プロ野球戦力外通告2017

 id:Bill_McCrearyさん記事『なんとも気の毒な話だ』
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ee0cb1e8a11d7fbe0504623c20a16d5b
で以前取り上げられていたTBSの番組の2017年版(2017年12月30日午後10時)を視聴しました。
 ちなみに取り上げられていた選手は以下の3人です。もちろん全員がトライアウトに参加したわけです。
 なお、後で紹介するウィキペディア(12月30日10時の放送開始直前に確認)で解るように放送時点でこの3人は「プロ野球(實松)」「独立リーグ(片山)」「社会人野球(高橋)」と道は違うとはいえ、「野球人生を続けること」はわかっていました(後述しますが、スポーツ新聞なども彼らの行き先をTBSの番組放送前に報道していたわけです)。
 したがって、ある意味「安心して視聴できました」。まあ實松以外はNPBではないので「経済的にも精神的にもつらい」とは思いますが。

實松一成(さねまつ・かずなり:1981年1月18日)(ウィキペディア参照)
佐賀学園高等学校時代は、1998年の第80回全国高等学校野球選手権大会や第3回AAAアジア野球選手権大会に出場、高校屈指の捕手と呼ばれた。
 1998年のドラフト会議で、日本ハムファイターズから1位指名を受けて入団。
・2000年に一軍昇格。2001年は正捕手として起用され62試合に出場し、それまで正捕手だった野口寿浩は外野を守るようになった。
・2002年は前年の活躍もあり開幕スタメンを果たし、野口は引き続き外野で起用された。しかし、實松があまりに打てないためシーズン途中からは野口が捕手に戻り、實松との併用となった。
・2003年はキャンプ中に左手首を骨折し出遅れ、正捕手の座を高橋信二*1に奪われてしまった。
・2004年は高橋が大きく成長したため、前年より出場機会が減少した。この年のオフに結婚。妻との間には男児2人と女児が1人いる。
・2005年は高橋が故障で長期離脱したため中嶋聡*2との併用という形ではあったものの多くの出場機会を得たが、目立った結果は残せなかった。
・2006年、岡島秀樹(投手)との交換トレードで古城茂幸*3内野手)とともに読売ジャイアンツに移籍。
・第2捕手だった村田善則の穴埋めを期待されたが、同期の加藤健*4が打撃でアピールし、開幕一軍はならず。6月10日、正捕手阿部慎之助の故障による登録抹消をうけ、阿部の故障中は加藤と日替わりでスタメン起用された。
・2007年は、前年につづき加藤が2番手捕手をつとめ、一軍出場は4試合に留まった。
・2008年は、横浜ベイスターズから鶴岡一成*5が移籍、以後、鶴岡が2番手捕手に定着。阿部の体調不良による一塁手でのスタメン出場などもあったものの、第3捕手として7試合の出場に留まった。
・2009年は正捕手の阿部や鶴岡が安定した活躍を見せたこともあり、ルーキー以来10年ぶりの一軍出場無しに終わった。
・2010年は阿部の故障もあり久々の一軍出場とスタメン出場を果たしたが、2試合の出場に留まった。
 打撃力不足から第3もしくは第4捕手となり、厳しい立場となっていたが、2011年はオープン戦から阿部が長期離脱したこともあって4月下旬に一軍登録されると、5月4日の対阪神タイガース戦で途中出場し、同点の9回裏に藤川球児から自身初となるサヨナラ打(適時打)を放ち、巨人移籍後初めてお立ち台に上がった。
・2012年は鶴岡がFAで古巣横浜に復帰したため、開幕からシーズン終了まで第2捕手として1軍に定着。阿部の一塁起用などもあり、移籍後では最多となる58試合92打席に出場。
・2013年は、井野卓の加入や河野元貴の成長など競争が熾烈になったが、2番手捕手の地位を保持した。
・2014年は新人、小林誠司の加入により競争がさらに熾烈になり、14試合の出場にとどまった。
・2015年は、それまで正捕手だった阿部慎之助一塁手転向したが、相川亮二の加入や、小林の積極的な起用により22試合の出場にとどまった。
・2016年も出場は19試合にとどまる。
・2017年には小林の正捕手起用もあって、守備固めもしくは代打での起用が中心となる。出場は14試合にとどまり、7年ぶりの1軍無安打に終わった。10月30日に戦力外通告を受けたが、12月4日に北海道日本ハムファイターズへの育成コーチ兼任捕手としての復帰が発表された。

片山博視(かたやま・ひろし、1987年4月19日〜)(ウィキペディア参照)
・2005年のNPB高校生ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルス広島東洋カープから1巡目で重複指名。抽選の末に楽天が独占交渉権を獲得したため、交渉の結果、投手として入団した。
・2006年には、一軍公式戦への登板機会はなかった。投球フォームが固まらないことや、左肘を故障したことから、二軍でも事実上体力の強化に専念。
・2007年も、一軍公式戦への登板機会はなかった。イースタン・リーグ公式戦では、4試合(15イニング)の登板にとどまりながら、防御率1.80を記録。
・2008年には、6月3日の対阪神タイガース戦に救援投手として一軍デビューを果たすと、18日の同カードで一軍初先発。7月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦に先発すると、被安打3という好投で一軍初勝利・初完投・初完封を記録した。一軍公式戦では通算で2勝7敗という成績に終わった。
・2009年には、左中指の深指屈筋を挫傷。一軍公式戦への登板機会はなかった。12試合に登板したイースタン・リーグ公式戦でも、3勝5敗、防御率5.52という成績にとどまっている。
・2010年には、マーティー・ブラウン*6新監督からリリーフへの適性の高さを見出されたことを機に、一軍の救援陣に定着。セットアッパーの左腕投手・有銘兼久*7が故障で離脱してからは、セットアッパーに抜擢。与四死球が多い割に被安打が少なかったことから、通算53試合の登板で、防御率1.88という好成績を残した。
・2011年には、前年に続いて左のセットアッパーとして活躍。一軍公式戦には、チーム最多の59試合に登板すると、パシフィック・リーグ7位の25ホールドポイントを記録した。
・2012年には、開幕から調子が上がらず、出場選手登録と抹消を繰り返した。一軍公式戦には41試合に登板したが、勝利は付かず、防御率も3.77にとどまった。
・2013年には、一軍公式戦31試合の登板で、3勝1敗、防御率3.03を記録。
・2014年には、3月のオープン戦で左肘痛を発症したため、5月中旬までは患部のリハビリに専念していた。7月30日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦への登板は4試合にとどまった。シーズン終了後の契約交渉では、翌2015年の契約に対して、NPB野球協約で定められている減俸の上限(年俸1億円未満の場合には25%)を適用することを球団から通告。結局、推定年俸2,250万円(750万円減)で契約を更改した。
・2015年には、春季キャンプの第1クールで左肘痛が再発したため、2月9日に一軍監督の大久保博元へ野手転向を志願。翌10日には、内野手へ転向することが球団から発表された。公式戦の開幕後は、野手としての経験を二軍で積むことに専念。イースタン・リーグ公式戦には、49試合の出場で、打率.238、1本塁打、11打点という成績を残した。また、27試合で一塁、7試合で外野の守備に就いている。なお、10月4日には、支配下選手登録を解除することを球団から通告。11月9日には、育成選手として再び契約を結んだことが球団から発表された。
・2016年には、春季キャンプのスタートから野手として参加。しかし、投手時代に痛めていた左肘の回復が著しいことから、投手として一軍復帰を目指すことを決意。公式戦開幕直後の3月31日には、再び投手へ転向することが球団から発表された。イースタン・リーグ公式戦では11試合に登板したが、0勝2敗1セーブ、防御率4.32という成績で、支配下選手への再登録はならなかった。10月31日には、育成選手に関するNPBの規約によって、自由契約選手として公示。公示後に、育成選手としての再契約に至った。
・2017年には、レギュラーシーズンの開始前に、左肘内側側副靱帯の損傷と左肘頭の疲労骨折が判明。3月16日には、この靱帯を再建する手術を受けた。全治に10ヶ月を要することが見込まれたため、実戦登板の機会はなかった。10月1日に球団から戦力外通告を受けた後に、同月31日付でNPBから自由契約選手として公示。
 NPB他球団での現役続行を希望していたことや、実戦で投球できるまで左肘が回復していたことから、2017年11月15日には投手として12球団合同トライアウトマツダスタジアム)へ参加。シートバッティング形式で4人の打者と対戦したところ、1被安打と1与四球ながら、2人の打者から三振を奪った。
 これに対して、独立リーグ武蔵ヒートベアーズ*8角晃多*9監督が、片山にコーチ兼任での入団を打診。NPB他球団からの獲得のオファーがなかった片山は、1年でNPBへ復帰することを目標に、武蔵へ入団することを決めた。2017年12月6日に、武蔵ヒートベアーズが片山の入団を発表した。
 ちなみに、角はかつてロッテの内野手で、イースタン・リーグのロッテ戦に投手で登板した片山と対戦したこともあった。

■郄橋洸(たかはし・こう、1993年4月30日〜)(ウィキペディア参照)
・2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け、入団。
・2013年11月4日、自由契約となることが球団側から発表された。同月12日、巨人と育成契約を結んだ
・2017年10月28日、球団から戦力外通告を受けた。31日、自由契約公示された。
・2018年から、社会人野球の深谷組でプレーする。

 まあ、この中で一番苦しいのが高橋でしょうね(そもそもほかの二人がドラフト1位にたいし、高橋はドラフト5位ですから、入団時点で少し差があるわけですが)。ほかの二人は一時、一軍に定着したにもかかわらず彼だけは、二軍が定位置化したあげく、入団後たった二年で育成選手に大幅格下げされるわけですから。
 しかも

https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712300000248.html
 一般社員と同じように定時まで新国立競技場などの建設現場で業務に従事し、平日夜や週末に活動する。

ということで深谷組は野球だけができるほど恵まれた状況ではないわけです。


参考
實松一成
サンケイスポーツ日本ハム・実松、12年ぶりに兼任コーチとして古巣復帰』
http://www.sanspo.com/baseball/news/20171204/fig17120415050005-n1.html
■報知新聞【日本ハム】栗山監督、実松育成コーチ兼捕手に期待「戦力として必要だったわけだから」
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20171206-OHT1T50185.html


片山博視
河北新報『<楽天自由契約の片山と武藤が現役続行 独立Lとクラブチームへ』
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201712/20171215_14014.html
毎日新聞(埼玉版)『BCリーグ 来季加入選手と新監督らが抱負 武蔵ヒートベアーズ
https://mainichi.jp/articles/20171222/ddl/k11/050/097000c
スポーツニッポン楽天戦力外の片山 ケガ、離婚…住む場所なくビジネスホテル生活の末BC武蔵入団』
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/30/kiji/20171230s00001173272000c.html
■日刊スポーツ『前楽天ドラ1片山は育成、離婚…波乱の末BC武蔵に』
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712300000605.html
■スポールティバ『ドラフト1位が30歳で戦力外。片山博視が諦めずに語っていたこと』
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2017/12/30/_51192001_3010_13415120_172005/


【郄橋洸】
■日刊スポーツ『元巨人高橋洸が社会人の深谷組入社 都市対抗目指す』
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712300000248.html
スポーツニッポン『巨人戦力外の高橋洸、建築会社で野球続ける 生後8カ月の息子抱えた妻「誇りです」』
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/30/kiji/20171230s00001173157000c.html

*1:現在は北海道日本ハムファイターズの一軍捕手コーチ兼打撃コーチ補佐

*2:現在は北海道日本ハムファイターズの一軍バッテリーコーチ兼作戦コーチ

*3:著書『プロ野球生活16年間で一度もレギュラーになれなかった男がジャイアンツで胴上げしてもらえた話』(2014年、東邦出版)

*4:現在は新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ球団社長補佐

*5:現在は千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチ

*6:広島東洋カープ(2006〜2009年)、東北楽天ゴールデンイーグルス(2010年)の監督を歴任

*7:現在は独立リーグ信濃グランセローズ投手コーチ

*8:ヒートベアーズの「ヒート」は本拠地のある埼玉県熊谷市が「猛暑で有名なこと」、ベアーズは「熊谷市」からとられている。

*9:父は元プロ野球投手(読売ジャイアンツ日本ハムファイターズヤクルトスワローズ)の角盈男。兄は元プロ野球捕手(独立リーグ香川オリーブガイナーズ)の角一晃。