今日の産経ニュース(1/3分)(追記・訂正あり)

■【天皇の島から 戦後70年・序章(2)後半】日本の教育や経済発展 「我々は昔に戻るべきだ」
http://www.sankei.com/premium/news/150103/prm1501030027-n1.html
 まあ、我々日本人は戦前日本の植民地というと「日清戦争で台湾」、「日露戦争南樺太(南サハリン)」、「韓国併合で朝鮮」、「満州事変で満州国」、「太平洋戦争で東南アジア」てのをすぐ思い浮かべますが「第一次大戦パラオ*1」を植民地にしてるわけです。「第一次大戦に参戦してる」てことをつい忘れてしまいますけど。
 まあ、パラオの場合、名前は「委任統治領」ですけど事実上植民地と同じです。日本敗戦後はアメリカの「信託統治領(これまた事実上の植民地)」でしたが1994年にパラオ共和国として独立します。
 大抵「日本のおかげで朝鮮は、台湾は近代化できた」「日本のおかげで東南アジア諸国は独立できた」と言って日本の戦争や植民地支配を正当化する産経が「天皇・皇后のパラオ訪問(2015年4/8〜4/10の予定)」を口実に「日本のおかげでパラオは近代化できた」と今回は言ってるという話です。
 なお、天皇・皇后のパラオ訪問は、パラオは太平洋戦争の激戦地の一つということで「戦没者慰霊の一環*2」であって「当たり前の話」ですが、別に「日本のおかげでパラオは近代化できた」という話ではありません。

 1914年、(中略)日本は、ベルサイユ平和条約でパラオ共和国を1920年に委任統治下に置き、2年後、南洋庁を設置した。小学校や実業学校、病院、郵便局などを設置したほか、インフラ整備も進め道路や港湾、飛行場などを建設した。法律は原則、日本の法律が適用された。
 日本政府による統治は1945(昭和20)年までの31年間続いた。パラオは日本の小都市のような発展を遂げ(中略)た。
 元駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は「どんどん日本人が移住してきて、コロール*3の中心街は日本政府の出先機関やショッピングセンター、飲食業、娯楽施設が軒を連ね、『第2の東京』とさえ呼ばれた。農業や漁業などの産業も発展し、稲作やパイナップルなどの生産を促し、余剰作物は輸出に回した」と話す。
(中略)
 イサオ・シンゲオ・ペリリュー酋長は「戦争は良くない。だが、日本は新しい生活様式を伝えてくれた。われわれの生活スタイルが近代化し、生活が向上したのは日本のお陰だと感謝している」と笑顔を見せた。
 ウエキさんも「統治時代の教育や経済発展を通して、パラオ人は日本人として育てられた。パラオ人は日本に感謝している。今は日本語を話すのは少なくなったが、われわれは日本に戻るべきだと考えている」といい、「天皇陛下がいらっしゃるのがうれしい」と何度も繰り返した。

 酋長や元駐日大使の発言て、かなり「日本の経済支援を見込んだリップサービスがある」と思いますがそんな事は産経は当然無視します。
 それはともかく、この理屈だと

中国共産党は新しい生活様式を伝えてくれた。われわれチベット人の生活スタイルが近代化し、生活が向上した*4のは中国共産党のお陰だと感謝している」
チベット解放以降の教育や経済発展を通して、チベット人は中国国民として育てられた。チベット人中国共産党に感謝している。」

てことに当然なるでしょうが、それを「反中国共産党」産経は支持するのか。
 「日本の植民地統治(今回はパラオ)」を肯定しながら「中国共産党チベット統治を非難」なんて産経の態度はご都合主義以外の何物でもないでしょう。

【1/4追記】
■【天皇の島から 戦後70年・序章(3)後半】「死ぬのは日本兵だけで十分」
http://www.sankei.com/premium/news/150104/prm1501040024-n1.html

 日本政府がパラオ諸島の経済活性化を精力的に進めたのは、アンガウル島も例外ではなかった。
 アンガウル港には燐鉱石の積み込み桟橋や灯台を設置したほか、東北港や東港にも桟橋を造り、船の往来があった。港地域は、サイパン村とも称され、燐鉱石工場や交番、郵便局、アンガウル医院、国民学校、公学校などが集中したという。
 ヨリコ・ルイスさん(89)は昨年5月、アンガウルからコロール島に移り住んだ。
(中略)
 ヨリコさんは70数年前を懐かしむように話す。記憶は鮮明だ。
(中略)
 「アンガウルは戦争に巻き込まれた。でも、日本兵に対して悪い印象はない。委任統治時代を通して島が栄え、日本語も覚えた。戦争では、兵隊さんたちは玉砕したが、島民には投降を勧め、守ってくれた」
 戦後、崩壊物処理を終えた日本軍がパラオ地区を引き揚げる際、多くのパラオ人が、日本の統治に感謝し、涙で見送ったという。

 今日も露骨に日本の植民地支配をパラオをネタに正当化する産経です。
【追記終わり】


■【戦後70年】今年も、来年も、生命がある限り、靖国へお会いしに…戦後70年特別展「英霊に贈る手紙」 遺族、父や夫へ感謝の念
http://www.sankei.com/premium/news/150103/prm1501030016-n1.html

 単に「お涙頂戴のお手紙紹介」だけしてればまだ読めたのですが最後にすさまじく破壊力のある落ちが。

 伊藤隆東京大名誉教授は「昭和20年は、終戦を境に、日本の歴史上初めて外国の軍隊の占領下に置かれた年だった。そこで始まったのは、将来の日本が米国の脅威にならないようにするGHQによる日本の改造だった。日本人を四つの島*5に囲いこんで外界から切り離し*6、日本だけが悪であると断罪する思想改造を行い始めた年でもある」と指摘。「今年は、終戦から70年が経過してもなお、GHQによる改造を克服できていないということを考え、その克服の努力を加速し、次世代にきちんと渡していくことが重要だ」としている。

 言ってる事が「靖国の特別展示」と直接には関係ない上、言ってる内容が極右活動家と全く変わりません。
 まあ、伊藤隆については「つくる会理事」に就任した時点で「一線を越えた」と思いますが彼て一応

・著書『昭和初期政治史研究:ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携』(1969年、東京大学出版会)、『日本の歴史(30):十五年戦争』(1976年、小学館)、『大正期「革新」派の成立』(1978年、塙書房)、『昭和期の政治』(1983年、山川出版社)、『近衛新体制:大政翼賛会への道』(1983年、中公新書
・東大文学部教授時代の門下生に、有馬学*7佐々木隆*8、季武嘉也*9加藤陽子*10古川隆久*11、長井純市*12、劉傑*13*14などがいる

という「プロの歴史学者の端くれ」ですからね。何でつくる会に荷担するかと唖然ですね。そんなバカ歴史学者は俺の知る限りは伊藤の他には福地惇秦郁彦*15ぐらいしかいませんもん。
 弟子連中も「福地惇*16(元高知大学教授。元文部省教科書調査官、右翼雑誌でつくる会を擁護する発言をしていたことが発覚し調査官を更迭される。後に大正大学教授、つくる会副会長)」「村瀬信一*17文科省教科書調査官。2007年の教科書検定沖縄戦の「集団自決」の日本軍強制記述を削除する検定意見をつけた担当調査官と推定されている)」のような右翼活動家はともかく他の弟子は「何で伊藤先生てあんなんになっちゃったの?」と唖然呆然でしょう。


参考
赤旗文科省の教科書調査官、採用ルート“闇の中”』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-14/2007101402_04_0.html

*1:日本の統治前はドイツの植民地(元々はスペインの植民地だが、スペインがドイツに売却した)。日本は第一次大戦中にパラオのドイツ軍を攻撃し、降伏させパラオを占領した。

*2:まあ、日本とパラオの友好関係促進てのも訪問目的としてあるでしょうが

*3:パラオ共和国最大の都市。2006年までパラオ共和国の首都。

*4:実際、「経済的」には向上してるでしょう。

*5:北海道、本州、四国、九州のこと

*6:要するに朝鮮半島、台湾、南樺太(南サハリン)という海外領土を失った事へのウヨらしい反発でしょう。

*7:九州大学名誉教授、福岡市博物館長。著書『日本の近代(4):「国際化」の中の帝国日本:1905-1924』(1999年、中央公論新社)、『日本の歴史(23):帝国の昭和』(2002年、講談社、後に2010年、講談社学術文庫)、『日中戦争期における社会運動の転換:農民運動家・田辺納の談話と史料』(2009年、海鳥社

*8:聖心女子大学教授。著書『藩閥政府と立憲政治』(1992年、吉川弘文館)、『日本の近代(14):メディアと権力』(1999年、中央公論新社、後に2013年、中公文庫)、『伊藤博文の情報戦略:藩閥政治家たちの攻防』(1999年、中公新書)、『日本の歴史(21):明治人の力量』(2002年、講談社、後に2010年、講談社学術文庫

*9:創価大学教授。著書『大正期の政治構造』(1998年、吉川弘文館)、『選挙違反の歴史:ウラからみた日本の100年』(2007年、吉川弘文館)、『原敬:日本政党政治の原点』(2010年、山川出版社日本史リブレット)

*10:東京大学教授。著書『戦争の日本近現代史:東大式レッスン!・征韓論から太平洋戦争まで』 (2002年、講談社現代新書)、『シリーズ日本近現代史(5):満州事変から日中戦争へ』(2007年、岩波新書)など

*11:日本大学教授。著書『皇紀・万博・オリンピック:皇室ブランドと経済発展』(1998年、中公新書)、『大正天皇』(2007年、吉川弘文館人物叢書)、『東条英機:太平洋戦争をはじめた軍人宰相』(2009年、山川出版社日本史リブレット)、『昭和天皇』(2011年、中公新書)など

*12:法政大学教授。著書『河野広中』(2009年、吉川弘文館

*13:さすがに中国人の劉氏相手に伊藤もウヨ発言をかましはしなかったでしょうが、「内心はウヨ思想なのにそれを隠して劉氏に応対してたのか」と思うとその詐欺師ぶりが恐ろしいですね。

*14:早稲田大学教授。著書『中国人の歴史観』(1999年、文春新書)、『漢奸裁判:対日協力者を襲った運命』(2000年、中公新書)、『中国の強国構想:日清戦争後から現代まで』(2013年、筑摩選書)など

*15:著書『南京事件』(1986年、中公新書)、『昭和天皇・五つの決断』(1994年、文春文庫)、『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)、『統帥権と帝国陸海軍の時代』(2006年、平凡社新書)など

*16:著書『明治新政権の権力構造』(1996年、吉川弘文館

*17:著書『尾崎行雄』(1995年、皇學館大學出版部)、『帝国議会改革論』(1997年、吉川弘文館)、『明治立憲制と内閣』(2011年、吉川弘文館)、『首相になれなかった男たち:井上馨・床次竹二郎・河野一郎』(2014年、吉川弘文館