今日のMSN産経ニュース(11/27分)(追記・訂正あり)

日付がずれてますが毎日更新の形にしたいので。

産経抄】12月12日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121213/kor12121303190002-n1.htm

ノーベル賞に決まったときには「日の丸の支援がなければ、受賞できなかった」と語った。

ま、単に「科学研究への国の支援に感謝してます」と言いたかっただけでしょう。かつ「もっと増やして欲しい」と言う思いもあるのかもしれません。産経のように「国家主義万歳に使われること」は山中氏の本意じゃないでしょう。ましてや産経の場合、「科学研究への支援に乗り気じゃない」「乗り気の場合も金になるか、ノーベル賞受賞など国威発揚になるかそういう場合しか興味ない」だろうからなおさら不本意でしょう。ただ産経のようなウヨの存在を考えれば「政府の支援に感謝しています」と言えばいいのであって「日の丸」等と言わない方が良かった気もします。

先月3日の受章後には「科学者にノーベル賞は光栄な賞かもしれないが、日本国民の一人としては今日が一番光栄な瞬間だ」と話していたのが印象的だった。
 ▼そういえば平成6年、ノーベル文学賞に決まった大江健三郎氏は、直後に打診された文化勲章を断った。「戦後民主主義文化勲章は似合わない」という理由が多くの国民をゲンナリとさせた。対照的に山中さんは、一陣のさわやかな風を吹き込んだ。

げんなりするのは産経のような国家主義者だけでしょう。別に文化勲章をもらう必要はどこにもない。「どんな賞でももらう」「価値を認める賞はもらい、価値を認めない賞はもらわない」「文化勲章それ自体を否定しないが現政権を評価しないのでもらわない。」「賞それ自体を何であれ権威主義と考え、もらわない」「賞は権威主義だとは思わないが、自分のような凡人は賞にあぐらをかきかねないからあえてもらわない」「ノーベル賞の後に文化勲章って決め方がおかしい。ノーベル賞の権威にひれ伏しただけではないか、だからもらわない」などなど考えはいろいろあっていい。大江氏の考えがどういうものかよく知りませんが。日本は自由主義国家なんですから。人それぞれの価値観のわけです。それを「もらえばいいのに」「もらわない理由がおかしいと思う」というのは勝手ですが、「げんなり」とまで言われる筋合いはない。大江氏も山中氏も誰も「見ず知らずの他人」のために生きてるんじゃない。
むしろ俺の方こそ「山中氏のノーベル賞文化勲章受章万歳」とだけ言えばいいのに、「必要もないのに大江氏の悪口を言う産経」にげんなりします。山中氏だって別に大江氏の悪口が言いたい訳じゃないでしょう。「他人は他人、自分は自分」です。
大体産経の場合、大江氏が文化勲章をもらったらもらったで「左翼が権威にひれ伏した」「大江のような左翼にやるな」「大江ごときがもらってげんなり」とか言い出すんでしょうから、単に大江氏の悪口が言いたいだけでしょう。絶対に「政府が大江氏を評価した」「実にうれしい」なんて言わない。内心、ノーベル文学賞受賞も不愉快なのかもしれません。