の戦争観:戦後史のなかの変容』(2005年、岩波現代文庫)など

*17:何が「日本の根拠」なんだかさっぱりわからないが

*18:揚げ足取りすればそれプラス英国(マレーシア等に駐留)とオランダ(インドネシアに駐留)でしょう。

*19:たかじんが歌ったガンダム主題曲のタイトル

*20:まあ、当時「鳴かず飛ばず」のたかじんにアニメ主題曲歌唱を依頼したレコード会社の方も「アニメ主題歌を歌謡曲より格下に見ていた」のでしょうが

*21:ただし「砂の十字架」の作詞・作曲は谷村である。また後に『∀(ターンエー)ガンダム』主題歌『AURA(オーラ)』を谷村は歌っている。

*22:南京大虐殺の写真とされる物の中には出所不明の物があることはたかじん番組以前からまともな研究者が指摘しています。一方で「出所がはっきりした南京事件の写真もある」し、「目撃証言」「遺体埋葬記録」など、様々な証拠から南京事件の存在が否定できないのもまた確かです。

*23:ガンダム主題歌レコードの裏面に入ったたかじんの歌

*24:肉牛以外「和牛」とあまり言わないような気がするので肉牛扱いしました。まあ、乳牛だって「その牛乳飲めるのか」という全く同じ話が出てきますが

*25:インド初代首相。ガンジーとともにインド国民会議派の重鎮。第二次大戦では「日本と手を組んだチャンドラ・ボース」とは異なり、ガンジーとともに英国軍に協力した。

*26:A級戦犯容疑者。東条内閣商工相、自民党幹事長、石橋内閣外相などを経て首相。

*27:5.15事件で被告人の弁護を行い、東京裁判では東条英機元首相の弁護人を務めた。鳩山内閣文相時代に教育委員の公選制を任命制に変更。岸内閣のいわゆる安保国会では衆院議長として岸の強行採決に荷担。

*28:自民党石井派ボス。吉田内閣商工相、運輸相、岸内閣行政管理庁長官(北海道開発庁長官兼任)、池田内閣通産相、佐藤内閣法相、衆院議長などを歴任

*29:インド独立連盟名誉総裁

*30:自由インド仮政府国家主席、インド独立連盟総裁、インド国民軍最高司令官

*31:A級戦犯のうち、重光葵(東条内閣外相、禁固7年)は鳩山内閣外相として、賀屋興宣(近衛、東条内閣蔵相、無期禁固)は池田内閣法相、自民党政務調査会長日本遺族会会長として後に政界に復権した。またA級戦犯容疑者の岸信介(東条内閣商工相)も石橋内閣外相、首相として復権した。

*32:伊藤忠商事会長。中曽根政権ブレーンの一人としても知られる。

*33:田中は南京事件否定論の古株としても有名。田中の南京事件否定論本としてはたとえば『「南京事件」の総括』(2007年、小学館文庫)がある。

*34:『パール判事』以外のインド関係本として『ヒンドゥーナショナリズム:印パ緊張の背景』(2002年、中公新書ラクレ)、『中村屋のボース:インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年、白水社)、『ナショナリズムと宗教:現代インドのヒンドゥーナショナリズム運動』(2005年、春風社)、『インドの時代:豊かさと苦悩の幕開け』(2008年、新潮文庫)。これらについても中里氏は批判的なようだが。

*35:初出は1967年。後に家永三郎集12巻『評論1(十五年戦争)』(1998年、岩波書店)に収録。家永氏は「パル意見書を読んだ限りでの感想」としながらも「パルは明らかに日本に甘いのではないか」と疑問表明している(ただしパルの詳しい思想分析については意見書のみでは無理であり、それはインド史専門家にゆだねたいとしている)。中里本は「家永氏の感想」に根拠があることを示したと言えるだろう。

*36:東京裁判判事の一人(オランダ代表)