新刊紹介:「歴史評論」2024年2月号

特集『律令官人制研究の新展開』
律令官人制をめぐる諸問題:サボる官人を中心に(上村正裕*1
(内容紹介)
 「官人のサボり(懈怠)」が論じられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

【歴史遺産コース】歴史研究の進め方―通説を疑ってみる― | 歴史遺産コース | 通信教育課程
 こんにちは。京都芸術大学歴史遺産コース業務担当非常勤講師の上村正裕です。
 私は日本古代史を専門にしていますが、天皇のあり方に強い関心を持っています。
 平安京遷都や蝦夷征討などを実現した桓武天皇は、専制君主であると思っている人が多いことでしょう。
 ただ、桓武天皇には、こんな逸話があります。
「進奏の紙、臭悪のもの多し。自今以後、清好なるものを簡びて、奏紙に充つべし。もし改正せざれば、執奏の少納言は、必ずこれを罪せよ」(『類聚符宣抄』巻6、延暦9年(790)5月14日宣。原漢文)
 桓武天皇への奏上に使われる紙(奏紙)が悪臭を放っているので、今後はにおわないきれいな紙を選んで奏上するように、という宣旨です。おそらく紙すきの工程に問題があると思われ、少納言自身に直接の責任はありません。ただ、少納言は悪臭を放つ紙と知りつつ、平然と桓武天皇にそれを進上していたのであり、顔をしかめている桓武天皇の顔が思い浮かびます。
 また、桓武天皇延暦4年(785)の藤原種継暗殺事件に乗じて、皇太弟の早良親王を自殺に追い込みますが、死の直前はその怨霊に苦しめられたようです。『日本後紀延暦25年(大同元年、806)3月条では、種継暗殺事件で処罰した人々の赦免、崇道天皇、すなわち早良親王のために諸国の国分寺金剛般若経を春秋に読ませることを指示してほどなく、桓武天皇が死去しており、ここには専制君主桓武天皇の面影は微塵も感じません。もちろん、これらの史料だけで桓武天皇専制君主ではなかったと強弁するつもりはありませんが、虎尾達哉*2『古代日本の官僚』(中公新書、2021年)は、代返(もう死語でしょうか?)をする役人、遅刻や無断欠席の常習犯だった役人を様々な史料から復元し、専制君主としての古代天皇像に疑問を投げかけています。
 「偉い先生が言っていることだから、間違いないだろう」とは、決して思わないでください。

『古代日本の官僚』/虎尾達哉インタビュー|web中公新書
インタビュアー:
 具体的には、どのような経緯で本書の執筆を思い立ったのですか。
虎尾達哉:
 10年以上前、勤務先の授業で『日本後紀』(古代の歴史書の一つ)を読んでいたときに、官僚たちが大勢で儀式をサボっている実態に気づきました。これを放置したり厳しく咎めない専制君主国家とは?。そういう疑問を抑えられなくなりました。
 その後、他の事例を拾い集めて、論文として発表してみたのですが、学界ではさほど関心を引かなかったようです。それではいっそ本にまとめて、学界外の広い読者に訴えてみようか、と。学界にも、院生や若手の研究者で奇特にも面白いと思ってくださる方々がおられたのにも励まされました。
インタビュアー:
 本文中は興味深いエピソードが目白押しですが、いくつかご紹介いただけますか。
虎尾:
 何といっても、元日朝賀の儀での大量無断欠席でしょう。年頭の重要儀式で、天皇が出御しているのに出席しない。しかも、サボっても厳しく咎められない。ちょっと信じがたいのですが、古代にはそれが実態としてあったのです。あと、桓武天皇が臭い奏紙を嗅がされていた話も個人的には好きですね。
インタビュアー:
 天皇が臭い紙?。それはどういうことですか。
虎尾:
 古代の天皇太政官(現在の内閣に相当)からさまざまな奏上を受けるのですが、その奏上に用いられる紙が臭くてかなわない、と桓武が立腹しているのです。毎日のように悪臭に顔をしかめねばならなかった桓武には心から同情します。しかし、奏紙を担当する事務官は紙のにおいなど知ったことではない。天皇への気遣いなど、これっぽっちもないんですよ。そこが面白いですね。

サボる官僚|虎尾達哉|文藝春秋digital
 私は古代日本、いわゆる律令国家の官僚制を研究してきた。律令国家は天皇を頂点とする専制君主国家。
 何といっても専制君主を戴く官僚たちだ。鉄の規律、絶対的君主への忠誠。勤勉で忠良な彼らの姿を思い浮かべる人も多いだろう。研究者の抱くイメージもそんなにひどくかけ離れてはいない。私もかつてはそうだった。
 しかし、それはとんでもない誤解である。拙著『古代日本の官僚:天皇に仕えた怠惰な面々』からいくつか実例を紹介しよう。
 元日早朝、全官僚が朝庭内に整列し、天皇に拝礼して慶賀する。朝賀という重要儀式だ。一般参賀同様、当時の官僚たちもさぞや晴れがましかっただろうと思いきや、平安時代初め、官僚たちは大挙してこの儀式をサボっていた。
 任官のための儀式。これには内定者は必ず出席して、天皇の御前で名前を呼ばれ、「オウ」と答えなければいけない。官僚にとって、出世のためには大切な儀式だ。ところが、奈良時代後半、やはり無断欠席者が大勢いたのである。
 古代の官僚たちがサボったのは儀式だけではない。
 奈良時代前半、聖武天皇の世。ある日、都の空に稲妻が走った。雷も恐ろしい天変だ。こんな時、天皇の身近に仕える侍従や内舎人(うどねり)を務める若い官僚たちは、何はさておき天皇を守らなければならない。ところが、誰も来ない。呆れたことに、みんなで宮中を抜け出し、郊外で打毬(だきゅう:日本版のポロ)に興じていたというのだ。
 天皇のもとには、太政官(最高中枢官庁)から決裁や許可を求める奏紙が上がってくる。桓武天皇長岡京時代、紙漉きの工程に何か問題があったのか、この奏紙がひどく臭った。毎度嗅がされる天皇はたまらない。むろん、太政官の担当者も気づいている。気づきながら、委細かまわず天皇に上げ続けているのだ。見事なまでの無神経さ。怠慢の極みである。
 この他にも、遅刻・詐病・無断欠勤など、どれも、むしろ、ありふれた光景だった。古代官僚の怠慢ぶりは私たちの想像をはるかに超えている。
 しかし、真に驚くべきは、彼らに対する専制君主国家の対応である。信じられないくらい緩い。緩すぎるのだ。

久保田香里
 今日読んでた本*3に、奏上に使われる紙に悪臭がするものが多いと、桓武天皇が小納言を叱責したとありまして、紙が臭いっていったいどんな臭いが?と気になっているのでした。

奈良研究家
 『古代日本の官僚:天皇に仕えた怠惰な面々』(虎尾達哉著、中公新書)は、古代官僚の怠慢ぶりを描いた本です。「天武天皇は目をつぶり、桓武天皇は顔をしかめた」と帯に書いてあります。

貴族と下級官人の格差、庶民たちの人生……平和で優雅な平安京の苛酷な日常|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部
倉本一宏*4平安京の下級官人』(2022年、講談社現代新書
 本書は全四章から成っている。タイトルの通り、「下級官人」たちの仕事に注目したのが第一章。

 じつは同情ばかりしてもいられない。「懈怠(けたい)」というのは、本来は精進(しょうじ)に対していう仏教用語で、善を修する積極性がなく、悪は進んでおこなう心の状態であるが、古記録(こきろく)で使用されるのは、職務を怠る下級官人たちについてである。儀式や政務を怠ける官人も多いが、そもそも、ほとんど出勤しない連中がいるのであるから、あきれてしまう。

 実例としては、懈怠を理由に天皇の食事や沐浴が用意されなかった話や、現在の警察に当たる検非違使(けびいし)が日の吉凶を気にして出仕しない話などが挙げられていた。程度はともかく、サボり自体は今の世でもありうる話だろう。思わず笑ってしまった。著者は官人たちの怠慢と、そんな彼らによって守られていた宮廷や天皇を「日本の古代王権の特質」と何度も評していた。気持ちはわかる。

春秋(3月16日) - 日本経済新聞20203.3.16
 平安時代、都の治安を担う検非違使に任命された役人が数カ月たってもいっこうに出仕してこない。摂政の藤原道長が使いを出して問責したところ、欠勤の理由は「日の吉凶がよろしくなかったので」だったそうだ。「平安京の下級官人」(倉本一宏著)にあった。
▼同書によれば、役人がサボるのは珍しくなかったという。天皇の沐浴(もくよく)や食膳の担当者が懈怠(けたい)したとして、一条天皇に呼びつけられた逸話も残る。かなり神経が太い。欠勤をとがめられようが、始末書を書いて謹慎していれば赦免されたというから、当人たちは「たいしたことはない」とたかをくくっていたのかもしれない。
 昨年7月の当選以来、一度も国会に登院していない参院議員*5が除名された。72年ぶり*6だという。本人は「民意を無視している」と反発する。でも一票を投じた28万人余りのどれほどが、いまの彼の振る舞いを支持しているのだろう。不当逮捕の恐れがあるとの主張も、1000年前の役人の言い訳とそう変わらぬ気がする。

 「家柄が良く出世が期待できる」上級官人(例:藤原氏)と違い、家柄が悪く、頑張っても出世の見込みがほぼない上に「仕事がルーチン化」していたが故に、やる気が阻害され「下級官人ではサボりが常態化していた」という見方があるようですね(その種の話(出世を諦めた人間がサボりがち)は現代でもよく聞く話ではあります)。
 とはいえ、「出世の見込みがある」上級官人が真面目に勤務していたかというと「記録上はそうでもない」そうで、結局「当時の日本人は時間にルーズだった」のでしょう。勿論そこには「今と違い正確な時間表示が困難」という技術的な制約もあります。
 以前、高世仁

日本人は時間を守らなかった? - 高世仁のジャーナルな日々2013.10.30
 「日本人は時間をちゃんと守りますね」というR君に、私は「つい100年ちょっと前くらいの時代、日本人は全然時間を気にしなかったんだよ」といった。
 「幕末から維新期にかけて日本に来た西欧人が、日本人はなんて時間を守らないんだ、と嘆いているんだよ」と私。
 日本人が時間を守るようになったのは、明治維新後の近代工業の下でそれに適合する文化をたたきこまれたからである。

日本が「悠長」だったころ - 高世仁のジャーナルな日々2018.10.16
 「東南アジアの人は時間にルーズで困る」などと商社マンがよく飲み屋で優越感たっぷりに話しているが、150年前は、欧州の商人は日本人に「時間どおりに契約を実行させるのが難しい」と嘆いていたのである。
 日本人が時間を守るようになったのは、明治時代の「富国強兵」を掲げた強力な近代化政策のなかで、軍隊、工場、学校などで訓練・調教された結果であり、世間で言われる「国民性」はわずかな期間で変わっていくことに気づかされる。

と同様のことを書いていますが、結局「勤勉な日本人」「時間に厳しい日本人」とは「近代化によって誕生した代物」なのでしょう。


律令官人と儀式:七・八世紀の饗宴儀礼を中心に(志村佳名子*7
(内容紹介)
 七・八世紀の饗宴儀礼においては儀式に出席した官人は上級官人に限られたことが指摘されている。


律令官人制と地方社会(十川陽一*8
(内容紹介)
 中村順昭『律令官人制と地域社会』(2008年、吉川弘文館)、『地方官人たちの古代史』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など先行研究に触れた上で「律令官人制と地方社会」について論じられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆新出女官考課木簡の意義(伊集院葉子*9
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

歴史学・歴史遺産学への招待 | 京都橘大学 文学部 | 歴史学科・歴史遺産学科 |
 2020年の平城宮跡第621次調査で、次の木簡が発見されました。
 これは、古代の役人の年間の勤務評定に使われた木簡と考えられます。律令では、年間勤務評定のことを「考課」といい、このような木簡は「考課木簡」と呼ばれています。律令の規定では、複数年の考課の結果によって位階の昇進が可能となり、官僚社会の中で出世することができます。
 この木簡は何某の「牟須売(むすめ)」という名前の人物について、年齢が59歳、平城京の左京を本籍地とし(「左」は左京を示す)、この考課が行われた年の昼間の勤務日数が329日だった(「日」は昼間の勤務日数)ことが記されています。これまで男性役人の考課木簡は多数発掘されてきましたが、この木簡ははじめて発見された女性役人の考課木簡なのです。
 では勤務評価を受けた何某の牟須売(むすめ)はどういった女性だったのでしょうか。古代の朝廷に勤務する男性役人に「二官*10八省*11」と呼ばれる官僚組織が存在することは知られていますが、女性の役人にも「後宮十二司*12」と呼ばれる官僚組織が律令に規定されていることはあまり知られていません。何某の牟須売の正体は、この後宮十二司に所属する女性役人だった可能性が高いです。
 ところで、木簡の何某の牟須売の職業については、もう一つ可能性があります。男性役人が所属する組織である縫部司という省庁に、縫女部という女性の役職がありました。彼女たちは後宮十二司の女性役人とは異なり、平城京内の婦女から雇用されて裁縫業務に従事する技能役人でした。裁縫は平安時代においても女性の重要な職務でした。

年間329日勤務…奈良時代の女官は激務? 木簡出土 平城宮跡 - 産経ニュース2022.8,9
 男性の役人の勤務日数を記録した木簡は多く確認されているが、女性は初めて。奈良文化財研究所は「当時の女官の活躍を知る貴重な資料だ」としている。
 奈良大の渡辺晃宏*13教授(古代史)は「女官も男性の役人と同じように勤務評価されていたと裏づけられた。女官の勤務実態などはよく分かっておらず、解明の手がかりとなる」としている。

一見優雅な奈良の女官、実は59歳で年329日の超激務…平城宮跡から昇進査定用の木簡 : 読売新聞2022.9.8
 奈良市平城宮跡で出土した木簡に、天皇に仕えた女官の勤務日数が書かれていることが、奈良文化財研究所(奈文研)の調査でわかった。昇進などを査定する際に使われた奈良時代の「考課木簡」とみられ、女官のものが見つかるのは初めて。59歳の女官が年間329日働いていたことが記されており、奈文研は「当時としてもかなりの激務に励んでおり、女官の仕事ぶりがわかる貴重な資料」としている。(土谷武嗣)
 奈文研によると、良い評価を得るためには年間240日以上勤務する必要があり、最低限の日数で済ませる役人が多いという。
 調査した奈文研の桑田訓也・主任研究員は「ベテランの女官で、周囲からも頼りにされていて、休みづらかったのかもしれない。女官の勤務状況の実態を探る手がかりになる」と話している。


平安時代の技能官人:「諸道」を中心に(高田義人*14
(内容紹介)
 「諸道」とは

◆医道(医学)
 丹波氏、和気氏宇佐八幡宮神託事件で知られる和気清麻呂など)
陰陽道天文学占星術
 安倍氏安倍晴明など)、賀茂氏
紀伝道歴史学
 大江氏、菅原氏(菅原道真など)
算道(算学)
明経道儒学
 清原氏(明経博士・清原広澄を先祖とする)
明法道(法学)
 惟宗氏

のことであり、そうした「諸道」に従事した技能官人について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆歴史のひろば「古代官人制の新書を読む」(森田喜久男*15
(内容紹介)
 以下の新書が紹介されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。

◆野村忠夫*16『古代官僚の世界:その構造と勤務評定・昇進』(1969年、塙新書)
◆十川陽一『人事の古代史:律令官人制からみた古代日本』(2020年、ちくま新書)
◆虎尾達哉『古代日本の官僚:天皇に仕えた怠惰な面々』(2021年、中公新書)
 副題『天皇に仕えた怠惰な面々』で予想がつくでしょうが、上村正裕論文『律令官人制をめぐる諸問題:サボる官人を中心に』でも取り上げられた虎尾著書が改めて論じられています。
◆倉本一宏『平安京の下級官人』(2022年、講談社現代新書
 上村正裕論文『律令官人制をめぐる諸問題:サボる官人を中心に』でも取り上げられた倉本著書が改めて論じられています。


◆私の歴史研究「日本古代史から東アジア史、ユーラシア史研究へ(上)」(鈴木靖民*17
(内容紹介)
 鈴木氏が自分の研究歴を回顧していますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。

*1:東洋大学フェリス女学院大学非常勤講師。著書『日本古代王権と貴族社会』(2023年、八木書店

*2:1955年生まれ。鹿児島大学名誉教授。著書『日本古代の参議制』(1998年、吉川弘文館)、『律令官人社会の研究』(2006年、塙書房)、『藤原冬嗣』(2020年、吉川弘文館人物叢書)、『律令政治と官人社会』(2021年、塙書房)。虎尾俊哉弘前大学名誉教授(1925~2011年:著書『班田収授法の研究』(1961年、吉川弘文館)、『延喜式』(1964年、吉川弘文館)等)は父

*3:虎尾達哉『古代日本の官僚:天皇に仕えた怠惰な面々』(2021年、中公新書)のこと

*4:国際日本文化研究センター教授。著書『一条天皇』(2003年、吉川弘文館人物叢書)、『持統女帝と皇位継承』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『三条天皇』(2010年、ミネルヴァ日本評伝選)、『藤原道長の日常生活』(2013年、講談社現代新書)、『蘇我氏』(2015年、中公新書)、『藤原氏』(2017年、中公新書)、『藤原伊周・隆家』(2017年、ミネルヴァ日本評伝選)、『内戦の日本古代史』(2018年、講談社現代新書)、『はじめての日本古代史』(2019年、ちくまプリマー新書)、『公家源氏』(2019年、中公新書)、『平氏』(2022年、中公新書)、『平安貴族とは何か』(2023年、NHK出版新書)、『敗者たちの平安王朝』(2023年、角川ソフィア文庫)、『藤原道長御堂関白記」を読む』(2023年、講談社学術文庫)、『紫式部藤原道長』(2023年、講談社現代新書)、『増補版・藤原道長の権力と欲望』(2023年、文春新書)等

*5:ガーシー(東谷義和)のこと

*6:GHQ批判を理由に1951年に除名された川上貫一衆院議員(共産党)のこと。川上(1888~1968年)の除名については第27話 川上貫一のたたかい/日本共産党大阪府委員会赤旗川上貫一代議士の国会除名とは?(2006.3.8)や日本共産党・川上貫一議員の「国会除名」のいきさつ - 菊池のぶひろの議会だより(2023.3.16)、川上貫一氏の国会除名 なぜ?全面講和の実現求める共産党への不当な懲罰 知りたい聞きたい・・・今日の「赤旗」記事 ガーシー議員除名に関連して - (新版)お魚と山と琵琶湖オオナマズの日々(2023.3.16)参照

*7:信州大学准教授。著書『日本古代の王宮構造と政務・儀礼』(2015年、塙書房

*8:慶應義塾大学准教授。著書『日本古代の国家と造営事業』(2013年、吉川弘文館)、『天皇側近たちの奈良時代』(2017年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『人事の古代史:律令官人制からみた古代日本』(2020年、ちくま新書)

*9:専修大学川村学園女子大学非常勤講師。著書『古代の女性官僚:女官の出世・結婚・引退』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本古代女官の研究』(2016年、吉川弘文館

*10:神祇官太政官

*11:中務省式部省治部省民部省兵部省刑部省、大蔵省、宮内省

*12:内侍司、蔵司、書司、薬司、兵司、闡司、殿司、掃司、水司、膳司、酒司、縫司

*13:著書『平城京と木簡の世紀』(2009年、講談社学術文庫)等

*14:宮内庁書陵部編修調査官。著書『平安貴族社会と技能官人』(2020年、同成社

*15:淑徳大学教授。著書『日本古代の王権と山野河海』(2009年、吉川弘文館)、『古代王権と出雲』(2014年、同成社)、『能登・加賀立国と地域社会』(2021年、同成社

*16:1926~1990年。岐阜大学教授、中部大学教授を歴任。著書『後宮と女官』(1978年、教育社歴史新書)、『奈良朝の政治と藤原氏』(1995年、吉川弘文館)等

*17:國學院大學名誉教授。著書『日本の古代国家形成と東アジア』(2011年、吉川弘文館)、『倭国史の展開と東アジア』(2012年、岩波書店)、『比較史学への旅』(2012年、勉誠出版)、『日本古代の周縁史』(2014年、岩波書店)、『相模の古代史』(2014年、高志書院)、『古代日本の東アジア交流史』(2016年、勉誠出版)、『古代の日本と東アジア』(2020年、勉誠出版)等