【河合雅司の「ちょっと待った!」】少子化問題に顔を背ける鳩山政権

後で突っ込みたいと思いますが、まずタイトルが問題。
別に鳩山政権は「少子化問題に顔を背け」てはいません。要するに産経にとって鳩山政権の少子化対策は評価できないと言うことのようですが、それを「顔を背ける」とまるで「少子化問題に無関心」であるかのようなタイトルはまずすぎでしょう。

 政府が平成22年版の「子ども・子育て白書」を閣議決定した。昨年までは通称として「少子化社会白書」と呼ばれていたものだ。特定の政策を扱った白書の呼び方を変更するというのは異例のことである。
 白書の構成も昨年までとは大きく異なる。1月にまとめた「子ども・子育てビジョン」の内容を冒頭で詳しく紹介し、昨年までトップで扱っていた出生率の下落状況など少子化の進行の実態は後ろに回した。
 名称変更は福島瑞穂少子化担当相(当時)の意向のようだが、政権が変わるたびに変わったのでは国民の利便性が損なわれる。毎年求めてきた人は、新しい白書が出されたのかと勘違いしかねない。

 政権交代したのだから、白書の名前(と言っても通称変更で正式名称変更ではないようですが)や体裁が変わっても別にいいのでは?。しかし、記事が「福島瑞穂少子化担当相(当時)」ってのがなあ。もう更迭されたんだよなあ(絶句)。

 ところで、なぜ名称を変更する必要があったのだろうか。内閣府は「『少子化だ』といって尻をたたくのではなく、子育てを社会全体で支えることで、結果的に少子化を克服するということを明確にした」と説明する。
 こうした発想は、白書にも貫かれている。冒頭で「これまで『少子化対策』として、さまざまな計画の策定や対策が講じられてきた。しかし、目に見える成果として実感できない」と批判し、「『少子化対策』から『子ども・子育て支援』へと視点を移す」としている。

 「『子育て支援』がなってないから、少子化になった」「子育て支援を充実させれば少子化は自然に克服される」というのが政府の考えということでしょうか?

 だが、こうした説明には論点のすり替えがあるのではないだろうか。「子育て支援」と「少子化対策」は重なる部分は多いが、全く違う問題であろう。
 「子育て支援」というのは文字通り、既に生まれた子供をいかに大事に成長させていくか。そのために社会全体としてどう手助けできるかということだ。これに対し、「少子化対策」は子供が生まれてこない現状をどうするか。つまり、子供を持ちたいという希望をかなえられないでいる人の阻害要因をどう解消するかということである。
 子供を大事に育てていくことが大変重要な問題であることは言うまでもない。だが、現在の日本は子供が生まれないことが深刻な問題となっている。いかに少子化を止めるかが問われているのだ。
 「たかが白書の名称で大騒ぎする必要もない」との声もあるだろうが、「少子化」の「子育て」へのすり替えは、鳩山政権に少子化がもたらす深刻な事態への危機感が欠如していることを端的に表しているともいえる。
 そもそも、鳩山由紀夫首相自身が「少子化」という言葉に否定的だ。1月29日に行われた少子化社会対策会議で鳩山首相は、「『少子化』という発想は上から目線だ。社会全体でいかに子育てを行うか、子供の育ちというものを政府がいかに支えるかということが、非常に大事だという発想で臨みたい。少子化社会対策会議という、この名称を変更したほうがいいのではないか」とあいさつしている。
 鳩山政権が最優先政策として取り組んだ「子ども手当」は、まさにこうした発想にのっとった子育て支援策である。少子化対策でないことは、内閣府泉健太内閣府政務官産経新聞のインタビューで、「われわれは基本的に人口政策という考え方は持たずにやっている」と語ったことからも明らかだ。民主党は出生数減少に歯止めをかけるための議論は行ってこなかったというのだ。
なぜ、民主党は「少子化」という言葉を使いたがらないのだろうか。背景には、少子化対策というのは、戦前の「産めよ殖やせよ」につながるとのアレルギーがあるようだ。
 だが、ここにもまやかしがある。「少子化対策」は決して「産めよ殖やせよ」を意味しているわけではない。繰り返すが、少子化対策とは、子供が欲しくても持てない人の理想と現実のギャップを埋めることにほかならない。

 うーん、微妙。産経は平気で曲解する新聞なので、その主張を鵜呑みにすることは怖いのですが、ここで書いてること(そもそも「結婚する人間が少ない」等といった問題があり、「少子化対策」=「子育て支援」では必ずしもない)はそれほど変ではなさそうです。本当に「少子化対策」=「子育て支援」と政府が言ってるのかという問題はありますが。

 確かに、昔は少子化対策というと「政府が個人のプライバシーに踏み込むのはよくない」とタブー視されていた。だが、いまの時代に「お国のため」と言って子供を産む人はいないだろうし、国家が出産を強要できるはずもない。
 (中略)
 子供を持つのも、持たないのも国民の選択であることは言うまでもない。この点については、自民党政権も認識していたはずだ。

 だといいんですけどね。「産む機械」とか言う厚労相が自民にはいたし、「お国のため」という傾向が強い産経が言うとどうも説得力がないな(苦笑)

 「少子化」を「子育て」にすり替えることは、単なる言葉のあやの問題では終わらない。日本社会に取り返しのつかない打撃を与える可能性すらある。ここに大きな問題がある
 というのも、多くの専門家は、少子化の最大の要因を「未婚化・晩婚化」と指摘している。30〜34歳男性の未婚率は昭和50年の14・3%から、30年後の平成17年には47・1%に激増した。25〜29歳の女性は20・9%が59・0%に跳ね上がった。平均初婚年齢も年々高くなってきている。
 (中略)
 ところが、鳩山政権のいう「子育て支援」では、未婚化・晩婚化対策にはならない。あくまで子供がいる人への手助けであって、これから結婚しようという人や、結婚したもののいまだ子供に恵まれない人は対象とならないからだ。

 うーん、少子化対策って言うと確かに「子育て支援」とイコールではないかも知れないですね。別に与党は少なくとも主観的にはすり替えはしてないでしょうが。

 民主党政権は政策順位が間違っているのではないだろうか。政府は未婚化・晩婚化対策に真っ正面から向き合うべきであろう。

・「政府は未婚化・晩婚化対策に真っ正面から向き合うべき」はいいとして、「政策順位が間違っている」は賛同できません。子育て支援も大事なことです。

 では、何をすればよいのか。一つは、男女の出会いが少なくなったことへの対応だ。
 「長時間労働で相手を見つける暇がない」とか「何歳までに結婚しようという切迫感が希薄になった」など理由はさまざまだろう。かつて職場や地域にみられた世話焼きをする人がいなくなったことも大きい。
 言えることは、かつてのような「皆婚社会」ではなくなったということだ。最近は「婚活」も盛んなようだが、こうした社会構造の変化を十分に認識し、若者の働き方に配慮するとか社会全体で男女の出会いの場を増やすことが必要だ。
 むしろ深刻なのは、雇用が不安定で「生活に追われて結婚なんか考えられない」という若者が増えていることだ。「就職氷河期」と重なった団塊ジュニア世代には、いまだ不安定な雇用環境に置かれている人も少なくない。
 今後は夫婦ともに非正規雇用というカップルが増えることも予想される。正社員になった人も給与水準が下がっているケースが少なくない。まずは、共働きで生活できる環境を作る必要がある。保育サービスを拡充し、正規と非正規にかかわらず子供を預けたいときに預けられるようにすることも急がなければならない。
 未婚化・晩婚化対策以外にも、不妊治療への公的支援など、少子化歯止めのためにやるべきことは山積している。
 日本は今後、子供を産むことのできる女性の数が急速に減っていく。少子化に歯止めをかけるために日本に残された時間は多くはない。子育て支援を手厚くしても、子供が生まれなければ日本は存亡の危機にさらされる。民主党少子化の危機から顔を背けてはならない。(論説委員

・目的が「少子化克服」って言うのが引っ掛かります。ここで産経が書いてることは少子化克服に効果がなくても国民の幸せのためにやるべきではと思います。
が、言ってることは「男女の出会いの場を増やすこと」を除けばそう変ではないでしょう(長時間労働をなくして男女が出会いやすくするなどの意味ならともかく、国が結婚相談所みたいなことをすると言うのならちょっと違う気がします)。
・「若者の働き方に配慮する」、「不安定雇用を何とかすべき」、「保育サービスを拡充」*1、「不妊治療への公的支援」などは私の支持政党・共産も主張していることです。と言うか、現与党も主張してた気がしますが?
 それと不安定雇用が増えたのは産経の支持する自民党のせいだろ、という気もしますね(苦笑)

*1:ただこれだけは「子育て支援」の範疇に入るのですが?