今日の中国ニュース(2019年5月5日分)

5G特許出願、中国が最大 世界シェア3分の1 (ASIA TECH) :日本経済新聞
 中国も随分と科学技術大国化したもんです。


【主張】令和の外交 隣人の独善改めさせよ インド太平洋構想の具現化を - 産経ニュース

 1989年6月の天安門事件以後、西側は経済制裁に動いた。孤立した中国の求めに応じ、いち早く支援の手をさしのべ、経済協力を再開させたのは日本だった。
 当時の天皇陛下は事件3年後の92年に中国を訪問された。中国がこのご訪中を欧米の制裁緩和につなげる*1よう政治利用したことが判明している。陛下を政治的に利用することは決して許されない。

 やれやれですね。「米長の例の発言」「4/28式典(「沖縄では4/28は屈辱の日だ」として安倍への批判あり)への天皇出席」あるいはこれは非常に軽率で不用意な発言だ(皇后の、西岡力への発言は、とてもよろしくない) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)のように自分たちに都合のいいときは天皇や皇族を政治利用したがる奴らが良くも言ったもんです。
 それにしても

中国がこのご訪中を欧米の制裁緩和につなげるよう政治利用したことが(ボーガス注:銭其琛・元外相の回顧録で?)判明している

て(苦笑)。
 判明も何も当初から日中両国ともそんなことはわかりきっていたことです。だから当時、石原慎太郎元運輸相(竹下内閣、後に都知事)だの藤尾正行元文相(中曽根内閣)だのといったウヨ連中も「欧米の制裁解除につながること」を恐れて天皇訪中に反対した。銭其琛・元外相の回顧録(2003年出版)なんて「ああ、やはりそうだったか」つう話でしかない。
 「中国がそんなことを考えていたとは知らなかった。銭其琛回顧録を読んでびっくりした」なんて奴はどこにも居ない。
 産経が「利用云々」というのは単に「天皇(現在は上皇)も欧米の制裁解除につながるであろうことを理解し認識した上で訪中したこと」を認めたくないからです。
 天皇崇拝を建前とする、産経的には「お前が訪中するから、予想通り欧米の制裁が解除されたじゃねえか。俺たちが訪中に反対したのに、無視して訪中を強行しやがって。明仁はふざけんな」などという天皇批判は出来ない。しかし「天皇訪中には反対だ」「訪中のために欧米の制裁が解除されたのは良くなかった」というなら「欧米の制裁解除を狙うという中国の黒い企みを天皇陛下は知らなかったのです」とするしかないでしょう。
 「おいおい、それ天皇にむしろ失礼じゃねえのか、天皇を馬鹿扱いするのか」つう話ですが。

 安倍首相の特使として先月訪中した自民党二階俊博*2幹事長が習氏*3との会談後、「米国の顔色をうかがって日中の問題を考えていくものではない」と発言した。国営メディアには二階氏が「一帯一路を積極的に評価した」と伝えられる始末である。
 二階氏の言動は「一帯一路」に警戒が出てきた世界に誤ったメッセージ*4を与えた。習氏側をつけあがらせ、「天安門後」の失敗の二の舞いとなる恐れもある。

 「首相の特使」と渋々とは言え書いてるくせに最後の落ちはいつもの「二階ガー」です(呆)。そんなに日本の一帯一路参加が嫌なら、いい加減、この件で「安倍はふざけんな」と批判したらどうなのか。

 急ぐべきは、強固な日米同盟を基盤に、自ら提唱した「自由で開かれたインド太平洋」構想を具現化させることにある。

 そんなもんとっくの昔に安倍は諦めてるでしょうよ。安倍が仮にやりたくてもインドだのオーストラリアだのがそんなもんに乗ってこないからです。

【参考:二階訪中】

二階幹事長、習主席との会談後「米国の顔色をうかがうべきでない」 - 産経ニュース
 二階氏は会談後、記者団に「今後も互いに協力し合って(一帯一路を)進めていく。米国の顔色をうかがって日中の問題を考えていくものではない」と強調した。


【参考:銭其琛*5回顧録について】

Tsugami Toshiya's Blog
 天安門事件後に中国がG7の制裁を受けていた頃は、逆に日中関係に大きな進展が見られた時期でもあった。日本は、西側の制裁が中国を保守的な方向に追いやり、トウ小平が始めた 「改革開放」 が頓挫してしまうことを恐れたのである。では、この時期の中共*6日中関係について何を考えていたのか。 
 それを描写した書物として、当時の外相銭其琛の回想録 「外交十記」 (2003年 中国 世界知識出版社) がある。
 銭其琛は、天安門事件に対する西側の制裁と日本の立場について、次のように記している。
 「制裁に加わった国の中で、日本は一貫して制裁に消極的な役割を演じた。G7による制裁にも、西側の一致した立場を崩さないために、渋々と同意した」
  「日本は天安門事件翌年の90年には第三次対中円借款を再開する決定を行った」
 「そうしたのは、(ボーガス注:中国ビジネスという)日本自身の利益のためであるが、日本は西側の対中共同制裁戦線の弱い一角であり、自ずと中国が西側制裁を突破するための最もよい(最佳)突破口になった」
 「91年8月に海部*7総理が訪中、西側制裁後中国を訪問した西側首脳となり、名実ともに対中制裁を解除し、二国関係の修復が完了したことを示した」
 「海部総理の訪中中に、中国は核不拡散条約に原則として参加することを表明、日本は第三次円借款として1296億円を供与することを決定した」 (「外交十記」191p)
 92年4月には江沢民*8主席が訪日、10月には明仁天皇、皇后両陛下が訪中した。
 「天皇の訪中は、中日二千年の交流史上初めてのことであり、これで中日の往来は新しい高みに達した。同時に、この訪中は西側制裁を打破するために積極的な作用を及ぼし、その意義は明らかに日中二国関係の範疇を超えるものになった」 (「外交十記」 195p)

【地球コラム】2度目の「天皇訪中」はあるのか~中国の対日接近戦略を探る~:時事ドットコム
 李鵬*9来日直後の89年6月、中国民主化運動が人民解放軍に弾圧された天安門事件が発生し、西側諸国の対中制裁が強化された。すると中国政府は、天皇訪中を「突破口」に国際的孤立から脱却しようと考えた。長く中国外交を統括した銭其琛元副首相は、2003年に発行した回顧録『外交十記』の中で、天皇陛下訪中が「西側の対中制裁を打破する上で積極的な役割を発揮し、その意義は両国関係の範囲を超えたものだった」と回想した。

元外交官が明かす天皇陛下海外訪問の意味——池田維・霞山会理事長に聞く | nippon.com
■野嶋
 1992年当時、中国の外相だった銭其琛(せん・きしん)氏が著書の中で、天安門事件後の対中制裁の包囲網を打破するために、天皇陛下の訪中を利用したと受け取れるような記述を、自身の回顧録(2003年出版)の中で書いていますね。
■池田
 しかし、当時は欧米諸国に天皇訪中が良くないという意見はなく、当時の日本の雰囲気でも、治安への不安を議論はしても、訪問の意義自体を否定する意見はなかった*10ように思います。もともと天皇陛下の訪中は、中国政府からの長年の要請があって実現したものです。銭其琛氏の発言は確かに不適切で外交上非礼*11であり、私自身それを知った時、憤りを感じました。もちろん、中国の中にも陛下の訪中についてはいろいろな評価があったのでしょう。ただ、中国にも最近注目すべき動きがありました。天皇陛下の退位に絡んだ質問で、外交部報道官から天皇訪中について「中日関係発展のために積極的な貢献をされた」という発言がありました。これまで総括的に中国がこの件にコメントしたことはなく、天皇退位に当たり、中国は公式な立場として天皇訪中についてその歴史的な意義を認める結論を定めたのでしょう。

*1:とはいえ欧米も「日本が付き合ってるんだから俺たちが付き合ってもいいだろ」と口実にしただけで、「国内の中国批判派への対応として、天安門事件を理由に制裁した物の、金儲け(中国ビジネス)のために早く制裁解除したくて仕方がなかった」「天皇訪中がなくてもいずれ解除した」のは間違いないですが。

*2:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*3:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*4:イタリアのコンテ首相が一帯一路参加を正式表明するなど、世界の多くの国が一帯一路に好意的態度なのによくもまあこんなことが言えたもんです。

*5:ギニアギニアビサウ大使、外務省報道局長、外務次官、副首相(外相兼務)など歴任。

*6:原文のまま

*7:福田、中曽根内閣文相を経て首相

*8:電子工業大臣、上海市長・党委員会書記を経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*9:電力工業大臣、副首相(国家教育委員会主任兼務)、首相(党中央政治局常務委員兼務)、全国人民代表大会常務委員長など歴任

*10:「少なかった」ならともかく「なかった」というのは明らかに事実に反します。石原慎太郎藤尾正行といったウヨは反対していたからです。

*11:別に非礼ではないでしょうが、まあ「無礼だと騒ぐウヨが自民党議員にいる」のでこう言わざるを得ないのでしょう。