「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート84(追記・訂正あり)

■〜大東亜会議を知ることが、本来の日本を取り戻す第一歩〜作家・歴史資料収集家福冨健一*1学習会報告(三浦の個人ブログ)への突っ込みその1
http://miura.trycomp.net/?p=1994
 本文については後で突っ込みますがタイトルだけで三浦エントリの内容がわかります。言うまでもなく「大東亜戦争聖戦論」です。
 「大東亜戦争はアジア民族解放の聖戦だ、侵略戦争という奴は東京裁判史観やコミンテルン史観に洗脳されてるんだ」という産経やつくる会が主張してる奴です。三浦は卑怯にも「福富講演の紹介だけして」はっきりした形では福富講演についての自分の意見を言っていませんがそもそも「批判もせずに福富の大東亜戦争聖戦論を垂れ流す」と言う三浦の行為自体が「福富らの大東亜戦争聖戦論の肯定、容認、宣伝」以外の何物でもないでしょう。
 以前も『11月6日 大東亜会議70周年記念大会開催決定』(http://miura.trycomp.net/?p=1951)などというエントリで大東亜戦争聖戦論を唱えていた三浦ですが「またですよ、奥さん」。
 言うまでもなく「大東亜戦争聖戦論」などデマですし、そんな立場を日本政府が公式にとれるわけもないでしょう。
 こんな三浦のような「国際社会を敵に回して恥じない非常識な歴史捏造主義者」と「そんな男を代表や副代表という幹部にして恥じない歴史捏造主義集団・守る会」が「朝鮮学校の歴史教科書では朝鮮戦争北侵論が取られている、歴史の捏造だ」「だから無償化除外にすべきだ、補助金も出すべきでない」などというのには呆れます。
 別に三浦が「南京事件否定論河野談話否定論、大東亜戦争聖戦論などのデマを厳しく批判するまともな人間」なら「朝鮮学校の歴史教科書記述を理由に無償化除外を主張していい訳ではない」ですが、他人を「歴史捏造主義」と非難しながら自分たちも「別の歴史捏造主義」を公言して恥じないのだから呆れて物も言えません。
 安倍自民党参院選勝利前は自分の「歴史捏造主義者」性を必死に隠蔽していた三浦でしたが、参院選勝利で「我が世の春が来た」と考えたのか隠す気が完全になくなったようです。三浦のゲスさ、それを容認するid:noharraら守る会会員のデタラメさには吐き気がしますが、小生のような三浦一派「守る会」批判派にとっては大変ありがたいことです。連中が「客観的に見て差別主義」なだけでなく「主観的にも差別者の嘘つき」ということが明白になるわけですから。
 前置きはこの辺で、ともかく本文に突っ込んでみましょう。

 福冨氏は、先の大東亜戦争侵略戦争ではなく、アジアを解放した戦争であること、また、マッカーサーですら、日本の行った戦争は侵略ではなかったと語っていることをまず挙げ

「先の大東亜戦争侵略戦争ではなく、アジアを解放した戦争であること」
・うんざりです。日本にはアジア解放の意思などありませんでした。日本が敗北しなければ日本は「東南アジアの宗主国」として振る舞おうとしたでしょう。福富の主張が嘘である事は大東亜会議のメンバーを見るだけでもわかるでしょう。(もちろん福富の主張が嘘である事を示す証拠は「大東亜会議のメンバー」以外にもたくさんあります。たとえばミャンマーのアウンサンが日本の支援を受けながら結局は『日本に敵対』し、連合国側に立ったのはアウンサンが日本を信用していなかったからです。インドのチャンドラ・ボースが日本の敗色が濃厚になるとソ連に亡命しようとしたのもボースが日本を信用してなかったからです。彼らの親日は所詮党利党略に過ぎませんでした。日本の大義名分「植民地解放」が大嘘なのだから当然の態度と言えるでしょう。狸と狐の化かし合いに過ぎなかったわけです)。
 ベトナムでは日本はホーチミン*2に対抗できるだけの傀儡勢力を作れませんでした。ベトナム人は日本軍など支持しなかった。だからベトナム代表は大東亜会議にはいません。
 また大東亜会議にはインドネシア代表もいません。ベトナムと違い、インドネシアにはスハルト*3という「親日派勢力」がいたにも関わらずです。日本はインドネシア代表を出そうとすれば出すことができました。何故出さなかったのか。説明するまでもないでしょう。日本は形式的な独立すらインドネシアに認める気がなかったと言うことです。無知な小生は日本がそのように考えた理由を知りませんが、いずれにせよ、日本は「形式的な形ですらインドネシア独立を認める気がなかった」わけです。
 だから「大東亜会議に代表を出せた」ミャンマーやフィリピンなどと違いインドネシアは「大東亜会議」に自国代表を出せなかった。これのどこが「アジア解放」なんでしょうか。
マッカーサーですら、日本の行った戦争は侵略ではなかったと語っている」
 これはただのデマです。このデマについては例えば、
ROOSTER ROOST『本当にマッカーサーが「日本は自衛のため戦った」と言った?』(http://www.geocities.jp/ondorion/rooster_roost/rooster_roost12.html
戦争を語るブログ『マッカーサー発言「日本の戦争は自存自衛の戦争」』(http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/50846670.html
美しい壺日記『マッカーサー大東亜戦争自衛戦争とは言ってない』(http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-43.html
誰かの妄想『マッカーサーは日本は自衛のために戦った、と言ったのか?』(http://ameblo.jp/scopedog/entry-10023353939.html)を紹介しておきます。要するにマッカーサーは「中国を経済封鎖すると戦前日本が真珠湾攻撃したように自分から戦争を米国に仕掛けるだろう、そのときこそ我々が全力でたたきつぶそう」と朝鮮戦争の時に米国議会で証言したらしい。つまり大義名分なしでは中国相手に戦争できないから挑発して戦争目的を作ろうという話である。もちろん「経済封鎖に対して中国が行う戦争」はマッカーサーにとって「中国の自衛戦争」ではない。当然日本の戦争もマッカーサーにとって「自衛戦争」ではない。むしろマッカーサーは「米国は独裁国家日本を挑発して、うまくたたきつぶすことが出来た」と自慢しているのだ(実際には真珠湾攻撃を米国が全く予測していなかったこと、その為開戦当初大打撃を食らったことでわかるようにこの自慢は「後智恵」でしかないが)。
 マッカーサー証言は全然日本にとって有利な証言ではない。有利という連中は「故意にデマを吐いてるか」、まともな文章理解力がないのに過ぎない。
 マッカーサーの主張に出てくる自衛というのは「日本は経済封鎖に対して自衛を主張して対米戦争した」という意味であって単に「日本のABCD包囲網打倒論」をマッカーサーが説明したに過ぎない。もちろんそうした日本の主張が正論だなんてマッカーサーは言ってない。
 注意して欲しいのは小生が紹介した「マッカーサーデマ批判エントリ」の執筆日時である。エントリの執筆日時は2006年や2007年である。つまりこの「マッカーサーデマ」がデマであることは少なくとも「6〜7年前には歴史学者でない一般ブロガーですらまじめに調べればわかる程度のこと」なのだ。真偽確認がとてつもなく難しいことでは全くない。
 にもかかわらず6〜7年後の2013年に「6〜7年前に一般ブロガーに論破された」手垢のついたデマを繰り返す福富とそんな福富のデマを垂れ流す三浦。三浦や福富は「デマをデマと見抜けないほどのよほどの不勉強か」、「デマをデマと知りながら垂れ流すよほどの嘘つきか」どっちかだろう。どっちにしろ恥知らずだ。
 こんな恥知らずな「歴史捏造主義者」三浦を「守る会」の代表や副代表にして何の問題もないと思ってるらしい恥知らずのバカが萩原遼id:noharraといった守る会会員である。こうした三浦の問題点をどう思うか聞くと「守る会に関係ない」「北朝鮮に関係ない」だの強弁したあげく最近では「ろくでもないボーガスの相手などしない」と完全にトンズラモードに入ってるのがid:noharra先生である。本当に恥知らずな男だと思う。

「太平洋戦争史」という古書を一冊紹介した。この本は、実は戦後占領軍が発行し、10万部以上を印刷して全国に配った本であり、これはいわゆる占領軍史観、日本悪玉史観を広めることになったと指摘し、しかしこの内容は、現在読むとまったく馬鹿馬鹿しいもので、なんと第2次世界大戦は日本が東アジアで始めて燎原の火の如く全世界にはじまったという、全くのでたらめが書いてある、このレベルの宣伝が未だに日本の言論界に影響を与えてしまっているのだという現状をまず批判した。

「第2次世界大戦は日本が東アジアで始めて燎原の火の如く全世界にはじまったという、全くのでたらめが書いてある」
 原文を読まないと何とも言えないですね。原文をまずは引用しろと言いたい。
 常識で考えて「ドイツのポーランド侵攻(1939年)」で第二次大戦が始まったというのが一般的見解ですから「第2次大戦」は日本が始めたわけではない(1939年以前の日本の対中国戦争は普通第二次大戦とは言いません)。
 でそんなことは冊子を作る米軍だって、冊子を読む日本人の側だってわかっている。したがってそんな馬鹿な事はおそらく書いてない。
 おそらく書いてあることは「東アジアや東南アジアにおける第二次大戦の火付け役は日本」でしょう。それを福富が曲解している。「ポーランド侵攻」以降の日中戦争や太平洋戦争を「第二次大戦の一部」と見なすことは別に変な事ではない。そして日中戦争、太平洋戦争の火付け役は勿論日本です。福富は「日中戦争コミンテルンの陰謀」「国民党の抗日路線が悪い」「ハルノートではめられたから日米戦争は起こった」だの責任転嫁するのかもしれませんが。
 そもそもその冊子が「日本での大東亜戦争批判」に今も影響を与えているなどというのは根拠のない福富の勝手な言いがかりに過ぎません。日本政府の公文書その他によって「戦争目的が大東亜解放など大嘘」と言うことは否定できない事実です。よかれ悪しかれ歴史学が、未だに「当時のGHQの宣伝文書」レベルの訳がないでしょう。

重光葵氏について、中西輝政氏の「明治以来、真に外交官として歴史に恥じない業績を挙げたのは、小村寿太郎*4重光葵*5だけであろう。烈々たる愛国の情を内に秘めつつ、冷徹な外交的手腕を融合させているという点で共通している。」という言葉を紹介

 まずは中西がそう評価している理由を提示したらどうなんでしょうか。根拠もなしに「中西はこう言ってる」で何の説得力があるのか?
 大体「元つくる会理事」トンデモ右翼中西輝政の言葉なんぞ何の信用性の担保になるんでしょうか。
 そもそも外交官(ここでは外務官僚だけではなく外相も含む)には小村、重光以外の人間もいます。何で小村、重光以外は評価に値しないと言えるのか?
 たとえば「不平等条約の一部改正(治外法権の撤廃)」や「下関条約調印」を成し遂げたとして歴史教科書でも紹介される陸奥宗光外相(伊藤内閣)は評価に値しないのか?。評価に値する外相などいくらでもいるでしょうが、小生は無知なので陸奥の名前だけ挙げるにとどめます。

作家の深田祐介氏の「大東亜戦争に欠けている戦争目的を明確にし、公明正大な理念を置こうとしたのが重光葵である。」また笹川良一氏の「真に男が男として惚れきれるのが重光葵の真骨頂であった。」といった言葉

 深田の言葉はおそらく彼の著書『大東亜会議の真実』(2004年、PHP新書)に出てくる言葉でしょう。
 深田は「つくる会」賛同者の一人で産経文化人という右翼ですし、笹川も国際勝共連合名誉総裁を務めるなどした右翼の大物です。要するに二人とも公正中立な立場ではない。
 そもそも福富が引用する深田の言葉「大東亜戦争に欠けている戦争目的を明確にし、公明正大な理念を置こうとしたのが重光葵」ってのは問題発言じゃないでしょうか。重光に関係なく、右翼の建前では「大東亜共栄圏は当初から日本政府が国策として定めたきちんとした理念であった」んじゃないんでしょうか(開戦時の外相は東郷茂徳で、重光ではありません)。
 重光が実現に尽力したという大東亜会議で理念や目的が明確になったというのは「語るに落ちる」って奴でしょう。

東京裁判時代、東條英機は実はキーナン検事の尋問に見事に反論しており

というのなら福富がそう思う根拠、つまり福富が見事な反論だと思う「キーナンと東條の具体的やりとり」を三浦は示したらどうなんでしょうか。これに限らず、三浦の福富講演紹介には「福富の主張」について、何の根拠も示されないので全く評価に困ります。福富が根拠を示さなかったのか、示したが何故か三浦が紹介しないのかわかりませんが全くお粗末な話です。

イギリスが実は東京裁判からの撤退までも考えていたという事実も今は余り知られておらず

 そもそもこれは本当なんでしょうか。本当だというなら根拠を示すべきです。根拠も示さずに「実は××なんです」で説明になると思うのは尋常じゃありません。

重光の人格を知るために参考になるものとして、まず外務省に就任した時*6に皇居にて読んだ「大君の馬前に散らむ八重桜」、また、秘部*7の仕事の前の決意としての歌「大君に答えまつらむ真心を 捧げて今朝も御旗拝みぬ」など、立憲君主国の大臣としての高い誇りの心が読み取れると述べた。そして、ミズーリ号での降伏文書調印直前に伊勢神宮にお参りした時の歌「我国を造りましたる大神に 心をこめて我は祈りぬ」、また、ミズーリ号に着いた時の歌「敵艦の上に佇む−と時に 心は澄みて我は祈りぬ」また、敗戦を認め調印したような自分は、将来、さげすまれるような人間になるほど、日本国が繁栄してほしいという歌「願くは御国末の栄え行き 吾名さげすむ人の多きを」、結果を天皇陛下に報告したのちに歌った「拝謁を終りて出づる吹上の 御苑の上に望月かかるも」など、重光の心をよく伝える歌を紹介した。

ばかばかしい。重光以外の外相だってその種の責任感や皇室崇拝感情はおそらく持ってるでしょう。
ちなみに小生が以前読んだ本(今思えば本の題名など、メモを取っておけば良かった)によれば松岡洋右外相は外遊前、外遊後には「可能な限り明治神宮に行き外遊前の決意や外遊後の報告」を(あの世の明治天皇に?)していたそうです。それが事実なら、松岡の皇室崇拝ぶりを示すエピソードと言えるでしょう(ただググっても見つからないんだよな)。でもそれって別に外交方針の正しさとは関係ない。

昭和7年上海の天長節*8式典にて、テロリストの爆弾で重光葵*9が片足を失った事件

このテロ事件*10を起こしたのは韓国人政治活動家尹奉吉です。勿論テロがいいとは言いませんが、当時、暴力的でない平和的な日本批判が弾圧されていた以上、一方的に非難するわけにはいかないでしょう。こうした事実を無視して「日本の韓国植民地支配に問題はなかった」と強弁する三浦らウヨは本当に恥さらしです。
なお、ウィキペ「尹奉吉」に寄れば

韓国政府は1962年建国勲章を贈り、独立運動の義士として顕彰し、独立記念館に祀っている

そうです。また金学俊ほか著『評伝・尹奉吉』(邦訳:2010年、彩流社)と言う本も出ているようです。
参考までに尹について触れた韓国メディアの記事も紹介しておきます。
 東亜日報『日本人に尹奉吉義士を伝えなければ』
 http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2009121818968

重光が国旗掲揚中に動くわけにはいかないと(注:怪我をしても?)一歩も動かなかったことについて重光の息子、篤氏に聞いたとき、「いや、その時に動かなかったのは父だけではなくて、そこに立っていた日本人は誰も全員動かなかったんだよ」と言われた

 単に当時の日本が異常なだけでしょう。軽傷ならともかく重光のように重傷なら早く病院に行くべきでしょう。「国旗掲揚中なら重傷でも我慢して動くな」というのはまともな考えじゃないでしょう。

中華民国特命全権公使として日華関税協定調印(昭和5年)、上海事変停戦協定(7年)など、若くして外交の最前線にいること

重光は明治20年生まれですので昭和5年には45歳、昭和7年には47歳です。果たしてこの年齢は「若い」んでしょうか?。

重光は三国同盟にも反対だったし、対米開戦にも最後まで抵抗した

やれやれです。三国同盟に重光が反対したのは「対米開戦につながる危険性」があったからです。
一方、「大東亜戦争は聖戦だ」と富永や三浦が言うのなら「対米開戦」に反対した重光を評価するのはおかしい。大東亜戦争は言うまでもなく日米戦争を含んでいるからです。
 論理的に矛盾しています。
 なお、三国同盟賛成派が何故重光と違い賛成したかといえば次のような理由だと思います。
1)三国同盟はあくまでも「反共同盟に過ぎず対米同盟ではない」から対米関係は悪化しないと理解
2)三国同盟を結んで「いざとなったら独伊とともに対米開戦する意思がある」とふかした方が対米交渉に有利と理解。
3)日米開戦もありうる事態と考え、そのためには「三国同盟を結んでおいた方が有利」と理解。
 1)についていえばその読みは大外れします。対米関係は悪化しました。
 2)についていえばそういうフカシは米国による「対日石油禁輸」などの対日強硬策の発動でかえって逆効果でした。米国が「三国相手の戦争なんか出来ない」と日本相手にへたれない限りフカシは意味がありません。
 3)についていえば3)論者はそもそも「日米開戦を否定していない」のだから三国同盟で実際に開戦しようが何とも思ってないでしょう。ただしこうした考えは「日本の敗戦」でつけを払わされることになります。

福冨氏は重光の偉大なところは、たとえ反対でも、もし開戦に至れば常に現場にいて、外交官としての責任を取ろうとするところだと述べ、吉田茂*11鳩山一郎*12も沈黙する中、(注:東条内閣の)外務大臣をも引き受け、引きうけた以上は最大限に力を尽くす、そこが偉大なところだと述べた。

 そもそも「国家方針に反対だった」ら、あるいは「自分は能力不足でその任に堪えない」と思うのなら吉田や鳩山のように引き受けない*13のが当然でしょう(「引き受けないで済む」のなら、ですが。「すまじきものは宮仕え」と言いますが、役所や企業に勤めていればそれですまないことは当然あるわけです)。吉田や鳩山は別に卑怯だと非難される筋合いはない。
 「方針に反対だった」り「能力不足」なのに引き受けても迷惑をかけるだけでしょう。

「同盟は、日本と各国が個々に締結すべきである」という反対によって挫折

 この話が「事実かどうか無知な俺は知りません*14」が、これが事実なら「重光はまじめに大東亜共栄圏を考えていた」が他の人間はそうではなかったという意味であり、「大東亜戦争はアジア解放の戦争」と言う主張と矛盾するのですが。

インドネシアではオランダの強制栽培法は百年も続き、インドネシアの農民から主食のコメを取り上げ、頻繁に大飢饉が発生し多くの人々が餓死。このような白色人種の非人道的植民地政策を明らかにしたのがまさに今回のテーマである大東亜会議

という福富ですがその大東亜会議にインドネシアが代表を出せなかったことをどう思ってるんでしょうか?。大体「植民地民族が宗主国に抵抗運動をおこしていた」というなら、日本の植民地・韓国でもそうした抵抗運動はあったのですが。

・各国の重要な発言がなされた
・重光は「敵側の弱点の重大なるものは、アジアに対する差別概念である。チャーチルがなしたる大西洋憲章のアジア差別概念を逆用し、我が大東亜政策は、必ずやアジアの解放、自主平等の基礎のもとの世界平和に貢献する。」と明確に述べ

これらの発言がどこまで本心かも疑問ですが、いずれにせよこうした発言は全く意味を持ちませんでした。なぜなら日本の敗色濃厚でこれらの発言を実現化する力は日本になかったからです。もちろん「日本に勝利の見込みがあった」としても、「日本が発言を実現化する意思」などなかったでしょうが。

歴史家のアーノルド・トインビー「第二次大戦において、日本人は戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残した。その国々とは、日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圈に含まれていた国々である。」
インドのクリシュナン大統領「旧植民地であったアジア諸国は、日本の払った大きな犠牲によって独立できた」

 トインビーやクリシュナンが本当にそういう発言をしたとしてもそれは単に彼らの認識が間違ってるだけです。まあ、「マッカーサー発言(前述)」を平気で誤読、捏造するウヨでは本当にはこんな発言はないのかも知れませんが、それを確かめるだけの能力は俺にはありません。本来なら福富や三浦が出典を明示すべき話です。

福冨氏は東京裁判の偽善性について批判

 「米国の政治的都合から昭和天皇が裁かれなかった」「連合国の戦争犯罪(例:原爆投下)が裁かれなかった」「731部隊という明らかな戦争犯罪が米国の政治的都合から訴追されず隠蔽された」という意味では確かに偽善的でしょう。ただし「日本の戦争は正義の戦いだから偽善的な裁きだ」という福富の主張は単なるデマでしかありません。

大東亜会議こそが、アメリカや中国・韓国にとって「不都合な真実

 全然不都合じゃありません。大東亜会議などインチキでしかないからです。日本にはこれらの国を独立させる意思などなかったし、だからこそ、「インドネシアは代表を出せなかった」し「インドの主流派(ガンジーネルー)は日本ではなく英国の側についた」わけです。
 大東亜会議を宣伝したければ宣伝すればいいでしょう。少なくともそんなことは米国、中国、韓国にとって「福富の言うような意味」では何ら不都合じゃない。ただしそういうことをすれば「デマによる居直り」と理解され日米、日中、日韓関係は確実に悪化します。さすがの安倍もそんなバカはしないでしょう。

福冨氏は最後に、「(1)大東亜会議の真実を知り、世界に発信することこそが、統治の体系と古来より引き継ぐ日本人の精神を取り戻す第一歩である」と、この会議の重要性を再確認(中略)して講演を終えた。

 もちろん世界に発信したところでデマですから相手にされません。良くて無視、悪ければ激しい日本批判です。
 そしてこんな酷いデマは「三浦や福富のような民間右翼」ならともかく日本政府が公式見解として宣伝できないことも言うまでもありません。

これ、今じっくり見るといろいろ思うところのある映像ですね

 三浦も「奥歯に物の挟まったような訳のわからないこと」を言ってないで、自分が貼り付けた動画について何が言いたいのかはっきり書いたらどうなんですかね。
 さてこの三浦エントリについた播磨眞悟のコメントにも突っ込んでみましょう。おそらく三浦は播磨のコメントには応答しないでしょう。

しかし、70年以上たっても“日本軍絶対悪史観”から何故抜け出ることが出来ないのでしょうか?

 日本のしたことは「侵略戦争」と言う悪ですし、それを日本は「東京裁判」「サンフランシスコ平和条約」で認めた上で国際社会に復帰しました。今更「日本の戦争に間違いなどない」とちゃぶ台返しできるわけがないし、日本がそうやって「過去に認めたことをチャラにしよう」とするなら外国の方も「1度は日本を許したが許すつもりはない」と過去の和解をチャラにしようとするでしょう。当たり前の話です。
 「俺はチャラにするがお前はチャラにするな」なんて通る話じゃない。

最近問題になっているヘイトスピーチですが、確かに在特会のやっていることは全く支持してません。しかし、ヘイトスピーチ反対に集まった文化人やジャーナリストの顔ぶれを見たら、殆どが捏造*15ドキュメンタリー『ザ・コーヴ』の応援団だった連中です。

 「全く支持していない」といいながらヘイトスピーチ批判派に因縁をつけるのだから在特会を擁護したいことは見え透いています。
 大体、播磨の言う「応援団」とは何のことでしょう?。
 もしそれが「ザ・コーブに問題があったとしても、上映拒否と言う態度ではなく、上映を認めた上で言論による批判という態度を取るべきだ」というのなら応援団というのとは違うでしょうし、それが何か問題なんでしょうか。
 まさか「ヘイトスピーチ反対者がほとんど全て捕鯨反対派、ザ・コーブ全面支持*16」と言うこともないと思うので播磨の言う応援団とはおそらく「上映拒否に反対」と言う意味でしょう。

是非、三浦先生には重光葵を主人公にした大東亜会議の小説を書いて頂きたい

 そんな能力が三浦にあるわけがないでしょう。お世辞でしょうが三浦も苦笑してるんじゃないか。
 大体このエントリについての感想だったら「書いていただきたい」というべき相手は福富でしょう(ウィキペ「重光葵」によれば既に福富は、『重光葵・連合軍に最も恐れられた男』(2011年、講談社)という評伝を書いてるようです)。
 なお、ウィキペ「重光葵」に寄れば既に阿部牧郎*17『勇断の外相・重光葵』(1997年、新潮社)という小説があります。また、ウィキペ「重光葵」によれば評伝や研究書としては渡辺行男『重光葵上海事変から国連加盟まで』(1996年、中公新書)、武田知己『重光葵と戦後政治』(2002年、吉川弘文館)、小泉憲和『重光葵と昭和の時代』(2010年、原書房)があるようです。


中国当局、祈りは中国国旗に向かって行うようウイグル人ムスリムたちに強要 : 世界ウイグル会議
http://freeasia2011.org/japan/archives/2657
 三浦小太郎が宣伝する「アジア自由民主連帯協議会」に乗った反中国文章です。これが本当かどうか知りませんが「本当なら俺は中国当局を支持しません」。
 ただし「日本国民なら卒業式などでの日の丸掲揚を認めて当然、反発する奴はペナルティを与えて構わない」という三浦ら日本ウヨが良くこんな文章を恥ずかしげもなく掲載できるもんです。
 「日本国民なら卒業式などでの日の丸掲揚を認めて当然、反発する奴はペナルティを与えて構わない」と「中国国民でもウイグル人が中国国旗に反発するのは当然、反対を理由にペナルティなど不当」が両立するというのは普通に考えてただの詭弁でしょう。


■中国の実態を知る映画上映と講演会のご案内 : 台湾独立建国聯盟日本本部
http://freeasia2011.org/japan/archives/2650
 三浦小太郎が宣伝する「アジア自由民主連帯協議会」に乗った反中国集会の開催予告です。実際に「開催報告」が出たら改めて突っ込みます。

中国の覇権主義は、今や台湾、日本、東南アジアは言うに及ばず、世界各地にその食指を伸ばし、まさに脅威となっています。

覇権主義」「食指」「脅威」と呼ぶべきかどうかはともかく、「台湾、日本、東南アジア」についてこの文章が何を言いたいのかはわかります。「尖閣諸島問題」「南沙諸島問題」「西沙諸島問題」といった領土問題でしょう。
 しかし、世界各地ってどういう意味なんですかね。アジア以外の地域(欧米やアフリカなど)で何がどうなってると言うのか。

台湾は現在、馬英九*18政権によって、実質的な中国との統一への道を歩んでいます。

そんなことはありません。台湾で今一番多いのは「即時統一」でも「即時独立」でもなく「当面、現状維持」です。当然ながら馬政権の取っている態度は「統一」ではなく「単なる中台友好」に過ぎません。経済発展が続く中国とつきあう事に経済的利益を見いだしてるだけです。
まあ、建国聯盟のような極端なアンチ中国には「単なる友好」と「統一」には違いなどなく、未だに「中台間が極度に緊張していた時代の再来」を願ってるのかも知れませんが、そんなのは現実的じゃありません。

それに対して、台湾の人達のなかには、諦めムードもあります。

既に述べたように「大多数の台湾人」は馬路線を支持、容認してるのであきらめムードなんかありません。あきらめムードというのは「馬路線を否定し中台対立路線を国策としたいが、政治情勢からそれができない人間」、つまり「建国聯盟のような極端なアンチ中国派」だけが持つ感情であり、そういう人間は少数派です。

実際に中共の支配を受けたら、どんな悲惨なことになるのか、台湾人も日本人もその重大性をもっと認識すべきであると思い、警鐘を鳴らすためにも、今回の講演会を企画いたしました。

ばかばかしい。何度も言いますが「中国の支配」なんか当面あり得ない。あり得ない事に警告をするのは馬鹿げています。「単なる中国批判集会」ならまだしも、こんな馬鹿げた集会に行きたがる人はよほどの変人でしょう。

第1部:映画上映 ドキュメンタリー映画『フリー チャイナ:信じる勇気』

 中国批判映画が「全てデマ、中国は正義」と言う気は無論ないがググったところ、この映画は法輪功弾圧とやらを「法輪功関係者が撮影した映画」らしいので俺はノーサンキューだ。カルトの疑いが濃厚な団体「法輪功」の弁明映画を見る気にはさすがになれない。もちろん「法輪功がカルトである」としても「中国司法当局が何やっても許されるわけではない」ことはお断りしておく。


■台湾を中国領土とする文科省「社会科教科書検定」糾弾!街宣・署名活動 : 頑張れ日本!全国行動委員会群馬県支部
http://freeasia2011.org/japan/archives/2653
 三浦小太郎が宣伝する「アジア自由民主連帯協議会」に乗ったタモガミ会(頑張れ日本!)の反中国集会の開催予告です。実際に「開催報告」が出たら改めて突っ込みます。
 偏向「教科書検定」糾弾って言われても文科省もいい迷惑でしょう。「政府公式見解」は「台湾は中国の領土」です。それを文科省が勝手な理屈で「台湾を独立国と書かないと検定合格させない」なんて言えるわけがない。
 教科書会社は「外務省は台湾は中国領っていってるじゃないですか。何で政府が意見不一致なんですか?」と当然言う。「台湾を中国の領土と書いた事」を理由に不合格にしても裁判でも起こされたら負けるでしょう。だから文科省は「台湾は中国の領土」という記述を合格させざるを得ない。
 皮肉なのは「今の文科相があの下村博文」ということです。下村とはウィキペディアに寄れば

・1997年、自民党内の保守系議員連盟日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の設立に参加した。設立の経緯について「マルクス・レーニン主義による自虐史観の教育が行われていることに対し、とても看過できないということで、歴史教科書を考える議連をつくった」と述べている。また、日本の教科書検定基準に盛り込まれている近隣諸国条項を批判している。
・2006年8月29日、極右団体・日本政策研究センターのシンポジウムで、「いわゆる“自虐史観に基づいた歴史教科書”も官邸のチェックで改めさせる」との意向を表明した(下村が正式に第一次安倍内閣官房副長官に就任したのは2006年9月26日)。
・第1次安倍内閣内閣官房副長官だった2006年10月25日、日本外国特派員協会で講演し、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた1993年の河野談話に関して「私自身の今後の検討課題」としながらも、将来的には見直すことも必要だとの考えを示した。慰安所の設置・管理や慰安婦の移送については、2007年3月に自身の見解として「日本軍の関与はなかった」との認識を示した。

というゴリゴリの右翼です。
 赤旗『日本軍「慰安婦」 強制を否定、安倍首相が賛同』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-06/2013010601_01_0.html)によれば、下村は、櫻井よしこ一派が米国の地方紙に出した河野談話否定の意見広告に「安倍首相、稲田行革相、新藤総務相、古谷国家公安委員長」とともに賛同者として名前を出したこともあります。
 もちろんそういう極右的人間だからこそ安倍が文科相にしたわけですが。
 で、そんな下村ですらこんな極右運動に呼応して「台湾が中国の領土だなんておかしい、私が文科大臣の権限で検定を改善します、台湾は独立国だと全ての検定済み教科書に書かせる」とは「少なくとも現時点では言えない」わけです。たぶん今後も言わないでしょう。しかしそれでも右翼連中は「安倍の側近・下村」の悪口は言えずに「文科官僚の悪口だけ」を言うんでしょう。


■『明日8月16日発売の「表現者」(ジョルダン社)9月号に「大東亜戦争全体主義の勝利に終わった」を掲載しました』のコメ欄でのやりとりに突っ込む
 既にこの三浦エントリについては『「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート78(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081013/1307052595)というかなり前のエントリで突っ込んでいます。
 普通の人間ならタイトルだけで「何が全体主義の勝利なんだ?」「日独伊が勝てば良かったのか?」と呆れるところでしょう。小生ももちろん「三浦はバカか」と以前のエントリで突っ込んでいますが、世の中は広い。三浦を褒める人間がいるんだから呆れます。こういうのを「類は友を呼ぶ」「蓼食う虫も好き好き」などというんでしょう。

http://miura.trycomp.net/?p=1895&cpage=1#comment-25000
TAMO2より:
2013年10月9日 12:18 PM
 ご無沙汰しております。心に響く文章ですね。

 三浦嫌いの俺にとって「三浦の駄文」のどこが「心に響く」のかさっぱりわかりません。「心が腐ってる」んじゃないか?。「TAMO2」とは「田母神2世」とでも読むんでしょうか?

大東亜戦争*19は日本人にとって何だったのか、という、ともすればタブーになりそうな問い

 何がどうタブーなのか?。そういう問題意識の著作はいくらでもあるでしょう。8月になるとそういう問題意識のテレビ番組も放送されます。NHK海軍反省会」とか。
 まあ、三浦のような(そしておそらく三浦ファン・TAMO2氏も同意見なんでしょうが)「あの戦争はアジア解放の聖戦」なんて主張は極右の私人「三浦やTAMO2氏」が言うならともかく、「少なくとも公的にはタブー(安倍首相や菅官房長官のような日本政府要人がそんな事を言ったら大問題になる)」でしょうが、そんなのは当たり前です。嘘八百ですし、そんな立場で日本は国際社会に復帰した訳じゃありませんから。サンフランシスコ講和条約は「大東亜戦争聖戦論」なんて立場に立ってない。
 こんな嘘をつけば近隣諸国に喧嘩を売ってるのも同然です。
 それともタブー云々とは「昭和天皇の戦争責任を語れば本島等長崎市長(当時)のように右翼に狙撃され殺されかねない」と言う意味ですか?。それ(昭和天皇の戦争責任)なら確かにタブーでしょう。最近は違うかも知れませんが少なくとも、昭和天皇在世中は「昭和天皇には戦争責任がある」と発言することは「本島氏狙撃事件のような右翼テロを覚悟しないといけない」主張だったかも知れない(いや今も残念ながらそうか?)。いずれにせよもう少しわかりやすい文章をTAMO2氏にはお願いしたい。

小生にかなりの満足度をもって答えてくれた本に『日本人の「戦争」』(河原宏著、講談社学術文庫)があります。
この本によれば、日本人は近代化によって受けた様々な矛盾から、民族古層の表出に追い込まれた、ということになります。

単なる侵略戦争をそういう風にこじつけますか。何ですか、「民族古層の表出」って。わけがわかりません。アマゾンレビューの河原本紹介も

スサノオの慟哭こそ、古代神道が説く荒魂(あらみたま)の発露となる。おそらくは本人にもそれと自覚されることのない荒らぶる魂の躍動である。…求めるものはひたすらに亡き母のいます『根の国』、万物の大『本』へ還ろうとする欲求の突き動かすものだった。帰本への欲求、それは多分人間性に深く内在するもので、しばしば宇宙、万物の存在に対する根本原理―西欧的な発出…に対する帰本…―となる。われわれの心と魂、したがって文化と歴史は深く帰本の欲求に満たされている。『本』への還帰、黄泉の国への憧れ、激しくそれを希求する荒らぶる魂、それらは歴史や社会の表層に現れぬ日本人の精神の底流にある。」(33〜34頁)

と、あの戦争について何が言いたいのか、訳がわかりません。これが「訳がわかる」人間ってどういう人なんですかね。河原(早稲田大学名誉教授、政治学者)がどんな人か俺は知りません。ググっても全然ヒットしません。
 まあ、河原の文章は右翼っぽい文章だと思いますし、実際、「極右三浦のファンTAMO2氏(彼も極右でしょう)が推薦する本」では右翼なんでしょうけど、それ以上の事は凡人の小生にはわかりません。こんな訳がわからない文章を読むくらいなら、定評のある歴史本を読んで「日本が戦争に突入していった政治的、経済的、文化的理由」でもまじめに考えた方がいいでしょう。

四トロ同窓会二次会でご紹介された「維新の夢*20」(渡辺京ニ著)、 購入しました。

 トロとは「トロツキー」でしょう。それ以上の事は調べる気もありません。つまりは「TAMO2氏とそのお友達」は「トロツキスト崩れの極右」なんでしょう。その極右が「トロツキスト時代を懐かしむ同窓会二次会」にこともあろうに極右の三浦を呼ぶ。なんか哀れを誘いますね。左から右に転向するにしても極右とのおつきあいはないでしょう。トロツキスト時代は三浦のような極右の輩は激しく批判していたんでしょうに。
 TAMO2氏の河原本書評(http://red.ap.teacup.com/tamo2/1855.html)に一応リンクを張っておきます。ご本人、「力作」と自信満々のようですから。
 批判しようかとも思ったのですが、アマゾンレビューの引用する河原本記述と同じで凡人の小生には批判する以前にまるきり理解不能で「おまじない」か「アホダラ教」にしか思えません。理解できない内容は批判のしようがない。せいぜい「もっとわかりやすく書け」程度の批判しか河原本や、TAMO2書評には批判できません(まあ、まじめな話、河原本もTAMO2書評もこんな意味不明な文章では世間への影響力はないでしょう)。
 読んでるだけで頭痛がしてくるので内容の批判は出来ません。せいぜい、「極右に転向したTAMO2氏」が「あの戦争に対する歴史学者や左派政治家、被害国民などの批判」を河原本で無効化し戦前日本を正当化したいらしいことしかわかりませんでした。

【追記】
 河原宏が全然ヒットしないと書いたのですが一つ面白い文章を見つけたので紹介しておきます。

http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/aozoran/taiwa/node42.html
 雑誌『表現者*21(2009年九月号)で中野剛志*22さんが書いています。

 では、我が国の国柄*23に合致した政教の関係を踏まえた場合、天皇は、大東亜戦争について、どのように身を処すべきだということになるであろうか。それについて、筆者*24が最も有力と考える選択肢は、政治学者の河原宏氏の議論である。
 河原氏は『日本人の「戦争」−古典と死生の問で』の中で、太東亜戦争に問し、昭和天皇に問えるのは政治的な責任ではなく、道義的な責任であるとした。その上で、同氏は、天皇が道義的責任を果たすための最善の方法は、退位し、出家することであったと主張したのである。
 天皇が出家することのポイントの一つは、天皇神道最高神主の立場から一仏弟子の身に移ることで、神道という一民俗宗教の見地からではなく、仏教という世界宗教の視野から戦争を見直すというところにある、と河原氏は言う。
 例えば、靖国神社は、天皇のために戦って死んだ者のみを祀る場であり、それゆえに、「靖国問題」あるいは「靖国問題の政治的利用の問題」を招いている。これに対し、仏教は、神道とは異なり、敵味方、国籍を超えて、すべての衆生を平等に見る理念をもっている。それゆえ、天皇は仏門に入り、すべての戦争犠牲者を哀れむことによって、敵味方の別なく、特にアジアの民衆の犠牲に対して、道義的に対応することができるのである。
 すべての犠牲者を平等に哀れむという仏教の理念は、日本人にとっても身についたものである。しかも、我が国の歴史上、天皇が仏門に入ることは、なんら異例なことではない。河原氏は、天皇の出家のイメージの例を、『太平記』の光巌院(北朝天皇であったが、戦乱続きの世を嘆いて出家し、諸国を行脚)に見出している。
 退位した天皇の出家は、我が国の歴史に沿う形式であり、そして仏教による敵味方の別なき供養は、我々の慣習に合致する。それゆえに、出家による道義的責任への対応こそが、我が国の国柄にもっとも相応する責任の果たし方であった。天皇は、国柄にあった身の処し方を自ら示すことで、敗戦という国家的危機にあって、国柄の所在を指し示し、国をまとめることができたはずであった。また、それが天皇の存在意義のはずであった。
 天皇出家論を唱えた河原氏の主眼も、歴史と国柄を回復するという点にあった。「敗戦と占領によって、日本人が唯々として、あるいは喜々として自らの歴史を破却したことは、その後の無責任状況到来の一因となっている。歴史を捨てて、人は道義の依るべき根拠を見うしなう。」「道義的責任を没却した日本人の戦後姿勢は、まさに戦後史の内に明証されている。これこそが天皇の戦争責任だった。」(『日本人の「戦争」−古典と死生の間で』)

 天皇出家論ねえ。中野説を信じるならば何らかの意味での「天皇の戦争責任」を問うてるという意味や「靖国に重要性を認めていないらしい」と言う意味では河原氏は「一般的な右翼」とは違いますが結論が「出家(単なる退位ではないし、東京裁判による処罰も考えてないらしい)」であり、その前提に特異な天皇認識(右翼的天皇認識?)があるという意味では、左翼でもない。
 やはり到底小生には河原氏の特異な社会認識は理解できそうにありません。


■『正論11月号(創刊40周年号)に、「韓国時代劇と朝鮮史の真実」(宮脇淳子著)の書評書きました』のコメ欄のやりとりに大爆笑
 既にこの三浦エントリについては、『「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート83(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081008/1307052595)で感想を書いてますがコメ欄(http://miura.trycomp.net/?p=1976&cpage=1#comment-24803)に笑うしかないやりとりがあるので紹介しましょう。

播磨真悟
 はじめまして三浦小太郎先生、播磨真悟と申します。
 三浦先生の御発言、チャンネル桜で度々聞かせて頂き、非常に心に響くものがありました。特に、最近の韓国の異常な行動*25に先生が心を痛められたのは、自分ごときにも分かります。それだけに今回の宮脇先生の著作『韓流時代劇と朝鮮史の真実』の書評、興味深く読まさして頂きました。
(中略)
 自分は韓流ドラマは「ちょっとな」と思うのですが、韓国映画はよく見ます。その中でも、『シルバー・スタリオン:銀馬将軍は来なかった』という、朝鮮戦争時代に娼婦になった子持ちの未亡人の映画は本当に素晴らしい作品でした。この作品を見れば、“従軍慰安婦”というものが全くの嘘であることが分かります*26。そして、主人公が娼婦にならざるを得なかった時代背景も描かれています。90年代初頭は、まだ韓国でもこのような映画が作れたんでしょう。今はもう、従軍慰安婦ファンタジーしか作れないでしょうけど。
 橋下市長の慰安婦発言騒動の時、自分は『シルバー・スタリオン』を「維新の会」に送ろうと思いましたが、やめました。従軍慰安婦の捏造に対して強力な戦力になる中山成彬*27議員を一切表に出そうとしない*28「維新の会」に何を送っても意味がないと判断しました。『シルバー・スタリオン』のビデオは、『撃論』や『ジャパニズム*29でお馴染みの但馬オサム先生に送らさしてもらいました。
実は自分は、但馬先生と親しくお付き合いさせていただいています。大好きな作家はと聞かれれば、真っ先に「三浦小太郎」「但馬オサム」の御両者の名を上げさせてもらっています。

 この播磨真悟(たぶん播磨の眞悟、つまり兵庫が選挙区である西村眞悟*30の支持者だという意味でしょう)のコメントからは
1)播磨が河野談話否定論者であり、橋下や西村、中山の慰安婦に対する暴言を何とも思ってない事、それどころか正論だと思ってる事
2)播磨にとって三浦の書評はそうした自らの河野談話否定論への応援歌と理解された事、つまり播磨は三浦を河野談話否定論者と認識している事
(小生は三浦書評を読んでないのでこの文章を小生が書いている2013年10/7時点ではこうした播磨の評価については何とも評価できませんが、まあ、正論に載るような書評ではおそらく播磨の理解で大正解でしょう)
3)播磨にとって但馬オサムなる人物(おそらく西村や中山のような河野談話否定派なんでしょうが)を持ち出して三浦を褒める事はすばらしいこと*31
がわかります。
 「良心的保守ぶってる」三浦にとっては実に応答に困ったコメントが来たと言えるでしょう。
 下手に好意的コメントすると「三浦が河野談話否定派のゲス」だと言う事が完全にバレバレになるが、かといって「三浦は河野談話否定派であり友人、知人もそういう連中だらけ」なので播磨の慰安婦違法性否定論を批判する事も出来ない(まあ、三浦がゲス右翼で河野談話否定派であるなんてどんなにごまかそうとしてもごまかせてませんが。極右雑誌ジャパニズムにコラムを書いたり、チャンネル桜に出演したりする時点で正体はバレバレです)。
で三浦が播磨に何と応対するかというと

過剰なお褒めの言葉かえって恐縮していますが、私も「シルバー・スタリオン」はいい映画だと思いました。

と播磨による中山成彬絶賛、河野談話否定論主張については完全に逃げてしまうのだから、まあ三浦とはいつもながら卑怯な男です。よくこんな卑怯者・三浦をid:noharraは「尊敬できる」なんて馬鹿な事が言えるもんです。「シルバースタリオンで慰安婦の違法性が否定できる」という播磨の主張にも勿論三浦はノーコメント(普通に考えて朝鮮戦争を描いた映画「シルバー・スタリオン」で「日中戦争、太平洋戦争時代の」日本軍慰安婦の違法性が否定できるわけもないですが)。
 でも「播磨の中山絶賛、河野談話否定論を批判しない」「『シルバースタリオンで慰安婦が否定できる』という播磨の主張にもノーコメント」ということで「三浦が事実上、河野談話否定論に与している事」はバレバレですが。
 こんな「逃げ腰コメント」をするくらいなら何もコメントしない方がいいと思いますけどね。あるいはいっそ播磨のコメントを削除してしまうとか(苦笑)。
 三浦の脳みそは全く理解できません。しかし「自称アンチネトウヨ」で「橋下が慰安婦に暴言をはいたとき」は橋下批判した癖に三浦の「河野談話否定論」については何ら批判しないid:noharraは本当に恥知らずです。何度も言いますが「id:noharraは、小生にとって、現時点で、はてな村で一番大嫌いな男」であり「その言動に正直さ、誠実さ、論理一貫性が全く感じられない」と言う意味で「凡百のネトウヨの方が正直なだけまだid:noharraより何倍もマシ」と理解しています。「慇懃無礼」「二枚舌」とはid:noharraのためにあるような言葉でしょう。


産経新聞『【在特会訴訟】「街宣禁止がうれしい」原告 「主張認められず残念」在特会幹部』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131007/trl13100714520003-n1.htm
 他にもこの裁判判決の記事はありますが、一つ紹介してみました。五十嵐仁の転成仁語『京都地裁ヘイトスピーチに賠償を命ずる初の画期的判決を出した』(http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2013-10-08)の

 判決は、ほぼ原告側の主張を認める内容になっています。その根拠とされたのが人種差別撤廃条約であるという点は重要です。
 また、学校周辺での街宣活動や賠償を命じたのも、当然ではありますが、画期的です。ただし、賠償額が請求の半分以下に減額されたのは納得できません。
 事柄の性格から言えば、10倍の1億2000万円くらい支払わせても当然だと思います。

と言う感想は小生もほぼ同感です。とにかく在特会ヘイトスピーチが断罪されて大変いい事だと思います。もちろん「これで全てが終わったわけでは全然ない」ですが「初めの大きな一歩」として素直に喜びたい。
 なお、「在特会と同レベルの在日差別者の集まり」守る会はこの判決について多分触れないんだろうな。それともあえて触れて「我々は在特会とは違うのです」と宣伝する気かしら。「違いがあるとしたら」、在特会はむき出しの暴力ふるって逮捕されるけど、そこまで酷くないというだけの違いであって「差別者である事」には何の違いもないですよね。差別者の「守る会」会員id:noharraさん。
 「来年の3月まで応対しない」そうですが構わずIDコール付きで批判しますのでよろしく。まあ、「3月まで」どころか「永久に応対しないであろう」ことは覚悟してますけど。だってid:noharraさん、あなた「都合の悪い質問からは逃げる」卑怯者ですから。


■東アジアの冷戦構造は崩壊していない(酒井信彦)
http://sakainobuhiko.com/2013/10/post-231.html
 久しぶりに酒井に突っ込みます。

冷戦の崩壊によって強固な日米関係も変化し、日本は「アジアと向き合うことを余儀なくされ、90年代になって突然、日本政府は戦争の記憶に対処しなければならなくなったのです。それは世界的な『新しい常識』です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している。米下院が慰安婦問題で非難決議をしたのも、その流れです」とグラック*32は答える。アメリカの学者の考えることが、いかに論理的でないかがよく分かる。日本の歴史問題が国際問題になったのは、一九八二年の第一次教科書事件からであり、靖国参拝問題も第二次教科書事件も、八十年代のことであり、明らかに「冷戦崩壊」以前のことである。

やれやれですね。冷戦崩壊以前は中国の批判に対しては「共産主義陣営の言いがかり」、韓国の批判に対しては「そんなことより反共の仲間として仲良くやろう」と日本は言ってごまかしてきました。
 しかし冷戦崩壊でそれが通用しなくなった。米国の日本に対する態度も厳しくなった。グラック氏の言ってる事はそういうことです。氏は「冷戦以前は歴史認識問題が存在しなかった」と言ってるのではなく、「冷戦以前はそれから逃げる事が出来たが冷戦崩壊で逃げ切れなくなった」と言っているわけです。そう言う意味では欧米保守はともかく日本保守にとって冷戦崩壊は「資本主義の勝利、共産主義の敗北」といってただだた喜べる話ではありませんでした。それを自覚してる保守の人間ももちろんいたでしょうし、そういう人間は河野洋平*33のように「一定の反省表明に動く事になる」わけです。
 が、酒井のような極右はそうではなく「冷戦後の状況変化」が理解できず中国、韓国、場合によっては米国にまで恨み辛みの言葉を吐くわけです。。
 なお、慰安婦問題が政治的問題として浮上したのは冷戦崩壊後の事です。

 なおグラックはインタビューの前半では、なかなかまともなことも言っている。「参院選でも大勝した安倍政権について、米メディアでも右傾化を懸念する意見が見受けられますが」という質問に、「実は、うんざりしているんです。過去数カ月間の日本に関する報道で、ナショナリズム軍国主義といった言葉が実に多く使われています。世論調査の結果*34を考えれば、そんな心配はないことは分かるのに」と答えている。

 この点は俺はグラック氏には賛同できませんね。米国政府も氏ほど甘い見方ではないからこそ訪日したヘーゲル国防長官、ケリー国務長官は「靖国に行かずに千鳥ヶ淵へ行く」という安倍への牽制行為に及んだわけです。しかし酒井も自分に都合のいいところだけつまみ食いするのも大概にして欲しいですね。

もっとも海外メディアの報道は、朝日など日本の虐日マスコミの受け売りなのであるが。

バカも大概にして欲しいですね。海外メディアだって取材能力はあるわけで単に受け売りしてるわけもないでしょう。


中華人民共和国建国記念日に対する日本ウイグル協会声明
http://freeasia2011.org/japan/archives/2642
 三浦が絶賛する右翼団体「アジア自由民主連帯協議会」サイトに掲載された文章。

中華人民共和国建国記念日は、アジアの、そして世界の災厄の日だ!

 「中国嫌いのあんたらウイグル」にとってはそうなんだろうけどさ。建国記念日を一緒に祝えとは言わんが、悪口雑言するのは大人げないだろ。「中国のウイグル統治非難」だけやりゃいいのに(絶句)。

1944年11月12日、ウイグル民衆は決起し、漢民族支配を自力で打ち破って東トルキスタン共和国を建国した。しかし1949年、当時のウイグル人指導者たちは、毛沢東に招かれて北京に向かう途中、飛行機事故により全員バイカル湖付近で失踪*35したと伝えられている。

 毛沢東が1949年にウイグル人指導者たちを謀殺して「1944年に建国された東トルキスタン共和国を潰した」という誤読をねらってるとしか思えない酷い文章です。
 これについては誰かの妄想・はてな版『新疆ウイグル自治区東トルキスタン)に関する若干の経緯』(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120515/1337092299)を紹介しておきます。
 先ず第一に1944年に建国された「東トルキスタン共和国」は1946年に「中国国民党ソ連東トルキスタン共和国の後ろ盾)の交渉」によって解散し国民党政府の傘下に入っています。1949年の失踪など「東トルキスタン共和国の崩壊」とは関係ないわけです。
 第二に失踪は「陰謀の可能性が否定出来ない」ようです。またウイグル人指導者の遭難(公式見解では飛行機事故)は陰謀であろうとなかろうとその後の民族運動に大きなダメージを与えたようです(なお、失踪後、残されたウイグルの中で中心となったのがウィキペディアに寄れば「セイプディン・エズィズィ」という人物らしい)。
 ただ「陰謀があったと断言できる根拠」はありません。id:scopedog氏は「遭難した人間は一般に親ソ連、親中国共産党派と見なされていた」という主旨の指摘をし、「陰謀論を垂れ流す日本ウイグル協会」に否定的です。そもそも中国の現在のウイグル統治を批判したいのならそういう批判をすればいいだけの話で怪しい陰謀論を持ち出すなど愚かにも程があります。

参考

セイプディン・エズィズィ(ウィキペ参照)
 1944年に東トルキスタン共和国が樹立されると、共和国政府の教育庁副長に、1945年1月には教育庁長に任命された。1946年には、親ソ派政治組織としてアブドゥルキリム・アバソフ*36らにより設立された東トルキスタン人民革命党の中央委員、宣伝部長に任命された。
 1946年に、東トルキスタン共和国政権と中国国民党系の新疆省政府が合同し、新疆省連合政府が発足すると、新政権の政府委員、教育庁長を務めた。1947年に、省政府主席張治中*37の辞任を契機に、新疆連合政府が崩壊すると、アフメトジャン・カスィミ*38ら旧東トルキスタン共和国派とともに、イリに戻り、新疆人民民主同盟を組織した。
 国共内戦終結後、1949年にイリ政権首脳陣が、北京の政治協商会議出席のための移動中に遭難死すると、イリ政権を代表して、中国共産党政権への合流を表明し、同年9月に政治協商会議に出席、政協委員に選出された。また同月に中国共産党に入党した。
 中華人民共和国では、ウイグル族を代表する政治指導者として位置づけられ、1949年12月に新疆省政府副主席、新疆軍区副指令員、1951年には中国共産党民族部部長、統一戦線部部長、新疆省幹部学校校長、中ソ友好協会副会長に任命された。1955年に新疆ウイグル自治区が成立すると、初代自治区政府主席、自治区共産党委員会書記となり、一級解放勲章を受章、中将に任官した。文革中の1972年には自治区革命委員会主任となり、1973年6月には自治区党委員会第一書記、新疆軍区第一政治委員に就任した。
 その後、中国共産党中央政治局候補委員(第10期、第11期)、全国人民代表大会常務委員会副委員長(第1期〜第7期)、中国人民政治協商会議全国委員会副主席(第8期)などの要職を歴任した。1993年に華夏出版社より回顧録を発表する。
 2003年に北京にて死去。

対外的には、北朝鮮カンボジアのような独裁政権を支持

 北朝鮮はともかく、ここでいう「カンボジアの独裁」ってのは何の事なんでしょうか?。「ポル・ポト*39か?」と最初は思ったのですが、現在首相をつとめるフン・セン*40氏は「1998年から現在に至るまで15年間の長期政権」で一部では「独裁的」とする批判もあるので、もしかして「フンセン首相のカンボジア」のことでしょうか。ただ今のカンボジアとは日本もつきあってると思うんだけどね。
 うーん、やっぱり「昔のポルポト時代」なのか?。ただあの時期のポル・ポト支持って「文革の残滓」というかなり特異な現象だけどね。


■関東脱北者協力会の馬鹿さに大笑いする
『日本は領土問題では毅然とした対応を』
http://jknkr.trycomp.net/?p=60

 そんな事と北朝鮮問題と何の関係があるのか。結局こいつらは「日本ウヨに媚びてそれで食っていこうとする見下げ果てたゴミ集団」なんでしょう。人間こういうゴミにはなりたくないモンです。本当にこういうゴミは死ねばいいのに。


■艶歌は、未組織プロレタリアートのインターなんだよ(五木寛之*41)「艶歌」より)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1983

彼女の最良の理解者の一人が五木寛之だったことはほとんど誰にも異論はないでしょう。

さあ、どうですかね。「彼女の最大の宣伝者」「彼女の最大のファン」の一人ではあるんでしょうが「宣伝者、ファンイコール理解者」じゃないからな。五木による「怨歌」という奇妙なネーミングが果たして彼女の心を的確に表現していたのかどうかは何ともいえないんじゃないか。

宇多田ヒカルの「悲しい記憶が多い*42のに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇りに思います。」というコメントが最も素晴らしいものだったと思う。

 まあ、実の娘の追悼の言葉に勝てるインパクトのある言葉なんか普通ないでしょう。

一部で誤解している人がいるようですので、一応、この短編集の発行は昭和42年であることを付記しておきます。

 もっとはっきりわかりやすく書けばいいのに。まあ、前後の文脈から「短編集発行時には藤氏はデビューしていなかった」と言いたいってことはわかりますけどね。
 ぼかした書き方が文学的で格好いいとでも思ってるんでしょうか。単にわかりにくいだけだろ。


ウイグル人女性の受難 グリスタン氏(日本ウイグル協会会員)の証言(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1973
・特に三浦のコメントはなく、グリスタン女史なる人物の配付資料が紹介されてるだけです。
 まあ、ここで書かれてることがどの程度正しいのかはわかりません。「100パーセント嘘」ってことはさすがにないでしょうが全部鵜呑みにするのも適切ではないでしょう。相手は中国に敵対心むき出しの人間ですから「あることないこと言ってる」、つまり「あることに、ないことを混ぜてる」疑いがある。さすがに「全部ないこと」ってことはないでしょうが。
・いずれにせよ少なくとも「中国政府のウイグル統治には問題があり、少なくないウイグル人が不満を感じていること」「何らかの是正の必要があること」は確かでしょう。
 ではどーすればいいのか。なかなか難しい問題です。いずれにせよ三浦小太郎ら日本ウヨが叫ぶ「ウイグル独立」だの「中国打倒」だのは現実性がないことは確かです。
 そして
1)三浦らは「ウイグルをネタに中国叩きをすること」と「ウイグル靖国参拝などをやらせ、ウイグルも自分たち日本保守を支持してるとウイグルを政治利用すること」がしたいだけでウイグルの将来に何の関心もないこと
2)そういう輩とウイグルがつきあうことは「不道徳」でありかつ「ウイグルにとっても有害無益であること」
も確かなことでしょう。


■9月29日 朴炳陽氏関東学習会報告
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01040
 うん、報告を読む限り、予想通りくだらない講演会だったようですね。まあ、守る会みたいな「三浦小太郎やid:noharra」といった「レイシストのゴミども」の講演会でまともな講師がいたらその方が驚きですけど。

日本教育演劇道場付属演劇学校

 どんなところだろうと思ってググったらヒットした以下の記事を紹介しておきます。
毎日新聞『会いたい・聞かせて:「日本教育演劇道場」理事長・大河内真由美さん /栃木』
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20130613ddlk09040163000c.html

共産党系の旧左翼的な空気になじめず

云々なんて「右翼らしい発言」が三浦の講演会報告には書いてありますがなじめなかったのはむしろ「教育演劇」じゃないんですかね。「学校巡回の演劇」である以上一定の縛りがあるでしょうからね。もちろん「その縛りの中で何が出来るか突き詰める」と言う生き方もあります。学校演劇というのは「大人向け演劇と比べて格が低いわけでもなければ」どーでもいいものでも決してないでしょうし。
 が、「学校演劇とは違う、縛りのない世界で好き勝手やる」と言うのも一つの生き方です。

自分は左派から今は極右と言われるようになった

いや「言われる」も何も三浦「守る会」のような極右レイシスト団体の「講演会の講師」を平然とできるあんたは「ごりごりの極右」「在日の名折れ」「死んだ方がいいクズ」「植民地朝鮮だったら朝鮮総督府に媚びうってたことが100%確実なゲス」以外の何物でもないだろ。

実はそれほどの芸術的完成度もない在日コリアンの映画や文学を実質以上に持ち上げて評価する日本のマスコミや文化人の偽善性にも我慢がならない

・一体、誰の作品のことを言ってるんだかはっきり言ってみろと言いたいですね。ぶっちゃけ在日ってだけで持ち上げられるほど世の中甘くはないでしょうよ。
・朴氏が講演において作品の名前を出したのに三浦がもめ事をおそれて書かないのか、もともと朴氏本人が「もめ事になるのを恐れて作品の名前を出さなかったのか」知りませんが、どっちであれ実にお粗末な話です。
・俺が三浦の立場だったら「もしかしてそれは俺達ウヨが万歳する映画監督ヤン・ヨンヒを含んでるのか?」とでも思って複雑な表情をするところですが、そういう認識は何故か三浦にはないようです。それとも三浦が嫌うような左派的な人間の名前でも朴氏は上げたんでしょうか。別に知りたいと思いませんけど。

在日文化人で、極めて底の浅い日本批判を行う一部の言説を、日本のマスコミが過大評価し、実際に生活する在日コリアンは彼らの発言に否定的なのに、在日のオピニオンリーダーのように扱うことこそ問題だと述べました。

・だから誰のことを言ってるのか、何が「底が浅い」のか、何が過大評価なのか、はっきり言ってみろって話ですよ。三浦が以前、悪口雑言はいてた姜尚中氏とか?
・朴氏が講演において当の文化人氏の名前を出したのに三浦がもめ事をおそれて書かないのか、もともと朴氏本人が「もめ事になるのを恐れて文化人氏の名前を出さなかったのか」知りませんが、どっちであれ実にお粗末な話です。

これに比して、立原正秋のように、在日であることを全く売り物にせず、美しい日本語、そして在日だからこその秘めた思いを文学に昇華していった人たちをこそきちんと評価すべきだと語りました。

ばかばかしい。単に立原正秋が「朝鮮・韓国文化に興味がなく、日本に興味があった」ってだけでしょうが。別にそういう生き方をどうこう言う気はありません。立原がそれで幸せならそれは彼の生き方です。
 しかし一方で「在日としての自分を強く訴えたい」という文学者もいるわけです。それは「在日であることを売り物にしている」などといってバカにするようなことではない。立原の生き方は立原の生き方、「朴氏が小馬鹿にしてるらしい某文学者の生き方」はその文学者の生き方です。どっちが格が上とかそういう話じゃない。
 何でこういうとんちんかんなほめ方を朴氏もしますかね。三浦たち日本ウヨに媚びてるんでしょうか? 

日本との共生を志向していた宝塚韓国小学校の価値を今再評価したく考えている

とはいえ「今はなくなった」ということは何らかの限界があったと言うことです。単に「すばらしい、なくなって惜しかった」ではまともな再評価とは言えないでしょうが、果たしてまともな再評価とやらができるんですかね。

この学校は、日本人の地域社会に溶け込むために、地蔵盆の行事を当時日本人とともに行い、早世した子供たちの冥福を祈っていた事を、この時期では画期的な取り組みだったと述べました

・別に地蔵盆の儀式なんか一緒にやらなくたっていいんじゃねえの?。やりたければやってもいいけど。地域社会に溶け込むって「日本文化を一緒にやる」ということとは違うと思うんだよな。大体何で在日の方ばかりが「マジョリティたる日本人」に近づく努力を求められるわけ?
・そして昔はどうだか知らないが今は韓国学校朝鮮学校も地域にとけこんでんじゃないの?
 朝鮮新報インターネット版を読むと「日本社会で健やかに育って大変いいことだ」と思うけどね。残念ながらリアルに「朝鮮学校韓国学校にふれあう機会」が今のところないんだけど。勝手に溶け込んでない呼ばわりするなよ、オヤジ。何様だよ、手前。「日本右翼に媚びる現代の親日派様」ですか?

しかし、神戸の民団の記録の中ですら、この学校についての資料はなぜか散逸、紛失してしまっている、また、総連系文化人が編集した在日教育資料の中にはほとんど数行しかこの学校が触れられていないと述べました。

 そりゃあ、よほどの関心がなければ「なくなってしまった学校の資料」なんか保存しませんよ。残念ながら当時はたいした評価はされてなかったんでしょう。いや、今もたいした評価されてないのか?
 で資料がなければ書きようもないでしょう。ま、「当時の学校関係者に聞き書きする」と言う手もありますけど、口で言うのは簡単でも、やるのは大変ですからね。
 当時の学校関係者を見つけ出すのが大変でしょうし、幸いにして見つけても取材受けてくれるとは限らない。

 最後に朴氏は、阪神教育闘争について、当時民団団長でかってはアナーキストだった朴烈が、すでに事件直後の段階で的確で原則的な批判をきちんと行っていること、それは決して単純な反共や韓国支持の立場からではなく、第二次世界大戦の惨禍の後、世界が目指すべき平和への道、国境なき世界への道を理想として高く掲げた上での、朝連、そして北朝鮮の、アメリカや韓国、日本を「悪」と決めつけて敵対することでしか価値観を示せないゆがんだ憎しみの思想を批判したものであり、民団が目指すべき理想がすでに提示されている、このことを民団幹部はもっとよく学ぶべきだと述べて講演を終えました

「的確で原則的な批判」「朝連、そして北朝鮮のゆがんだ憎しみの思想を批判したもの」「民団が目指すべき理想」
 言ってることが抽象的すぎて何が何やらさっぱりわかりません。「朴烈をダシに総連と民団非難してるんだろうな。要するに三浦たち日本ウヨに媚びてるんだよな。げすいねえ。朴炳陽君は切腹でもして死んだら?」位のことしかわからない。三浦はこんな意味不明な文章を「講演を聴きに行かなかった俺のような人間が読んで」理解できると思ってるんでしょうか?。まあ、聞いても理解できない意味不明な代物かも知れませんけど。
 それとも「具体的に書くとあほらしいとバカにされるような代物だから」曖昧に書いてごまかしてるんでしょうか?

【追記】
・コメ欄でid:Bill_McCrearyさんに「宝塚韓国小学校」についていろいろご教示いただきました。ありがとうございます。なお、ご紹介いただいたPDFファイルを読む限りでは渡辺さんは「韓国政府の補助が得られなかった事が閉鎖の大きな原因」と見ているようですね。裏返せば朝鮮学校の存続は「北朝鮮政府の補助が大きかった」ということなんでしょう。三浦なんぞは「何故北朝鮮の支援を朝鮮学校は受ける」とふざけた事を抜かしますが、「受けざるを得ない」と言う事情があるわけで、かつ補助を受ければ「しがらみが出来て批判は難しい」わけです。三浦は文句があるなら朝鮮学校教育を支援しなかった日本政府に言うべきでしょう。
 なお、「モスクワ五輪をボイコットしないと政府補助を打ち切る」と日本政府に脅されて屈服したJOCのように「補助金を盾に取られて苦しい立場になる」なんてことは何も「朝鮮学校北朝鮮」だけに該当する話じゃないわけです。
・小生も「宝塚韓国小学校」でグーグル検索をしましたが全然ヒットしませんね。
 id:Bill_McCrearyさんにご教示いただいた渡辺正恵さんの研究(将来的に新書にでもなるとありがたいです)以外ではhttp://www.eonet.ne.jp/~kjn/tkrtysn.htmlと言うのがヒットしました。これぐらいしかヒットしませんね。

http://www.eonet.ne.jp/~kjn/tkrtysn.html
 1966年まで伊孑志にあった「宝塚韓国小学校」は、もと伊孑志公会堂で朝鮮語の勉強をしていたものを、現在の民団宝塚支部の建物のあるところに移し、1947年「朝聯宝塚支部朝鮮学院」として開校し、1948年に「宝塚韓国小学校」と改名したものでした。この当時で、約70名の子どもたちが通っていました。学校へ子どもをおくる父母たちの生活は苦しく、毎朝子どもが登校する前に親が働きに出てしまうということで、子どもの面倒までは手が回らないといった状態でした。このような厳しい条件の中、父母たちの心配した通り日本の中学校へ進学したときの学力の差は大きく、とうとう1966年に「韓国小学校」としては廃校に追いやられてしまうことになりました。翌1967年からは「宝塚韓国学園」が設立され、韓国語・韓国の舞踊や歌などの民族文化を学ぶ場となって現在にいたっています。

「宝塚韓国学園」でグーグル検索をかけてみましたが全然ヒットしないので現在も存在するのかとか、どういうものなのかとか具体的な事はわかりません。
「韓国語・韓国の舞踊や歌などの民族文化を学ぶ場」という書き方からすると「子ども相手の民族教育の場」というよりは「日本人対象のカルチャースクール的なもの」を想定した方がいいのかも知れません。それが悪いとは言いませんが、「当初の小学校教育」というものとは全く違うものになってしまったわけです。 


■五十嵐仁の転成仁語『「日本をめぐる安全保障環境の激変」とは何か』
http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2013-09-20

 安倍首相は、あたかも中国や北朝鮮が明日にでも日本を攻めてくるかのような危機感を煽り立てています。尖閣諸島をめぐる中国の対応や北朝鮮によるミサイル危機などの軍事的挑発行為が、このような安倍首相の主張を裏付けるものとして最大限に利用されてきました。
 しかし、状況は大きく変化しつつあります。そして、このような変化は極東における緊張緩和にとって好ましいものであり、安倍首相がこれから本格的に取り組もうとしている安保・防衛政策の転換がいかに現実離れした無意味なものであるかを如実に示すものとなっています。
 第1に、中国や北朝鮮の姿勢が変わりました。事態は鎮静化し、緊張を高めないような対応がなされていると言って良いでしょう。
 中国では、尖閣諸島の「国有化」から一周年が経った9月11日も満州事変が勃発して「国辱の日」とされる9月18日にも、昨年のような過激な「反日デモ」は起きませんでした。当局も国民も昨年のような激しい抗議行動を「自制」し、関係改善を望んでいることは明らかです。
 北朝鮮も配備したとされるミサイルは撤去し、新たな核実験は行わず、3年ぶりに離散家族の再開について合意するなど、南北関係の改善に向けてのアクションを起こしています。先日は、重量挙げの2013年アジア・クラブ選手権の開幕式で、南北分断後始めて韓国選手団が国旗の太極旗を掲げ入場し、韓国国歌も流れ、4月に閉鎖されていた開城工業団地の操業も一部再開されました。

全く五十嵐氏に同感です。そしてこうした北朝鮮の対応の背景には韓国サイドの「絶対に戦争は出来ない」という判断があることも指摘しておきます。
 今の朴政権は「金大中盧武鉉政権時の外交」や「野党候補が大統領に当選したときに実行したであろう外交」に比べたら相当「右寄り」でしょうがそれでも「開城工業団地なんか辞める!」と言うほどの極右外交ではないわけです。

*1:著書『東條英機天皇を守り通した男』(2008年、講談社)、『重光葵・連合軍に最も恐れられた男』(2011年、講談社

*2:ベトナム民主共和国初代国家主席ベトナム労働党初代主席

*3:インドネシア初代大統領

*4:桂内閣外相。ポーツマス条約調印、関税自主権の回復、日露協約締結、日韓併合に関与。

*5:A級戦犯。東條、小磯、東久邇、鳩山内閣時に外相。鳩山内閣時に日ソ国交回復、国連加盟を実現

*6:「外務省に就職したときと言う意味」かそれとも「外務大臣に就任したとき」と言う意味か。皇居と言うからには「外務大臣」でしょうが。外務官僚一年生は皇居に行けないでしょう。

*7:原文のまま。たぶん何かの誤記でしょう。

*8:天皇誕生日のこと。この場合の天皇昭和天皇

*9:当時、上海公使

*10:上海派遣軍司令官・陸軍大将白川義則が死亡した

*11:戦前、外務事務次官、駐英大使。戦後、首相

*12:戦前、田中義一内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相を歴任、戦後、首相。

*13:というか、そもそも吉田や鳩山に外相の話なんか当時来たんでしょうか?

*14:それが事実だとしても、多分重光も本気で大東亜共栄圏なんて考えていたわけではないでしょうが

*15:何が捏造なんでしょうか?

*16:もちろん一部には捕鯨反対派、ザ・コーブ全面支持者もいるでしょうが

*17:1987年に『それぞれの終楽章』で第98回直木賞受賞

*18:連戦内閣法相、台北市長などを経て、現在、台湾総統、国民党主席

*19:太平洋戦争と呼ばない点がウヨらしい

*20:三浦小太郎に寄れば西郷隆盛征韓論者説を否定している上に歴史学者でも何でもない三浦に解説を書かせたらしい。それだけで駄本認定出来る。

*21:西部邁とそのお仲間が中心になっている右翼月刊誌

*22:著書『TPP亡国論』(2011年、集英社新書)、『国力とは何か:経済ナショナリズムの理論と政策』(2011年、講談社現代新書)、『日本思想史新論』(2012年、ちくま新書)、『日本防衛論』(2013年、角川SSC新書)、『反・自由貿易論』(2013年、新潮新書)、『保守とは何だろうか』 (2013年、NHK出版新書)

*23:まず右翼しか使わない言葉です

*24:中野氏の事

*25:言うまでもなく靖国問題慰安婦問題での安倍批判

*26:何で「朝鮮戦争時に生活苦から娼婦に身を落とす人がいる」と「日本軍慰安婦が公娼になる」「河野談話が間違ってる事になる」んですかね。播磨は頭がおかしいんじゃないか。

*27:小泉内閣文科相麻生内閣国交相を歴任。国交相時代に『成田空港反対闘争は「ゴネ得」』『(日教組が強いから)大分県の学力は低い(実際には日教組の組織率が大分で高いという事実はない。文科省さえ明らかなデマである中山発言を否定せざるを得なかった)』などの暴言で引責辞任麻生内閣の支持率低下に大いに貢献した。

*28:中山の慰安婦暴言を表に出しまくったら言うまでもなく「維新の怪」は国内外の批判を浴びてぼろぼろになります。それが怖かったからこそ橋下や石原は、「政治力でもあるのか」、西村とは違い中山を処分しなかったものの、彼を表に出さなかったし、西村眞悟にいたっては容赦なく除名処分で切り捨てたわけです。

*29:撃論もジャパニズム西村幸祐編集の極右雑誌

*30:小渕内閣防衛政務次官当時、「核武装暴言、女性差別暴言(「核兵器ってのは抑止力みたいなもんだ。強姦しても罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってる。けど、罰の抑止力があるからそうならない」)」で引責辞任。その後、慰安婦暴言(「日本には韓国人の売春婦がうようよいる。反撃に転じた方がよい。」「大阪の繁華街で『おまえ、韓国人慰安婦やろ』と言ってやったらいい。」)で維新の怪を除名

*31:三浦にとって但馬と並べられる事が幸せかどうかは知りませんが

*32:著書『歴史で考える』(邦訳:2007年、岩波書店

*33:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*34:何の世論調査でしょうか?。「極右的な言動が目立つ安倍」の政権支持率が未だ高い事を考えれば「極右以外」は誰しも「右傾化の懸念」を口にせざるを得ないでしょう。

*35:ウィキペディアを信じれば「遺体が埋葬されてる」そうなので「失踪」は表現として不適切だろう

*36:人民革命党議長。1949年に遭難死

*37:国共内戦では共産党に降伏。新中国建国後は西北行政委員会副主席、全国人民代表大会常務委員会副委員長、国防委員会副主席、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員などを歴任

*38:東トルキスタン共和国軍事庁長、新疆省政府副主席を歴任。1949年に遭難死

*39:カンボジア共産党書記長、民主カンボジア首相

*40:ヘン・サムリン政権外相、ラナリット政権第二首相などを経て現在、首相。

*41:『蒼ざめた馬を見よ』で1967年の直木賞を受賞

*42:晩年の藤氏は精神を病み、自殺もそれが理由のようですから「悲しい記憶」は当然多いでしょう