いつもどおりid:noharra氏に突っ込む(4/26分)(追記・訂正あり)

 今日も小生が「死ぬほど大嫌いな」「卑怯者のバカ」id:noharra先生に突っ込むことにしよう。野原先生以外にも突っ込むが。
(その1)

広瀬直樹
@fab4wings
覇権主義の時代、自衛のためのやむを得ぬ侵略行為だというのが妥当では?

 こういうのが歴史修正主義のいい見本ですな。
1)アジア太平洋戦争時の世界情勢を「覇権主義の時代」(帝国主義とか植民地主義と同義か?)と見なすのは問題がありすぎだろう。
 アメリカはフィリピンの独立を認めたし、当時は日本のような露骨な侵略主義はもはや時代遅れとなっていた。トラウトマン和平工作ハルノートなどの「和平の道」を自主的に拒否しといて自衛はねえだろう。
2)「自衛のためのやむを得ぬ侵略」ねえ。「自衛のためのやむを得ぬ戦争」ならまだしも。
「自衛」と「侵略」が両立するってのがすごいね。「正当防衛のためのやむを得ぬ虐殺行為」みたいな珍日本語だよな。

@fab4wings 「覇権主義の時代」という水準で考えることはできないと思う。良くも悪くも「大東亜の大義」の理想なしには、満州以来の戦争は遂行できません。「大東亜の大義」に照らした場合、南京虐殺三光作戦シンガポール華人虐殺などペケでしかありえません(id:noharraの糞ツイッター

「世の中、所詮力と力のぶつかり合い、侵略戦争して何が悪い」といいたいらしい広瀬某よりは「戦争の非をそれなりに認めるらしいid:noharra先生」の方が明らかにマシだが突っ込む。
 

1)

良くも悪くも「大東亜の大義」の理想なしには、満州*1以来の戦争は遂行できません。

大東亜という概念が登場したのは大東亜戦争(アジア太平洋戦争)、つまり英米との戦争が開始されて以降のことではないのか。

参考

大東亜共栄圏」(ウィキペ参照)
 用語としては陸軍軍人の岩畔豪雄、堀場一雄が作ったものともいわれ、1940年(昭和15年)7月に近衞文麿内閣が決定した「基本国策要綱」に対する松岡洋右外務大臣の談話に使われてから流行語化した。公式文書としては1941年(昭和16年)1月31日の「対仏印・泰施策要綱」が初出とされる。なお、この語に先んじて1938年(昭和13年)には「東亜新秩序」の語が近衞文麿によって用いられている。

・要するに「東亜(中国、満州国)」の発展概念が「大東亜」であり、そうなったのは日本が東南アジア侵略を計画するようになったからだろう。
満州事変時から大東亜概念が存在したとは初耳だが根拠があるのか?
良くも悪くもってただの侵略思想にどんないい面があるのか?
id:noharraは俺の「何故大東亜戦争と呼ぶのか」という質問をスルーし続けていたがどうやらあの男は大東亜共栄圏という思想を「侵略思想」とは思ってないらしい。たいした「自称極左」がいたものだ。「大東亜共栄圏の侵略性を認めない自称左翼」ねえ。
2)

「大東亜の大義」に照らした場合、南京虐殺三光作戦シンガポール華人虐殺などペケでしかありえません*2

別に「大東亜の大義」などというインチキ概念(本気でそんな大義があると思ってるのか?)を持ち出さずとも「国際法違反」で終わりの話だが。ちなみに「大東亜の大義」とやらに照らした場合「バターン死の行進」などの米英軍兵士への虐殺、虐待はどうなるのか教えてほしいものだ。
 「撃滅すべき相手」だから無問題なのだろうか?

*1:満州事変のことだろう

*2:個々の残虐行為以前にそもそも侵略戦争自体が国際法に照らしてペケだと思うのだがそう言う理解がid:noharraにはないらしい