「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年2/23分:高英起の巻)

金正恩が韓国の熱望を「スルー」…対日独立運動記念に「関心なし」(高英起) - 個人 - Yahoo!ニュース
 高の「北朝鮮への悪口」はどうでもいい話ですが、「三・一運動記念式典南北共同開催論」に対する北朝鮮の価値観が気になるところです。
 「一緒にやってもいいが、今はその時期ではない」「100年という区切りの年(今年2019年)に共催がベストだが無理してやるくらいなら101年(来年2020年)以降の共催でいい」という時期尚早論なのか(時期尚早と判断する理由が何かはともかく)。
 はたまた「マルクス主義的な運動ではなく*1」、金日成*2も関与してない三・一運動に対する関心や評価がそもそも低いのか。
 なお、小生は「武断統治から文化政治への統治方法の変化」をもたらした三・一運動を否定はしませんが、一方で「その後、朝鮮総督府の弾圧があった」とはいえ「あれほどの大規模な民主運動」は三・一運動以降はなかったという面にも注意すべきだろうかとは思います(素人の思いつきですが)。
 三・一運動には意義と限界の双方があったろうと言うことです。
 まあ、例えば「チベット」だって「1959年のダライ亡命時の騒乱」以降はあれほど大規模な騒乱は起こってないので「三・一運動以降、騒乱が封じ込められたこと」はある意味自然ではありますが。正直、庶民は「独立より飯が重要」つう面は大なり小なりあるわけです。
 そして「豊かになったからと言って日本の朝鮮植民地統治や中国チベット支配が全面正当化できるわけではない」「そもそも豊かさの恩恵からあぶれた人も居る(そうした人が日本へ移住し在日朝鮮・韓国人となったわけです)」とはいえ、一方で「日本や中国の統治」の中で一定の豊かさを享受した人も居たし、そう言う人は必ずしも反政府運動には立ち上がらないわけです。

*1:「高宗(韓国最後の皇帝)の死が三・一運動の直接のきっかけであること」「独立宣言書に署名したメンバーが左派とは言えないこと」などを考えればマルクス主義的運動とはとても言えないでしょう。

*2:彼は1912年生まれですので当然ながら1919年の三・一運動には関与していません。