今日もkojitakenに悪口する(2023年9月19日)(副題:横溝『八つ墓村』の一部ネタバレがあります)

プロ野球に関するコメント特集〜阪神タイガースのリーグ優勝を中心に - kojitakenの日記

 「弱者の戦法」で直ちに連想するのは戦国武将の毛利元就であって、何を隠そう小学生時代に「学習漫画」を読んだ頃から毛利びいきで信長も秀吉も家康も好みませんでした。

 赤旗日曜版に連載され、後に角川文庫*1入りした火坂雅志『業政駈ける』(例えばしんぶん赤旗日曜版の新連載小説は、火坂雅志『業政駈ける』!! - コミュニスタ紅星の幡多荘草紙 ~取り戻そう 共生の国・日本。~(2009.6.30)参照)の長野業正(業正生前、武田信玄の上州侵攻を撃退するが、業正死後、武田の攻撃を撃退しきれず、業正の後を継いだ息子・業盛は自刃し、長野氏は滅亡する)ならともかく毛利って「弱者」なんですかね?
 「尼子、大内に劣る勢力だった時代」はともかく少なくとも「力を蓄え、尼子を圧倒し、ついに滅亡させるに至った時期の元就」は到底「弱者とは言えません」が。
 例えば横溝「八つ墓村」は

八つ墓村 - Wikipedia参照
 戦国時代の1566年(永禄9年)、とある山中の寒村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに逃げ延びてくるが、村人たちは毛利氏による捜索が厳しくなるにつれ災いの種になることを恐れ、また「落ち武者の財宝」と「毛利氏が落ち武者狩りにつけた褒賞」に目がくらみ、落ち武者たちを皆殺しにしてしまう。武者大将は死に際に「七生までこの村に祟ってみせる」と呪詛の言葉を残す。
※原作は知りませんが映画では、被害者たちは「落ち武者を殺した村人の末裔」、犯人は「落ち武者の末裔」であることが、金田一耕助渥美清)の調査で後にわかり「七生までこの村に祟ってみせる」が現実となった「ホラー設定」です。

という設定ですしね。山中鹿之助(尼子家臣、毛利によって殺害される)の逸話「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」も有名である(山中幸盛 - Wikipedia参照)。
 一方で秀吉、家康もある時期は「信長家臣団の新参者(秀吉)」「今川氏の元家臣だが今川の没落で信長に寝返る(家康)」という弱者でした。
 それはともかく「ということで」俺が戦国武将で「弱者の戦法」で連想するのは長野業正ですね。
 とはいえ「歴史小説の主人公としての業正」であって、彼の実像はよく知りませんが。

 打者の技量が投手に劣っていては四球は得られないわけですから、「四球を増やす選球眼」というのは弱者の戦法でもなんでもなく、それどころかかつての川上読売も採用した「強者の野球」

 「野村ヤクルトの内角攻め」は「球威が劣りど真ん中では抑えられない弱者の野球」だが「ヒットにこだわらず四球を選ぶ岡田阪神」は「選球眼がないと四球は選べないから強者の野球」とするのは「阪神を弱者とは認定したくない(強者認定したい)が、ヤクルトは弱者とは認定したい(強者認定したくない)」「アンチ阪神でヤクルトファン」kojitakenの詭弁でしかないでしょう。
 コントロールがなければ「内角攻め」は「四球や死球を増やすだけ」なのだから、「コントロールがある=強者の野球」とも言えてしまう。
 一方で「四球を選ぶ=二塁打三塁打、ホームランと言った長打力に劣る(長打で得点が難しい)=弱者の野球」と定義すれば

阪神「アレ」の勝因は?ホームラン数12球団中10位でも得点数1位のワケ…これまでの優勝との違いとは?【サンデーモーニング】 | TBS NEWS DIG
 チーム全体で見ても、ホームランの本数は、巨人の半分にも及びません。これは12球団で下から2番目の少なさです。ところが、総得点を見てみると巨人を上回り、12球団トップなんです。(9月16日時点)

という「ホームラン数、長打数が他球団に勝るとは言えない阪神」は立派に(?)「弱者の野球」でしょう。
 そもそも「投手は球威もなければコントロールもなく毎回大量失点」「チーム打率はリーグ最低で毎試合のように無得点」「守備はザルで毎回エラー連発」「盗塁できる選手は皆無」と「何処にも何の取り柄もない完全な弱者」ならどんなに頑張っても優勝はできません。
 つまり優勝してる時点で「ある種の強み」があるわけでそこにフォーカスすれば「強者の野球」といえるし、「弱い部分」にフォーカスすれば「弱者の野球」になるでしょう。
 優勝チームでも「投手は球威もコントロールもあり毎回無得点で完封」「打線は毎回大量得点」「守備は鉄壁の堅さ」「毎試合、盗塁を得点につなげる」等と「守備、攻撃面で何の欠点もないチーム」など最近ではまずないのだから「弱い部分」にフォーカスすればいくらでも「弱者の野球」になるでしょう。

 私が不思議でならないのは、なぜ阪神ファンは自らが応援するチームを「強い」と言われるのをそんなに嫌うのかということです。

 誰も嫌ってるわけではなく「四球を選ぶ=長打力に劣る=弱者の野球」と定義すれば「ホームラン数、長打数が他球団に勝るとは言えない阪神」は立派に(?)「弱者の野球」というだけの話です。
 むしろ何故「自称アンチ阪神」「自称ヤクルトファン」kojitakenは「阪神を弱者とは認定したくない(強者認定したい)が、ヤクルトは弱者とは認定したい(強者認定したくない)」のか?。
 kojitakenの物言いをパクれば

私(ボーガス)が不思議でならないのは、なぜヤクルトファン(id:kojitaken)は自らが応援するチームを「弱い」と言いたがるのかということ

ですね。
 「たかが野球」でそんなに「俺は反体制、判官贔屓」アピールしたいのか?。野球ってそういうもんじゃないでしょうにid:kojitakenは全くアホです。

 選手に自由に打たせることよりもチームプレー重視を求めた「管理野球」の性格が強いと思います。矢野監督は選手の自主性を重視して、どんどん盗塁させるなどの積極策は好みましたが、岡田監督の「四球重視」は、どちらかというとその矢野野球に対するアンチテーゼとして打ち出された側面が強いように私には思われます。

 問題は「自由か管理か」ではなく「勝てるかどうか」でしょう。岡田は勿論「勝った」わけです。そして失礼ながら「矢野の自由主義」とは聞こえがいい物の「単に選手に丸投げしてるだけ」ではないのか。「矢野のような丸投げで勝てない」なら岡田のような「一定の管理」は必要でしょう。

【参考:長野業正】

【業政駈ける】 | つれづれすみれ草
 この作品は当時60歳前後だった老将長野業政が、知恵の限り体力の限りを尽くして、巨大勢力となっていた武田軍を何度も押し返した、その猛烈な戦いぶりを克明に描いています。
 作者の火坂氏は大河ドラマ天地人」の原作者として著名な方ですが、残念ながら2015年にお亡くなりになってしまいました。

【参考:八つ墓村

「木魚のおと」:『八つ墓村』もうひとつの読み方
※この項は、横溝正史八つ墓村』のネタばれをしています。未読の方はくれぐれもご注意下さい。
 主人公、寺田辰弥の「本当の」父親は、寺田虎造でも田治見要蔵でもなく、母鶴子の思い人、小学校の訓導亀井陽一でしたね。
 つまり、要蔵による鶴子強奪がなければ、辰弥は「亀井」辰弥としてこの世に生を受けるはずだった、このことを頭の隅にとどめておいてください。
 中国地方で亀井、といえば、思い出されるのが戦国時代の尼子家の重臣亀井茲矩*2(コレノリ)です。
 もしも横溝正史が、亀井陽一と尼子家臣の亀井氏との符合を計算ずくで命名したというのなら、田治見要蔵の三十二人殺しは「尼子の重臣」亀井の子孫である、陽一が原因で引き起こされたことになります。また、その後の連続殺人事件も、亀井陽一の息子が村に帰ってきたことから巻き起こった事件です。横溝正史は、尼子氏の怨念による復讐譚を目論んでいたと言えるのです。

*1:新日本出版社から刊行されない点が辛いところです。

*2:後に因幡鹿野藩初代藩主(亀井茲矩 - Wikipedia参照)