「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート83(追記・訂正あり)

■正論11月号(創刊40周年号)に、「韓流時代劇と朝鮮史の真実」(宮脇淳子著)の書評書きました(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1976
・正論11月号がいかにくだらないかは以下の産経記事を読めばわかるでしょう。「はだしのゲン反日マンガ」だの「瀬島龍三*1ソ連スパイ(そういう噂があったことは事実*2ですが断言できるような証拠はないでしょう)」だの、良く三浦もこんな酷い雑誌の依頼原稿を引き受けるもんです。
産経新聞
『正論11月号 特集『はだしのゲン』許すまじ!』
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131001/edc13100108060000-n1.htm
『正論11月号 瀬島龍三ソ連の「協力者(スリーパー)」だった』
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131001/trd13100109000004-n1.htm

・この本も三浦の書評も読んではいませんが、右翼雑誌「正論」で極右・三浦が紹介するような本ではくだらない嫌韓国極右本だろうねえ、といったところですな。版元も「フジサンケイグループ」扶桑社だし。
 何せ著者の宮脇という人はウィキペに寄れば次のような人です。

ウィキペ「宮脇順子」
・1997年から現在に至るまで、東京外国語大学モンゴル語科非常勤講師。
チャンネル桜にたびたび出演し東洋史に関する解説をしている。
東京外国語大学名誉教授で東洋史学者の岡田英弘は夫。
・著書『最後の遊牧帝国:ジューンガル部の興亡』(1995年、講談社選書メチエ)、『モンゴルの歴史:遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(2002年、刀水書房)、『朝青龍はなぜ強いのか?:日本人のためのモンゴル学』(2008年、ワック)

・まともな人はあの極右テレビ・チャンネル桜にでたり、あの右翼出版社ワックから本を出したりしないでしょう。『朝青龍は何故強いのか?』は題名だけ見ると「内容が正しいかどうか」はともかく「朝青龍ファンの平凡なモンゴル研究者が朝青龍とモンゴルへの熱い思いを語ったもの」、つまり「日本人チベットシンパがダライラマへの熱い思いを語った」「Bill_McCrearyさんがキム・ヨナへの熱い思いを語った」のと「同工異曲」に見えますが、もしかしたら相当なトンデモ本なのかも知れません。
・なお彼女の夫・岡田英弘も産経コラムに良く執筆者として登場し、嫌韓国、嫌中国論を書き飛ばすごりごりの右翼です。であるからこそ彼も妻の宮脇氏同様

『この厄介な国、中国』(2001年、ワック)
『やはり奇妙な中国の常識』(2003年、ワック)
『誰も知らなかった皇帝たちの中国』(2006年、ワック)
『日本人のための歴史学』(2007年、ワック)
『厄介な隣人、中国人』(2008年、ワック)

とあのワックから本が複数出せるんでしょう。
 そもそもウィキペの「岡田英弘」はすごすぎます。

・岡田の歴史著作、特に中国論は特異なものとなっており、日本の歴史学界において同様の立場からの論者はほとんどいない。このことは岡田も認識しているようで、著書『だれが中国をつくったか』(2005年、PHP新書)のあとがきで参考文献を挙げるに際し「私以外に、このような中国論を展開する人はいないために、自分自身の著書ばかりであるが、諒とせられんことを請う」と述べ自身と妻の宮脇淳子の著作を紹介している(注:ただし参考文献として「新書では詳細に述べられなかったので参照して欲しい」として自著を紹介する本は珍しくありません。おそらく自著と妻の本しか紹介してない、とか自著の紹介の分量が紹介本の7割、8割とか異常に多いんでしょう)。
・活動の舞台を主にマスメディアに求めている。特に近年の中国関係の発言は権威ある学術誌には全く見られない。
・岡田の公式サイトの論文リスト(http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/hoarticl.html#china)によると、『史学雑誌』などの専門雑誌への論文掲載は皆無である。

っていくら「東京外国語大学名誉教授」とはいえ、こういう人を研究者と呼べるのか?。 確かに岡田サイトの論文リストはウィキペが言うように専門雑誌ではなく、一般雑誌が多い。しかも

■モンゴル関係
「地球日本史7 モンゴルから始まった世界史① 草原の道が大陸の東西を結ぶ」 『産経新聞』平成9年11月10日号
「地球日本史8 モンゴルから始まった世界史② 世界征服の天命受けたチンギス・ハーン」 『産経新聞』平成9年11月11日号
「地球日本史9 モンゴルから始まった世界史③ モンゴル帝国は西へ」 『産経新聞』平成9年11月12日号
「地球日本史10 モンゴルから始まった世界史④ アジアと東ヨーロッパの統一」 『産経新聞』平成9年11月13日号
「地球日本史11 モンゴルから始まった世界史⑤ 草原の道を通って伝わった資本主義」 『産経新聞』平成9年11月14日号
「地球日本史12 モンゴルから始まった世界史⑥ 大陸の時代から海洋の時代へ」 『産経新聞』平成9年11月14日号
「徳王と日本とモンゴル独立運動:傀儡か、民族の英雄か*3」『月曜評論』1985年1月7/14日
■中国関係
「共産中国はいつ崩壊しても不思議ではない」(『ザ・リバティ Liberty』159号、幸福の科学社、2008年6月)(インタビュー)
「中国人にとって『歴史』とは何か」(『別冊正論』2007年8月号、産経新聞社)
「日本人よ、中国の微笑外交に騙されるな!」(『WiLL』2007年6月号・総力特集『「従軍慰安婦」に大反撃!』、ワック・マガジンズ株式会社)
「日本の男は要注意、十三億のハニー・トラップ」(『WiLL』2006年12月号、ワック・マガジンズ株式会社)
「「一衣帯水」の幻想を捨てよ」(『別冊正論』Extra.01、産経新聞社、2006年1月)
「日中親善の幻想を捨て、対話より行動で接せよ」(『WEDGE ウェッジ』2005年12月号、株式会社ウェッジ)
「今こそ中国幻想を捨てるべし」(『正論』2005年7月号、産経新聞社)
「「反日」だけが彼らのアイデンティティー」(『Will』創刊号、ワックマガジンズ、2005年1月)
「地球日本史336 明治文明が作った現代中国① 生き延びる道として「国民国家」」『産経新聞』平成10年12月21日号
「地球日本史337 明治文明が作った現代中国② 国民国家に適した日本の条件」 『産経新聞』平成10年12月22日号
「地球日本史338 明治文明が作った現代中国③ 日本文明を持ち帰った留学生」 『産経新聞』平成10年12月23日号
「地球日本史339 明治文明が作った現代中国④ 日本語が起源の「中国」「中国語」」 『産経新聞』平成10年12月24日号
「地球日本史340 明治文明が作った現代中国⑤ 日本陸士留学生の辛亥革命」 『産経新聞』平成10年12月25日号
「「日中友好」無用論」 『Foresight』(新潮社)1992年12月号
「中国の恐るべき実態を抉る」*4『滅亡へ直進する中国*5』(黄昭堂*6著、1990年6月25日刊行)
「中国人の日本観」 『諸君!』1990年3月1日
「中国人の日本観」 『週刊新潮』1990年2月22日 
「中国が日本に朝貢する時代」 『諸君!』1984年3月1日
「”教科書検定”は中国の内政問題だ」 『中央公論』1982年10月1日
「中国病に根本療法はあるのか」 『中央公論』1981年4月1日
「病める中国:建国以来30年一体何をしてきたのか」『月曜評論』1981年2月2日
「中国病の研究:四つの現代化*7はなぜ失敗するか」『月曜評論』1980年9月15日
「北京は中華民国を承認する*8」『諸君!』1980年1月1日
「なぜ中国人はロシア人を嫌いか:対立の文化史的考察」『正論』1979年1月1日
「漢字が苦手な中国人:なぜ文章家しか為政者となれないか」『諸君!』1977年6月1日
「中国人と『ことば』:毛沢東語録引用の裏と表」『正論』(サンケイ出版)1977年2月1日
「かくして北京は屈服した」『諸君!』1972年5月1日
「中国を解く鍵・人民解放軍」『諸君!』1971年12月1日
「嵐のなかの中華民国」『諸君!』1971年11月1日
「一華僑から日本人へ」『諸君!』1971年9月1日 (陳図南名義*9
王陽明の場合」『諸君!』1971年4月1日

と右翼雑誌に『タイトルだけで右翼的嫌中国論とわかる代物』を山のように書いてきたというのですから岡田の異常さはあの島田洋一すら超えるのではないか。大体まともな学者は極右ミニコミ『月曜評論』なんかに書きませんし、書いたとして「業績として大々的に個人サイトに掲載」なんかしません。
・それにしてもウィキペを見る限り「最初は講談社や刀水書房という一般出版社から本を出していた、それなりにまともだったモンゴル研究者だった宮脇」が「夫から悪影響でも受けたのか」、何をとち狂ったか「専門外の韓国のことに口出ししたあげく」、それが「チャンネル桜やワックにこびへつらう嫌韓国」とは宮脇って人もどーしようもない人ですね。
・また副題が「朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏」なんて明らかに韓国に敵対的な代物ですからね。どーみても嫌韓国本でしかないでしょう。
・しかも、アマゾンの「自己紹介」がこうです。
 これは書評ではなく、著者ないし出版社による「自己紹介」ですので「誤読」ということはないでしょう。

 いい加減に日本は、中国や韓国に対する過剰な気兼ねは捨て去るべきです。“日中友好"や“日韓友好"といったお題目も結構ですが、ハッキリ言って、こちらが譲歩すれば中国や韓国と友好が築けると思うのは大きな勘違いです。特に歴史問題で妥協してきたことが最悪の結果を招いています。中国人や韓国人にとっての“歴史"は、『今の自分たちに都合がいいように書き換え可能の過去』という意味しか持たないので、日本人がいくら真実を追究し証拠を出しても、それを取り入れる気持ちなど全くありません。

 やれやれです。一体、日本のどこが「歴史問題で妥協してきた」んでしょうか。
 何が「日本人がいくら真実を追究し証拠を出しても、それを取り入れる気持ちなど全くありません」なんでしょうか。こういう嫌韓国・嫌中国極右本に「極右雑誌・正論」で好意的な書評を書く「正真正銘のネトウヨ」が三浦なのですがよく「自称アンチネトウヨ」の「守る会会員」id:noharraは「ネトウヨ三浦批判を一切せず」、三浦を「守る会副代表」として担ぎ上げられるもんです。だから俺はバカ右翼・三浦なんぞ評価しないし、そんな三浦を幹部に担ぐバカ右翼団体「守る会」とその会員id:noharraなんか評価しない。
 でこういうことを小生に言われると逆ギレして因縁(チベットネタでの因縁が多い)をつけるバカがid:noharraのわけです。最近は分が悪いと気付いたのか、因縁をつけなくなりましたけど。正直、id:noharraの馬鹿野郎にはむかっ腹が立ってるので今後も大いに罵倒します。その予定です。
・アマゾンレビューもいくつかありますが、もちろん「星を5つつけてるような好意的書評」は「嫌韓ネトウヨの典型」としか言いようがないですし、逆に「星が1つしかつかないような酷評」は「まともなネトウヨ批判」といえるでしょう。面倒なので紹介はしませんが興味のある方はアマゾンレビューを読まれるとよろしい。
・まあ、まともな朝鮮歴史本、韓流時代劇(チャングム朱蒙などいろいろありますが)紹介本が読みたかったら宮脇の本なんか役立たずでしょう。
・しかし三浦が書評を書いたといいながら「具体的内容を全く説明しない」のが酷いですね。ま、三浦も「具体的に説明できるような代物ではない」「説明したら右翼以外はドンビキ」と自覚してるんでしょうけど。だったら最初から一切、紹介しなければいいのに。そうすれば三浦の「バカ右翼ぶり」がばれることもないんですが。なお正論は市販されてるわけですし機会があったら三浦書評を本屋か図書館で斜め読みして簡単にコメントしようかと思います。さすがに買う気はないですけど。
 三浦の文章にも少し突っ込みます。

なんせテーマが韓流時代劇ドラマで、私は自慢じゃないが一本も見たことなかった。

 何でそういう人間が書評を引き受けるかね。

歴史はファンタジーによりかかることなく事実を直視することによってこそ真の誇りにつながるはず

大東亜戦争聖戦論」なんてファンタジーにすがってる腐れ右翼の分際で三浦も何寝言ぬかしてるんですかね。
左派が

歴史は『大東亜戦争(太平洋戦争)聖戦論』などというファンタジーによりかかることなく『大東亜戦争侵略戦争だった』『バターン死の行進など非道残虐な行為を日本軍は働いた』という事実を直視することによってこそ真の誇りにつながるはず

と言ったら逆ギレしてるのが三浦のようなゲス右翼でしょうに。そうは思いませんか、id:noharraさん。
 しかしふと思ったけど「俺ほど無名右翼・三浦のネット上の文章を愛読してエントリに感想書いてる人間(ただし評価してるわけでなく、三浦はアホかバカかと罵倒)」も他にいないんじゃないの。我ながら変人だと思う。

【追記】
 いくつか岡田・宮脇共通個人サイト(http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/index.html)から「俺ですら突っ込めるトンデモ論」に突っ込んでみます。
 岡田のは突っ込めそうなのが見つからなかったので宮脇に突っ込んでみます。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_1.html
『中国美女の正体』(フォレスト社)という本は、私と、産経新聞の元北京特派員の福島香織*10というジャーナリストとの対談本です。福島さんは大阪大学を卒業し、産経新聞に入社したあと、上海の復旦大学に留学して、産経新聞の香港支局長をしたあと、北京に赴任しました。
(中略)
彼女は(注:中国の)現状を知っている。だけど、なぜそうなったのか、ということがよくわからない。それで私が、中国の女について儒教文化や歴史から説明する、という本です。

 そもそも宮脇の専門分野はモンゴルで中国じゃないし、「宮脇の中国知識の先生・岡田」は中国史研究者からは相手にされてない事を著書で自ら認めるような人です。
 福島という人もバカではないと思うのでさすがに宮脇のトンデモはわかってるでしょう。わかった上で「おつきあい、しがらみで仕方なく対談」だとは思います。まあ、それでもこんな変な人と対談する事によって「ああ、福島さんって所詮そういう人なんだ、中国語が使えて人脈も取材能力もあるらしいのに残念だ」ということがわかりますが。 

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_2.html
 中国人が日本に来ると、すぐに「政府の官僚に知り合いいないの」とか「偉い人紹介して」とか言います。日本人なら、そういう関係を使って商売はしないでしょう。でも中国人はするものだと思っている。

いや日本人だって人脈を使った商売はするでしょう。わかりやすい例をあげれば「官僚の天下り」なんかはその一例です。「中国人の方が日本人より人脈重視」かもしれませんが。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_2.html
私の聞いた話ですが、中国人と30年間、共同経営者だった日本人が、こんなに長く信頼し合ってきたのだから、と安心して会社を預けて帰国したら、翌日全部取られたそうです。

 そういう守銭奴の中国人もいればそうじゃない中国人もいる。もちろんそういう守銭奴の日本人や欧米人だっているわけです。「国共内戦文革」といった激動を経験した中国人には「信じられるのは金だけ」というそういう人がもしかしたら多いのかも知れませんが、この宮脇の話だけで「中国人は皆こうだ」なんて言うのは偏見でしかありません。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_2.html
 この間の高速道路のバス事故でわかったと思いますが、日本人と同じだと思っちゃだめなの。

ばかばかしいですね。確かに運転手氏は中国人だったようですがあれは「運転手が中国人だから起こった事故」じゃないでしょう。バス業界が過当競争で安全を軽視してるという構造的問題でしょう。
 中国人である事が事故を助長したとしても「民族性云々」ではなく「弱い立場の外国人だったので上に物が言えず危険運転を余儀なくされた」という話でしょう。
 日本人運転手なら事故が起きなかったわけではない。つうか日本人運転手の事故だってあるでしょうに。
 こんなアンチ中国報道は産経ですらしていない。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_5.html
 ガンガン喧嘩して、これはけしからん、って言わなきゃいけないわけです。中国側は騒いだけど、日本人はおとなしいまま。そうすると向こうとしては、「これでいいんだ」となる。満洲事変の原因もそうだったんです。最後まで日本人はおとなしかった。そして突然、もう我慢が出来ない、と戦争に入った。

満州事変とはもちろん
1)「南満州鉄道」を関東軍が爆破したうえで、中国国民党の攻撃だとした謀略で
2)この事件によって日本は満州国を建国し
3)一方、日本と戦闘しても勝てないと見た張学良はあえて闘わなかった
と言う事件だがこれをどう理解すれば「最後まで日本人はおとなしかった。そして突然、もう我慢が出来ない、と戦争に入った」という理解になるのか?

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_6.html
大院君も閔妃も日本人を嫌いましたが、その理由は、日本が朝鮮に派遣した人達が、武士階級出身だったからです。

何馬鹿な事言ってるんですかね。自国を植民地化しようとする人間を誰が好きになれるんでしょうか。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_7.html
 朝鮮の妓生がこんな豪華な服を着ていたなんてあり得ない。これは明らかに日本の江戸時代の花魁に対する対抗心ですね。

 「江戸時代の女性がお歯黒しないなんておかしい」と時代劇に言うレベルの言いがかりですね。実際に日本の時代劇で「女性の歯が真っ黒」だったら我々現代の日本人は違和感を感じるから「時代劇の女性は歯が白い」わけです。この韓国時代劇もそれと同じような話です。「花魁に対する対抗心」なんて変な事を良く考えつく。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_7.html
韓国ドラマは今、過去がどんなに良かったか、ということを創作しているわけですね。

ドラマは普通そうでしょう。暗い過去なんか描いたって楽しくないわけですから。日本の娯楽時代劇だって同じでしょうに。

http://www.a-jrc.jp/school/miyawaki/2_7.html
日本人も、中国や韓国に迎合したような歴史教科書ばかり作らないで、この辺でちゃんと考え直さないといけません。

つくる会教科書万歳というくだらない話です。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_2.html
1949年、中国共産党チベットを取ると宣言しましたが、そのときチベットには軍隊がなかった。

そんなことはありません。軍隊があったけど中国に打倒されたって話です。参考として、誰かの妄想・はてな版『チベットは非武装国家じゃありませんでしたが』(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110121/1295626977)を紹介しておきます。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_3.html
漢字は見て意味のある文字で、中国文明は見た目が大事なんですね。

言ってる意味がさっぱりわかりません。漢字の何が問題なんでしょうか。日本人だって便利だという事で使ってるのに。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_3.html
 チベット仏教はヨーロッパの哲学にものすごく大きな影響を与えたので、チベット問題が国際問題になった理由は、文化文明にあるんです。チベット文明がなくなったら、つまらない、かわいそう。これを担っているチベット人は、非常に文明度の高い人だ。それが国際的な支援の本当の理由です。

まるきり言ってる事が一部のチベットキチガイと一緒です(笑い)。「国際問題化している民族紛争」というのはチベット以外にも「パレスチナ問題」など、たくさんあるんですが。そしてチベット問題が大きく注目されるようになったのは1989年のダライのノーベル平和賞受賞からです。それ以前はあまり注目されてなかったわけです。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_4.html
 中国人は、漢字を使う日本も中国の一部だと思っています*11
(中略)
 チベットウイグルやモンゴル*12の問題は、日本人はぼやぼやしていたらこんな風になるぞ、ということなんです。

 本気か故意のデマか知らないが学者のはしくれが、そんなバカ言って恥ずかしくないのか。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_4.html
 私は今年の秋に中国近代史の本を李白社から刊行しますが、編集者から教えられて、岩波新書『中国近現代史』を見たら、「一九○○年の義和団の乱に加わった農村の十代の女が、台湾を返せと言った」と書いてある。真っ赤なウソ*13ですが、たぶん中国語から引用*14したのでしょう。書いて通ったらめっけもの、なんです。だから尖閣諸島に関しても、日本の古地図が図書館からなくなってるんですって。切り取って、証拠を隠滅する。

・多分宮脇が「台湾を返せ」発言を嘘だと憤るのは「こういう文章を書くなんて中国の台湾統一論支持だ!」とでも思い込んでるからでしょう。「台湾を返せ」発言が事実なら、事実を本に書いて何が悪いのかわかりませんし、「1900年の中国」は「今の中国ではない」から、この発言を事実と認めたところで「中国の台湾統一論」とは直結しないんですが。
李白社から出す本とは『真実の中国史【1840-1949】』(2011年)のことです。出版社サイト(http://www.rihakusha.co.jp/books/chinareal.html)によれば

孫文は革命家ではなく、大ボラ吹きだった
・21カ条要求は日本にとって当たり前の行動
・五・四運動はコミンテルンの陰謀だった
張作霖爆殺事件はコミンテルンのでっち上げだった

というんだからただ絶句です。特に孫文罵倒に絶句。ウヨの中には「孫文反日」「国共合作するなんてろくでもない」「孫文チベットを中国領土扱いしていた」と孫文を罵倒する人(例:酒井信彦)もいないわけではないんですけどね。非常に珍しい。岡田や宮脇の反中国は「反中国共産党なんて生やさしい代物じゃない」わけです。
岩波新書の記述については素人の小生は何とも評価しようがないのでノーコメント。そもそもこの書き方ではシリーズ中国近現代史2『近代国家への模索:1894-1925』(川島真、2010年、岩波新書)のことなのか、『中国近現代史』(小島晋治*15、丸山松幸共著、1986年、岩波新書)のことだかわかりません。たぶん最近の川島本じゃないかとは思いますが。いずれにせよあまり失礼な事を言うと岩波や著者から名誉毀損訴訟を起こされても文句は言えないと思いますよ。
・しかしこの文章の後半の「尖閣諸島に関しても、日本の古地図が図書館からなくなってるんですって。切り取って、証拠を隠滅する」てのは誰が考えても明らかな与太話でしょう。学者が真顔で言うようなことじゃない。

http://www.a-jrc.jp/school_2011/miyawaki/1_7.html
中国禅は昔、チベットの正統派仏教と論争して負けて退散したんです。

チベット仏教側はそういってるんでしょうけどね。日本人が真に受ける事はすべきじゃないでしょう。
大体、日本には「永平寺」とか中国禅宗の流れを汲む寺院があるわけで良くこんな事が言えますよね。

http://www.a-jrc.jp/school_2010/miyawaki/2_2.html
 モンゴルの最大の弱点は港がないことなんです。だから、この間、朝青龍北朝鮮に行って写真に映ったのも、北朝鮮の港を使う話を、モンゴルと北朝鮮が協議をしていたのではないかと思います。中国の港だけでは、そこを閉められたら身動きできないので、別の国の港も常時使えるようにという、そういう状態が、この地図をごらんいただければ一目瞭然だと思います。

なるほどね。こういうまともな事だけ言ってればいいのに。

http://www.a-jrc.jp/school_2010/miyawaki/2_5.html
モンゴルの男は小さいときから馬に乗れます。それで一人で出歩きます。だからモンゴル人は独立独歩が誇りで、人の真似をしたくない。人と同じなのが嫌いというのは何千年もの伝統なんです。お相撲とりに非常に向いていると思いません? だからモンゴル力士が強いのは、もちろん個人の努力の賜物ではあるけれども、このようなモンゴル文化が背景にある、というのが私の本*16の主張なんですね。

 「馬に乗れる」「独立独歩」とかより「モンゴル相撲の伝統」「日本より貧乏な事で生まれるハングリー精神」とかのほうが説得力があると思うが、「日本の古地図が図書館からなくなってるんですって」などといった与太話よりはマシな発言ではある。

http://www.a-jrc.jp/school_2010/miyawaki/2_5.html
 朝青龍問題も、「お前は横綱になったんだから、横綱らしく振る舞え」と日本人は言いましたが、「横綱らしいとは何ですか?」とモンゴル人は思う。だって、モンゴルではわけもわからず人の真似をするのは悪いことですからね。だから、外国人力士を入れたからには、日本の文化の中に別の要素も加えるべきだというのが私の意見なんですね。日本文化は素晴らしいですよ。
(中略)
 けれども、日本に来たんだから「郷に入れば郷に従え」と言うだけで、日本人のようになるかといったら無理です。相手を納得させる説明責任はこちらにあるのでは、というのが私の本が言っていることです。
 (注:八百長事件、時津風部屋傷害致死事件などでの)相撲協会や親方のやり方を見ていて、朝青龍は図に乗ったわけですよね。「一番偉い人があんなことしているんだったら、おれはこれくらい大丈夫」って。きちんと叱らないで、最後に「あんたが悪い」って言われても、どこがどう悪かったかわかりません。

 その朝青龍への温かい心「相手を納得させる説明責任はこちらにあるのでは」が何故中国や韓国には適用されないで「ウヨと一緒に罵倒に走る」んでしょうか。

http://www.a-jrc.jp/school_2012/miyawaki/1_6.html
 日本人が支援した満洲*17は、興安省という、モンゴル遊牧民のための特別行政区を作りました。満洲国の日本人官吏が現地調査をして、草原が残っている地域を境界線で囲って、漢人農民にそれ以上開墾をさせないようにしたんです。清朝時代のモンゴルに比べたら遊牧地は減っているけど、このとき日本人が線引きしなければ、漢人が際限なく入ってきたでしょう。それが今の内モンゴル自治区の境界線になっています。だから満洲国がなかったら、20世紀の初めには、モンゴル*18はなくなっていました。

 無茶苦茶言うよなあ(苦笑)。満州国が侵略だという認識がないのか?

http://www.a-jrc.jp/school_2012/miyawaki/1_6.html
日本人の中でも、日本人は自分たちに協力させたかったからモンゴル人を大事にしただけだ、と言う学者もいますが、解釈っていくらでもできるんですよね。

いや少なくとも日本政府中枢は「協力を得たかった」だけだろ。解釈の問題じゃねえよ。モンゴルに限らず東南アジアなんかもそうだろう。「いや善意に満ちあふれた日本人もいた」とか言っても釈明にならないから。そんな事言ったら中国のチベット統治だって何だって「善意の人」はいるだろ。

http://www.a-jrc.jp/school_2012/miyawaki/1_7.html
 (注:文革期には)毛沢東派だったウラーンフー(赤い子という名前)という内モンゴル自治区の主席まで、民族主義者と呼んで粛清しました。

「粛清」って表現は「殺された」と言う誤解を招くからやめた方がいいと思いますね。「迫害した」「失脚させた」とか別の表現の方がいいんじゃないか。ウィキペ「ウランフ」によれば「周恩来首相の庇護を受け失脚するにとどまった」そうですから。文革終了後は復権し、どれほど実権があったか知りませんが、「全国人民代表大会常務副委員長」「国家副主席」などの要職を務めるわけです。

http://www.a-jrc.jp/school_2012/miyawaki/1_7.html
 この前、日本政府が韓国に返してあげた「朝鮮王室儀軌」のことも、韓国はウソばかり言いました。あれは、(中略)1922年に朝鮮総督府から日本の皇室に正式に寄贈されたんです。それを、(中略)掠奪したのを返せと、韓国のマスコミは騒ぎましたよね。返してあげるのは構いませんけど、NHKを初め日本のマスコミは、もっと日本国民に正確な情報を知らせなければいけません。

おいおい。その寄贈とやらを「韓国が自分からすすんでやった」とか良く思えるもんだな。普通に考えて略奪だろ。


ローズマリー・ブラウンとコアラ(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1967

ただ、久野氏についての中村氏の文は確かに感動的なものではあるけど事実誤認も多いという。

これについては以下のエントリを紹介しておきましょう。ウィキペ「久野久」にリンクが貼ってあったエントリです。三浦もウィキペ「久野久」位は見たでしょうからリンクぐらい張ればいいのに。

http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2008/03/post_caf3.html
大津市膳所出身のピアニスト−久野久
<後日談:久野久を後世に正確に伝えようとする人がいた!>
 この記事を発信した後の2009年10月25日に、近代日本の音楽史を勉強していると仰る原田稔氏から、「ピアニストという蛮族がいる*19久野久子伝は誤伝がそのまま載っていて、客観的な久野久子像になっていないので、その誤伝を正したいと考えて、『「熱情」の使徒は二度甦る−私本・久野久子伝−』という本を個人出版されたことをお知らせ頂いた。(注:久野久久野久子と呼ばれることもあった。)
 早速この本を読ませて頂いたところ、久野久の両親が久の小さい頃に亡くなったというのは間違いで、父君は明治44年まで存命されていたことや、明治43年滋賀県の資産家一覧にも久野氏が出ているので、久が京都へ移ってから大津に久野家の痕跡が途絶えたというのも間違いで、久は(ボーガス注:中村本が描いたような)決して一家が離散したような不幸な生い立ちではなかったことが明らかになった。
 原田氏も大津市ご出身であり、同郷の久野久が中村エッセイに取り上げられたことを最初は喜んだが、あまりにも事実誤認が多いことやそれ以前の誤伝に基いていることに驚かれたという。このエッセイが影響力も大きいことに危惧を抱かれ、近代音楽史の立場から詳細な事実調査をされ、久野久の像を後世に正確に伝えようとされている。中村エッセイや『道標』の記述の裏付を丹念にフォローされ、史実を精査されていることに感服した。
 『「熱情」の使徒は二度蘇る』という表題は、ベートーベンの熱情ソナタの名手と謳われた久が、東京音楽学校*20助教授になって世間に認められていった時期と、交通事故に遭って再起不能かと思われたのに復帰して同校の教授になり、ベートーベンの午后を開いて不動の名声を得たことを指しているように思える。
 志村泉さん*21と同様、我が大津市出身の久野久を、単に不幸な一生を送ったピアニストという視点ではなく、近代音楽史の上での先駆者であり、貢献者であるという視点から、正確に後世に伝えようとするこの本は、久野久の地道な研究を行っている専門の音楽学者にも注目されているとのことである。

 要するに「悲劇的最期を遂げた女性・久野久が『両親に早く死に別れ』など必要以上に悲劇化され、それを中村氏も踏襲してしまった」ということなのだろう。
 なお、『道標』というのは宮本百合子氏の小説です。自伝的小説『伸子』の続編です(ウィキペディア宮本百合子』参照)。もちろんそういう小説だから久野久はメイン登場人物ではない。大体、この小説は作者・宮本氏も実名では登場しない。久野久も実名ではないしあくまでフィクションなので、別の情報で裏を取らない限り「簡単に事実と同一視できる話ではない」のに「久野久についての情報が少ない」ゆえに安易に事実と同一視されてきたと言うことなのでしょう。まあ、恐ろしい話ではあります。


■WILL11月号に座談会「『戦争』を描けなくなった日本人 『風立ちぬ』と『終戦のエンペラー』」が掲載されました、にコメントその3(三浦の個人ブログ) 
http://miura.trycomp.net/?p=1965
『「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート82(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081009/1307052595)に書いたコメントの続きです。
 
http://www.youtube.com/watch?v=YEjrivjXVac
の1時間40分程から突っ込みを始めます。
さてその前に一言だけ。

三浦曰く「アニメーターが無理に政治について言う必要ない」。

などと三浦がバカ言うのに『「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート82(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081009/1307052595
で「津川雅彦はどうなんだよ」と突っ込みましたがよく考えると古今東西、政治的発言をする芸能人、芸術家なんて珍しくないわけです。
最近の若者は知らないでしょうけど津川みたいなウヨとしては昔、「日本を守る国民会議(現・日本会議)」議長をやった黛敏郎(1997年死去)という作曲家がいました。
米国だと大統領選で沢山の芸能人が共和党候補、民主党候補の応援に駆け付けるとか、あの国では政治的発言を芸能人がすることは全く珍しくない。それどころか政治家になったシュワルツネッガー(元カリフォルニア州知事)やイーストウッド(元カリフォルニア州カーメル市長)なんて芸能人もいるわけです。日本では右でアレ、左でアレ政治的発言をする芸能人は少ないでしょうがそれは「単に日本がそういう文化だ」という話に過ぎません。大体その理屈だといわゆるタレント議員(例:立川談志青島幸男など)はどうなるんでしょうか?
 どう見ても三浦の発言は無茶苦茶にも程があるわけです。
 しかも『「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート82(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081009/1307052595)では突っ込み忘れましたが

「芸術家が政治に口を挟むと大東亜戦争での芸術家の戦争翼賛*22みたいになる」

と意味不明なことまで言っている。あの戦争翼賛は「翼賛しろと強要されたり」「日本は勝ってるとかアジア解放の戦争だとか間違った情報を与えられたり」して行われたものじゃないですか。それに似た状況がどこにあるのか。護憲派が彼らに意見表明を強要した訳じゃないでしょう。
 それに宮崎氏、高畑氏の意見表明は「戦争翼賛」と違って政府批判だし、まるきり違う。
 そもそも宮崎氏らは「何かを翼賛してる」わけじゃないでしょう。まあ、三浦だと共産党翼賛とか言い出しかねないけどね。こういう無茶苦茶な詭弁が目立つのはこの座談会メンバーでは三浦ですね。三浦の場合この種の詭弁がいつもいつもですから「嘘つき」「信用するに値しない男」としか理解できない。以前「三浦を尊敬する」とかほざいたid:noharraは三浦のどこを見ているんでしょうか。
 さて、それはともかく1時間40分程から山野がコメント。
 山野曰く「憲法について考えるには東京裁判について考える必要がある」
 映画座談会ではなくて完全に改憲集会化してますね。
 まあ、憲法制定過程について言えば山野の言う通りでしょうね。ただ護憲、改憲を論じるに当たって制定過程をどれほど考える必要があるか、俺個人は疑問に思いますが。
 山野曰く「東京裁判で絶対に昭和天皇の訴追を避けるという点では日米は共通利害があった、米国は天皇の権威を利用した方が統治が容易だと考えていた。そういう政治工作には『終戦のエンペラー』のフェラーズも当然関与していた」
 まあ、これはその通りです。それが歴史学会の通説です。基本的に「昭和天皇は悪くない、東條英機(元首相)とか武藤章(元陸軍省軍務局長)とかが勝手に暴走した」と言うシナリオでがっちり固めて天皇を守るというのが日米が東京裁判で取った態度です。
 「東京裁判史観」と言いたがるウヨは「こうした日米合作の面」は無視したがるので山野にはびっくりです。
 山野曰く「だから我々ウヨも東京裁判を簡単に否定できない」
 これまたその通り。山野はどうしちゃったんだ、と言う発言です。何せ目の前にいる西村幸祐は「東京裁判史観は許さない」っていう「東京裁判を簡単に否定しちゃう」人間ですから。
 山野以外が「東京裁判昭和天皇訴追を絶対に避けるという日米合作の面がある。だから右翼も簡単には否定できないはずだ」なんて言ったら「この左翼め!」と罵倒されかねないですよね。
 山野曰く「憲法1条と9条はセットだ。天皇訴追を避けるための9条だった。そうしないと米国が昭和天皇天皇訴追を求める政治勢力からかばいきれない。そういう政治勢力ソ連だけでなくて西側諸国にもいた」
 まあ、第1部でも山野は全く同じ事言ってます。そして山野の言う「憲法について考えるには東京裁判について考える必要がある」とは「9条は訴追逃れ工作の一環」と言う意味だったわけです(もちろんだからといって9条の理念がくだらないという話ではないですが)。
 改憲派という山野ですがこの山野発言からは彼が「押しつけ憲法論」をとっていないことがわかります。
 「日本も九条制定は納得ずくでやったんだし、これ以外に天皇訴追を逃れる手があったのか。出せないのなら憲法九条制定それ自体に文句言うの辞めようぜ」
 「でも天皇訴追を逃げられてほとぼりが冷めたら改憲すべきだったんだ」ということでしょう。
 なお、山野が何故「天皇訴追逃れの政治工作=九条」を主張し、押しつけ憲法論を採用しないのかよくわかりません。
 「左翼が既に訴追逃れ工作だと指摘しているのに何時までも押しつけ憲法論じゃ説得力ない」と言う判断でしょうか。
 山野曰く「そもそも当時の保守のかなりの人は憲法九条も東京裁判も理由はともかく一応支持していたので、そう言う意味でも我々は簡単に憲法九条や東京裁判を否定できない」
 これもその通りです。
 ここで西村と三浦がともに「スライドについてどう思いますか」と突っ込み。
 まあ、確かに山野の発言はスライドから完全に離れててワンマンショー、独演会と化してて問題ではありますがそれだけが西村、三浦の突っ込み理由じゃないでしょう。山野のような「憲法九条の制定自体は仕方がなかった。押しつけ憲法論はおかしい。むしろ長い間、改正が出来なかったのが問題だ」「東京裁判は日米合作だから東京裁判史観と簡単に切り捨てられない」という立場に西村や三浦はおそらく立ってない。
 正直、山野発言には不愉快でしょう。でもわざわざ呼んで来た、それも今後も利用価値がありそうな山野に向かって「何が憲法九条制定は仕方がなかっただ!」などと罵倒するわけにも行かない。
 「スライドについて意見聞かせてよ」とでも言って話の方向を変えるしかないわけです。
 山野曰く「うーん」と口ごもった上で「掃海艇派遣を認めるなんて宮崎さんは現実的な人なんだなと思いました」。ま、山野も「宮崎を改憲派だというのは無理がありすぎだろ。西村さん無茶だろ」と言う点では三浦と同じですが、さすがに司会役の西村に喧嘩売るわけにも行かない。「こんな変なスライドに意見なんか言えるか」と本心では思ってて、だからこその独演会になってしまったんでしょう。
 山野曰く「高畑さんには悪いんですが僕は彼は宮崎さんとは違ってかなり極端な人だなと」。
 まあ、別に俺は高畑さんが極端だとは思いませんが彼は宮崎氏と違って共産党の応援ポスターにも確か良く登場するし、山野のようなウヨにとってはそう写るのかも知れません。ただこの感想、明らかにスライドへの感想ではないですね。「スライドを見てこう思った」ってんじゃないですから。
 山野が「こんなうさんくさいスライドに意見なんか言えるか」と思ってるのは間違いないでしょう。
 この後はフリートークみたいな感じ。
 古谷曰く「僕が一番好きな高畑作品は平成狸合戦ぽんぽこです。あれは日米戦争を描いていると見ることも出来るんじゃないか」
 ぽんぽこを見てないので何とも言えませんがそれはないでしょうよ。
 西村曰く「高畑さんが日本の民主主義を全く信用してないのは酷い」
 「ええ、それお前が言うか?」ですよ。「民主党政権や自社さ政権が誕生したときお前らウヨは国民のことを何て言ってたんだ?」って話ですよ。まあ、「高畑氏は日本民主主義を全く信用していない」は言いすぎですね。「講演は一般人相手の訳」で「民主主義否定論」なんかかますわけがない。「評価が低い」とでも言うべきでしょう。俺も日本民主主義への評価ははっきり言って低いですけどね。石原みたいな奴が都知事に選ばれたりするんだから。でもそれは「全く信用してない」とか「民主主義否定」とかではない。
 現に否定するわけにもいかないわけですから。まさか今時「優れた前衛が遅れた大衆を指導する」というわけにもいかない。理念的にそんなのは間違ってますがそれ以前に現実性がない。「日本の民主主義は遅れてる」と言う理解の元で「ではどうやって我々はレベルアップしていくべきか」という話の訳です。そうそう簡単に答えが出る話でもないでしょうけど。
 古谷曰く「かぐや姫の物語*23がうまくいかないスランプでこういう事言ったのかも知れない」
 古谷的に高畑氏をかばってるつもりなんでしょうか?。まあ、「バカの安倍が首相に再登板」なんてお粗末な政治状況見たら、高畑氏に限らず「安倍批判派」は日本の民主主義に「不信の思い」がわくでしょうよ。俺なんかそうですから。
 一方、西村らウヨは「自社さ政権」「民主党政権」誕生時には大いに「日本の民主主義への不満」を語っていたわけです。「あんな政権が誕生するなんて何てことだ!」と。そういう自分の過去の言動をどう思ってるんですかね。
 西村曰く「山野さんの憲法九条論や東京裁判論には異論がある」
 まあ、あるでしょうね。言わなくてもわかる。良く山野もあの西村の前でこんなことを言ったもんだと思います。山野以外だったらその場で西村が怒鳴りつけてる可能性大だし、西村は「喧嘩売ってるのか」とすら思ったんじゃないか。
 山野も「日米合作というのは言い過ぎだったかも知れません」とややトーンダウン。 
 西村曰く「じゃあ日本が抵抗したという表現の方が良くないですか?」
 抵抗ねえ。少なくとも米国と日本の間には「天皇訴追回避」という点では意見の違いはないから、その点では「日米合作」としか言いようがないと思うけどね。合作という表現を何でこんなに西村は嫌うんだか。
 ここで古谷が山野をかばおうとします。
 「中曽根が若い頃作った『憲法改正の歌』で『占領軍は命令す、もしこの憲法用いずば、天皇の地位請け合わず』という歌詞がある。中曽根も山野先生と同じようなこと言ってるわけですから」
 中曽根の権威で山野を助けようという話です。でしばらくの間「憲法改正の歌」が流れる。って何度も繰り返しますが映画はどこ行ったんだ、改憲集会かよって話、です。
 音楽が終わると西村曰く「この歌は始めて聞きましたけれども良かった」
 ええ、古谷が知ってる歌を、古谷より年上のあんたがそういうこと言っていいのか?
 西村曰く「風立ちぬの話に戻したいと思うけどこの映画は子どもより大人が見てるんじゃないか」
 そりゃそうでしょう。子どもが見たがる映画とも思えない。
 三浦曰く「こういう歌を作ったのに中曽根さんは何だと言いたい」
 要するに首相在任中に改憲に動けよと言う話でしょう。中曽根内閣時にそれが可能だったとか、不可能でもやれとかと思うのは三浦のような右翼ぐらいなもんでしょう。当時は「改憲派が衆参の2/3占めてる」なんて状況じゃないから、改憲の発議すら無理だったわけです。かつ当時の中曽根にとってはそんな事よりも電電、国鉄民営化や消費税導入(中曽根内閣時には導入できず次の竹下内閣で導入)などの方が重要だったでしょう。
 三浦が産経文化人・長谷川三千子の本「神、やぶれたまわはず」の紹介をやり出します(この長谷川本については三浦のエントリ『8月25日にもトークイベントあります&「ジャパニズム」14号に長谷川三千子氏の書評書きました』(http://miura.trycomp.net/?p=1884)も参照して下さい)。
 もう何というか呆れるしかないですよね。映画評論はどこへ行ったのか?。長谷川の本を紹介するなら「終戦のエンペラー」や「風立ちぬ」とどう関係があるのかを説明すべきでしょう。
 「戦争に関係してるから」なんてのはこじつけですよ。戦争に関係した本なんて長谷川本以外にも山ほどあるわけですから。
 三浦曰く「中国、北朝鮮民主化できる唯一のチャンスが出来たのは今なんですよ。レーガン在任中にソ連が崩壊したように」「東南アジアなどと連携して中国、北朝鮮を追い詰めていく」
 すごいですねえ。本気なんでしょうか。東南アジアも三浦のような物騒な中国打倒路線に乗っかるつもりは全くないでしょうよ。ぶっちゃけ中国と経済交流してるのが東南アジアでしょうに。日本だって日本企業が多数中国に進出してるのにそんなことができるわけもないでしょう。
 次に大東亜会議70周年記念大会の宣伝をやり出す三浦。しつこいですが、もう完全に「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」はどっか行っちゃっています。
 しかも「大東亜会議の理念が今生かされるときだ」と言う三浦。
 ま、要するに「中国民主化してチベット独立」とでも夢想してるんでしょう。何というかおめでたい人です。
 三浦曰く「今は新しい東アジア(つうか中国、北朝鮮でしょうが)に対する戦争の始まりなんですよ」 「中共*24北朝鮮、米国に荷担して利敵行為をやる人々との戦いの始まりなんです」
 まあ、どこまでも物騒な男です。大体「荷担して利敵行為」って具体的に何なんですかね?。特に「米国に荷担」ってのはどういう意味なんでしょうか?。三浦のようなウヨは「米国は日本の同盟国」と持ち上げてたんじゃないんですかね。
 古谷曰く「西村先生おっしゃったように確かに観客に子どもは少なかった。細田守の最近の映画の方が子ども向けだと思う」
 そりゃ少ないでしょう。
 古谷曰く「安倍政権になったから零戦映画を宮崎は作ったんだ」
 どうですかね。ま、古谷らウヨが「風立ちぬ」をウヨ映画扱いし、「日本の正常化の象徴(勿論彼らにとっての正常化であり、平たく言えば右傾化)」として「宮崎という人を自分らのウヨ仲間」として高く掲げたいことは良くわかりますが。それほど宮崎という存在はウヨにとって魅力的だし、ウヨには宮崎ほどの大衆的存在がいないということでもあります。
 古谷曰く「コクリコ坂に朝鮮戦争のネタが出てくるのもそういうことなんだ」
 これまたどうですかね。ちなみに朝鮮戦争云々というのは次のようなことです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-30/2011083001_06_0.html
 いま上映中のアニメ「コクリコ坂から」は、高度経済成長渦中の時代のにおいに満ち満ちています。東京オリンピックを翌年にひかえた時代設定がそうさせたのでしょう。
(中略)
 主人公の「海」の父親は彼女が子どもの頃、朝鮮戦争でLSTの艦長をしていて、機雷にふれて沈没し死亡したという設定です。
(中略)
 映画では朝鮮戦争については、沈没の場面や、セリフで少し出てくるだけですが、父親の死の背景を知ると、「海」が毎朝、父親の帰ってくるのを願って信号旗をあげる場面は、よけい悲しみがつのります

小生、コクリコ坂をみてないので評価に困りますが、赤旗記事を信じる限り、古谷の言うような右翼的映画ではないですよね。
 さて次に山野。「日本国憲法アメリカの押しつけだ、だから変えなきゃいかん」と言いたがる西村や古谷に喧嘩を売るかのように「いや、日本政府がマッカーサー草案にいろいろ口出して変更になったところもありますよ、単純な押しつけじゃないですよ」「憲法制定過程じゃなくて鳩山一郎内閣の改憲路線が挫折してからずっと改憲できなかったことの方が問題だと思うんです」とKY発言。まあ、山野の第1部での発言「9条は天皇訴追逃れの工作の意味がある」等からは全く自然な発言ですが、明らかに西村や古谷が支持しそうにない発言です。とはいえ山野にとっては「ここは譲れない」んでしょう。
 山野としては「押しつけとか言うても事情はどうアレ国民が今の憲法を支持してきたんやないか」「そういう国民感情を押しつけ憲法、押しつけ憲法と言いたがるあんたらは全くわかってない。そんなんで改憲できると本気で思ってるのか」「変えたらこういういいことがあると言わなきゃ変えられないよ」ということでしょう。とはいえ山野も実に正直にも「私もどう言ったら改憲に支持が得られるかわからないんですけど」と言っています。あの悪名高い「嫌韓流の作者」という事を知らなければ「山野が一番まともに見える」から何だかなあと思います。
 何せ山野は「護憲派の主張にも一理ある」「というか護憲派の主張はそれなりに支持されてる、だから今まで改憲できなかった」「にも関わらず改憲派十年一日の如く押しつけ憲法、押しつけ憲法と言いたがる」「そんなんじゃダメだ」と言う主旨のそれなりにまともなことを言ってるからです(変な事も言ってますけど)。他の連中は山野と比べると何というか酷すぎますね。
 西村曰く「風立ちぬでは零戦しか出てこなかったが烈風も出して欲しかった」
 烈風ってのは零戦の後継機で設計者は零戦と同じ堀越二郎です。ただ開発の遅れから実戦投入されなかったのでその性能についての評価は難しいようです(ウィキペ「烈風」参照)。西村は「米軍機に勝てたと思う」と言いますがおそらく「そうあってほしい」と言う願望で根拠はないでしょう。当時の日本の戦局はもはや烈風でどうこうなる状況じゃないですけど。
 で、まあ、「烈風を出さなかったのは出したかったのに軍国アニメと批判されるのを避けたかったからじゃないか。興行収入に影響するから、周囲(ジブリの鈴木プロデューサーとか協力している企業とか)からも出すべきでないという声があったんだろう」という勝手な決めつけが始まるわけですけど、当人が烈風を出さなかった理由について何も言ってないのに勝手に決めつけるなと。
 まあ、百歩譲って「烈風を出すか出さないか検討して出さないことにした」んだとしても根拠もないのにそれを「興行収入」という風に理解するのも酷い話で、「右翼映画と誤解されたくない」「右翼に政治利用されたくない」と考えればいいじゃないですか。ま、「宮崎は俺達の仲間なのに、正直にそれが言えないんだ!」ということに何が何でもしたいようですけど。
 で2時間10分ほどで西村が「小浜逸郎さんが来てるんです」とウヨ物書き仲間の小浜を紹介。
 でも小浜は「いや、いきなり振られても僕は考えがまとまらないので、今の時点では特にいうことはないです。支離滅裂なことをだらだら言うことになりそうなので。」みたいな態度。
 それに対して「小浜の立派な意見をどうしても聞きたいのか」、それとも「ああそうですか」で切ってしまっては小浜に対して無礼すぎると言うことなのか、「いや多少長くても構いませんから」と言っても「いやあ、今はちょっと。他の方に振られたら?。他にもいらっしゃるんでしょう」という態度の小浜。
 「それじゃあ、映画監督、演出家、劇団を主催してらしゃる野伏さん。『めぐみへの誓い』と言う劇を今度上演される方なんですけど」という西村。
 この野伏と言う男は石原慎太郎の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を自分の主催劇団・劇団夜想会で舞台化したという右翼な御仁です。まあ、『めぐみ*25への誓い』自体、巣くう会が泣いて喜ぶような右翼劇なんでしょうけど。
 「前へでてよろしいですか」と随分アグレッシブな野伏。「ええ。じゃあ小浜さんも前にいらして下さい」と西村が言い小浜、野伏ともに西村らがいる座談会の場所まで歩いて行く。辞退していたはずの小浜だったんですがどうしたんでしょうか?。「短いコメントじゃ困る、前で思う存分話したい」ということだったんでしょうか?。
 「それと今日、マッカーサーの通訳の方を連れてきて下さったジャーナリストの野村旗守さん」。
 野村は「市民の党疑惑」などという産経ぐらいしか騒いでいなかった与太話を大騒ぎしていた男で、要するに阿比留や古森の同類です。ジャーナリストと言うより「極右活動家」とでも呼ぶべきでしょう。しかし野村は「いや僕はご遠慮しておきます」と辞退。
 まず小浜の発言。
 「僕はもちろん右翼ではあるんですが、こういう右翼的な場所に来ると根が天の邪鬼なんで、左翼にはなれませんけど、『全く同感です』なんて言わないで何か批判しなくてはと思うんですね」
 この小浜の発言には笑いが起こるとともに、西村が「いや僕らは右翼じゃないですよ、中道ですよ」と反論。お仲間の小浜の発言なんだから適当に流せばいいものを、「俺達は右翼じゃないんだ」と何が何でも言わずにはいられないのが西村のようです。本気で「俺は中道」と思ってるのか、「右翼と言ったらイメージが悪い」と思ってるのか知りませんが。
 一方、小浜は「俺達は誰が見ても右翼なんだから『右翼で何が悪い』とはっきり言えばいいじゃん。何で君ら中道って言いたがるの?」とある意味確信犯のようです。
 小浜曰く「第一部で話があった『終戦のエンペラー』は私は見てないんで評価できないんです」
「実は前評判を聞いてて見る気がしなかったんです。」
「今日のお話を聞いてて、皆さんの見方が正しいのなら見なくて良かったなと思ったんです」
「『風立ちぬ』と山野さんのフェラーズを描いたマンガは拝見しました。山野さんのマンガはいいと思いましたがご本人の前で褒めるのもおべっかみたいだし、今日の話の本筋ではないので申し訳ないのですが『風立ちぬ』だけコメントします」
「僕は一回しか見てないんですけど涙がぼろぼろ流れました。菜穂子と堀越二郎の恋愛シーンに感動した。そういう恋愛話についての話が座談会ではほとんどなくて残念だった。まあ、『終戦のエンペラー』と一緒に論じるという枠組みでは仕方ないのかも知れませんが」
 「恋愛シーンいらない(山野)」「堀越二郎堀辰雄くっつけて良かったのか(三浦)」と言う立場には小浜は「天の邪鬼」だからか同調しないようです。
・さて三浦の「芸術家は政治発言するな」に「その通りだと思う」と同調する小浜。何だかなあですね。まあおためごかしで「その方が当人の為だと思う」と三浦と同じ事を言うわけですが余計なお世話ですよね。大体こいつら右翼連中は、右翼的な芸術家にはそんなこといわないわけですから。
 小浜が「政治的発言をする芸術家」として、宮崎氏以外に批判してるのが「大江健三郎氏」「村上春樹氏」なんだから実にわかりやすいほどわかりやすい。単に「社会的影響力のある芸術家が左翼的発言すると俺達ウヨが困るから黙れ」とか、あるいは「俺の好きな芸術家には左翼的な発言はして欲しくない」とかその程度のくだらない話に過ぎないわけです。
 たぶん左派が、黛敏郎津川雅彦のような「右翼政治発言をする芸術家」に対し「あんなアホな発言して恥ずかしくないのかね。芸術的才能はあるんだから黙ってればいいのに」「俺左翼やけどあの人らのファンだから黙ってて欲しいのよね」等と三浦や小浜と全く同じ事を言ったらどう反応するか。
 まあ、前にも書きましたけど「余計なお世話だ」という反応をするでしょうね。
 小浜曰く「優れた芸術家だからと言って優れた政治的識見を持ってるとは限らない」
 そんなことは小浜に言われなくても普通の人間はわかりますが。たとえば黛敏郎津川雅彦の芸術家としての才能とその政治的識見と関係ないですから。よほど宮崎氏の政治的発言に脅威を感じてるんでしょう。
・小浜曰く「憲法については私も意見はありますがそれはそういう話が今後でたらまた改めて(注:結局そういう話は小浜はしません)」。そして野伏にマイクを渡します。しかし最初当てられたときは辞退するかのようなポーズの小浜ですが話すこと話すこと。やはり「俺も座談会の舞台で君らと話したい。短いコメントだけじゃ不満足だ」って話だったんでしょうね。
・野伏曰く「僕は芝居の稽古が忙しくて最近映画を全然見てないんです。でもこの座談会のためにと思って稽古を抜け出してこの2つの映画だけは見てきたんです。」
「『風立ちぬ』は日本の風景がとても美しかった。そして純愛ですね。ノスタルジーですね。」
・ただ国際連盟脱退を聞いた堀越が「これはダメだな」というセリフ*26がアニメの中にあるんだそうですが、もちろん右翼の野伏が「そうだ、その通りだ」と思わないのは言うまでもありません。
 「連盟が悪いんじゃないか、何を言ってるんだ?」というさすが右翼という主旨の発言が飛び出すわけです。戦前の「松岡代表が颯爽と連盟を脱退した」と言う世界に今も野伏は生きてるんでしょう。
 おそらく野伏は「零戦を作った堀越はそんな事を思わないんじゃないか?」「堀越はむしろ脱退を評価するような人間ではないのか?」「堀越の妻がサナトリウム療養しているというフィクションを含む作品でもそこは変えたらまずいんじゃないか?」という「アニメ中の堀越発言が現実に即しているかどうか」という事を問題にしてるんじゃないでしょう。
・野伏曰く「女性の描き方は復古的なのに何で戦前日本の戦争を宮崎さんは否定するのか」
 正気なんですかね。女性の描き方が復古的かどうか知りませんが、そこが復古的だからといって何で「そういう人は日本のした戦争を評価して当然」なんて思えるんでしょうか。
・野伏曰く「『終戦のエンペラー』で近衛文麿が『私たちは植民地支配をしたがあなた方も植民地支配をした、五分と五分じゃないか』というセリフがあるんですがこれがもろに太平洋戦争史観ですね。だから、この映画を西村先生が評価すると言ったのが意外です」
 全く同感だとでも言うように小浜が「ためしてガッテン」の回答者のように上下に首を振ります。要するに野伏や小浜は「大東亜解放戦争だ」と言いたいんでしょう。日本は植民地支配なんかやってないと言いたい。
・西村曰く「GHQ史観の枠は踏み出してないけれど、映画『出口のない海*27とか他と比べると『終戦のエンペラー』はいいと思う」。
 「出口のない海」ってのは回天特攻が題材ですから、そりゃ西村は評価しないでしょう。小生この映画を見ていませんし、小説も読んでいません。しかし、今時「回天特攻は日本の栄光」なんて非常識な小説は普通書かないし、そんな非常識な映画も普通作らない。何らかの批判がされるわけでそれを「回天特攻は偉大」なんて非常識な西村が見ればそれは不愉快になるでしょう。
・野伏曰く「マッカーサーが日本に脅威を感じてるという描写があったのが嬉しかった。日本にびびってるから天皇を訴追できなかった」
 まあ、実に右翼らしい。嬉しいとか嬉しくないとかじゃなくて、歴史的事実を元にしてるんだから「現実に即してるかどうか」が問題でしょうに。「本当はどうかわからないけど映画ではマッカーサーが日本にびびってて、すかっとした」って何だかなあ。
 まあ、びびってるという表現はともかくマッカーサーが「天皇に対する日本国民の感情」が実に好意的であることから「訴追するより政治カードとして利用する方がお得だ」と考えたのは事実ですけどね。
・次に何故かアンジョリーナ・ジョリーの初監督作品「最愛の大地」(ボスニア紛争が題材)に触れる野伏。「風立ちぬ」「終戦のエンペラー」とジョリーの映画って戦争映画ってところしか共通点ないじゃん、何変な事言ってんだ、このオヤジ?と首をかしげながら聞いてみる。
・野伏曰く「レイプとか虐殺とかがジョリーの映画に出てきて、護憲派専守防衛というのが非現実的だと思った」 
 はあ?、である。「自衛隊廃止、非武装路線」ならともかく「専守防衛」なら「攻めてきたら自衛隊で反撃する」んだから「レイプとか虐殺とか」起きないだろうに。つうかそういうのを俺が見たら「ああ、戦前の日本も差別意識丸出しで中国や東南アジアで同じ事(虐殺とかレイプとか)やってたんだろうな、そういうのを必死に否定したがる日本ウヨってゲスだな」と思うだろうが、やはりそういうことを「そういうゲス右翼の一人」野伏は思わないらしい。
 またウィキペ「アンジェリーナ・ジョリー」によると

・2001年頃から本格的に慈善活動を始め国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使も務める。
・2010年8月、10万ドル(日本円で約900万円)をパキスタン洪水の被災者支援として寄付していたことが明らかになった。
・2012年10月9日、パキスタンタリバンを批判し、女性の権利向上のために活動していた少女マララ・ユサフザイがタリバンとみられる男たちによる銃撃で重傷を負う事件をが起きると、10月18日、パキスタンアフガニスタンの少女のために5万ドル(約400万円)を寄付した。
・2013年6月24日、国連安保理で開かれた紛争下の性暴力問題に関する公開討論で演説を行った。
・イロコイ族の母の影響でインディアンの文化を守る活動にも非常に熱心に参加している。

というのだから「ああ、この映画はそうした慈善活動の一環だろうな、ある意味、興業収益度外視なんだろうな」と俺なんかは思うがそういう理解も野伏にはないらしい。ジョリーもせっかく作った映画を野伏みたいなバカに珍理解されたのでは全く浮かばれない。
・野伏曰く「ジョリー映画の他にもう一本映画を推薦したい」
 「お前、何訳のわからないこと言ってるんだ?」である。『「風立ちぬ」「終戦のエンペラー」の感想を言え』と野伏は言われたのであって誰も「この際、最近のおすすめ映画を教えて下さい」とは聞いてないのだが。
・でその映画とは、野伏の劇団「劇団夜想会」の舞台「誠〜とびだせ新選組〜」の映画化だという。完全に野伏の宣伝である。
 タイトルだけだと「何だ、新撰組話か、もうそういう映画はいくつもあるじゃん」と思うだろうがそうではない。映画の公式サイト(http://tobidase.net/)と、野伏の舞台を紹介した荒木和博の文章を紹介しよう。

http://araki.way-nifty.com/araki/2012/03/post-56df.html
劇団夜想会のミュージカル「誠 とびだせ新撰組」を観ました。
(中略)
「誠 とびだせ新撰組」は新撰組がタイムスリップして現代にやってくるという想定ですが、この芝居の中でも拉致問題がちょっと出てきます。拉致された国民がいると知った沖田総司が自分たちなら犯人を斬る、助けに行くという場面です。これに現代人の青年(実は沖田総司の子孫)は言葉がないのですが、後にヒロインを守ろうとして自ら刀を振るいます。

 ばかばかしいとしか言いようがない。以前も『「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(1/12分:荒木和博の巻)(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20120112/5064208021)で突っ込んだが

自分たちなら犯人を斬る、助けに行く

って非常識にも程があるだろう。どこに誰を斬りに行くのか?。居場所もわからないのにどこに助けに行くのか?。外交交渉以外に解決の道などあるわけもないだろう。
ま、野伏のような「巣くう会脳」の右翼ではこういう結論にしかならないのだろうが。
・野伏の映画は独立プロが作ったという話を聞いて「やはりこういうのを大手に持っていってもダメなんですか」ときく西村。
・野伏曰く「東映とか大手映画会社にも持っていったんですが」。
 内容が右翼過ぎて政治的ごたごたに巻き込まれかねないから大手は乗りたくないってのも野伏らがいうようにあるでしょうが、そもそも「つまらないから当たらない」「だから大手は乗らない」んでしょ。「無名芸能人の分際で、どんだけお前ら自分の才能に自信があるんだよ」「映画作ったって自慢してもお前らの映画は全然話題になってねえだろ」って話です。
・さていわゆる「天皇人間宣言」について「あれは天皇の現人神性否定よりも五箇条のご誓文再評価が主眼なんだ」「人間宣言というのはマスコミの命名なんだ」と言い出す小浜。
 命名がマスコミというのはその通りですが「五箇条のご誓文」云々と言う小浜の主張は正しいのか?
 おそらく間違いであるということはウィキペ「人間宣言」を見るとわかります。

ウィキペ「人間宣言
いわゆる「人間宣言」についての記述は以下の通りである。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

 昭和天皇は、1977年8月23日の会見で記者の質問に対し、詔書のはじめに五箇条の誓文が引用されたことについて、以下のような発言をした。

 それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。
 昭和天皇, 1977年8月23日の会見

 この発言により、この詔書GHQ主導によるものか、昭和天皇主導によるものかという激しい議論が研究者の間で起こった。その後、1990年に木下道雄『側近日誌』(文藝春秋社)が刊行され、GHQ主導によるものとしてほぼ決着した。

 要するに人間宣言とは「神格否定」が主眼だったのに、それを認めたくない昭和天皇が「いや五箇条のご誓文強調が主眼だ」と強弁し、その強弁に小浜ら右翼が乗っかってるだけという話なんでしょう。
 ここからは人間宣言での「神格否定」が昭和天皇や「小浜のようなウヨ」にとっていかに不快で不本意だったかという事、出来れば詭弁で否定したい出来事であるということがわかります。
・「安倍政権なら外国にがつんと言ってくれる」という三浦に対し「全然そうは思わない、TPP交渉でも米国のいいなりじゃないの?」という「天の邪鬼」の小浜。小浜の口ぶりからは彼が「TPP批判派」「新自由主義批判派」らしいことがうかがえます。しかし小浜は『横浜国立大学工学部建築学科卒業(ウィキペ「小浜逸郎」参照)』なので経済の専門家とはおよそいえないのだが何でTPPに口が出せると思うのだろうか。いや俺個人は別に口を出していいと思うが「素人は余計なコトしなくていい」と言う論理で「宮崎駿氏の政治的発言」を非難した小浜の立場では「小浜が経済学者と対等に渡り合えるだけの能力を保有している」とまず小浜が証明でもしないとTPPについては何も言えないと思うのだが。
・韓国に向かって「北朝鮮とほとんど同じ」呼ばわりする西村と「その通りですね」と応じる小浜。西村と小浜が北朝鮮と韓国を異常なまでに敵視していることがわかります。
・中国、北朝鮮、韓国へ悪口を吐いた上で「そういう問題についてお話を伺いたい人がいます」という西村。その人とは西村曰く「世界ウイグル会議副総裁(アジア担当)、日本ウイグル協会代表のイリハム・マハムティ」だという。西村に呼ばれ座談会に参加するイリハム。
・「安倍政権についての感想を。不満も含めて」とイリハムにいう西村。
・「不満なんかないです」とまずはおべっかから入るイリハム。もちろんイリハムが西村の発言を本気にして「これこれこういういい点とこれこれこういう悪い面、不満がありますね」などと言えば、後で「西村から酷い罵倒をされる」など、恐ろしいことになるだろうからイリハムの対応は「西村たちと縁切りする」という決断をしない限り「正しい対応」である。つうか西村も「不満なんかないんです」というおべっか発言を引き出すために「不満があれば言っていいよ」と言ってるのに過ぎない。
 実に卑怯な態度ではある。
・イリハム曰く「日本国憲法が米国の押しつけ*28であることにびっくりした」
 まあ、何というか言葉もない。とてもイリハムがこういう事を本心で言ってるとは思えない。
 大体こんなことを言えばイリハムや日本ウイグル協会、世界ウイグル会議護憲派の反感を買いかねないのだから普通思っても言わないだろう。日本における改憲、護憲の論争にウイグルが首を突っ込んでもメリットなどない。
 「ウイグルの将来のためには日本ウヨに媚びるしかない」と思ってるのか、「ウイグルがどうなっても知ったことか。俺さえ食えればいい。俺は日本ウヨに媚びて食っていくんだ」と思ってるのか知らないが要するに「日本右翼に媚びる」と言う路線をイリハムは選択したわけだ。イリハムが「一ウイグル人」にすぎないのなら問題も小さいが「世界ウイグル会議副総裁(アジア担当)、日本ウイグル協会代表」である以上、「イリハムの発言を世界ウイグル会議や日本ウイグル協会が支持(黙認という消極的支持を含む)」していると思われても文句は言えないだろう。
 ま、「見ろ、ウイグル人だって俺達の改憲論を支持してるぜ」とウイグル人を政治的に悪用して恥じない日本ウヨもいい加減卑劣、下劣だが。しかも「映画評論雑談会」と信じて会場にいったら「ウイグルの政治利用」と言うのでは俺だったら嘔吐感を催すだろう。この座談会に行った連中はそういう「純粋な人間」ではないのだろうが。
・イリハムの押しつけ憲法論支持だけでもうんざりなのだが「九条が改憲できないのは自虐歴史観があるからだ」とイリハムが言い出してうんざり。
 自虐歴史観というのはたとえば「南京事件否定論」のことなのだから、中国から「イリハムは南京事件否定論に荷担するような人間のクズだ!。そんな奴が信用できますか!」「そんなイリハムを役員にする世界ウイグル会議や日本ウイグル協会が信用できますか!」と言われたら反論することは難しい。
 下手に反論したら南京事件否定論を容認したことになってしまう。
 そしてある程度常識のある人なら「自虐史観」云々というイリハムとイリハムなんぞを「役員にしている某ウイグル組織」から離れていくだろう。こういう事態について批判*29したらMukkeさん(IDコールは送らない)から「ウイグルをバカにするな」と怒られたが小生を怒る前に「イリハムのようなバカ」「そんなバカを役員にする某ウイグル組織」に対して少しは怒ったらどうなのだろうか?。怒る方向性が違うと思うのだが?。
・「世界から批判を受けるから悪くもないのにわびてきたのが戦後日本」と言い出す小浜。
 南京事件否定論(羽田内閣の永野法相)だの慰安婦違法性否定論(野党時代の安倍晋三、首相になってからさすがに国内外の批判で封印したが)だのを有力政治家が放言するのは「充分悪い」と思うのだが、小浜は悪くないと強弁したいらしい。当然ながらこんな居直りをしたところで国際社会の反発を買うだけである。こうした行為は勿論不道徳だが、道徳的にどうこう以前に国益が害される。
・2時間45分頃から「観客の質疑応答を受けたい」という西村。
・最初が「田村みほ子」なるおばさん。「日本が目指すべきビジョンについて聞きたい」とのこと。
 西村曰く「最新刊の『 「反日」包囲網がアベノミクスを壊す:トクアノミクス*30の正体』(2013年、文芸社)にも書きましたが利他的な国家理念を持たなくてはいけない。」
 まあ、利他的ってのは「他人に利益をもたらす」、つまりは「共存共栄」ってことですね。
 一般論としては誰も反対しない。
 お前のどこが利他的なんだよ、西村って思いますが。
 三浦曰く「1980年代のバブル期は富国はあったが強兵はなかった」
 三浦の言う強兵って何なんですかね?。軍拡ですか?。素直に理解するとそうとしか理解できないんだけどね。「過去の戦争をまともに反省しない国」が軍拡なんかしたら周辺諸国にとってどれほど恐怖かという理解が三浦にはないらしい。そして韓国や中国が黙ってそれを見ていると思ってるんでしょうか?。おそらく対抗して軍拡するでしょうね。
 三浦曰く「北朝鮮の独裁体制を容認したことが拉致につながってる」
 いやいや容認ってどうしてほしいのやら。打倒なんて現実的じゃないでしょうに。
 三浦曰く「日本の安全を守るためには中国や北朝鮮と言った独裁政権は潰さなくちゃダメだ」
 誰かさんが三浦の暴言に大拍手。
 やれやれ。一体どうやって潰す気なんでしょうか?。大体、関係のそれほど深くない北朝鮮ならまだしも日本企業が大いに進出している中国を潰すなんて事が可能だと思ってるんでしょうか?
 大体、中国も北朝鮮も日本攻撃なんか考えてないでしょう。日本の安全保障という意味でなら潰す必要はどこにもない。それとも三浦もペマみたいに「日本はこのままじゃ第2のチベットになる」とか言い出すんでしょうか?
・三浦曰く「アベノミクスは手段であって目的、理念でないんだ。それを見失うと日中友好で経済的に繁栄しようという話になる」
  三浦が日中友好を極端に嫌ってるという話です。また三浦にとって、「アベノミクスに限らず」経済政策の目的、理念とは「中国を打倒するだけの政治力、経済力を持つこと」のようです。小生も含め多くの人間にとって「経済政策の目的、理念」とは「国民皆がまともに食えること」であって対中関係に限らず「外交問題」なんか経済政策とは関係ない別の問題ですが、三浦の価値観は相当に特異だと思います。
 なお、「中国貿易を切り捨てて日本がやってけるか」と言ったらやってけないでしょうね。三浦が「目的だの理念だの」言ったところで中国と敵対するなんて選択肢は現実にあり得ないわけです。
・古谷曰く「西村先生や古谷先生に同感」「それに付け加えれば日本が世界の紛争の調停者になるべきだ」「そのためには米国のようにどんどん自衛隊も外に出すべきだ」
 いやちょっと言葉に詰まっちゃいましたね。「その種の調停者(世界の警察官と言ってもいいでしょうが)」って単に自国の国益を武力で押しつけてるだけじゃないのという批判が既に米国に対してされてるわけです。「お前が何で世界の調停者面してるんだよ」という批判が既に米国にある。
 でそういう路線はとってはいけないと左派なんかは批判している。
 安倍も「我々は世界の調停者を目指します。米国みたいにがんがん自衛隊を出します」なんて言ってないわけです。にもかかわらずこういう事を言っちゃう。本当に古谷は馬鹿正直だなと思いますね。
 さすがに古谷は「米国と同じじゃん」という批判はわかってるようで、「米国と違って我々は戦争の惨禍を経験した」なんて言ってます。何抜かしてるんだって話です。敗戦はしてませんけどアメリカだって戦争の惨禍は大いに経験してるでしょう。「勝ち戦なら戦死者がいない」わけでは全然ないわけです。
・古谷曰く「そのために空母と原子力潜水艦が欲しい」。
 何というか、正気なのかと言いたいですね。この古谷の発言は小生の捏造や冗談だと思う人もいるでしょうがマジです。
・山野曰く「日本人の心を取り戻す。悪徳商法とかそういうことをなくしたい」
 ここまではまあ、いいでしょう。
 問題は次です。
 「日本は神道の国ですよね」
 やれやれです。日本文化に確かに神道は大きな影響を与えました。そう言う意味で神道を知ることは悪いことじゃない。
 ただし日本文化に影響を与えた思想は他にも仏教、儒学キリスト教などいろいろあるわけです。それにこの山野の発言は文脈から見て、事実上「神道を日本の国教化したい」という話でしょう。
 政教分離をどう考えてるんだって批判せざるを得ない。ま、その後もしばらく続きますが小生的には特に興味のある発言もなかったので全部スルーします。

*1:伊藤忠商事会長、小説『不毛地帯』の主人公「近畿商事副社長」壱岐正のモデル

*2:ただし「瀬島の名誉」の為に断っておけば瀬島に限らずシベリア抑留者の多くは「ソ連スパイではないか」という偏見の目で見られ生活に苦労しました。大企業役員になれた瀬島は恵まれていたと言えるでしょう

*3:英雄になろうとしたが力関係で日本の傀儡にしかなれなかったってのが正しいんでしょうね

*4:黄昭堂本の中の岡田による推薦の言葉でしょうね。

*5:20年前の本に、今更大人げないけど滅亡に直進してないよね。確かに1990年といえば天安門事件で制裁食らってるけど、よくこういうほらが吹けるよな

*6:台湾独立建國聯盟主席、昭和大学名誉教授。著書『台湾民主国の研究』(1970年、東京大学出版会)、『台湾総督府』(1981年、教育社歴史新書)

*7:文革後の1970年代後半にトウ小平が唱えた工業、農業、国防、科学技術の四つの分野で近代化を達成すると言う目標。失敗どころか「成功した」と思うのだが?

*8:「承認」が「『一つの中国』論を放棄する」と言う意味ならそんな事実はもちろんありませんでした

*9:偽外国人「イザヤ・ベンダサン」「ポール・ボネ」「ヤン・デンマン」のように、日本人の癖に華僑を詐称して文を書いたと言うことでしょう。こういう詐欺的な所業を他人に暴露され批判されるならともかく、岡田も良く自分の業績として掲載できるもんです。

*10:著書『潜入ルポ・中国の女』(2011年、文藝春秋社)、『中国のマスゴミ』(2011年、扶桑社新書)、『中国「反日デモ」の真相』(2012年、扶桑社新書

*11:その理屈だと韓国も中国の一部になってしまうがそう聞かれると「そうです、中国は韓国も中国の一部だと思ってるのです」と平気で言うんだろうな

*12:正確には内モンゴル自治区

*13:嘘という根拠は何なんですかね。義和団の乱は日本に好意的じゃないでしょうからそういう発言してもおかしくないと思いますけど。

*14:多分も何も普通、一般向けの新書でも出典は書くと思うのだが?。書いてないの?。

*15:著書『洪秀全太平天国』(2001年、岩波現代文庫)、『近代日中関係史断章』(2008年、岩波現代文庫

*16:朝青龍はなぜ強いのか?:日本人のためのモンゴル学』(2008年、ワック)のこと

*17:支援したというより日本が実権を握ってる傀儡国家だが

*18:文脈から考えるに、正確には「内モンゴル」。外モンゴルは独立国であり満州国の統治下にはない。

*19:1992年、文藝春秋社→2009年、中公文庫→2012年、文春文庫

*20:現在の東京芸術大学音楽学

*21:ピアニスト。公式サイト(http://izumi-shimura.com/

*22:三浦の大東亜戦争(太平洋戦争)に対する態度は「評価するのか、評価しないのか?」、全く訳がわかりません。

*23:2013年11月公開予定の高畑監督のアニメ映画

*24:自ブログでは中共とは書かない三浦ですがお仲間ウヨしかいない世界では「中共」と平気で言えるわけです。まさに詐欺的な人格です

*25:横田めぐみさんの事

*26:実際の堀越がどう思ったのかは俺は知りません。ただし「堀越の妻がサナトリウム療養」と言う点が明らかに事実ではないので、この発言が現実の堀越発言とは異なったとしても「サナトリウム療養まで批判」するのでないと宮崎を批判しづらいのは事実です。

*27:回天特攻が題材。原作は横山秀夫の小説

*28:そもそも押しつけ憲法論自体、山野が批判するように問題なのだが。そして山野が押しつけ憲法論を批判しているのにそれを皆でガン無視しているところが噴飯物だ。

*29:まあ、やや嘲笑気味だったことは認めるが

*30:「トクア」とは西村らウヨの使う用語で「特定アジア」の略。「特定アジア反日的なアジアの国=中国、韓国、北朝鮮」と理解しておけばよろしい