今日の産経ニュース(2019年6月9日分)

堺市長選、午後6時現在の投票率25・31% - 産経ニュース
 投票率が低いのが「ちょっとなあ」ですね。
 なんとか維新に勝利したいところですが、大阪ダブル選・維新勝利以降、大阪の自民、公明の態度があやふやになってることを考えると厳しいかもしれません。いずれにせよ「負けても勝っても戦いは続く」わけです。負けたからと言って「堺市大阪都構想に参加することが決まる」わけではないし、一方、勝っても「府知事が維新である限り」戦いは続くわけです。

【追記】
当選の永藤氏「全身全霊傾ける」 僅差に笑顔なく 堺市長選 - 産経ニュース
 「大阪ダブル選結果」から、一応「予想の範囲内」ですが実に残念です。記事タイトルにもある「僅差に笑顔なく(維新びいきの産経ですらこう書いた)」が一つの今後の希望でしょうか。
 「前市長時代を評価する人々(維新になった場合の心配)」「都構想への反対」が影響したのでしょう。
 ひとまずは、反維新陣営をねぎらうと共に「戦いは終わったわけではない」ことを改めて指摘しておきます。少なくとも「堺市大阪都構想に入ることが確定した」わけではないでしょう。


【昭和天皇の87年】悲劇の貴公子かポピュリストか- 近衛文麿いよいよ登場 - 産経ニュース

 後継首相を選考する元老の西園寺公望*1は、第1候補に枢密院議長の平沼騏一郎*2を、第2候補に林銑十郎*3を推したが、平沼が固辞したため林と決まった。

 ここで興味深いのは過去に「平沼が極右であること」を嫌悪して首相に推薦しなかった西園寺が首相候補として押してることですね。
 首相就任を熱望する平沼が自らの極右性を「表面上でアレ」封印したことが功を奏したわけです。と同時に日本社会の右傾化進行により「平沼レベルではもはや極右とは言えない(もっと酷いのもいる)」つう面もあったかと思います。

 4月30日の総選挙では、林内閣との対決姿勢を鮮明にした政友会、民政党があわせて全議席の75%を占めるなど圧勝した。
 両党議員は5月28日、内閣総辞職を求める共同声明を発表する。こうなってはもう、林に打つ手はない。同月31日、林は閣僚の辞表をまとめて昭和天皇に提出した。在任わずか123日。
 林銑十郎ではなく「何もせんじゅうろう」だと、さんざんに皮肉られた。

 つまりは「陸軍の力は強いが、とはいえ、批判が全く不可能なほど、とてつもなく強いわけではなかった」わけです。
 それでも日本は戦争をやめることが出来ませんでした。それは既に別記事でも書きましたが「陸軍批判は必ずしも戦争批判を意味しないから」です。「中国などという弱国は簡単に植民地にできるし、国益のためにすべきだ」という考えは何も軍部だけではなく、昭和天皇とその側近、政党政治家、官僚、一般国民が「皆共通して持っていた」からです。
 しかし「陸軍悪玉論」が日本で未だに強いのは、昭和天皇岸信介*4など、「米国が利用できると評価した人間」を生かして使うために、「陸軍が悪の根源」というシナリオを作成し、東京裁判では「板垣征四郎*5・元陸軍大臣」「木村兵太郎*6・元陸軍次官」「東条英機*7・元陸軍大臣」「武藤章*8・元陸軍省軍務局長」(以上、死刑判決)などもっぱら陸軍幹部を起訴したからです。

 この内閣の下で日中両軍が衝突し、日本は泥沼の戦争へとはまり込んでいくのである

 「盧溝橋事件(1937年7月)」「北部仏印進駐(1940年9月)」「南部仏印進駐(1941年7月)」当時の首相・近衛*9に問題がないとは言いません。
 しかし
1)今の日本と違い当時の日本国トップは首相の近衛ではなく昭和天皇
2)満州事変(1931年9月):第2次若槻*10内閣
 満州国建国&国際連盟脱退(1932年3月):犬養*11内閣
 太平洋戦争開戦(1941年):東条*12内閣
ということで近衛以外の政治家(近衛内閣前後の内閣)も戦争を継続、拡大し続けたのだから、彼一人の責任ではないわけです。

*1:第二次伊藤、第二次松方内閣文相(外相兼務)、第三次伊藤内閣文相、首相など歴任。元老の一人。

*2:検事総長大審院長、第二次山本内閣司法相、枢密院議長、首相、第二次近衛内閣内務相を歴任。戦後終身刑判決を受け、服役中病死。後に靖国に合祀

*3:朝鮮軍司令官、齋藤、岡田内閣陸軍大臣を経て首相

*4:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*5:関東軍高級参謀として満州事変を実行。関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、 第7方面軍(シンガポール)司令官を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*6:関東軍参謀長、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*7:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*8:支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*9:貴族院議長、首相を歴任。戦後、A級戦犯指定されたことを苦にして自殺

*10:第3次桂、第2次大隈内閣蔵相、加藤高明内閣内務相を経て首相

*11:第1次大隈内閣文部大臣、第2次山本内閣文部大臣兼逓信大臣、加藤高明内閣逓信大臣などを経て首相。515事件で暗殺

*12:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣を経て首相。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。