新刊紹介:不破哲三「マルクス・エンゲルス革命論研究(下)」(新日本出版社)

・以前、紹介した「マルクス・エンゲルス革命論研究(上)」の続き。
・下巻の主な章立ては次の通り。
 第三講「インタナショナル(下)」
 第四講「多数者革命」
 第五講「過渡期論と革命の世界的展望」

■第三講「インタナショナル(下)」
・上巻の第三講「インタナショナル(上)」の続き。
普仏戦争についてインタナショナルは、フランスが仕掛けた戦争としながらも、プロイセン側に戦争回避の努力はなかった、戦争はプロイセンの勝利によりフランス侵略戦争に転化する恐れがあると指摘した。この指摘を受け、ドイツ議会の議員だったべーベルとリープクネヒトは戦争公債に反対の立場(棄権)を取った。その後も二人は、アルザス・ロレーヌの併合に反対するなど戦争に批判的な立場をとり続けた(これをマルクスは高く評価した)。
普仏戦争を機に誕生したパリコミューンをマルクスは高く評価した。この時書かれたのが「フランスにおける内乱」である(詳しくは不破「古典への招待(中)」の「第九講・マルクス「フランスにおける内乱」」を参照。なお、不破氏はパリコミューンについて大仏次郎の小説「パリ燃ゆ」が入門編として使えるとしている)。
・「フランスにおける内乱」でマルクスは「旧来の国家機構は作り直さなければならない(そのままでは使えないが全部スクラップする必要はない、使える部分は使う)」と主張したというのが不破氏の理解である。
・1872年のハーグ大会で、インタナショナルは本部をロンドンからニューヨークに移すことが決議された。
 これは「警察の弾圧が厳しく組織の運営が困難になった」「バクーニン派の内部攪乱」が理由である。なお、この大会ではバクーニンの除名も決定された(ちなみに、インタナショナルが解散したのは1876年)。
・ちなみに第二インタナショナルが誕生したのは1889年でこの時点ではまだエンゲルスは生きていた。不破氏によるとエンゲルスは第二インタナショナル内部でのドイツを指導的党と見なす傾向に批判的だったそうで、特定の国、民族が運動を引きずり回すことは間違っていると言う教訓をここから導き出すことが出来ると不破氏は見ている。

■第四講「多数者革命」
・ドイツの社会民主党の選挙での前進からマルクスエンゲルスは選挙での多数者革命は可能であるし、適切でもあるという考えに達した(ただしドイツは帝政で完全民主主義ではないので、政府の出方によっては、武装闘争もあり得るという条件付きだが)。
・なお、ドイツ社民党第一次世界大戦に賛成したこと、首相となったエーベルトローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトの虐殺を容認したことから、(少なくとも、大戦以降の)ドイツ社民党主流派に不破氏は批判的である。
・この第四講のp253〜270の「フランス労働党(後にフランス社会党に改称)に起こった二度の重大な異変」が個人的には面白かった。
 最初の異変はブーランジェ(軍人出身のタカ派政治家。クーデター計画が発覚し、国外亡命の後、自殺)を巡る対応。フランス労働党幹部のポール・ラファルグが既成政党憎しのあまり、ブーランジェに好意的態度を取ったことをエンゲルスは厳しく批判したという。ブーランジェが国外亡命したことで、問題は解決したが。
(不破氏はブーランジェについては大仏次郎の小説「ブウランジェ将軍の悲劇」が入門編として使えるとしている。ブーランジェ事件と同時期に起こった右翼の陰謀的な事件としてはドレフュス事件がある。ドレフュス事件については大仏次郎が小説「ドレフュス事件」を書いている)
しかし、ブーランジェに対するラファルグの態度って、id:kojitaken氏が批判する「左翼を名乗る一部の城内実支持者」みたい。
・次の異変はジャン・ジョレス(第一次世界大戦開戦に反対したために右翼テロで暗殺されたことで有名)やミルランの入党である。二人とも、急進党出身だったため、当初、エンゲルスは党が右傾化するのでは、と心配していたが、最終的にはジョレスやミルランを基本的には高く評価するようになったという。
ただ、エンゲルス死後、ミルランは穏健保守内閣に入閣し、この入閣の評価を巡り、党はゲード派(ミルラン批判派)とジョレス派(ミルラン支持派)に分裂してしまう(後に再統一するが)。
入閣を巡って党が分裂って、新社会党の誕生の経緯みたい。ミルランの行為の評価はともかく一般論としては、こういう形での入閣(内閣では少数派)は党の独自性を失い支持者の反発を招く危険性が高いとは思う(例.衆院選議席を減らした公明党)。
ミルランの入閣をレーニンは著書「何をなすべきか」で「実践的ベルンシュタイン主義」と酷評したという。

■第五講「過渡期論と革命の世界的展望」
・まずマルクス社会主義革命の過渡期論の説明(→さっぱり分からない)。
・次に革命の世界的展望の説明。
・カウツキーがエンゲルスにヨーロッパでの革命が成功したとき,植民地はどうすべきか、保有し続け社会主義の方向へ導くべきか、と言う質問をしたのに対し、民族自決の立場から植民地は放棄すべきだとエンゲルスは回答した。
・後進経済国をどう社会主義の方向に持って行くか現在でも重大な課題である。