三浦小太郎に突っ込むほか(2020年5月25日分)(追記あり)

【香港の自由と民主主義を守るために 国会議員の皆様は抗議の声をあげてください】 | 一般社団法人 アジア自由民主連帯協議会

 国会議員として抗議声明を出していただき、日本政府が香港を守るよう働きかけをして下さい。

 まあ「何だかなあ」ですね。一個人ならともかく仮にも「アジア自由民主連帯協議会」という団体ならこんな声明文一本乗せて終わりではなく「自民」「公明」「維新」「立民」「国民民主」「共産」「社民」「れいわ新選組」といった国政主要政党に「声明文を持って陳情に行き、その陳情風景を写真付きの記事にする」くらいやってほしいもんです。なんでやらないかと言えば「やっても自民党がまともに相手してくれるとも思えない」からでしょう。今の安倍政権は秋に「習主席訪日」を控えています。
 自民党が相手してくれないのに野党に陳情しても「意味に乏しい」。
 しかも「アジア自由民主連帯協議会」は極右団体として常日頃「安倍万歳&アンチ野党」なので野党に陳情もしづらいのでしょう。


「草はらに葬られた記憶」ミンガト・ボラク著 を紹介させていただきました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

 「草はらに葬られた記憶*1」ミンガト・ボラク著を、動画にて紹介させていただきました。

 三浦の動画(24分程度)については視聴した上で後でコメントします。まずはブログ記事についてコメントします。

 本書は、戦前・戦中、内モンゴルで様々な活動を行っていた「日本特務」の人たちの思い出をモンゴルの古老の人たちが語ると共に、この時期、日本が様々な工作活動をモンゴルで展開していたこと、モンゴル人たちが明確に*2独立を認めない日本の方針には反発しつつも、ともに協力、交流していたことを証言に基づいて記録しています。
 しかし、この日本との交流のおかげで、かえって中国共産党支配下でモンゴル人は敵視されることになりました。文化大革命時代、その世代のモンゴル人は日本帝国主義のスパイとして徹底的な拷問や暴力を加えられ、自分が「スパイだった」と証言を強制されます(手の指や爪にひどい拷問をされ、生涯、握手も、写真を撮る時手を見せることもしなくなった人の証言等)。
 楊海英氏の一連の仕事共に、ミンガト・ボラク氏の著書にもぜひふれてみてください

・「草はらに葬られた記憶」でググったら書評が見つかったので後で紹介します。
・特務つうのは「特殊任務(あるいは特殊任務活動家、特殊任務工作員)」の略ですが、この場合は「軍や警察によるスパイ行為、謀略行為(あるいはそうした行為を実行する組織、機関や『組織、機関のメンバー』)」のことですね(現在においては戦前日本軍、日本警察の「特務機関」という歴史用語以外ではまず使わない言葉ですが)。今風に言えば「スパイ機関=特務機関」「米国CIA、旧ソ連KGBなど=特務機関」ですね。
 わかりやすい例だと「溥儀を担いで満州国皇帝にする(土肥原賢二*3奉天特務機関長)」、「汪兆銘を担いで傀儡政権つくる」「娯楽映画(市川雷蔵主演)のネタにもなった陸軍中野学校」などが特務です。
 「ゾルゲ事件ゾルゲ」なども特務ですね(戦前日本の特務機関以外はまず、日本では特務と言いませんが。ちなみにゾルゲの所属はソ連軍であり、実はコミンテルン所属ではありません。そして、そのことを当時の日本政府も実はわかっていましたが、「共産スパイ」ということを強くアピールするためにコミンテルンスパイという事実に反する発表がされました)。
 「特務」でググる

斎藤充功*4『幻の特務機関「ヤマ」:昭和史発掘』(2003年、新潮新書
◆山本武利*5『特務機関の謀略:諜報とインパール作戦』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

なんて本がヒットします。
 したがって「日本特務の人」とマジで付き合い(三浦の表現だと「交流、協力」)があったら、その付き合いが「単に食料品を売っていただけでスパイ活動に協力したわけではない」「特務とは知らず、普通の日本人官僚としか思ってなかった」ならまだしも、その「付き合い」は「日本帝国主義のスパイ」以外の何物でもないと思うんですけどね。それにしても、三浦は「交流、協力」とまるで文化交流や経済協力のような書きぶりで苦笑させられます(もちろんだからと言って拷問したり違法殺害*6したりしていいわけではありませんが)。
・楊の「一連の仕事」つうのは

日本陸軍とモンゴル:興安軍官学校の知られざる戦い』(2015年、中公新書)
『最後の馬賊・「帝国」の将軍・李守信*7』(2018年、講談社

など、「敵の敵は味方」で日本軍と野合し、中国(ただしこの場合の「敵」「中国」は当時の正統政府・中華民国)からの独立を目指した「内モンゴル人」を描いた著作や

『墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上)(下)』(2018年、岩波現代文庫)

など文革期の内モンゴルを描いた著作のことでしょうね。

参考

『草はらに葬られた記憶「日本特務」』書評 対日協力者の苦難と民族の分断|好書好日
 日本ではほとんど忘れ去られているが、内モンゴルは近代日本が長らく関与し続けた地域だ。東部は旧満州国中国東北部)に組み込まれ、組み込まれなかった西部も関東軍が各地の役所に日本人顧問を派遣し、政界を掌握した。初等教育では日本語教育が行われ、各地に日本特務機関がおかれ、植民地といっていい状況が生まれていた。
 本書は、特務機関となった寺で日本人と暮らした人や、日本軍に入隊した人など内モンゴルの証言者を探し当て、当時の生活やその後「対日協力者」となった苦難についての語りを通して、日本と内モンゴルの関係を浮かび上がらせる。終戦までは、日本の特務機関がおかれた寺は、ソ連寄りと疑われた「(ボーガス注:外)モンゴルのスパイ*8」の拷問や殺害が行われ、貝子廟(びょう)という寺院では日本人の撤退後「日本特務をかばった罪」でソ連軍により45人の僧侶が殺されてもいる。列強の疑心の狭間で多くのモンゴル人が殺されたのだ。

 ということで三浦はこの記事において全然触れませんが日本軍の殺害行為にも触れてるようです。

 中国で戦後「対日協力者」が民族の裏切り者として死刑や重罪になったことは知られているが、内モンゴルの戦後の混乱はあまり知られていない。
 中国に組み込まれ断行された「土地改革」では、その名の下に殺人も横行、「文化大革命」でも「日本の走狗(そうく)」と弾圧された人が多かった。

 「対日協力者」とはいわゆる「漢奸漢民族にとっての奸物)」と言う奴です。
 漢奸 - Wikipediaは有名な漢奸として

愛新覚羅溥儀 - Wikipedia満州国皇帝
王克敏 - Wikipedia:日本の傀儡政権「中華民国臨時政府」行政委員会委員長。「中華民国臨時政府」が汪兆銘の「南京国民政府」に合流してからは、華北政務委員会委員長
デムチュクドンロブ - Wikipedia:蒙古聯合自治政府主席
殷汝耕 - Wikipedia:日本の傀儡政権「冀東防共自治政府」政務長官
汪兆銘 - Wikipedia:日本の傀儡政権「南京国民政府」主席
陳公博 - Wikipedia汪兆銘の側近の一人。「南京国民政府」において立法院長、政府主席代行など歴任。汪兆銘病死後は後継者として「南京国民政府」主席

を上げています。

 モンゴルは、結果的に内モンゴル自治区モンゴル国の南北に分断された。日本が関与した歴史の重みに比し、多くのことが忘却されている。とりわけ、モンゴル人の英雄である「チンギス・ハーン義経*9」を現地に押し付け教育していたことは驚いた 
◆Minggad Bulag
 1974年、内モンゴル自治区生まれ。翻訳家、通訳。著書に『「スーホの白い馬」の真実』*10など。

 『「チンギス・ハーン義経説(勿論デマ)」を現地に押し付け教育』とは酷い話ですね。これまた三浦はこの記事において紹介しないでネグっていますが。まあ、三浦的には中国叩きに使える「文革」云々しか興味はないのでしょう。
 ちなみにしばらく前に週刊モーニングに連載された漫画「ハーン」(瀬下猛)はこの珍説(偽史)をネタにしています。

【追記】
 さて三浦の動画を見てみました(24分程度)。
 三浦曰く「アジア自由民主連帯協議会事務局長の三浦です。協議会として、この本の著者を招いて講演会をする予定だったが、新型コロナ、これについては中国コロナや武漢コロナという人もいますが*11、の影響で中止したのでこの動画を作成しました。ただし、新型コロナが収束したら改めて彼の講演会を開きたいと思っています」
 また楊海英のように、日本ウヨと野合し、ダークサイドに落ちる「内モンゴル研究者(内モンゴル史の研究者&内モンゴル出身の研究者)」が登場するんでしょうか。 
 「特務機関については資料が少ないので、この本の著者のように内モンゴル人からの聞き取りをせざるを得ない」。
 まあ、ここの部分は「問うに落ちず語るに落ちる」ですね。特務の活動内容について「工作活動」「内モンゴル人との協力、交流」とこの記事でも、動画でも曖昧な表現でごまかす三浦ですが、何で資料が少ないのかと言えば「スパイ活動」であり「違法行為も含まれる」からです。資料に残したいような行為をしていない。
 三浦曰く「戦前に今西錦司*12梅棹忠夫*13内モンゴル研究を現地で行っていた。おそらく日本特務の支援を受け、日本政府・軍への協力という側面もあった」。
 そうでしょうねえ。ただし、それは、三浦らウヨが印象操作したがるような「だから日本の特務を評価しろ」つう話ではない。
 植民地支配において、学者が「そうした支配に何らかの形で協力する」のは普通に良くあることですし、それはその学者が優れた学問的業績を上げよう*14と「植民地支配が正しい」と言う話ではない。
 もちろん一方でそうしたこと「だけ」を理由に今西や梅棹の研究業績を全否定するのも違うでしょうが。
 さて予想通りですがブログ記事でも触れていませんでしたが、動画でも

『草はらに葬られた記憶「日本特務」』書評 対日協力者の苦難と民族の分断|好書好日
終戦までは、日本の特務機関がおかれた寺は、ソ連寄りと疑われた「(ボーガス注:外)モンゴルのスパイ」の拷問や殺害が行われ、貝子廟(びょう)という寺院では日本人の撤退後「日本特務をかばった罪」でソ連軍により45人の僧侶が殺されてもいる。列強の疑心の狭間で多くのモンゴル人が殺されたのだ。
・モンゴル人の英雄である「チンギス・ハーン義経説」を現地に押し付け教育していたことは驚いた。

などという「日本の汚点」は全く紹介されません。
 「この本には日本軍と内モンゴルには軋轢や衝突もあったことが書かれており、きれいごとだけではない」と三浦はいっていますが、その「軋轢や衝突」「きれい事ではない部分」が具体的には何なのか、まるで説明しません。
 一方で文革時の問題行為はこの記事において

「草はらに葬られた記憶」ミンガト・ボラク著 を紹介させていただきました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 文化大革命時代、その世代のモンゴル人は日本帝国主義のスパイとして徹底的な拷問や暴力を加えられ、自分が「スパイだった」と証言を強制されます(手の指や爪にひどい拷問をされ、生涯、握手も、写真を撮る時手を見せることもしなくなった人の証言等)。

と書いていますが、動画でもそうした中国への悪口雑言がされるわけです。まあ、三浦もわかりやすい男、そして「最悪のゲス」ですね。
 大嫌いな中国については悪口雑言する。一方、日本の問題点は公然とネグるわけです。id:noharraも三浦のようなゲス野郎とよく付き合える物だ、と心底呆れます。

*1:2019年、関西学院大学出版会

*2:「独立を認めない」の前にわざわざ「明確に」を付け、「明確には独立を認めないがはっきりと独立を否定したわけでもない」として言い訳しようとする三浦のせこさが笑えます。

*3:奉天特務機関長、ハルピン特務機関長、陸軍航空総監、第7方面軍(シンガポール)司令官、陸軍教育総監など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*4:著書『陸軍中野学校:情報戦士たちの肖像』(2006年、平凡社新書)、『陸軍中野学校の真実:諜報員たちの戦後』(2008年、角川文庫)、『証言・陸軍中野学校:卒業生たちの追想』(2013年、バジリコ)、『日本スパイ養成所・陸軍中野学校のすべて』(2014年、笠倉出版社)、『日本のスパイ王:陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実』(2016年、学研プラス)など

*5:一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。著書『紙芝居:街角のメディア』(2000年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本兵捕虜は何をしゃべったか』(2001年、文春新書)、『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』(2013年、岩波現代全書)、『陸軍中野学校:「秘密工作員」養成機関の実像』(2017年、筑摩選書)、『日本のインテリジェンス工作:陸軍中野学校731部隊、小野寺信』(2018年、新曜社)など

*6:違法殺害と書いたのはゾルゲ事件での死刑判決で分かるように「マジのスパイ」なら死刑判決(つまり合法殺害)は別に珍しくないからです。

*7:1892~1970年。1936年2月、徳王(デムチュクドンロブ)が蒙古軍総司令部を創設すると、李守信もこれに参与し、副総司令兼軍務部長に就任した。同年5月、蒙古軍政府が成立すると、李は参謀部長に任命された。1937年10月、日本軍の援助により蒙古聯盟自治政府が成立すると李は蒙古軍総司令に就任。1939年9月、蒙古聯合自治政府が成立すると、李は引き続き蒙古軍総司令をつとめた。1940年1月、李は蒙古聯合自治政府代表として、南京国民政府代表の周仏海と会談し、自治権をめぐる交渉を行っている。その結果、南京国民政府を正統の中央政府と承認し、その地方政権となる一方で、蒙古聯合自治政府は(1) 高度な自治、(2) チンギス・カン紀元の年号の使用、(3) 蒙古聯合自治政府旗の使用等を許可された。1941年6月、蒙古聯合自治政府が蒙古自治邦に改められると、副主席に就任。1949年、蒋介石政府の敗色が濃厚になると、李は一時台湾へ逃亡したが、その後、徳王の勧誘に応じて内モンゴルに引き返す。同年8月に蒙古自治政府が成立すると、政務委員兼保安委員会副委員長となった。同年12月中旬にはモンゴル人民共和国首相チョイバルサンの招きに応じた徳王とともにモンゴル人民共和国に亡命した。当初は監視されながらもモンゴル人民共和国当局に歓迎され高待遇を受けていたがソ連と中国の反発から李や徳王に政治的利用価値がないと判断したモンゴル人民共和国当局によって、1950年9月、逮捕され、徳王とともに中国に引き渡され、収監され思想改造を受けた。1964年12月28日、特赦によって李は釈放され、1970年5月、病没(ウィキペディア「李守信」参照)。

*8:カギ括弧がついているのはもちろん「本当にスパイかどうかが疑わしいから」でしょう。

*9:なお、この説、日本政府が内モンゴル統治のために発明したわけではなく、明治時代に「日本スゴイ」と言いたい日本ウヨによって発明された偽史(嘘の歴史)です。昭和になって日本が内モンゴル統治をするようになったときに政治利用されたわけです。

*10:2016年、風響社。この本については絶対面白いから読んでみて!「『スーホの白い馬』の真実」ミンガド・ボラグ著 風響社 | 三浦小太郎BLOG Blue Moonにコメントする形で「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート128(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで触れています。

*11:こういう言わなくてもいいことを平然と言い「げすな反中国レイシスト」であることがモロバレになる三浦です。三浦に限らず日本ウヨ連中は中国コロナや武漢コロナと言いたがりますが。

*12:京都大学名誉教授。著書『自然学の展開』(1990年、講談社学術文庫)、『生物社会の論理』(1994年、平凡社ライブラリー)、『イワナとヤマメ』(1996年、平凡社ライブラリー)など

*13:京都大学名誉教授。著書『実戦・世界言語紀行』(1992年、岩波新書)、『文明の生態史観』(1998年、中公文庫)、『情報の文明学』(1999年、中公文庫)、『情報の家政学』(2000年、中公文庫)、『回想のモンゴル』(2011年、中公文庫)、『日本探検』(2014年、講談社学術文庫)など

*14:梅棹や今西の業績が素晴らしいのかどうか俺は知りませんが。