今日の中国ニュース(2019年3月11日分)

 我々日本人にとって「3/10」とは東京大空襲の日で「追悼式典」もされますが、この日が「1959年のチベット動乱の日」だそうです。

【主張】チベット動乱60年 民族と文化の尊厳を守れ - 産経ニュース

 自治区制度を掲げた中国支配の60年間、鉄道敷設などのインフラ投資や、民生を含む財政支出はなるほど増えた。だが、それは結局、軍・警察の活動や、漢民族主体の経済振興という中国支配を支える手段ではなかったか。

 日本の朝鮮、台湾植民地支配での産経の物言い「日本のおかげで近代化した」とのあまりの違いに改めて呆れます。
 まあいずれにせよ「所詮『飴と鞭』の飴に過ぎない」「チベットの自主性が保証されてない」などとしながらも産経もさすがに「インフラ整備などがされ、チベットが近代化し豊かになったこと」は認めるわけです。

 中国はまず宗教を含めたチベット文化の自存自立を保障し、ダライ・ラマとの対話を再開すべきだ。これ以外に破壊された民族共存を再建する道はあるまい。

 さすがの産経も「チベット独立」「打倒中国」とは言わないわけです。

 中国がどう反発しても、チベット問題は国際社会で高い関心を集める。

 イヤー、ぶっちゃけ「一部のチベット亡命政府ファン」「一部のアンチ中国政府」などを除いてほとんどの人間はチベットに大して関心もないでしょう。


■I濱Y子「なぜダライラマの言葉は心に響き続けるのか」
 リンクを張ると発狂するのがI濱なので貼りません。興味のある方はググればよろしい。
 吹き出しました。まあI濱みたいな信者の心には響くんでしょうけどね。

 アメリカのニュース雑誌『タイム』は2019年3月、三度ダライラマを表紙に掲げ、亡命60年目のダライラマインタビューを掲載した。
ダライラマは60年間仏教の顔であり続けた
・60年の間、世界でもっとも孤立した民族の指導者は、世界で五億人近くが実践している宗教(仏教)のもっとも有名な顔となった。

 「チベット仏教の顔」なら間違いではないでしょうけどね(苦笑)。チベット仏教以外の仏教に大変失礼です。

 北京政府は30億$を投じて、釈尊の生まれたネパールのルンピニーの町を、空港、ホテル、コンベンションセンター、寺、大学のそなわった豪華な巡礼地へと変身させてきた。

 でそれが何か問題なのか。ネパール側が受け入れてるのなら部外者がどうこういうことでもないでしょう。

 2016年以後、ダライラマは世界の指導者たちと面会をしていない。ダライラマと約十万人のチベット人の亡命を受け入れたインドですら、チベット蜂起記念日60周年の記念日に「現在北京との関係が微妙である」ことを理由に代表を送っていない。

 I濱女史とその類友どもがダライを美化しようが、ダライの政治力などその程度の物に過ぎないわけです。

 多くのチベット人の若者は彼らのまだみぬ故郷に魅せられ、故郷に戻ることを選択し始めている。
 チベットはなおダラムサラ亡命政権、中央チベット政府(CTA) を有しているものの、内紛とスキャンダルがつきまとっている。
 昨年九月、ダライラマダラムサラの寺院で撮影された映像の中で若いチベット人にむけてこう語った。
「亡命の地にあって乞食として生きるくらいなら、北京政府の統治の下で生きた方がいい」
 『タイム』に向けても彼はこういう。
 「亡命チベット人が中国に戻ることを選んでも、ノープロブレムだよ」
 他国で成功したチベット人でも帰還を望む者はいる。ソンツェンギャスル(45) は亡命第一世代の両親が手に入れたスイスの土地を売り、中国のシャングリラ・クラフトビール醸造所を2014年にたちあげた。

 I濱女史の紹介するタイム記事が

印のチベット難民社会で失われる活気 国境警備厳格化、中国の圧力じわり - SankeiBiz(サンケイビズ)
 山崎さんは「豊かになった中国で就職したいと考え、中国当局の許可を得て自治区に戻ろうとする若い難民もいる」と指摘。

と完全に一致しているのが興味深い。

 チベット王国は決してユートピアではなかった。大半の住民はホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の世界を生きていた。貴族は七段階にランクづけされ、その最高位はダライラマ一人であった。一般人は教育の類いは施されず、近代的な医学、とくに外科が禁じられていたため、小さな傷でも命取りになった。平均寿命は36才であった。

 まあそういうことですね。だからこそプンツォク・ワンギャルチベット解放に協力したわけです。


■I濱Y子*1ブログ『60年目のピースマーチ』
 リンクを張ると発狂するのがI濱*2なので貼りません。興味のある方はググればよろしい。

 大人しいチベットデモは公安や警察と対立しないので、彼ら*3はむしろ絡んできたり、バセイをあびせてくる人間を制止してくれるありがたい存在です。

 留保条件もつけずに「公安警察に感謝の弁を述べる」とは「さすがI濱」と言うべきでしょうか。もちろん褒めていません。むしろ「I濱のお仲間連中(自称・チベット支援者)」ともども、「人間のクズ」「ダライ・ラマ盲従分子(ダライ狂信者)」として心の底から軽蔑しています。さすがMukkeの師匠と言うべきでしょうか。
 「おとなしくないから」脱原発デモなどは「公安や警察と対立している」とでも思ってるんでしょうか?。単に「チベットデモ」が公安や日本政府を批判しないから、あるいは「I濱らのデモを弾圧してまで中国にへいこらする動機がないから」、そうしないに過ぎません。
 I濱らが「日本政府や公安を批判すれば」、あるいは日本政府や公安が「I濱らを痛めつけることが日中友好を進展させ、国益に資する」と判断すれば容赦なくI濱らのデモを叩き潰すでしょう。
 柄の悪いウヨなどが左派系のデモに絡んでも公安が黙認してることもなんとも思わないのが、I濱のようです。なるほどこれでは「ペマ・ギャルポ」が日本会議とつるんでもなんとも思わないでしょう。その結果、チベット運動は「海外はともかく日本では」「反中国ウヨの巣窟」扱いされ、日本においてはまともな人間は距離をおき、運動が衰退しつつあるわけですが。まあチベット側の自業自得なので俺は何一つ連中に同情しません。ダライ一味なんぞとっとと政治的に衰退して滅亡すればいいと思ってる。


「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感:朝日新聞デジタル
チベット亡命政府60年 ダライ・ラマ高齢化で岐路に - 毎日新聞
印のチベット難民社会で失われる活気 国境警備厳格化、中国の圧力じわり - SankeiBiz(サンケイビズ)

「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感:朝日新聞デジタル
 英語で学ぶ私立学校に通わせ、欧米の大学を目指す傾向が強くなった。寄宿学校に通うテンジン・チョギャルさん(18)も「両親と一緒に外国に住むのが夢」と言う。
 「チベット社会のために働くと言っても教師か亡命政府職員くらいしかない。悲しいことだが、よりよい教育や仕事を求めるのはやむを得ない」。
 そう語るツェリンさんの娘2人も米国とスイスに渡った。
 こうしたことが、チベットの伝統継承を難しくしている。
 40年前に亡命政府が設立した手工芸センターでは、がらんとした建物の中で女性2人がじゅうたんを織っていた。サニモさん(46)は「20年前はここで70人が一斉に織っていた。今の若い子たちはやりたがらない」と話した。1枚を約20日間かけて織り上げる地道な作業。
 「作り手は年老いたり、海外に移ってしまったり。いつかはいなくなってしまうのだろう」
 バイラクッペにたくさんあったチベット仏画の掛け軸「タンカ」の店は2店舗に減った。そのうちの一つを営むジグメさん(40)は「伝統の保護は大事だが、それだけでは生きていくのが難しい」と語った。
 「欧米に出る人を止めることはできないし、今後もっと増えるだろう」と亡命政府の幹部は語った。

チベット亡命政府60年 ダライ・ラマ高齢化で岐路に - 毎日新聞
 亡命チベット人約10万人が暮らすインドでは欧米を目指す若者が増えている。亡命3世でホテル従業員のテンジン・シェラプさん(25)も欧米への移住を希望する一人だ。大学を卒業したが、インドではホテル従業員以外の職が見つからなかった。「父までの世代はインドで自由に信仰ができるだけで満足できた。僕たちの世代は自由な信仰だけでなく、経済的な豊かさもほしいんだ」と話す。
 テンジンさんは欧米で活躍する亡命チベット人の女性ポップ歌手にあこがれる。
「彼女はダラムサラ*4で寺や貧しい人に寄付している。若い世代は亡命社会を捨てたいのではなく、むしろ貢献したい」
 亡命チベット人が文化を維持してこられたのは、インド各地に共同体があったからだ。
 だが欧米に向かう人の増加に加え、中国の監視強化によってチベットからインドに逃れる人が激減し共同体は縮小傾向だ。
 自身も米国に留学経験がある教員のツェテン・ドルジさん(52)は「欧米に向かう人が増えれば、文化の維持は難しくなるだろう。欧米に移住した本人は『チベット人』という意識は強まるが、世代を経れば、現地社会との同化が進んでいくのは他の移民を見ても明らかだ」と見る。
 また社会活動家でジャーナリストのロブサン・ワンギャルさんは「欧米での文化や慣習の維持に取り組むことが必要だ」と指摘し、こう付け加えた。
「我々は国土を失った民だ。このままでは数十年先に文化までも失いかねない」

印のチベット難民社会で失われる活気 国境警備厳格化、中国の圧力じわり - SankeiBiz(サンケイビズ)
・欧米に再亡命を図る難民も多く、亡命政府がある最大居住地インド北部ダラムサラでは、かつての難民社会の活気が失われつつある。
・インドの1人当たり国民総所得は中国の約5分の1の年1680ドル(16年、約18万円)。豊かな欧米に再亡命を図る若者は増加するばかりだ。
ニューデリー*5で暮らす難民のドルマ・パルゾムさんは「インドには良い仕事がないので、欧米に亡命したい」と話した。ダラムサラで日本料理店を営む山崎直子さんの店でも、難民従業員の多くがオーストラリアなどに移住した。
 山崎さんは「豊かになった中国で就職したいと考え、中国当局の許可を得て自治区に戻ろうとする若い難民もいる」と指摘。「ダラムサラの難民は高齢者ばかりになった。チベット伝統の祭りも減り、チベット難民の一大拠点としての一体感も次第に薄れてきている」と話した。

 I濱女史、Mukke、阿部治平*6などが触れたがらない「不都合な真実」ですね。コメントは特にしないで紹介だけしておきます。まあI濱女史のような輩は「テンジン・チョギャルさん」「テンジン・シェラプさん」「ドルマ・パルゾムさん」を「欧米かぶれ」「銭ゲバ守銭奴)」と悪口するのかもしれませんが。
 しかし朝日、毎日は「常軌を逸した反中国」ではないのでこうした記事は予想の範囲内ですが、まさかフジサンケイビジネスアイでこんな記事が出るとは。
 しかし「産経の発言捏造*7」でない限り、「ダラムサラに住む人・山崎さん」が中国シンパの訳もないし、「本当にこう発言した」とするならびっくりですね。
 つうか山崎さんの名前でググったら

[時の人]/チベット難民 インドで支援/山崎直子さん/日本料理店 就労受け入れ | 沖縄タイムス紙面掲載記事 | 沖縄タイムス+プラス
 チベット亡命政府を抱えるインド北部ダラムサラで、日本料理店「ルンタ」を18年余り営んできた。チベット人の元政治犯をはじめとした難民の就労を支援。店を足場に難民の多くは他国へ再び亡命した。「ベルギー、スイス、オーストラリア…。みんな行っちゃったね」と消息を気遣う。

なんて「フジサンケイビジネスアイ」に似た内容の記事がヒットしたので「やはり本当なのかな」とは思います。


東京新聞:チベット動乱60年 中国、統制強化緩めず:国際(TOKYO Web)

 中国政府がチベット支配を正当化する最大の根拠は経済的な成功だ。
 六日、北京で開かれている全国人民代表大会チベット自治区分科会では、昨年の域内総生産が前年比9・1%増と全国平均6・6%を大きく上回り「全国の先頭を走った」と報告された。自治区トップの呉英傑(ごえいけつ)共産党委員会書記は「ダライは逃亡以降、チベットのためにいいことをしたことがない。チベットの人民は党がもたらした幸福な生活に感謝している」と強調した。

 特にコメントなしで紹介だけしておきます。


日本の絵本が中国でケタ外れに売れる理由 世界が狙う巨大市場にどう切り込んだ? | ビジネス | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 日本の出版市場は2018年も縮小し、書籍・雑誌の推定販売金額は1兆2921億円(出版科学研究所調べ)となり、1997年に前年を割って以来、21年間にわたってマイナスが続いている。その背景には、メディアの多様化や人口の減少など構造的な問題があるため、今後もすぐに市場が拡大に転じることは考えにくい。
 そのような中で、海外市場が注目されている。なかでも、巨大な人口を抱え、日本とは文化的にも経済的にも密接な関係を持つ中国市場の存在感が出版業界で高まっているのだ。
 2017年、日本でも800万部を超えて戦後最大のベストセラーとなっている黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』の中国版発行部数が、日本を上回る1000万部を突破したというニュースが流れた。また、いま中国で最も売れるフィクションの作家は東野圭吾だという報告もある。
 中国で日本出版物の翻訳版を刊行する出版社は多い。日本の出版社などによる主要な現地法人は、大手出版社の講談社が設立した講談社(北京)文化有限公司KADOKAWAが中国大手出版グループと合弁で設立した広州天聞角川動漫、児童書最大手のポプラ社が設立した北京蒲蒲蘭文化発展有限公司(以下、蒲蒲蘭=ぷぷらん)、大手取次の日本出版販売が設立した北京書錦縁諮詢有限公司など多数ある。
 このうち、ポプラ社が2004年に北京で設立した蒲蒲蘭は、設立以来10年ほどは赤字続きだったが、ここ数年、絵本の市場が急拡大したことで売上高を急速に伸ばし、2016年には年間売上高が1億元(約17億円)を超えたという。
 ポプラ社・長谷川均社長は冗談交じりで「蒲蒲蘭はここ数年で日本のポプラ社の売り上げを抜くだろう」と、中国での成長に目を見張る。宮西達也氏の「ティラノサウルスシリーズ」は累計800万部、10年以上前に刊行された「くまくんのあかちゃんえほん」(ささき・ようこ)に至っては累計1000万部に達する売れ行きだ。それほど、このところの中国児童書市場の拡大は著しい。
 しかし、ポプラ社が北京に蒲蒲蘭を設立した当時の中国には、子ども向けの創作絵本の市場はほとんどなく、「絵本」という言葉すら存在しなかったという。
 そんな状況下で蒲蒲蘭は、当時外国資本に開放されたばかりの出版物小売業の免許を取得し、北京で絵本専門店「蒲蒲欄絵本館」を開設。続いて出版物卸業の免許も取得し、日本や欧米の翻訳作品を中心に絵本を刊行してきた。
 いまでは中国各地に同社とは"ゆかり"のない「絵本館」を冠した店舗や施設、建物などが数千カ所もあるという。「絵本」という言葉は市民権を獲得し、多くの現地出版社も絵本に参入している。

 特にコメントなしで紹介だけしておきます。

*1:著書『チベット仏教世界の歴史的研究』(2001年、東方書店)、『清朝チベット仏教』(2011年、早稲田大学出版部)、『ダライ・ラマと転生』(2016年、扶桑社新書)など

*2:およそ教育者、学者とは思えない振る舞いです。

*3:もちろん公安警察のこと

*4:チベット亡命政府の所在地

*5:インドの首都

*6:著書『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)、『チベット高原の片隅で』(2012年、連合出版

*7:そういうことが「絶対にないとは全く言えない」捏造常習が産経ですが。