新刊紹介:「歴史評論」7月号(追記・訂正あり)

特集『前近代アジアの律令法』
興味のある論文だけ紹介する。
詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

■「高麗時代の法制について:いわゆる高麗律の存否問題と関連して」(矢木毅*1
(内容要約)
・先ず本論文で提示される問題は「高麗には高麗が編さんした独自の律が存在したのか、それとも中国律を採用し、不都合な部分のみ修正する法令を出したのか」と言う問題である。
 筆者は独自の律は存在しなかったという否定説を主張する。
 その理由は以下の通り。
1)存在説論者は「高麗史刑法志」に「高麗律」と見なすことの出来る刑法典文章のあることを指摘し、文章の出典を高麗律であると主張する。しかし、筆者を含む否定説論者は高麗史に高麗律編さんの記述がないことを指摘し、文章の出典は「私撰書」に過ぎないと主張する。
2)また冊封体制の中に位置する高麗にとって「律の編さん作業」は「そうする必要性もないし、中国律を採用せず独自律を編さんすることを論理的に正当化することも困難」であった。日本が独自律を編さんしたのは「白村江の戦い(663年)」で唐と対立し、冊封体制から外れたからである。
・では否定説の立場に立ったとして、「高麗史刑法志」の出典となった私撰書とは何か。筆者はこれを金祉『周官六翼』ではないかと推測している(筆者が述べる推測の根拠についてうまく要約できないので省略する)。


■「前近代ヴェトナム法試論:『国朝刑律』再論」(八尾隆生*2
(内容要約)
・「国朝刑律」はほぼ完全な形で残っているベトナム最古の刑律である(形が残っていない刑律ならもっと古い物がある)。
・「国朝刑律」は黎朝時代に編さんされたが、その内容は当時既に存在した明朝より唐朝の影響を強く受けていることが特徴である。黎朝はその権力体制が弱かったため、「唐朝の影響を強く受けた」従来の律令をほぼそのまま踏襲せざるをえなかったのである。


【2014年8/13追記】
 偶然見つけた八尾論文書評を参考に紹介しておく。
■ダオ・チーランのブログ・パシフィック『『歴史評論』特集「前近代アジアの律令法」』
http://daiviet.blog55.fc2.com/blog-entry-896.html

*1:著書『高麗官僚制度研究』(2008年、京都大学学術出版会)、『韓国・朝鮮史の系譜』(2012年、塙書房

*2:著書『黎初ヴェトナムの政治と社会』(2009年、広島大学出版会)