【産経抄】10月23日

勝負ごとの世界では、心血を注いで競い合ったライバルでも引退したり年を経れば、仲が良くなるということが多い。私見ながら、野球の長嶋茂雄氏と王貞治氏、相撲の栃錦関と若乃花関などそう見えた。

 長嶋さんと王さんは同じチームですからね。ライバルと言っても個人競技のライバルと大分違うと思うが。

だが、坂田栄男さんと藤沢秀行さんの場合だけは違った。

 坂田さんはどういう人か知りませんが藤沢さんは大分個性が強い人のようですからね。NHKが藤沢さんが亡くなった直後に放送した追悼番組*1によれば(これには坂田さんも出演していました)。藤沢さんとは馬が合わない人は当然いるでしょう。
 うろ覚えですが、「飲む、打つ、買う(と言うか外に愛人を作る)」の3拍子で巨額の借金を背負っていた、対局の場で借金取りがやってきたというのだから尋常ではありません。
 出演者のコメントもスゴイ。

本妻「何度別れようと思ったかわからない」
本妻のお子さん「何度殺そうと思ったかわからない」
日本棋院理事長の大竹英雄氏「不世出でいいですよ。あんな人が何人も出たらわれわれの体が持たない」(「藤沢さんは不世出の棋士と言われていますが」というNHKの質問に*2

ウィキペディアのエピソードもスゴイ。

・女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかったこともあった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた。
・酔っぱらったら「おまんこ」を連呼する悪癖があり、トウ小平と面会した際、酔っぱらっており、「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。
・ライバルであった坂田栄男とは個人的にもウマがあわなかったようで藤沢が(日本棋院とは別の独自の段位免状を発行したことで)除名処分を受けた際には、坂田は藤沢を激しく非難した。ただ藤沢の死去に際し、「対戦成績は私の方が良かったが、才能は私よりあったと思う」(毎日新聞)と語り、没後に催された「偲ぶ会」にも出席した。また将棋棋士河口俊彦*3の著書には、あるとき日本棋院で藤沢に会った際、「今日は坂田に2万円借りた。坂田に金を借りるようじゃ俺もおしまいだな」と言ったというエピソードが書かれている。
・競輪が好きで、年2回の若手育成合宿は湯河原で行われるのが恒例だったが、その日程は小田原競輪の開催日程に合わせて組まれるのが常だったという。

 ただ棋士としてはもちろん一流だったようです。

*1:もともとは生前に「藤沢氏の人生を振り返る」と言うテーマで作られた番組を死後再放送した。したがって晩年の藤沢氏も出てきます。

*2:もちろんNHKのいう「不世出」というのはそう言う意味ではなく「天才棋士」と言う意味でしょうし、それは大竹氏も当然わかってるでしょうが、さんざん迷惑をかけられた側としては皮肉を言わずにはいられなかったんでしょう

*3:著書『大山康晴の晩節』(2006年、新潮文庫→後に2013年、ちくま文庫)、『升田幸三の孤独』(2013年、マイナビ)など