新刊紹介:「前衛」7月号

 「前衛」7月号の全体の内容については以下のサイトを参照ください。「興味のある内容」のうち「俺なりになんとか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れます。「赤旗記事の紹介」でお茶を濁してる部分が多いです。
http://www.jcp.or.jp/web_book/cat458/cat/


原発ゼロ、再生可能エネルギー・脱炭素に本格的転換をいまこそ:安倍政権の原発固執政策はことごとく破綻している(藤野保史
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

石炭火力発電/環境アセス 拘束力ない/武田参院議員 実効性ある「厳格化」を/環境省に求める
主張/石炭火力発電/撤退求める声に政府は応えよ
超小型風力発電支援を/岩渕議員 再エネ拡大を後押しへ
主張/原発のコスト/「安価」の根拠は崩れている
“原発ムラ”献金急増/安倍政権下 再稼働・輸出推進と符合/辰巳議員が追及
原発固執姿勢変えろ/笠井氏 再エネ導入の障壁に
原発稼働し太陽光発電は停止/田村貴昭氏「意欲そぐな」


■国民のくらしを破壊する安倍政治と対峙(倉林明子
(内容紹介)
 今年の参院選が改選の年に当たる倉林参院議員の活動報告(最近の物が中心)です。赤旗の記事紹介で代替します。

“子どもにも国保料”やめよ/倉林氏 「均等割」の廃止を迫る
生活保護下げるな/倉林氏 「物価偽装」で基準改定
障害福祉サービス切るな/倉林氏 「介護保険優先」廃止を
学童 国の責任放棄/倉林議員 職員基準変え質低下
家族農業支援は責任/国連「10年」受け倉林氏が要求/参院行政監視委
正確な統計 行政責務/倉林氏が厚労省不正を追及
ハラスメントなくせ/倉林氏 禁止規定を要求
ハラスメント防止に実効性なし/女性活躍推進法等改定案 倉林議員が反対/参院委で可決
当事者参加の検証必要/障害者雇用率水増し 倉林氏が質問
無料低額診療 仮放免者に不可欠/参院厚労委 倉林氏「公費補助を」
就労後支援 政府に責任/障害者雇用 倉林氏 検証求める/参院厚労委
虐待防止策強化を/倉林氏質問 法改正案審議入り/参院本会議


■消費税「10%増税」は選挙と運動で中止へ(梅村さえこ)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

消費税増税の中止 くらしに希望を―三つの提案/志位委員長が政策発表
消費税増税の中止 くらしに希望を―三つの提案/家計を応援し、貧困と格差をただし、明日に希望が持てる政治を/2019年5月22日 日本共産党

消費税増税 共闘で阻止/5・24中央集会 3野党があいさつ
 24日に東京都内で開かれた「消費税 いま上げるべきではない5・24中央集会」では、日本共産党小池晃書記局長、立憲民主党有田芳生副幹事長、国民民主党日吉雄太国対委員長代理がそれぞれ連帯あいさつし、市民と野党の共闘の力で10月からの消費税10%増税を中止させようと訴えました。

 「三党(自民、公明、旧民主)合意で消費税増税決めたのは旧民主党政権だろ!」「手前ら民主党が消費税増税しませんつうて政権交代したのに反故にするから今、増税反対論が言いづらくなってるやないか」「元ジャニーズの田口容疑者みたいに立民の菅(元首相)や枝野(菅内閣官房長官、野田内閣で経産相)とかに志位委員長の前で土下座くらいしてほしいわ、まったく」的な怒りは正直禁じ得ないのですが、「公然と立民などに増税論に加担されるよりはマシ」なので、ひとまずは喜びたいと思います。
 「なら、最初から素直に喜べよ」ですか?。いや正直民主党政権のひどさ(消費税増税をはじめとする公約破りの連発)には今でも怒りが収まらないのでこのくらいの悪口はご容赦下さい。


■競争で大学は良くなるのか:「大学改革」の虚像(山口裕之*1
(内容紹介)
 山口氏の主張はいろいろと多岐に亘っていますが、主張の一つは「そもそも大学への国家予算自体が日本は明らかに少ない、そんな少ないパイを奪い合う競争なんて研究者が疲弊するだけだ」「たとえば中国のような潤沢な科学研究予算がどうしてつけられないのか」「(政治的なタブーの問題はともかく)少なくとも予算面では中国の研究者がうらやましい」ということですね。
 基本的に、理数系の学問振興と政治体制・民主主義の程度は関係ないと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という指摘の正しさを山口氏のような大学研究者*2も認めてるわけです。
 「俺が大嫌いな」阿部治平の滑稽さを改めて鼻で笑います。ええ、俺は阿部が大嫌いなのでこうやって何度でもしつこくネタにします。

【参考:少なすぎる日本の研究予算】
大学の基幹経費増を/畑野氏「過度な資金競争改めて」
政府の評価で交付金傾斜配分/国立大の基盤崩す/国大協会長 19年度予算案批判
主張/国立大学交付金/教育研究の基盤崩す傾斜配分

科学技術大国、衰える研究基盤 伸び悩む資金・細る人材…推進力に影 気がつけば後進国(1) :日本経済新聞
・「科学技術創造立国」を唱え続けてきた文部科学省の科学技術白書も、平成最後の18年版では日本の苦境ぶりを取り上げた。最も顕著な例は、世界の研究者に引用される影響力の高い論文の世界シェアの低下だ。文部科学省科学技術・学術政策研究所の最新の分析では、10年前に4位だった日本は9位まで下がった。
・低迷の大きな要因は投じる資金の伸び悩みだ。日本の科学技術予算は18年に3兆8400億円。00年以降はほぼ横ばいが続いている。最も増やした中国は16年に購買力平価換算で22兆4000億円と00年に比べ約7倍になった。合わせるように、中国は飛躍的に存在感を増した。
・04年の国立大学の法人化も追い打ちをかけた。大学の基盤経費となる運営費交付金を減らし続けた結果、大学は常勤ポストを減らして若手を追い詰め、自由な発想にもとづく研究を支えられなくなった。

記者の目:「幻の科学技術立国」連載を終えて 過度の「選択と集中」転換を=須田桃子(東京科学環境部) - 毎日新聞
 かねて指摘される「日本の科学技術の研究力低下」の実態と背景に迫ろうと、この1年あまり、同僚とともに科学面に企画「幻の科学技術立国」を連載した。大学や企業の研究者を訪ね、政策の歴史をたどり、躍進する中国など海外の状況も取り上げた。計30回の連載を終えた今、知の源泉である大学の疲弊を顧みず、効果の見えない「選択と集中」路線をさらに強めようとする政府と産業界の姿勢に強い危惧を抱いている。


【参考:潤沢な中国の研究予算】
 まあ、一部は以前も紹介してる記事の再紹介ですが。

https://twitter.com/maboroshikagaku/status/1121215152613810176
 千人計画をはじめとする中国の人材戦略の実態に迫りました。トップクラスの人材だけではなく、若手の育成にもしっかり投資しています。(須田*3
幻の科学技術立国:第4部 世界の潮流/4 トップの頭脳、中国へ招致 「千人計画」の実態 任期なく桁違い年俸提示 - 毎日新聞

https://twitter.com/maboroshikagaku/status/1125247770703552512
 JSTによる質の高い論文の世界シェアの分析の結果。グラフからは、中国の科学研究がいかに急速に成長したかがみてとれます。(須田)
中国の科学論文シェア急上昇 米国と「2強」に 日本は急落、3位が2領域だけ - 毎日新聞

https://twitter.com/maboroshikagaku/status/1125248977014628354
 スケールの大きさに驚きます。中国の科学研究の進展をまとめた図と別稿も。ぜひご一読を。(須田)
幻の科学技術立国:第4部 世界の潮流/5 直径500メートル 中国の「天眼」 国を挙げた巨大電波望遠鏡 - 毎日新聞

中国の科学論文シェア急上昇 米国と「2強」に 日本は急落、3位が2領域だけ - 毎日新聞
 2015~17年の質の高い科学論文の国別シェアで、中国が理工系の151研究領域のうち71領域で首位を占めていることが、国立研究開発法人「科学技術振興機構」(JST)の分析で分かった。残りの80領域は米国が首位で、最先端の科学研究で米中両国の2強体制が鮮明になった。一方、日本は上位5位以内の研究領域の数が約20年前に比べ激減しており、相対的に研究力が低下している現状が浮き彫りになった。

幻の科学技術立国:第4部 世界の潮流/4 トップの頭脳、中国へ招致 「千人計画」の実態 任期なく桁違い年俸提示 - 毎日新聞
「ここを先端科学に取り組む極東の基軸にしたい」。
 2016年10月、中国の北京航空航天大に新設された「ビッグバン宇宙論元素起源国際研究センター」の調印式。初代所長に就任した梶野敏貴・国立天文台特任教授(63)があいさつし、中国人の副学長と固く握手を交わすと、会場に拍手がわき起こった。梶野さんは翌17年3月、特別教授として同大に赴任した。

 「千人計画で中国に頭脳流出してるじゃん!」「日本政府が研究予算をきちんとつけないからこういうことになるんだ!」「中国の脅威とか抜かすのならこういうことに産経や国基研は目配りしろよ!。お前ら、中国を口実にした軍拡のことしか口にしねえだろ!」ですね。

“科学技術強国”中国の躍進と日本の厳しい現実 |NHK NEWS WEB
 「科学技術力をたゆまず増強させれば、中国経済はもっと発展できる」
 中国の習近平*4国家主席が繰り返し強調している言葉だ。
 いま、中国は国を挙げて科学技術力の強化に取り組んでいる。
 文部科学省の科学技術・学術政策研究所によると、2016年の中国の研究開発費は45兆円余りと、10年で3倍以上に増えている。その額は日本の倍を超え、1位のアメリカに迫る勢いだ。
(日本:18.4兆円、アメリカ:51.1兆円)
 その成果は着実に形となって現れている。
 中国の研究論文の引用数は、2006年までの3年間の平均では世界で5位だったが、2016年までの3年間では2位に上昇。同じ時期に4位から9位に下がった日本とは対照的だ。
 恵まれた環境は、外国人研究者にとって大きな魅力だ。
 中国の名門、復旦大学の服部素之教授(36)は、日本やアメリカでタンパク質の構造などを研究していたが、3年前、「千人計画」に応募して中国にやってきた。
 大学からは、教授職と、5年間で1億円以上の研究費を提供され、10人の研究員や学生を率いて研究を続けている。
「日本だと、私の同僚で私より業績がある人でも、研究室をまだ持てないという人がたくさんいます。日本だとほぼ不可能な環境なので、非常に感謝しています」
 積極的な研究開発費の投入。優れた研究者の招へい。中国の科学政策の立案に関わる専門家は、科学を重視する方針は今後も変わらないと断言する。
 一方、日本の科学技術研究はどうなっているのか。現場を歩くと、躍進を続ける中国と対照的に悲痛な声が相次いでいた。
 静岡大学農学部の本橋令子教授に案内され、レーザー顕微鏡や遺伝子解析装置など高額の装置が配備された施設を訪れた。
 研究者が共同で使えるよう実験装置を少しずつ買い足してきたが、いま、次々と使えなくなってきていると言う。
 本橋教授が指し示したのは、細胞の数やDNAの量を調べる装置。
 利用記録をみると、最後に使われたのは4年前。修理費が工面できず、故障したままになっているのだ。
 さらに、研究者の数も減り、農学部の教授室の1つは、空室になっていた。(ボーガス注:予算不足のため)定年で退官する教授2人につき、新規で採用する教員を1人に絞っているからだ。
 使えなくなる機械。減っていく研究者。いずれも背景にあるのは大学の資金不足だ。
 国は10年余り前から、競争力があると見込まれる分野に研究予算を選択的に投入。その一方で大学の運営費は減り続けている。
 静岡大学の場合、この13年で13億円削られた。
(H16年度:108億円、H29年度:95億円)
 少しでも研究費を得るため、本橋教授は毎週のように外部資金の申請書を書いているが、競争は激しい。地方大学が置かれている深刻な状況に、危機感を募らせている。
 危機感を募らせているのは地方大学だけではない。
「ここ数年、『先に論文を出された』と思って調べると、たいていは中国人なんです。ネイチャーやサイエンスなどの科学誌に論文を出しても、必ずっていうほど中国人に負けるんですね」
 こう話すのは、東京大学大学院理学系研究科の濡木理教授。
 濡木教授は、近年、中国の急成長を肌で感じている。
 その背景にあるのが豊富な資金力だという。
 たとえば、「クライオ電子顕微鏡」という最新鋭の装置。定価は1台10億円で、東京大学でも配備されたばかり。国内でも5台しかないが、中国ではすでに数十台も稼働しているのだ。
 もう1つ濡木教授が危惧しているのが、日本の将来を担う若い研究者の海外流出だ。
 実は、「千人計画」で復旦大学に移った服部素之教授は、かつての濡木教授の教え子。
 「これではみんな、中国に行ってしまいますよ。こういう環境は、日本はさせてくれない。彼は中国に行ってよかったのでしょう。日本のことを考えると残念ですけど」
 国内の大学のポストが減り、頭脳の海外流出が続く現実。海外で実績をあげた若手の研究者を呼び戻すことができなければ、日本の科学の大きな損失につながると考えている。
 「若手研究者がいないということは、日本のサイエンスがもう伸びないということです。海外から若手を呼び戻せなければ、サイエンスが途切れてしまう。日本全体の社会問題だ」

 繰り返しますが「千人計画で中国に頭脳流出してるじゃん!」「日本政府が研究予算をきちんとつけないからこういうことになるんだ!」「中国の脅威とか抜かすのならこういうことに産経や国基研は目配りしろよ!。お前ら、中国を口実にした軍拡のことしか口にしねえだろ!」ですね。

結局のところ中国の科学技術力はすごいのかすごくないのか(『科学技術大国中国』書評) | 希望は天上にあり
 『科学技術大国中国』(2013年)は、文科省要職や内閣府政策統括官を経て、JAXA副理事長も務めた林幸秀氏による分析。中国の優れている点と、現状の課題とを、公平な視点で評価した良書です。
今回はこの一冊から、中国の科学技術の現状と未来を考えてみます。
■論文の被引用件数で2012年には世界2位に
 本書によると、2009年~2011年における世界に占める中国の論文数は12%で世界2位(米国26%、日本6.6%)。このうち材料分野と化学分野では世界1位のシェアとなっています(それぞれ24.6%、17.2%)。
 論文数だけ見ても意味がないことは著者も承知で、被引用件数も紹介されています。これによると、2009年~2011年の被引用件数は10.4%で世界4位と中々の健闘ぶり(日本は5.8%で7位)。
 経産省の各年データも調べてみると、2012年には12.4%で米国に次いで2位にまで躍り出ていました。
(中略)
 論文被引用件数や特許件数から、科学技術に関する中国の実力は着実に伸びていると言えそうです。
 特に驚かされたのは、留学生数などの人材の厚さでした。

中国の科学技術は脅威か - 林幸秀|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
 急成長する中国。国内総生産(GDP)ではすでに2010年に日本を抜き去り、米国に次ぐ世界2位の規模にある。大勢の観光客が日本を訪れ、旺盛な購買力が日本経済を下支えしているほどだ。
 では科学技術はどうか。論文数や研究費が急増し、脅威論も唱えられている。中心となる中国科学院は、科学技術機関として世界最大の規模を誇るが、内情はあまり知られていない。このほど著書『中国科学院』*5を刊行した科学技術振興機構(JST)の林幸秀*6・研究開発戦略センター上席フェローに話を聞いた。(聞き手・伊藤隆太郎)
■林氏
 まず注目すべきは「人と金」だ。研究者数と研究費の伸びは驚異的である。文部科学省の「科学技術要覧」によれば、中国の研究者数は米国や日本、欧州の各国を抜き去って、世界一になった。研究費もこの10年間で日本を抜き去って2倍近くになり、トップの米国に迫る勢いだ。
 日本の科学技術・学術政策研究所がまとめた「科学研究のベンチマーキング 2017」のデータでは、主要科学誌に掲載された論文数は年間28万本にのぼり、日本の7万5千本を大きく引き離している。さらに重要なのは、「トップ1%論文」のシェアだ。被引用数が多くて注目度の高い上位1%の高品質な論文を抽出して、国別で数を比べたところ、1990年代半ばでは、中国のシェアはわずか0.7%だった。日本の5.7%と比べても、大きな差があった。ところが最近は20%を超え、米国に次ぐ世界2位になっている。驚くべき成長スピードだ。

 福島香織などがほざく中国崩壊論がいかにデタラメか今更言うまでもないでしょう。まさに「日中両国共に今のままの状態が続くなら日本に比べて中国の将来は明るいね!(少なくとも科学技術と経済の分野は)」「ビバ中国、ブラボー中国、ハラショー中国」「中国の研究者がうらやましい(少なくとも研究予算の潤沢さは)」ですね。アンチ中国な人(例:Mukke、noharra、I濱Y子、阿部治平、産経など)はこういう指摘にはマジギレするんでしょうけど。しかしいい加減、阿部治平とリベラル21も例の記事を撤回したらどうなんですかね。阿部とリベラル21はどんだけ恥知らずでバカでクズなのか。


■高等教育・研究を破壊する柴山イニシアティブ(進藤歩)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

大学 疲弊させる「改革」/畑野氏、政府の方針を批判/衆院委
 日本共産党の畑野君枝議員は3日の衆院文部科学委員会で、柴山昌彦文科相が2月に発表した「柴山イニシアティブ」について質問。
 畑野氏は、「柴山イニシアティブ」が、「世界をけん引するトップ大学群」と「地域や専門分野をリードする大学群」の二つの類型にまとめようとすることについて、「財界が求めている大学像と、うり二つだ」と指摘。ノーベル賞受賞者梶田隆章東大宇宙研究所所長や白川英樹筑波大学名誉教授らが参加する団体が、企業的なガバナンスを大学に持ち込む政府の「大学改革」は、大学の教育・研究の性格にふさわしくなく、大学を疲弊させるものと述べていることを紹介し、「柴山イニシアティブ」を批判しました。


■特別支援学校の危機(上):「教室不足」の異常な長期化、意図的な教員減らし(藤森毅*7
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。いろいろ主張がされていますが特に強く主張されているのが「特別支援学校の学校設置基準の制定」です。
 なお特別支援学校つうのは昔は「盲学校、聾学校養護学校」といっていました(2007年の学校教育法改正で名称変更)。

特別支援学校のマンモス化/権利守る基準必要/党滋賀議員団文科省に要請
「設置基準」特別支援学校にも/国に署名提出 超過密化「もう限界」
SOS 特別支援学校 設置基準がない/児童増加 足りない教室
論戦ハイライト/特別支援学校教室不足/音楽室を奪うことが適切か 設置基準策定と新増設促す/参院予算委 山下議員の質問
特別支援学校 改善を/大津 山下氏が国政報告、懇談会


衆院沖縄三区補欠選挙・現地からのレポート(猪原健)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

新基地 何度でもノー/衆院沖縄3区補選 屋良氏勝利に喜びと確信/“野党共闘全国に広がれ”
 金秀グループの呉屋守将会長は記者団に問われ、「ウチナーンチュ(沖縄県民)は、民意に反した(新基地建設のための)辺野古の埋め立てには何度でもノーだということを示した」と強調。

 1)「金秀グループの呉屋守将会長」など、本来自民支持の保守財界人が「屋良*8候補側(オール沖縄)」にいる時点で、あるいは
 2)過去に衆院選で落選している島尻候補という「新味のない候補」しか立てられなかった時点で「勝負あり」でしょう。
 もちろん出口調査で「自民、公明支持層からも屋良候補に投票した人間が多数いること」がわかっています。
 ただしそのことを今の安倍自民が反省することは残念ながらなく、そのことが沖縄の怒りを更に強めるわけですが。

主張/衆院沖縄3区補選/「辺野古唯一」完全に破綻した
 昨年9月の県知事選、今年2月の県民投票に続き、三たび「ノー」の審判を明確に下したもの

 嬉しいニュースですが、一方で「県知事選勝利」「県民投票勝利」を考えれば予想の範囲内ではありました。


■「領土不拡大」原則の形成をたどる(上):「領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス」(大西洋憲章)の起源とその後(森原公敏*9
(内容紹介)
 何の話かというと「領土不拡大原則に反する旧ソ連北方領土侵略」を考えるに当たり、「領土不拡大原則形成の経緯」を改めて押さえておく、つう話です。もちろん「戦後、朝鮮や台湾が日本の植民地でなくなった」のも「領土不拡大原則」の現れの一つの訳です。
 「ロシアのクリミア併合が非難される」のも「領土不拡大原則」の現れの一つの訳です。

参考

北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで) | 外務省
第二次世界大戦と領土問題の発生
大西洋憲章(1941年8月)及びカイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則
 1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。 また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。
ポツダム宣言(1945年8月受諾)
 ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました。

STEP2. 日本の地 北方領土 北方対策本部 - 内閣府
 連合国は、第二次世界大戦の処理方針として、「領土不拡大の原則」(侵略したり、戦争に負けた国を自分たちのものにしたりして、自国の領土を広げたりしないという取り決め)を宣言し、ポツダム宣言アメリカ、中国、イギリスの首脳が日本に対して、第二次世界大戦の降伏を勧めた宣言)でも(ボーガス注:『日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない』として)この原則は引き継がれています。この原則からみても、北方領土は日本固有の領土だと言えます。

領土不拡大の原則に反したソ連の行動 | 北方四島ポータルサイト
 ソ連は第2次世界大戦後、千島列島や北方領土の島々を軍事占領してしまうことになります。
 しかし、実はこれは国際法に違反する行為であり、「領土不拡大の原則」に違反するものです。
 昭和16年(1941)の「英米共同宣言」や昭和18年(1943)の「カイロ宣言」では、この戦争は日本の侵略をやめさせるためのものであって、自国の領土を拡大する意図はないと述べられています。
 ソ連北方領土占領の行為は、まさにこの領土不拡大の原則にも反しているといえます。

主張/日ロ領土問題交渉/行き詰まり打開の道はどこに
 第二次大戦にあたり、連合国は当初から領土不拡大の原則を国際的な公約として掲げ、戦後処理でもそれを貫くことを宣言しました(カイロ宣言、一九四三年十一月)。
 ロシア側では、“千島領有は第二次大戦の結果である”と正当化する議論がなされていますが、米英ソ首脳によるヤルタ会談(四五年二月)で、スターリンの要求にもとづきソ連の対日参戦の“見返り”に千島列島を「ソ連に引き渡す」と密約したこと自体が、連合国として世界に宣言した「領土不拡大の原則」に反する誤りでした。
 国連憲章には各国の領土保全と政治的独立、内政不干渉と国際紛争の平和解決が盛り込まれ、「領土不拡大」原則は、国際関係の基本原則としていっそう明確になっています。
 スターリン覇権主義的な領土拡大の誤りを正すことは、千島問題解決の核心であり、日ロ関係の前進のみならず、アジアと世界の平和にとっても、重要な意味をもちます。

日露領土交渉の行き詰まりをどう打開するか/――「日ソ共同宣言」60周年にあたって/2016年10月18日 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫
 第2次世界大戦のさい、連合国は、「領土不拡大」を戦後処理の大原則にすることを、繰り返し宣言している。対日戦の戦後処理についても、連合国は、1943年の「カイロ宣言」で、「同盟国は自国のために利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」こと、日本は「暴力及び貪欲により日本国の略取したる……一切の地域から駆逐される」ことを宣言している。これは、「領土不拡大」という国際的な民主主義の道理に合致したものだった。
 1945年のヤルタ会談で、ソ連スターリンが、対日参戦の条件として、「千島列島の引き渡し」を要求し、その要求に米英側が応じ、「ヤルタ協定」に書き込まれたことは、「領土不拡大」という戦後処理の大原則に明白に違反する不公正なものだった。さらに、1951年のサンフランシスコ平和条約のさい、アメリカの要求で「千島列島の放棄」の条項が入れられたことは、「ヤルタ協定」の不公正の延長線上にたったものであり、これも「領土不拡大」という大原則に背く不公正なものだった。
 日露領土問題を解決する中心点は、戦後処理におけるこの不公正を、「領土不拡大」という国際的な道理にたちもどって是正することにある。

 まあ「道理の上」では「ソ連北方領土侵攻は領土不拡大原則という国際法に反する違法行為」かもしれません。ただ小生、「拉致問題」で「バーター取引しかないと思う」「違法な犯罪行為とか言ってもどうしようもないと思う」と以前書きましたが、北方領土問題も「バーター取引しかない」でしょうね。「領土不拡大原則ガー」「国際法違反ガー」といってもある意味無力です。
 かつ重要なことは「今北方領土に住んでるロシア人をどうするのか、ロシア系日本人として引き受けるのか、はたまたロシア本土に帰ってもらうのか」つうことでしょう。あと事前に「米軍基地は島には置きません」とロシアに確約することも必要でしょう。まあ個人的には日米安保条約廃止がベストですが。


シリーズ「メディアと民主主義を問う」
【メディアは「即位」「退位」をどう報じたか】
■異常な報道と政治利用がおこなわれた(河西秀哉*10
■求められる冷静な検証と国民的議論(沢木啓三)
(内容紹介)
 タイトルから予想されるとおりの内容です。ただただ「即位万歳、改元万歳」しかしないマスゴミに対し「即位儀礼政教分離原則違反ではないか」「改元は不便ではないのか」「そもそも天皇制をいつまでも続けていく必要があるのか、天皇制は民主主義に反しないのか(天皇制廃止論)」「天皇夫婦(現在の上皇夫婦)が退位前の先祖への挨拶として『神武天皇陵』へ行った*11らはっきりと『明治時代の捏造*12だ』と指摘すべきだ」などといった批判意識の重要性を指摘しています。

【参考】
 既に過去に別記事で紹介しているものもありますが。

Welcome to Hayashi Hirofumi'
 明仁さんが天皇を辞めて、徳仁さんが天皇に就任しました。明仁さんにはご苦労様でしたと個人的には言いたいと思います。自分の意思で辞めることもできない、非人間的な地位・役割を押し付けられ、人権侵害の被害者であったことにも同情の気持ちを持っています。
 明仁さん個人はおそらくいい人なのだろうと思いますし(メディアによって操作された情報で判断せざるを得ないのですが)、現在の日本の支配層の中では最も良心的な人物だろうと思います。彼がやってきたことは―天皇制を維持しようとする努力は別として―、戦没者の慰霊や、災害で苦しんでいる人たちへの慰めと励ましなど国内外で良い評価をうけているようですが、見方を変えれば、日本の政治指導者*13が果たすべきことをやらない中で、それを補っていたと言えます。つまり日本の政治の劣化がひどいのを埋め合わせていたと言えるでしょう。
 そういう明仁天皇の行為を(ボーガス注:高世仁や竹本信弘のように)すばらしいと持ち上げれば持ち上げる程、劣化しきった政治を生み出しながら、改善することができない、よくしようとする意志も意欲も能力もない、自由民主主義を自らが支えることのできない、日本国民の劣化度をさらけ出しているにすぎないように思います。 
 政治がきちんと市民のための政治をおこなっていれば、天皇がこれほどのことをやる必要はないし、注目されることもないと思うのですが。君主制には社会の亀裂を修復する機能があるなどというような議論がありますが、それは、ただ亀裂を見えないように覆い隠しているだけで、実際に修復しているわけではないでしょう。修復するのは市民によって担われる政治の力が必要ですが、そうした市民の自覚をマヒさせる麻薬としての機能を果たしてしまっていると言うべきでしょう。もちろん天皇個人は良心的に考えて行動したのでしょうが。
 元号などというものはやめよう、(ボーガス注:皇室女性が結婚して臣籍降下する以外は皇族としての生き方を強制され続ける)天皇制などという非人間的なものはやめよう、残したい人がいるのならば民営化してはどうか、という議論が本格的に取り上げられるべきだと思います。日本国民(ここには私自身も含まれていますが)が自由民主主義と基本的人権を自らの力で作り、支えようとする意志・能力が欠如していることを見せつけられた天皇の交代劇だったように思います。 

 さすが『沖縄戦と民衆』(2002年、大月書店)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)などで「日本の戦争犯罪(特に沖縄での集団自決強制)」「米軍基地問題」を研究テーマとしてきた林博史氏らしい「適切な天皇制批判」だと思いますね。前衛記事は林氏や「後で紹介する原氏」に原稿を頼んでもよかったかもしれません。

「平成の終焉 退位と天皇・皇后」原武史著/岩波書店/2019年|日刊ゲンダイDIGITAL
 21世紀になって天皇神話が強化されていることを記述した興味深い作品だ。1948年の坂口安吾天皇論を切り口にして論じている。かなり挑発的な議論だ。
<作家の坂口安吾*14(一九○六~一九五五)は、一九四八(昭和二三)年に発表した「天皇陛下にささぐる言葉」で、昭和天皇の戦後巡幸が戦前の行幸さながらの光景を全国各地でよみがえらせていることにつき、こう批判しています。
天皇が現在の如き在り方で旅行されるということは、つまり、又、戦争へ近づきつつあるということ、日本がバカになりつつあるということ。狐憑きの気違いになりつつあるということで、かくては、日本は救われぬ。陛下は当分、宮城にとじこもって、お好きな生物学にでも熱中されるがよろしい。』(「坂口安吾全集15」、ちくま文庫、一九九一年)
 分刻みのスケジュールが組まれ、天皇と皇后が乗る車の沿道では過剰な警備や規制がしかれ、訪問場所ではあらかじめ人々が整列し、二人から声をかけられた人々は時に涙を流し、夜にはホテルの前で提灯奉迎が行われる平成の行幸啓をもし安吾が見たならば、天皇明仁もまた「人間」にはなっていないと言うに違いありません。>
 現在は、過激派の機関紙を除けば、このような言説を展開するような新聞はないと思う。昭和から平成に代替わりするときには、政治家や有識者の中にも、天皇制を廃して共和制に転換すべきだと主張する人はいた。しかし、そういう人は現在、ほとんどいない。平成の31年間の間に、天皇と国民の一体感はより強まったのである。
 もっとも、沖縄に関しては、このような天皇神話が共有されていない。沖縄問題の難しさは、天皇信仰と密接に関連している。(選者・佐藤優

坂口安吾 天皇陛下にさゝぐる言葉
 天皇陛下が旅行して歩くことは、人間誰しも旅行するもの、あたりまえのことであるが、現在のような旅行の仕方は、危険千万と言わざるを得ない。
 「真相」という雑誌が、この旅行を諷刺して、天皇は箒(ほうき)である、という写真をのせたのが不敬罪だとか、告訴だとか、天皇自身がそれをするなら特別、オセッカイ、まことに敗戦の愚をさとらざるも甚しい侘しい話である。
 私は「真相」のカタをもつもので、天皇陛下の旅行の仕方は、充分諷刺に値して、尚あまりあるものだと思っている。
 戦争中、我々の東京は焼け野原となった。その工場を、住宅を、たてる資材も労力もないというときに、明治神宮が焼ける、一週間後にはもう、新しい神殿が造られたという、兵器をつくる工場も再建することができずに、呆れかえった話だ。
 こういうバカらしさは、敗戦と共にキレイサッパリなくなるかと思っていると、忽ち、もう、この話である。
 私のところへは地方新聞が送られてくるから、陛下旅行の様子は手にとる如く分るが、まったく天皇は箒であると言われても仕方がない。
 天皇陛下の行く先々、都市も農村も清掃運動、まったく箒である。陛下も亦、一国民として、何の飾りもない都市や農村へ、旅行するのでなければ、人間天皇などとは何のことだか、ワケが分らない。
 朕(ちん)はタラフク食っている、というプラカードで、不敬罪とか騒いだ話があったが、思うに私は、メーデーに、こういうプラカードが現れた原因は、タラフク食っているという事柄よりも、朕という変テコな第一人称が存在したせいだと思っており、私はそのことを、当時、新聞に書いた。
 私はタラフク食っている、という文句だったら、殆ど諷刺の効果はない。それもヤミ屋かなんかを諷刺するなら、まだ国民もアハハと多少はつきあって笑うかも知れないが、天皇を諷刺して、私はタラフク食っていると弥次ってみたところで、ヤミ屋でもタラフク食っているのだもの、ともかく日本一古い家柄の天皇がタラフク食えなくてどうするものか、国民が笑う筈はない。これが諷刺の効果をもつのは、朕という妙テコリンの第一人称が存在したからに外ならぬのである。
 朕という言葉もなくなり、天皇服という妙テコリンの服もぬがれて、ちかごろは背広をきておられるが、これでもう、ともかく、諷刺の原料が二つなくなったということをハッキリとさとる必要がある。
 人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものの真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということとは関係がない。いわんや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。
 天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、ただ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない。
 名門の子供には優秀な人物が現れ易い、というのは嘘で、過去の日本が、名門の子供を優秀にした、つまり、近衛*15とか木戸*16という子供は、すぐ貴族院議員となり、日本の枢機にたずさわり、やがて総理大臣にもなるような仕組みで、それが日本の今日の貧困をまねいた原因であった。つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。
 人間の気品が違うという。気品とは何か。たとえば、天皇という人は他の誰よりも偉いと思わせられ、誰にも頭を下げる必要がないと教育されている。又、近衛は、天皇以外に頭を下げる必要はないと教育されている。華族の子弟は、華族ならざる者には頭を下げる必要がないと教育されている。
 一般人は上役、長上にとっちめられ、電車にのれば、キップの売子、改札、車掌にそれぞれトッチメラレ、生きるとはトッチメラレルコト也というようにして育つから、対人態度は卑屈であったり不自由であったり、そうかと思うと不当に威張りかえったり、みじめである。名門の子弟は対人態度に関する限り、自然に、ノンビリ、オーヨーであるから、そこで気品が違う。
 こんな気品は、何にもならない。対人態度だけのことで、実質とは関係がない。対人態度に気品があって堂々としていても、政治ができるわけじゃない、小説が書けるわけじゃない、相撲が強いわけでもない。それでショーバイができるのは、実際のところ、サギぐらいのものだ。
 ところが、日本では、それで、政治が、できたのだ。政策よりもそういう態度の方が政治であり、政党の党主の資格であり、総理大臣的であった。総理大臣が六尺もあってデップリ堂々としていると、六尺の中に政治がギッシリつまっているように考える。六尺のデップリだけでも、そうであるから、公爵などとなると、もっと深遠幽玄になる。
(中略)
 この流儀の奥儀をきわめた張本人が宮内省というところで、天皇服をこしらえたり、朕という第一人称を喋らせたり、特別な敬語を使わせたり、ただもうムヤミに、実質のないところに架空な威厳をあみだして、天皇を人間と違わせようと汲々たるものだ。
 その結果は実はアベコベとなるものなのである。朕という言葉があるから、朕はタラフクたべている、いらざる不敬問題が起きる。私が少年時代、朕という言葉は、子供たちの遊び言葉で、おかげで我々は少年時代に、余分に笑うことができた。天皇服などというものがある限り、又メーデー天皇服の人形がとびだして、我々を余分に笑わせてくれるであろう。
 実質なきところに架空の威厳をつくろうとすると、それはただ、架空の威厳によって愚弄され諷刺され、復讐をうけるばかりである。
 私は日本最古の名門たる天皇が、我々と同じ混乱の客車で旅行せよとは言わぬ。たとえ我々の旅行がどのように苦難なものであるとはいえ、天皇の旅行のため、特別の一車を仕立てることに立腹するほど、我利我利でありたいとは思わない。
 然し、特別に清掃され、新装せられた都市や農村の指定席を遍歴するなどということは、これはもう、文化国に於ては、ゴーゴリの検察官の諷刺の題材でしかないのである。これに類するバカらしさは、中国に於ても「官場現形記」という小説によって、カンプなく諷刺せられておる。
 このような指定席を遍歴し、キョーク感激の代表選手にとりかこまれて、天皇陛下は御満足であるのか。
 国民たちの沿道の歓呼というようなものを、それを日本の永遠なる国民的心情などとお考えなら、まことに滑稽千万である。
 一種の英雄崇拝であるが、英雄とは、天皇や軍人や政治家には限らない。映画俳優もオリムピック選手も英雄であり、二十歳の水泳選手は、たった一夜で英雄となり、その場に於ては、天皇への歓呼以上に亢奮感動をうけ、天皇と同じように、感動の涙を以てカッサイせられる。
 これを人気という。人気とは流行である。時代的な嗜好で、つまり、天皇は人気があるのだ。特に、地方に於て人気がある。田中絹代嬢と同じ人気であり、それだけのことにすぎない。
 ところが、田中絹代嬢の人気は、彼女自身が自らの才能によって獲得したものであるのに、天皇の人気は、そうではない。ただ単に時代自身の過失が生んだ人気であって、日本は負けた、日本はなくなった、自分もなくなった、今までのものを失った、その口惜しさのヤケクソの反動みたいなもので、オレは失っていないぞと云って、天皇をカンバンにして、虚勢をはり、あるいは敗北の天皇に、同情したつもりになってヒイキにしている、その程度のものだ。
 然し、日本は負けた、日本はなくなった、実際なくなることが大切なのだ。古い島国根性の箱庭細工みたいな日本はなくなり、世界というものゝ中の日本が生れてこなければならない。
 天皇の人気というものが、田中絹代嬢式に実質的なものならよろしいけれども、現在天皇が旅行先の地方に於て博しつつある人気は、朕に対する人気、天皇服に対する人気で、もう朕と仰有おっしゃらず私と仰有る、オカワイそうに、我々と同じ背広をきて帽子をふってアイサツして下さる、オカワイそうに。まったくバカバカしい。朕という言葉がなくなり、天皇服などという妙テコリンの服装が奇ッ怪千万だということを露ほどもさとらぬ非文化的、原始宗教の精神によって支持せられ、人気を博しているにすぎないのである。
 このように、実質によらず、天皇という昔ながらの架空な威厳によって支持せられるということが、日本のために、最も悲しむべきことであるということを、天皇はさとることが出来ないのであろうか。
 田中絹代嬢の人気は、まだしも、健全なる人気である。実質が批判にたえて、万人の好悪の批判の後に来た人気だからだ。
 天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂信的な人気であり、その在り方は邪教の教祖の信徒との結びつきの在り方と全く同じ性質のものなのである。
 地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります。天皇に政治権なきこと憲法にも定むるところであるにも拘らず、直訴する青年がある。天皇には御領田もあるに拘らず、何十俵の米を献納しようという農村の青年団がある。かかる記事を読む読者の半数は、皇威いまだ衰えずと、涙を流す。
 かく涙を流す人々は、同じ新聞紙上に(ボーガス注:怪しい新興宗教)璽光様を読み笑殺するが、璽光様とは何か、彼女はその信徒から国民儀礼のような同じマジナイ式の礼拝を受けたり、米や着物を献納されたり、直訴をうけたりしており、この教祖と信徒との結びつきの在り方は、そっくり天皇と狂信民との在り方で、いささかも変りはない。その変りのなさを自覚せず、璽光様をバカな奴めと笑っているだけ、狂信民の蒙昧には救われぬ貧しさがあります。
 超人間的な礼拝、歓呼、敬愛を受ける侘びしさ、悲しさに気付かれないとは、これを暗愚と言わざるを得ぬ。
 人間が受ける敬愛、人気は、もっと実質的でなければならぬ。
 天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ。天皇が我々と同じ混雑の電車で出勤する、それをふと国民が気がついて、サアサア、天皇、どうぞおかけ下さい、と席をすすめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。天皇が国民から受ける尊敬の在り方が、そのようなものとなるとき、日本は真に民主国となり、礼節正しく、人情あつい国となっている筈だ。
 私とても、銀座の散歩の人波の中に、もし天皇とすれ違う時があるなら、私はオジギなどはしないであろうけれども、道はゆずってあげるであろう。天皇家というものが、人間として、日本人から受ける尊敬は、それが限度であり、又、この尊敬の限度が、元来、尊敬というものの全ての限度ではないか。
 地にぬかずくのは、気違い沙汰だ。天皇は目下、気ちがい共の人気を博し、歓呼の嵐を受けている。道義はコンランする筈だ。人を尊敬するに地にぬかずくような気違い共だから、正しい理論は失われ、頑迷コローな片意地と、不自然な義理人情に身もだえて、電車は殺気立つ、一足外へでると、みんな死にもの狂いのていたらく、悲しい有様である。
 天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。いつまでも、旧態依然たる敗北以前の日本であって、いずれは又、バカな戦争でもオッパジメテ、又、負ける。性こりもなく、同じようなことを繰り返すにきまっている。
 本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。人を敬うに、地にぬかずくような気違いであるから、まかり間違うと、腕ずくでアバレルほかにウサバラシができない。地にぬかずく、というようなことが、つまりは、戦争の性格で、人間が右手をあげたり、国民儀礼みたいな狐憑きをやりだしたら、ナチスでも日本でも、もう戦争は近づいたと思えば間違いない。
 天皇が現在の如き在り方で旅行されるということは、つまり、又、戦争へ近づきつつあるということ、日本がバカになりつつあるということ、狐憑きの気違いになりつつあるということで、かくては、日本は救われぬ。
 陛下は当分、宮城にとじこもって、お好きな生物学にでも熱中されるがよろしい。
 そして、そのうち、国民から忘られ、そして、忘れられたころに、東京もどうやら復興しているであろう。そして復興した銀座へ、研究室からフラリと散歩にでてこられるがよろしい。陛下と気のついた通行人の幾人かは、別にオジギもしないであろうが、道をゆずってあげるであろう。
 そのとき、東京も復興したが、人間も復興したのだ。否、今まで狐憑きだった日本に、始めて、人間が生れ、人間の礼節や、人間の人情や、人間の学問が行われるようになった証拠なのである。
 陛下よ。まことに、つつましやかな、人間の敬愛を受けようとは思われぬか。
 ただ今の旅行のようでは、狐憑きの信仰がふえる一方に、帽子を握って手をふる背広服の人形がメーデーに現れたり、「アア、ソウ」などというような流行語が溢れて、不敬罪が流行ハンランするに至るであろう。

 小生、坂口安吾と言えばテレビドラマ化された『不連続殺人事件』しか知らないのですがなかなか面白そうな人ですね。なお、以前、三浦小太郎は坂口を「三浦らウヨのお仲間」であるかのように描き出す駄文
映画「永遠の〇」を観た後、坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」 (実業の日本社文庫)を読んだ(上) | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
映画「永遠の〇」を観た後、坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」 (実業の日本社文庫)を読んだ(下) | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
を書いていましたが、どう見ても明らかにそれは間違いですね。
 三浦がこの坂口エッセイを知らないのか、知った上で無視してるのか知りませんが、この坂口の文章は三浦のようなウヨにとっては「『不敬』『反日左翼』以外の何物でもない」でしょう。
 何せ

 天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂信的な人気であり、その在り方は邪教の教祖の信徒との結びつきの在り方と全く同じ性質のものなのである。
 地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります。天皇に政治権なきこと憲法にも定むるところであるにも拘らず、直訴する青年*17がある。天皇には御領田もあるに拘らず、何十俵の米を献納しようという農村の青年団がある。かかる記事を読む読者の半数は、皇威いまだ衰えずと、涙を流す。
 かく涙を流す人々は、同じ新聞紙上に(ボーガス注:怪しい新興宗教)璽光様を読み笑殺するが、璽光様とは何か、彼女はその信徒から国民儀礼のような同じマジナイ式の礼拝を受けたり、米や着物を献納されたり、直訴をうけたりしており、この教祖と信徒との結びつきの在り方は、そっくり天皇と狂信民との在り方で、いささかも変りはない。その変りのなさを自覚せず、璽光様をバカな奴めと笑っているだけ、狂信民の蒙昧には救われぬ貧しさがあります。
 超人間的な礼拝、歓呼、敬愛を受ける侘びしさ、悲しさに気付かれないとは、これを暗愚と言わざるを得ぬ。

ですからね。「昭和天皇を暗愚呼ばわり」「天皇崇拝者を『邪教信者と何が違うのか』と酷評」ですから。「璽光様」てのも今風に言えば「統一教会幸福の科学」みたいなもんですし。まあ、「話が脱線しますが」こういうことを言ったらほぼ確実にMukkeやI濱Y子は激怒でしょうが「チベット人ダライラマ崇拝」もこれと似たり寄ったりでしょう。ただ『ダライ狂信民の蒙昧には救われぬ貧しさがあります。超人間的な礼拝、歓呼、敬愛を受ける侘びしさ、悲しさに気付かれないとは、これを暗愚と言わざるを得ぬ。』と言ったら、まあダライ崇拝者はマジギレでしょうね。

原武史「平成は天皇制を強固にした」 - 石川智也|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
■原
 まさに「奉祝」ムード一色で、極めて異様だと思います。言論状態が閉塞していますね。「おことば」に批判的なことを言ってきた僕が日本のメディアで長いコメントを求められるのは、ほとんどネットメディア。そういうところでしかタブーをぶつけることができなくなっている。むしろ海外メディアの方が客観的で、こちらの意図を汲んで本質的なことをきちんと質問し、報じています。

原武史「米国は皇室に深く入り込んでいる」 - 石川智也|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
■原
皇位継承時に一律の恩赦を実施する意味合いは、けっきょく戦前とまったく変わっていないと思います。背景にあるのは、先ほど述べた儒教的な仁慈という考えで、恩赦はいまだに先帝の遺徳あるいは新天皇の徳を示すための装置ということです。現行憲法下でこうした慣習が続いていることに、法学者はなぜもっと声をあげないのでしょうか。
・のちに「天皇制国家」と呼ばれるものは、行幸や教育やメディアによって紆余曲折を経ながら徐々にできていったものです。僕は、メディアが果たした役割が非常に大きいと考えています。
・国外の目という視点では、僕が注目しているのはその訪問地です。上皇明仁は確かに言葉では植民地支配や戦争への反省に踏み込んでいます。でも国外で訪れた激戦地は沖縄、硫黄島サイパンパラオ、フィリピンと、1944年以降に日本が米軍と戦い負け続けた島々ばかりです。柳条湖、盧溝橋、南京、武漢重慶パールハーバー、コタバルといった、1931年以降に日本軍が軍事行動を起こしたり奇襲攻撃を仕掛けたりした所には行っていないんです。
 日本の戦争の全体がむしろ隠蔽されていると僕は思っている。

令和フィーバー考:「大日本帝国時代に戻ったつもりですか」 “浮かれた”メディアの罪 原武史さん - 毎日新聞
 怒っている。カンカンである。放送大教授、原武史さん*18(56)。
 令和のスタートを奉祝ムードたっぷりに報じた主要メディアの「令和フィーバー」に、である。
象徴天皇制の課題を検証せず、浮かれるだけでいいのか。あなたがたメディアは大日本帝国時代と同じです」。


■重金属汚染にどう立ち向かうか(渡邉泉*19
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。

群馬・高崎 メガソーラー施設周辺/鉛5540倍、カドミウム118倍検出/共産党県議団と住民団体が調査
 群馬県高崎市内のメガソーラー施設の土壌から、鉛やカドミウムなど有毒な重金属が、自然界に通常存在する量と比べて極めて多くの量が検出されたことが、日本共産党県議団と住民団体の調査で27日までに明らかになりました。分析した専門家は「仮に子どもが口にしたら障害が起きてもおかしくない」と懸念しています。
 重金属が検出されたのは、株式会社岡田工務店高崎市箕郷=みさと=町)が運営する太陽光発電設備「松之沢発電所」(同市)周辺。共産党県議団と「有害スラグの撤去を求める会」(永井正取事務局長)が東京農工大学の渡辺泉教授に同発電所に隣接する4カ所から入手した土壌の分析を依頼したところ、自然界に存在する量を1とみなすEF(エンリッチメント・ファクター=濃縮係数)値で最大、鉛5540倍、カドミウム118倍、アンチモン6980倍が検出されました。
■子どもへの影響懸念:東京農工大学教授(環境資源科学) 渡辺泉さん
 今回分析したサンプルは、毒性が懸念される重金属が軒並み高いのが特徴です。どこから排出されたスラグなのか現時点では断定できませんが、亜鉛や鉛の製造過程で出てきたのではないかと思われます。
 分析手法のEF値は、国際的な学術会で使用されている最もポピュラーな指標です。EF値で5を超えると「明らかな汚染」、40を超えると「極めて強い汚染」です。それが鉛で1000を超えるとか、ありえない異常な汚染状態です。
 鉛は、世界でトップレベルの危険物質と考えられ、オバマ米大統領が、水道に混入している疑いがあるということで非常事態宣言を出したほどです。微量でも子どもの知能低下やメンタルに影響を与える可能性が高く、特に成長期の子どもたちへの影響が懸念されます。
 腎機能障害を起こすカドミウムは、水溶性が高く、人体に取り込まれる恐れがあります。

豊洲粉じん 1020倍重金属/都議会で共産党「実態調査直ちに」/和泉都議が要求
 東京都豊洲市場江東区)の建物内に発生している黒い粉じんに、極めて高濃度の重金属が含まれていることが12日、明らかになりました。日本共産党都議団の依頼を受けた東京農工大の渡辺泉教授(環境資源科学)の分析でわかったもの。
 国内の道路粉じんと比較しても、アンチモンが8・1倍、カドミウムが4・8倍など。分析結果は全体として「異常に高い数値」(渡辺教授)となりました。
 渡辺教授は「働く人への健康リスクがある。扱っている商品への付着の可能性ももちろんある。働く人の健康を守る対策が必要だ」と述べています。


■謀略とウソにまみれた破防法公安調査庁:「調査対象団体」の根拠は全くない(柳沢明夫)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。なお柳沢論文では、戦後公安の共産党への謀略事件である「辰野事件(1952年4月、長野県警)」、「菅生事件(1952年6月、大分県警)」が「破防法成立(1952年7月)の追い風とすることを狙った警察謀略ではないか」として紹介されています。
 また破防法とは直接関係ないですが、いわゆる国鉄三大怪事件(1949年の下山事件松川事件三鷹事件*20)も紹介されています。松川、三鷹では「三鷹の竹内景助被告には無罪判決が出ていません*21」が他の被告には全員無罪判決が出ています。
 なお、柳沢氏も指摘していますが相手にダメージを与えるための謀略行為(ないしその疑いがあるもの)としては有名どころでは

・明治時代の大逆事件
・ナチドイツの国会議事堂放火事件
アメリカのトンキン湾事件や『イラク大量破壊兵器

などがありますね。
 また、柳沢氏が指摘していますが皮肉にも破防法は当初予想された「共産党弾圧」とは違う使われ方をされます。
 最初の破防法適用は「三無事件(1961年)」という右翼のクーデター未遂ですし、オウム事件が起こると「もはや共産党にも極左過激派*22にも破防法を使いようがない」ので無理矢理オウムに適用しようと画策したわけです(もちろんオウムへの適用計画は失敗に終わる)。
 「無理にオウムに適用しようとすること」自体が共産党の主張の正しさの傍証(まあこんなことは今更言うまでもない馬鹿馬鹿しいことですが)であり、まさに「語るに落ちてる公安調査庁」ですね。まあ、今公安調査庁が一番アピールしてることは正直、共産党ではなく「オウム残党の脅威ガー」ですよね。それについても「オウム残党が破防法適用対象レベルの凶悪犯罪を犯すか」といえば完全にデマですが。

【参考:安倍政権や公安調査庁への批判】
 概ね、共産党の反論には賛成ですが、いわゆる「敵の出方論」については「ナチドイツのような強権体制を前提としている、今の日本を前提にしてない」とはいえ、こうした言いがかりを避けるためにもいっそ「正式に削除したらどうか」と個人的には思います。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-23/2016032301_03_1.html
 日本共産党山下芳生書記局長は22日、国会内での記者会見で、政府が、日本共産党について、現在でも「破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」「『暴力革命の方針』に変更はない」などとする答弁書閣議決定したことについての見解を問われ、「党として厳重に抗議し、撤回を求めたい」と表明した上で、次のように述べました。
一、
 破防法に関するわが党の立場についてはすでに1989年2月18日の当時の公安調査庁長官に対する不破哲三*23副議長(当時)の質問で明らかである。
一、
 当時までに公安調査庁違憲破防法に基づいて日本共産党を36年間も調査をしてきたが、この調査の結論として、公安調査庁として公安審査委員会に、暴力破壊活動をやる恐れのある団体として(同法の)適用申請を1回もしていない。36年間、調査したが申請できなかったということが第一の事実だ。
■鈴木貴子議員に政府が答弁書
 政府は22日の閣議で、日本共産党について「現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」「『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」などとする答弁書を決定しました。鈴木貴子*24衆院議員(無所属)の「日本共産党と『破壊活動防止法』に関する質問主意書」(14日提出)に対するもの。
 鈴木氏は「日本共産党へのソ連からの秘密資金援助疑惑に関する質問主意書」も同時に提出していましたが、これについては政府は同じく22日決定の答弁書で、「お答えすることは困難である」「該当するとみられるようなものは見当たらない*25」としました。

2016 とくほう・特報/「破防法」答弁書 市民が批判/時代錯誤 安倍政権/「共産党への攻撃は市民への脅し」「反共は戦争の前夜」 識者も指摘
日本共産党を「現在においても、破壊活動防止法破防法)に基づく調査対象団体である」「『暴力革命の方針』に変更はない」などとした安倍内閣答弁書(22日閣議決定)に、怒りが広がっています。メディアでも「過熱する反共」(「東京」24日付)、「政府の時代錯誤」(日刊スポーツ24日付コラム)と、政府の対応を問題視しています。
・日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」(24日付)も、「多くの国民が(共産党を)暴力革命を画策する政党とは思っておらず議席も増えている。いつの時代の話をしているのか」との政界関係者のコメントをひき、「政府の答弁書の時代錯誤の方が問題だ」と断じています。

野党共闘の分断をもくろむ日本共産党へのいわれなき攻撃│政治│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
 一部の国会議員から、国会内で日々発展・深化している野党共闘に、荒唐無稽な攻撃が加えられています。「共産党と連携しながらまっとうな政治とうそぶく、あの面々」というものです。共産党はまっとうな政党ではないから、連携する政党もまっとうでなくなるという言いがかりです。
 言いがかりは、公安調査庁日本共産党破防法にもとづく調査対象団体に指定していることを根拠にしています。
 3月7日、衆院総務委員会では、「総務行政とは関係のない発言に対しましては、ご遠慮願います」「話を変えてください」という総務委員長の制止の声を振り切って、足立康史議員(日本維新の会)が、共産党破防法の指定の経緯などを質問しました。それに対し横尾洋一公安調査庁総務部長は、日本共産党について「現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」とし、戦後、「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」とか、「現在においても…『いわゆる敵の出方論』に立った『暴力革命の方針』に変更はない」などと述べました。
 これは日本共産党の綱領路線を百八十度ねじまげ、歴史の事実を歪曲(わいきょく)した悪質なデマです。
 公安調査庁は、日本共産党が「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」と述べました。
 1950年から55年にかけて、徳田球一*26野坂参三*27らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、中国に亡命した徳田・野坂派が、旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります。
 しかし、それは党が分裂した時期の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱり否定されました。
 日本共産党が綱領路線を確立した1961年の第8回党大会では、日本の社会と政治のどのような変革も、「国会で安定した過半数」を得て実現することをめざすことを綱領上も明確にしました。これは外国の干渉者たちが押しつけてきた武装闘争方針を排除したことを綱領上はっきり表明したものでした。それ以来、度重なる党大会や、綱領の改定で、この方針はいっそうゆるぎないものとして確立しています。

野党共闘の分断をもくろむ日本共産党へのいわれなき攻撃│政治│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会
 1989年2月18日の衆院予算委員会での不破氏の追及の前に、石山公安調査庁長官は、当時までの36年間にわたって、「現実に規制の請求を致したことはありません」と述べ、「暴力革命」の「証拠」がそれまでに一つとして見つからなかったことを認めました。
 その後も、30年間が経過していますが、公安調査庁が多額の国民の税金を使い、不当な手段を弄(ろう)して日本共産党への「調査活動」を行っているにもかかわらず、「暴力革命」の「証拠」など、一つもあげることなどできません。
 天下の公党である日本共産党に対して、「暴力革命」という悪質なデマにもとづいて、不当な監視、スパイ活動を行うことは、憲法の保障する結社の自由にたいする重大な侵害であり、ただちにやめるべきです。

【参考:辰野事件、菅生事件】

■辰野事件(ウィキペディア参照)
・1952年に長野県上伊那地域で発生した長野県警察による冤罪事件。
・1952年4月29日の深夜から翌早朝にかけて、辰野警察署本署及び辰野駅前派出所(辰野町)、伊那警察署東箕輪村駐在所(箕輪町)及び美和村非持駐在所、伊那税務署(伊那市)が、何者かによってダイナマイトや火炎瓶で襲撃される事件が起きた。
 警察は容疑者として日本共産党員13名を逮捕し、取調べ中に10人が自白したため、13人が爆罰物取締罰則違反、放火未遂罪などで起訴された。起訴後は13名の被告は全員が犯行を否認し、党も「日本共産党に対する攻撃であり、でっちあげである」と抗議の声明を発表した。
 1960年長野地方裁判所飯田支部は10名を実刑判決(首謀者とされた男は懲役7年)、3名を執行猶予付きの懲役刑と13名全員を有罪としたが、1972年東京高等裁判所で証拠不十分として無罪判決を得、検察側も上告を断念した。

共産党議員の「現行犯逮捕」/1952年の事件とは
 自民党中西一善*28衆院議員の逮捕に関連して、「国会議員の現行犯逮捕は三人目。最初は日本共産党議員」などと報道され、党本部にも問い合わせがきています。この「事件」とは次のようなものです。
 一九五二年五月十七日午前、弁護士でもあった日本共産党林百郎衆院議員(長野県選出、故人)は、「辰野事件」(注)と呼ばれる、日本共産党員をねらった謀略・弾圧事件の公判に、担当弁護士として出席するため、長野県伊那市にある地裁支部に駆けつけました。
 林氏は、前夜に国会活動を終え、夜行列車を乗り継いで到着しましたが、列車の都合で開始時間に間に合いませんでした。着いてみると、裁判所の正面玄関のガラス戸は鍵がかけられており、弁護士が建物に入ることを不当に妨害していました。
 林氏が、とにかく戸を開けるようにと呼びかけながら、裁判資料の入った風呂敷包みをもったままガラス戸をたたいたところ、たまたまガラスが割れたものです。逮捕は、それを見ていた警察官が、器物損壊の現行犯だとしておこなったものでした。
 これは、裁判所の妨害のもとでおこった不当な弾圧事件です。
■辰野事件
 戦後の米軍占領下、長野県でおきた日本共産党への大規模な謀略・弾圧事件です。辰野警察署などを爆破・襲撃する計画をつくりあげ、長野県警は多数の警官を動員し、同町の公道を歩いていた二人の党員を別々に逮捕。これを皮切りに、一九五二年四月から一年余りの間に、合わせて十三人を逮捕、起訴しました。七二年十二月の東京高裁判決で全員の逆転無罪が確定しました。

■菅生事件(ウィキペディア参照)
・1952年6月2日に大分県直入郡菅生村(現在の竹田市菅生)で起こった、公安警察による日本共産党を弾圧するための自作自演の駐在所爆破事件。犯人として逮捕・起訴された5人の日本共産党関係者全員の無罪判決が確定した冤罪事件。当時巡査部長として謀略に加担した警察官・戸高公徳は共産党関係者の無罪判決確定後も昇進を続けてノンキャリア組の限界とされる警視長まで昇任した。
・事件が起きた菅生村では村付近への米軍演習地設置計画に対して、地元農民による反対運動も起こっていた。
■「潜入捜査」の発覚
・大分新聞と大分合同新聞が取材を進め、事件後、姿を消した謎の人物「市木春秋」の正体が戸高であることを報じたが、警察側は戸高が事件とは無関係であることを主張し、また彼は退職して行方不明であると説明した。
・各報道機関は次々に調査を行い、新聞各紙の特ダネ合戦が開始された。その結果、1957年3月には共同通信社会部記者の斎藤茂男らが戸高が東京都新宿区番衆町(現在の新宿五丁目)のアパートに潜伏していることを突き止め、取材を敢行。ここでは「東大文学部研究生・佐々淳一」と名乗っていた。また、事件後、戸高は警察の庇護を受ける形で福生市警察大学校にも潜伏していたことも露見した。
 この結果、法務大臣国家公安委員会委員長は事件に際して戸高を「潜入捜査」に使ったと認めるに至った。警察庁長官も国会で追及を受け、戸高は国警大分県本部警備部長の命令で、「警察官という身分を秘匿し、情報を収集するという任務を果たすこととなった」と答弁している。
■結末
 他方、起訴状によると駐在所に被告人が投げ込んだとされてきたダイナマイトについて、鑑定ではあらかじめ駐在所内部に仕掛けられていたことが判明し、警察の自作自演であることが明らかになった。1958年6月9日、福岡高裁は駐在所爆破事件について5被告人全員の無罪判決を言い渡し、1960年最高裁判所判決で確定した。
 一方、戸高は爆発物取締罰則違反で起訴される。一審は「ダイナマイト運搬は上司に報告しており、潜入捜査をしている者の職責から期待可能性はない」として無罪。二審では期待可能性を肯定した上で有罪となったが、「ダイナマイト運搬に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除された。
 有罪判決から3ヶ月後、警察庁は戸高を巡査部長から警部補に昇任させた上で復職させた。当時の警察庁人事課長は「上司の命令でやむを得ず関係した気の毒な立場を考慮した。」と記者にコメントしている。
■事件の位置づけ
・1952年4月に国会提出された「公安調査庁設置法案」「破壊活動防止法案」は1952年7月4日可決成立したが、菅生事件はその追い風となったといわれる。

謀略現場に記念碑/菅生事件60周年記念集会
 1952年の謀略・えん罪事件菅生(すごう)事件を語り継ごうと、大分県竹田市で8日、事件から60年を記念する集会が開かれました。菅生事件60周年記念事業実行委員会の主催。約120人が参加しました。
 ノンフィクション作家の坂上遼氏*29が「権力犯罪を暴いた市民・弁護士・マスコミの力」の題で講演しました。
■菅生事件
 1952年に大分県直入郡菅生村(現竹田市菅生)で起こった現職警察官による自作自演の駐在所爆破事件。共産党員2人が現行犯逮捕、3人が別件逮捕されました。一審大分地裁は全員を有罪と断定。被告弁護団の調べで事件直後に行方をくらました市木春秋(本名・戸高公徳)という現職警察官の存在と警察による謀略が明らかになり、58年に福岡高裁が無罪判決、60年に最高裁で全員の無罪が確定しました。事件の背景には、当時の農地政策や九重・久住・阿蘇地域の米軍射爆場への接収計画などに反対する住民・農民運動の高まりがありました。

弁護士会の読書:消えた警官
 これは警察小説ではありません。実際に起きた事件を丹念に追って再現した本です。菅生事件についての本は何冊も読みましたが、私にとって決定版と言える本です。
 1952年6月1日の深夜、大分県菅生村(現竹田市)で駐在所が爆破され、現場付近で地元の共産党員ら3人が逮捕された。しかし、新聞発表によると現場で逮捕されたのは2人だけ。1人が消えていた。実は、この1人こそ現職の警察官であり、「爆破」事件を企図した張本人であった。駐在所の「爆破」自体が警察の仕掛けた「内部」犯行であり、共産党員2人はシンパを装った警察官に騙されて現場におびき寄せられただけだった。
 犯罪を引き起こした張本人である警察官(市木春秋こと戸高公徳)を潜伏中の東京で発見するまでの経過が生々しく語られていて、実に読み応えがあります。
 市木春秋が実は戸高公徳という警察官だと判明するにいたった経過も面白いのですが、潜伏中の東京のアパートを見つけて張り込みをする状況も手に汗を握ります。
 このとき共同通信のキャップとして指揮した原寿雄*30記者には先日お会いしましたが、今なお元気にジャーナリズムの第一線で活動を続けておられます。
 戸高公徳の住んでいたアパートの電話番号は、警察幹部の女性秘書がこっそり教えてくれたというのです。人目をひくハンサムな齋藤茂男*31記者が得た情報でした。斉藤茂男の本もたくさん読みましたが、いつも感銘を受けました。
 戸高公徳は、事件後は潜伏していたが、それでも手厚い保護を受け、表に出てからはホップ・ステップ・ジャンプの上昇階段を駆け上がった。警察大学校研修所教官、四国管区警察局保安課長、警察庁人事課長補佐、警察大学校教授、警視長、(ボーガス注:警察退官後は天下りで)警察共済組合常務。ノンキャリア組にはありえない異例の大出世です。共産党を「ぶっつぶした」ことをこんなに高く評価する*32日本の警察って、いやはや恐ろしいですね……。ただ、本当に幸せな人生を過ごしたのか疑問だと著者は指摘していますが、私も同感です。

【参考:破防法が適用された渋谷暴動事件について】

■渋谷暴動事件(ウィキペディア参照)
・やりきれない思いを抱くA巡査の兄は、弔問に訪れた後藤田正晴*33警察庁長官(当時)に対し「誰が悪かったのでしょう」「弟を虫けらのように扱った学生は許せない。でも、学生の暴徒化は予想できたはず。どこかで折り合いをつけられなかったのか」とたずねたという。A巡査は殉職後、2階級特進し警部補となった。
・暴動の実質的リーダー(『軍団長』)として、学生を率いていたとみられる千葉工業大学生の大坂正明は事件後に逃亡し、全国に指名手配された。
 事件は大坂の家族にも影響を及ぼした。姉は退職を余儀なくされ、婚約も破談になった。事件が起こるまで大坂が活動家となっていたことを知らなかった父親は、大坂を勘当したうえで実家にあった大坂の私物をすべて焼却し(これにより大坂の指紋照合が困難になった)、家も引き払った。「(大坂を)東京になんかやるんじゃなかった」と後悔の言葉を口にしていた父親は、事件の数年後に死去した。
 2017年5月18日、大坂は潜伏先の広島県広島市安佐南区中核派アジトを大阪府警察に捜索を受けた時に、公務執行妨害で現行犯逮捕され、6月7日、親族とのDNA型照合で大坂本人と特定され、殺人罪などで再逮捕された。

 以下「話が柳沢論文から離れて脱線しますが」、このお兄さんは人間が出来てますね。「弟を虫けらのように扱った学生は許せない。でも、学生の暴徒化は予想できたはず。どこかで折り合いをつけられなかったのか」として警察の問題点を指摘するわけですから。岡村勲なんぞとは偉い違いです。
 小生の別記事でも書きましたが「退職」「婚約破棄」て、こういうのは本当に勘弁してほしいですね。きれい事ではありますが家族は関係ないじゃないですか。それにしても柳沢氏のような共産党員にとって「極左過激派のテロ」はもちろん「迷惑千万」ですが、それにしてもこの大坂被告は「自業自得」とはいえ「不幸な人生」としか思えませんね。家族に迷惑をかけた上、彼のテロ行為は政治をよくすることにはどう見てもつながってないでしょう。


■対談「障害児はどのように戦争を体験し、組み込まれていったのか(上):『太平洋戦争下の全国の障害児学校:被害と翼賛』を素材に」(岸博実、清水寛*34
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

太平洋戦争下の全国の障害児学校 被害と翼賛 – 日本教育新聞電子版 NIKKYOWEB
 本書は、1941(昭和16)年12月~1945(昭和20)年8月の太平洋戦争の時期を中心に、その当時設置されていた障害児学校の教育活動や子どもたちの生活の実像と全体像を詳細かつ厳密に明らかにしたものであり、他に類を見ない。検討に用いられた史資料は、各学校が発行した記念誌(年史)、当時在職していた教職員へのアンケート調査や聞き取り調査など、実に多様で広範囲に及んでいる。日本国内の障害児学校にとどまらず、旧植民地台湾・朝鮮の障害児学校にも目を向けた、30年来の学術的研究成果である。
 分析対象となった全108校の障害児学校のうち、空爆の被害を受けたのが44校、集団疎開は34校である。視覚や聴覚に障害のある子どもたちにとって、空爆からの避難行動や疎開先への新たな適応は、極めて困難なものであった。
 戦況が悪化するとともに、勤労奉仕・勤労活動や防空壕づくりの活動が多くなっていった。盲学校卒業生は海軍技量手(マッサージ家としての軍属)として、聾唖学校卒業生は軍需工場での産業戦士として、戦争に協力・加担する者もいた。障害のために戦争の役に立てないという心理が、実に巧みに突かれて、戦争へと駆り立てられたのだ。障害児は、戦争下で多くの被害を受け、同時に、戦争を翼賛した。本書は、こうした歴史の真実を実証的に明らかにしたのである。


論点
■急がれる個人請負契約労働者の権利確立(室井清)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
東電系作業員が労組結成/「請負」も労働者だ/契約打ち切り撤回求め立つ


■不安な「ゲノム編集」食品の表示は絶対条件(齋藤敏之)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
なんだっけ/ゲノム編集食品って?
ゲノム編集製品に懸念/田村貴昭議員 対応をただす/衆院環境委
安全・多様性に懸念/田村貴昭氏 ゲノム編集対応ただす


■暮らしの焦点「いっそう深刻化する私立大学生の就学困難」(東京私大教連私大助成部)
(内容紹介)
 赤旗の記事紹介で代替。
大学等修学支援関連法案への畑野議員の質問(要旨)/衆院本会議
真の無償化に逆行/畑野氏 修学支援法案を批判/衆院文科委
主張/高すぎる大学学費/引き下げに踏み出すべきだ
衆院本会議での大学修学支援法案及び学校教育法等改定案に対する畑野議員の反対討論(要旨)
大学等修学支援法に対する吉良議員の反対討論/参院本会議


文化の話題
■音楽「ウッドストック50周年」(小村公次*35
(内容紹介)
 1969年のウッドストックフェスティバルの「50周年記念フェスティバル」についての記事です。

伝説の音楽フェスの50周年記念イベントが中止に 主催者と電通が泥沼化 - ライブドアニュース
 伝説の音楽フェスティバル「ウッドストック」の50周年記念として行われる予定だった「ウッドストック50」の中止が決定し、主要投資会社の一つである電通に対し、主催者であるマイケル・ラングは、「彼らはチケット販売を阻止し、2020年夏の東京オリンピックでのイベント参加の可能性をちらつかせて出演者たちに出演を見合わせるように助言した」と強く主張。同フェステイバル開催を巡り、事態は泥沼化している。

 つうことで「主要スポンサー」電通が「カネが儲かりそうにないから中止する」といいだし、「予定通り開催しようとしている」マイケル・ラングと泥沼の紛争状態だそうです。今のところ開催されるかどうか全くめどが立たないと。まあ「円満解決して、是非開催してほしい」としか言いようがないですね。


■演劇「俳優座劇場の2本を見る:音楽劇「母さん」とコメディ「ハーヴェイ」」(鈴木太郎)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替。

【公演レポート】「音楽劇 母さん」開幕、「ミュージカルでも台詞劇でもない体験を」(コメントあり) - ステージナタリー
 俳優座劇場プロデュース「音楽劇 母さん」が本日3月4日に東京・俳優座劇場にて開幕する。
 作を堀江安夫、演出を横山由和が手がける本作は、「リンゴの唄*36」「長崎の鐘*37」「ちいさい秋みつけた*38」など*39の作詞で知られるサトウハチローとその母を軸にした物語。ピアノとバイオリンの生演奏が彩る今作では、土居裕子*40が八郎の母・春を、阿部裕が詩人を演じる。
 公演は3月10日まで。

サトウハチローウィキペディア参照)
・母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。しかし作風に反して私生活は放蕩、奇行が多く、その振る舞いに関しては作家・佐藤愛子(ハチローの妹)の長編小説『血脈』(文春文庫)に詳しい。なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものを示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだという。しかし、父・佐藤紅緑(作家)の故郷・青森県には生涯で一度しか訪れていない一方、母・佐藤はるの故郷・仙台市への訪問は50回を越えている。

幻のウサギ巡る「ハーヴェイ」、西川信廣演出の2016年版が再演 - ステージナタリー
 俳優座劇場プロデュース「ハーヴェイ」が5月10日から12日に東京・俳優座劇場にて上演される。
 「ハーヴェイ」は、1944年にブロードウェイで初演され、映画化もされたメアリー・チェイスの作品。俳優座劇場では、86年以来上演を重ねている。
 舞台はアメリカ西部のとある町。ダウド家では娘マートルの結婚相手を探すパーティが行われている。そんな中、マートルの母ヴェイタは、(ボーガス注:マートルの)弟のエルウッドが人には見えない幻の巨大ウサギ・ハーヴェイを客人にも紹介し始めるのではないかと心配し、エルウッドを(ボーガス注:精神病院に)入院させようとするが……。

■ハーヴェイ(ウィキペディア参照)
 1950年のアメリカのコメディ映画。 原作は1944年にブロードウェイで初上演されたメアリー・チェイスによる同名戯曲である。 原作戯曲は1945年のピューリッツァー賞(戯曲部門)を受賞している。
 主人公の姉を演じたジョセフィン・ハルは、原作戯曲の初演時に同じ役を演じており、その映画化作品である本作でアカデミー助演女優賞を受賞している。
■キャスト
・エルウッド・P・ダウド(ジェームズ・ステュアート*41
・ヴィタ・ルイーズ・シモンズ (ジョセフィン・ハル):エルウッドの歳の離れた姉。エルウッドと同居。

 ハーヴェイについて言えばまず「厄介な兄弟をなんとかしたい、このままじゃ娘が結婚できない」つうのは明らかに映画版『男はつらいよ・第一作』ですよね。ウィキペディア男はつらいよ』にはそういう趣旨のことは書いてないですが、「ハーヴェイも山田洋次の頭にはあったのかもしれない」と思います。
 それと「誰にも見えないウサギが見える」て「藤子F不二雄のSF短編『ヒョンヒョロ』かよ!」ですね(すいません、わかんない人間にしかわかんない話で。『ヒョンヒョロ』はあまり有名じゃないと思います)。いや藤子の場合「自他共に認める映画狂」なんでマジで「ハーヴェイが元ネタ」つう可能性はありますが。
 例えば話が完全に脱線しますが「のび太の宇宙開拓史」は西部劇映画「西部開拓史」(1962年)からヒントを得たなんて話を何かで読んだ覚えがあります。
 実際

■ヒョンヒョロ(ウィキペディア参照)
 マンガ評論家・米沢嘉博*42は、著書『藤子不二雄論』(2014年、河出文庫)において本作を「映画『ハーヴェイ』を思わせる」と指摘している

だそうです。
 ただこのハーヴェイは「心温まるファンタジー」ぽいですけど、「ヒョンヒョロは落ちが怖すぎます」からねえ。藤子の短編SFはマジでブラックなもんが多すぎです(ブラックじゃないもんもありますが。まあドラえもんも初期作品は結構ブラックです)。
 しかしこの「ウサギが見える」つうのが
1)妖精だか化け物だかはおいておいて実際にそういう物が存在していてそれが見える
2)勿論そんなもんは存在しないが精神病で見える
3)故意に嘘をついて、見えてないもんを見えてると言い張ってる
のでは話の中身がまるで違うんですがどんなんですかね。いずれにせよ「見えないウサギを見えると言ってる変人を演じる」つうのは相当演技力が要求されるかと思います。


■美術「近代の名建築の保存について」(朽木一)
(内容紹介)
 ネット上の記事紹介で代替します。要するに「解体されるケースが多い」という話です。朽木論文も「何が何でも残せ」とはしていませんが「解体する場合でもそれなりの議論はすべきだ」と安易な解体には反対しています。
 なお、「前衛」7月号刊行時(2019年6月)には「解体方針」ではあるものの、実際には解体に着手してなかった「旧都城市市民会館」は7月になって正式に解体に着手しました。後で記事を紹介しますが
1)来年(2020年)3月までに完全に解体
2)跡地利用は未定
3)保存を訴えた日本建築学会などの意見に配慮し「映像記録&模型制作」の予定だそうです。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/408663
 近代建築の調査・保存に取り組む国際学術組織「DOCOMOMO(ドコモモ)」の会議が2020年9月、東京で開催される。日本での開催は初めて。実行委員会は、老朽化などで解体の危機にある近代建築の保存を訴えるとともに、1964年の東京五輪会場となった国立代々木競技場(東京都渋谷区)の世界文化遺産登録に向けた機運を高めたい考えだ。

【世界遺産】代々木競技場を世界遺産に 推進団体結成「永久に残したい近代建築」(1/2ページ) - 産経ニュース
 昭和39年の東京五輪を機に建設され、巨匠・丹下健三の代表作として知られる国立代々木競技場(東京都渋谷区)を世界文化遺産にしようと、建築家らが先月下旬に推進団体を結成、注目を集めている。その名も「代々木屋内競技場を世界遺産にする会」。丹下門下生で世話人代表の槇文彦さんは「2020年の東京五輪パラリンピックに間に合うよう登録を目指したい」と語るが、クリアすべき課題も残されている。
 今年7月には国立西洋美術館(東京都台東区)を含むル・コルビュジエ作品が世界遺産に登録され話題になったが、既にシドニー・オペラハウス(豪)やブラジルの首都ブラジリアなど、多くの戦後建築が世界遺産となっている。「海外で、なぜ日本は丹下作品を推薦しないのかと言われる」と槇さんは明かす。

旧中野刑務所正門を保存 日本モダン建築の先駆け - 読んで見フォト - 産経フォト
 大正初期の先駆的モダン建築、旧中野刑務所正門(東京都中野区)が、現地で保存されることになった。
 正門は、日本近代建築の発展に重要な役割を果たした建築家、後藤慶二*43(1883~1919年)の唯一現存する作品。旧法務省矯正研修所東京支所の敷地内に残されているが、近く中野区がこの敷地を買い取り、区立小学校を建設する予定。門の解体が懸念されたことから、地元で保存運動が起こり、日本建築学会、日本建築家協会、美術評論家連盟からも保存を求める要望書や意見書が出されていた。
 中野区は(1)現地保存(内部見学可)(2)現地保存(外部見学のみ)(3)移築(4)一部保存(5)映像、模型などで記録保存-の方策を検討し、現地保存(外部見学のみ)とすることを決めた。区の文化財指定を経て東京都の文化財指定を目指すという。

 こういう幸いなケースもあるわけです。

神戸新聞NEXT|総合|神戸の小学校建て替え「待った」 本紙記事で市長「歴史的価値」
 神戸市内の小学校で現役最古とされる春日野小学校(同市中央区)の鉄筋コンクリート校舎の建て替え計画について、同市の久元喜造市長は30日、校舎を建て替えずに学校として保存・活用することが可能かどうかを再検討するよう、市教育委員会に要請したと明らかにした。(上杉順子、田中真治)
 春日野小の建て替え計画は、神戸新聞が24日付夕刊で記事化。1932(昭和7)年の完成当時、「近代小学校建築の先端」と建築誌に評されたモダンなデザインや、市の建築部署の先進性について紹介した。久元市長はこの記事を読んで歴史的価値を詳しく知ったといい、定例会見で「大変驚いた。優れた歴史は大事にすべきだ。今後、保存活用の方向で具体的な結論が出ることを期待している」と話した。
 市教委は久元市長の要請を受け「どう対応するのか、早急に検討したい」としている。
 小学校建築の歴史に詳しい川島智生*44・京都華頂大教授(61)=同市東灘区=は「昭和一桁年代に造られた現役の鉄筋コンクリート校舎は全国でもほとんど残っておらず、保存するなら英断。建築的価値を広く知ってもらえるようになれば」と話した。

 まあ神戸新聞記事の成果で建物が保存されるのなら大変良いことだと思います。

【近代建築って素晴らしい(3)】「闘将」に学び、建築の使命に気付く 松隈洋・京都工芸繊維大教授(1/3ページ) - 産経ニュース
■記者
 卒業後、前川國男事務所に就職します。

【近代建築って素晴らしい(4)】設計の根拠を確かめろ 松隈洋・京都工芸繊維大教授(1/2ページ) - 産経ニュース
■記者
 近代建築の保存に取り組み始めたきっかけも、前川氏の作品ですね。
■松隈
 平成4年から5年に浮上した、神奈川県立音楽堂横浜市西区)を取り壊すという計画が大きなきっかけです。音楽堂は素晴らしい建物で、著名な建築家からも反対の声が上がった。保存運動に加わったわけですが、辛いことに事務所で仕事を干されました。
 逆らえば、県から仕事が来なくなるかもしれないでしょう。建築家たちにとり、保存の声をあげるというのは勇気がいることだったんです。

 まあ、そんだけ行政の力はでかいつうことですよね。産経は阿比留や古森の駄文だと「自民党霞が関官僚などを免罪するために」平気でその種の恫喝や忖度の存在を否定しますが。

【近代建築って素晴らしい(5)】建築の生き残りに市民の愛着必要 松隈洋・京都工芸繊維大教授(1/2ページ) - 産経ニュース
■記者
 仕事を干されながらも、神奈川県立音楽堂は守られました。
■松隈
 まだバブルの余韻が残っていたころで、古い建物は壊されて当たり前という時代でした。前川國男という建築家が忘れ去られていた時代だったとも思います。でも、ホールの音響がいいということもあり音楽家も保存に協力してくれました。利用する市民も多かったので、愛着があったことも大きい。すごく幸せを感じたし、いい経験になりましたね。
■記者
 同じ前川作品でも、京都会館は一部が解体されました。
■松隈
 残念だったのは音楽堂みたいに、市民から保存を求める声があまり聞こえなかったんです。京都会館は朽ちるに任せてしまった。もともと音響が悪いといった問題を抱えていましたが、うまく改修をしていれば、少なくとも市民の愛着が薄れていくことは防げたと思います。
■記者
 近代建築を守るカギは愛着ですか。
■松隈
 東京駅みたいにみんなが「歴史的でいい建築だね」と言っているものはいいのですが、「どこがいいの?」といわれてしまう建築もあります。保存運動にかかわった中では、(ボーガス注:結局解体されてしまった)吉田鉄郎*45が設計した東京中央郵便局と大阪中央郵便局がそうでした。建築の保存は生みの親の思いや時代精神、志が高いというのは大前提にあるけど、できた後に自治体や市民が、その建物を大切に思い、育てたのかという両面が必要だと思います。市民たちが愛着を育んでいくことがないと、建築は生き残れないと感じます。特に吉田の作品は外観が控え目で、余計そうなってしまったのかもしれない。

 まあ建築物なんてほとんどの人間は普通「文化的価値がある」とか思って見てないですからねえ。

都城市民会館(ウィキペディア参照)
 1966年に菊竹清訓の設計により完成。
 メタボリズム建築の代表作の一つとされ、2006年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている。
 1966年の開館から約40年にわたり、都城市の文化振興拠点として利用されていたが、2006年10月に後継施設となる都城市総合文化ホールが開館、施設・設備が老朽化した当館は用途廃止となり、2007年3月に閉館した。 市は閉館に先だって庁内に「市民会館管理運営対策プロジェクトチーム」を設置して検討した。プロジェクトチームは、「いまの年間維持費5千万円、年平均修繕費2千万以上が今後もかかる」と、「照明や遮音性の不足、電気施設の危険性、はがれ落ちる外壁対策など不備な点が多い」という問題点を指摘し、解体を提案した。また、2006年末には市民4000人を対象に、「存続する」「解体する」の二者択一でアンケートを行ったところ、解体が83%、存続が16%という結果になった。以上の結果を基礎に、長峯誠*46市長(当時。現在は自民党参院議員)は2007年2月21日の市議会全員協議会に、解体する方針を報告した。
 当時、市の誘致で宮崎産業経営大学都城キャンパス跡地への進出が決定していた南九州大学が、都城キャンパスの開設を準備していた。その学校法人南九州学園が、2007年10月29日に、都城市民会館を大学の講堂に活用したいとして、無償貸与を求める要望書を市に提出し、長峯市長も「前向きに検討する」と表明した。市議会で改めて議論が行われ、同年12月の定例会で南九州学園への20年間の無償貸与が可決され、その後、2029年3月31日までの使用貸借契約が締結された。当初は改修の上、サテライト教室などに使用される計画であったが、都城キャンパスの整備が優先されたため、当館は活用されることなく放置された。学園は市からの度重なる要請を受け、2011年には旧都城市民会館利用検討委員会を学内に設置して検討を重ねたものの、全面改修には多額の費用を要することが想定され活用の見通しは立たず、2018年3月に市に対して旧市民会館の返還を申し入れた。
 返還の申し入れに対して市は旧市民会館の今後の在り方として、2018年度に民間団体から財源の確保に目算のある保存活用案の公募を行った。実現可能な保存活用案がない場合は全面解体、模型・映像などでの記録保存となる。
 保存活用策の提案は2018年8月中旬までとされていたが、2019年1月末まで延長された。そして、2019年2月5日に開かれた都城市の定例会見で、池田宜永*47市長は実現可能な応募案がなかったとして、「市民のみなさんも思いはあると思います。しかし83%の方々が解体やむなしと言っていることをより尊重せざるを得ないのが私の立場です」と、解体する方針を発表した。
 2月12日、ユネスコの諮問機関国際記念物遺跡会議は世界的価値がある文化遺産として危機遺産勧告の書面を国、宮崎県、都城市に直接手渡した。都城市が保存に応じない場合、国際的に非難する「ヘリテージアラート」を出すとしている。

宮崎)旧都城市民会館、6月23日に見学会:朝日新聞デジタル
 宮崎県都城市は、解体が決まった旧都城市民会館の一般向け見学会を6月23日に実施する。内部も案内するという。市の担当者は「建築学的に貴重な建物とされるので、興味・関心のある方は解体前に見学を」と呼びかけている。
 会館は、戦後を代表する建築家の一人、故・菊竹清訓(きよのり)氏が設計し、1966年に完成。「メタボリズム」建築運動の代表的建造物とされる。2007年に閉館。市民らの間で保存運動も起こったが、今年3月の市議会で解体が決まった。7月に解体着工予定。
(中略)
 見学無料。締め切りは6月12日。当日は午前10時から見学会を開くが、見学者が多い場合は時間を分けて実施する。
 市は「老朽化した建物であり、各種危険な箇所があるため、見学者は市職員の指示に従ってほしい」としている。問い合わせは、市総合政策課(0986・23・7161)へ。(神谷裕司)

崖っぷちの奇想建築 ― 解体が決まった旧「都城市民会館」 【きよみのつぶやき】第15回 – 美術展ナビ|アート・エキシビション・ジャパン読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見
菊竹清訓*48の代表作
 戦後日本建築を代表する建築家の一人、2011年に83歳で死去した菊竹清訓(きくたけ・きよのり)が設計し、1966年に宮崎県都城(みやこのじょう)市に完成した旧「都城市民会館」の解体が決まった。
 3月19日に解体費用約1億9200万円を盛り込んだ2019年度一般会計当初予算案が市議会で可決され、早ければ6月中にも解体工事に着手するという。まさに消滅寸前だ。
 旧「都城市民会館」は市制40周年を記念して建設された。
 しかし、新しいホールの完成を受けて2007年3月に閉館。都城市議会が解体を決議したが、日本建築学会などが「メタボリズム建築の最も重要な代表作の一つで、世界的にも知られている貴重な財産」と文化財としての価値を理由に保存を要望し、解体か保存活用かをめぐって長く議論が続いてきた。その間には、県内の学校法人に20年間無償で貸与する契約を結んだものの、多額の費用が見込まれる改修などが壁となり、活用されることなく終わった経緯もある。
メタボリズム建築とは?
 新陳代謝を意味する「メタボリズム」は1960年、評論家の川添登を中心に建築家の菊竹、黒川紀章大高正人槇文彦らと、デザイナーの栄久庵憲司*49粟津潔らによって提唱された運動だ。都市計画や建築設計で、将来の社会や環境の変化に応じて増築や一部交換、用途変更などを行っていくことを前提にした実験的な作品や構想を発表した。旧「都城市民会館」も建物上部や設備を鉄骨造にすることで交換や改修を行いやすくし、長く使い続けられるように設計されたという。
 「メタボリズム」は日本発の建築運動としてむしろ海外でよく知られてきた。持続可能な社会が求められる今日、その設計思想と建築作品はますます注目され、東京・銀座にある黒川氏設計の集合住宅「中銀カプセルタワービル」(1972年完成)はアクセスが容易なこともあって海外からの旅行者が多数訪れている。
 ただし、理論と現実が必ずしも一致しないのもまた事実。「中銀カプセルタワービル」はカプセル単位の住戸が老朽化すれば交換できる設計だったが、これまで一度も行われていない。区分所有者の間で保存と解体をめぐる対立が続く中、黒川氏は2007年に亡くなるまでカプセル交換を提案し続けていた。
■市民の8割以上が「解体」支持
 都城市が2018年7月に行った旧「都城市民会館」に関する市民アンケートでは、「保存活用」を選んだ回答が15.3%(1388人中、210人)だったのに対し、「解体」は83.5%(同、1150人)に達した(調査対象4000人、回答率34.4%*50)。
 改修には多額の費用を必要とし、活用案の公募にも実現可能な提案はなかったとして、同市は2019年2月5日に解体方針を発表。読売新聞宮崎県版の記事によると、池田宜永市長は記者会見で「(旧市民会館に)思い入れのある市民もいるとは思うが、(老朽化などが進む)現状やアンケートの結果を踏まえれば、解体はやむを得ない」と述べたという。
 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)を構成する組織の一つ、「20世紀遺産に関する国際学術委員会」は2月4日付で解体中止を求める文書を市に送ったが、同18日に市は「解体方針は変更しない」とする見解を改めて示した。
■旧「都城市民会館」の魅力
 「都城市が近く解体方針を発表する」と報じられていた今年1月、休みを取って現地を訪れた。閉鎖された建物内部に入れないことは分かっていたが、この有名な「菊竹建築」をせめて一度だけでも眺め、写真に撮っておきたかったからだ。
 近年開かれた戦後日本建築の回顧展や、国立近現代建築資料館(東京・湯島)の「建築のこころ アーカイブにみる菊竹清訓展」(2014年10月~2015年2月)でも、旧「都城市民会館」の模型や写真は存在感を放っていた。それだけに、奇想建築とでも呼びたいその外観を何となく見慣れた気でいたが、現物を前にして改めて発見したことがいくつもあった。
 たとえばファサード(建物正面)に回ってみると、離れて見ていた時の荒々しい印象とは対照的に、市民を迎え入れるように総ガラス張りの明るいデザインとなっている。一歩下がって仰ぐと、ファサードの開放的な空間を生み出すために、コンクリートの太い柱と梁が大屋根を力強く押し上げているのが見て取れた。
■1960年代「菊竹建築」の輝き
 一般に菊竹建築といえば、沖縄海洋博の海上都市「アクアポリス」(1975年)のほか、江戸東京博物館(1993年)、九州国立博物館(2004年)など近年の作品が知られている。
 だが、実は1960年代こそ「生涯で最も光り輝いた作品を残した」(菊竹事務所OBの建築家・伊東豊雄氏が読売新聞に寄稿した追悼原稿から)時代。1963年完成の出雲大社事務棟「庁の舎(ちょうのや)」(日本建築学会賞、現存せず)、1964年完成の「ホテル東光園」(鳥取県)、1966年の都城市民会館など、一連の大胆なデザインで建築界の話題をさらった。
 私にも鮮烈な記憶がある。
 山口県萩市にある萩市民館は、日本海に面した山陰の城下町の中心部に1968年に開館した菊竹建築。2019年5月14日放送のテレビ東京開運!なんでも鑑定団」の出張鑑定の収録に使われるなど、今でも市民に親しまれている。
 開館から4年後の1972年、私は道を隔てて向き合う萩市立明倫小学校(2014年に隣地に移転)に入学した。広島に転校するまでの4年間、毎日眺めていた白亜の大屋根は、長州藩の藩校「明倫館」の伝統を受け継ぐ昭和初期の木造校舎群と対峙(たいじ)するかのようだった。
 1974年には萩市民館の隣に菊竹設計の市庁舎が完成したが、こちらは一転して茶色い鋼板(コールテン鋼)で覆われた建物。城下町の静かな眠りを覚ますように出現した二つの建物は、生まれて初めて見た現代建築、菊竹建築として忘れがたい。
■日本建築学会の悲痛な訴え
 建築関係者で組織する学術団体・日本建築学会は2018年8月、都城市長に提出した「都城市民会館再生活用計画に対する事業提案期間の延長のお願い」という文書で、戦後の復興期に全国各地で建てられた建築が危機に瀕していることを訴えている。長くなるが悲痛なその言葉を引用したい。
《(前略)
 いわゆる焼け跡からの復興期に、近代日本の再興を願う当時の先駆的な人々が、次代を担う多くの若い世代の人材育成のために、渾身の力を込めた都市づくり、まちづくり、郷土づくりに努められた成果が、各地に建設された幾つもの輝かしい戦後近代建築に結実しております。しかしながら、今日ではそれらの多くも耐震上の理由や老朽化などにより、次々と取り壊されつつあるのが実情で、現在に残るものの中では、都城市民会館は確実に全国で五指、十指に入る屈指の建築であると言えます。
(中略)
 幸運にも私たちの願いが届き、この都城市民会館が保存再生された暁には、日本建築学会が学術団体としてお役に立てることに関して、最大限のご協力をさせていただきたいと思います。》
 第55代会長を務める建築家・古谷誠章(ふるや・のぶあき)氏の名前で出された要望書が憂える通り、戦後に地方で建てられた庁舎などの公共建築は急速に失われつつある。厳しい地方財政の中、自治体が多大な改修費と維持費を投じてそれらを守っていくのは容易ではなく、旧「都城市民会館」のように市民の賛同を得られないのが実情だ。
 それに、たとえ「世界的に評価が高い」と言われても、文化財として保存活用を図るには建物の規模が大きく、地方の一自治体の手に余る。都道府県や国、さらに日本建築学会などの学術団体が連携して知恵を絞らなければ、保存と活用はとてもおぼつかない。
■6月に「反省」のシンポジウム
 旧「都城市民会館」の解体決定を受け、近代建築の保存を求める国際組織DOCOMOMO(ドコモモ)の日本支部である一般社団法人「DOCOMOMO Japan」(ドコモモ・ジャパン)は6月29日、東京大学工学部1号館(東京都文京区本郷)で緊急シンポジウム「都城市民会館はなぜ解体にいたったのか? ―メタボリズム建築の過去・現在・未来―」を開催することを決めた。
 関係者の中から「反省会」という声も漏れてくるシンポジウムでは、「専門家による閉じた議論」「一般市民の無関心」などの課題にも向き合い、「中銀カプセルタワービル」など他のメタボリズム建築の現状も踏まえつつ、建築保存への方策が議論される予定だ。
 私も聴きに行き、建築史家や建築家たちの率直な発言に耳を傾けたい。

旧都城市民会館の行く末に物申す前に、建築家が知るべきこと|kenchiku|note
 誰しもが「銀閣寺」という建物を小学校で習ったと思う。銀閣寺は「書院造」という様式の代表作として有名であり、今もなお評価されている。
 旧都城市民会館も「メタボリズム」の代表作として有名なので、「銀閣寺みたいな立ち位置のもの」という認識でいてほしい。実際、遺り続ければ1000年後には社会の教科書に載っているかもしれない建築だし。
 旧都城市民会館は「遺されるべき建築」である。
 じゃあ都城市は旧都城市民会館を遺すべきなのか?
◆「遺されるべき」と「遺すべき」は違う
 とにかく維持コストが高い。維持費と修繕費で年7千万円かかっている。建築的に不備が多い(遮音性、外壁の安全性、雨漏りなどなど)。
 今のまま維持するには大規模修繕が必要。元のように使うには約10億必要。
 旧都城市民会館は素晴らしい建築である。素晴らしい建築であるのだが、市民の税金を億単位でつぎ込み、遺すほどではない。
 これが私の考えである。
 冷静に考えてみてほしい。
 10億あったら都城市は何ができる?
 年間の維持修繕費の7千万円があれば何ができた?
 その「できたであろうこと」と「旧都城市民会館の保存」、どちらが大事?
 都城市は、
「旧都城市民会館を保存するよりも人口減少対策や子育て支援の方が優先」
「市のみで、旧市民会館の保存費用を負担することは極めて困難」と言っている。つまり、建築一個保存するより市民のためにお金を使いたいのである。市民も、「建築一個保存するより私たちのためにお金を使ってほしい」と思っているのである。だから解体賛成派が多いのである。
 なぜ建築家らは「保存するべき」という意見を出しがちなのか。彼らはお金を払わないからだ。
 無責任である。都城市民は間違いなく思っているだろう。
「建築的価値があるから遺せって、じゃあお前らがお金出せよ」と。
◆「保存」以外の遺し方だってある 解体しても「消える」わけじゃない
 もちろん何度も言うように、旧都城市民会館は素晴らしい。文化的価値のある建築である。歴史に名を遺せる建築であるし、今後「日本建築史」を語る上で外せない建築である。
 自分が指摘していることは、「だがそれ以上に、保存にコストがかかる」「しかもお金を払うのは都城市民である」の二点である。これを間違えないでほしい。
 そもそも現実的に考えて、日本にあるすべての「名建築」を現物保存することは不可能である。日本に「遺すべき」とされる建築は千数百とあるのだ。
 「建築本体でしか伝えられないこともある」という思いもわかるし、「名建築は未来の都市空間に影響を与え得る」という考え方もわかる。だが、コストとの釣り合いを考えると、現物保存は現実的ではない。
 じゃあどうしろと言うのか。
 メディアによる保存が最適解ではないかと私は思う。
 失われた名建築で教科書にも載っている建築と言えば……水晶宮*51であろうか。水晶宮がなくなっても当時のインパクトは・写真は・思想は・歴史はなくならなかった。同じように、旧都城市民会館が解体されてもメタボリズムの思想や歴史が消えることはない。建築が失われても、建築があったという事実はなくならない。
 メディアによる保存が遺せるものは、間違いなく現物保存よりは少ない。だが我々は水晶宮の時代とは異なり、映像もVRも持っている。文字通り次元が違うのだ。適切に保存すれば、低コストで質の高い保存ができよう。
◆取り壊される前に
 旧都城市民会館に限らず、これから数多の建築がこのように解体の憂き目にあいそうになる。(ボーガス注:伊東豊雄が1976年に設計したが、1997年に解体された)「中野本町の家*52」のように取り壊された建築もある。
 これらの建築に対して私たちができることを、今一度考えてみるべきかもしれない。それは「(ボーガス注:現物保存せよという意見を)発信する」かもしれないし、「メディア保存する」かもしれないし、もっと他にもあるかもしれない。
 もし読者に旧都城市民会館へ行ったことがない人がいたら、とりあえず行くことを勧めたい*53。そして体験して、一枚でも多く写真に収めてほしい。できることなら旧都城市民会館のすばらしさを伝えてあげてほしい。
 それが今、僕らが旧都城市民会館に、設計者の方々に対してできる最大限の敬意の表し方なのだから。

ナウシカのオーム?と話題に 旧市民会館の解体始まる:朝日新聞デジタル
 存廃で揺れた旧都城市民会館(宮崎県都城市八幡町)の解体工事が23日、始まった。仮囲いや外部足場の設置から始まり、管理棟・ホール棟の解体や整地を行う工事は、来年3月中旬まで続く予定。跡地の利用方法は、まだ決まっていない。
 会館は、戦後を代表する建築家の一人、故・菊竹清訓(きよのり)氏が設計し、1966年に完成した。独特の外観を持ち、「メタボリズム」建築運動の代表的建造物とされる。2007年に閉館。市民らの間で保存運動も起こったが、老朽化などを理由に今年3月の市議会で解体が決まった。解体工事費は1億5660万円。
 市は解体に当たり、「会館の記憶を伝承する」として、3件(模型、映像記録、記録誌)の「メモリアル事業」を実施する。
 映像記録と記録誌について市は、会館の保存活用を訴えていた日本建築学会と業務委託契約を結んだ。模型制作にも学会が協力する。記録誌の監修は、解体計画停止を主張する文書を国などに送ったイコモス(国際記念物遺跡会議)が行うという。

旧都城市民会館 解体工事に着手 : 地域 : 読売新聞オンライン
 都城市は、日本のモダニズム建築を代表する建築家、菊竹清訓(1928~2011年)が設計した旧市民会館の解体工事に着手した。
 市総合政策課によると、解体工事は23日に始まり、地元の業者が重機を使って会館の鉄柵や会館の周りにある庭石、樹木などの撤去作業を行っている。8月から管理棟、秋頃からホール棟の解体に移り、来年(ボーガス注:2020年)3月中旬に工事を終える予定。
 旧市民会館は1966年に完成。60年代に提唱された建築運動「メタボリズム」を代表する建物として知られ、日本建築学会が「建築学的価値が高い」として保存を求めていた。
 しかし、市は今年3月、老朽化が進んでおり、保存に多大な費用がかかることから解体を決めた。一方で、市は模型を製作するなどのメモリアル事業も進めることにしている。

市民会館モチーフにパン - Miyanichi e-press
 旧都城市民会館ありがとう。
 都城市中町のパン屋「キトリー」で、同会館をモチーフにしたパンが人気。外観をカタツムリに見立てた渦巻きの形状で、来月ごろまで店頭に並ぶ。
 オーナーの松山梢さん(39)が、解体が決まった同会館を広く知ってほしいと先月から販売。渦巻き部分に緑茶パウダー入りのカスタードクリームなどを挟んだ。店頭販売のほか、予約も受け付ける。
 「市民会館は成人式などの思い出がある。雰囲気も好きだった」と松山さん。わざわざ県外から買いに来る客もいるという。解体を前に多くの人が思い出をかみしめているようだ。

デジタル技術で後世へ 解体の旧都城市民会館 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞 | 373news.com
 解体が決まっている旧都城市民会館(都城市八幡町)で2、3日、建築家や大学准教授らで構成する会社「gluon(グルーオン)」(東京)が中心となり、建物内外の計測作業を行った。3次元レーザースキャナー、ドローンなどで計5000枚以上を撮影し、デジタルデータを記録。測定した3次元点群データを基に、仮想現実(VR)の動画などを制作し、ウェブサイトで公開する。
 ネットで資金を募る「クラウドファンディング」で目標額50万円を2日間で達成し、現在は約110万円が集まっている。グルーオン共同代表で建築家の豊田啓介さん(47)は「支援者が多いのは、建物への関心が高いということ。解体されるのは残念だが、デジタルの世界で永遠の命を得ると考えてほしい」と話した。

 まあこの種の話は「都城市」に話は限定されませんが「最近の話」ですので紹介しておきます。
 素人ですのでよくわかりませんが、もちろん「イコモス」「日本建築学会」が保存勧告する以上、文化財として「保存すべき」ではあるのでしょう。しかしそこでネックとなるのがいつものお話「維持費用をどうするのか」つう話です。寄付金がバンバン集まった「ノートルダム大聖堂」みたいに観光資源として金が取れるつう話ではありえない。
 結局、「行政が出す」つう話にしかならないでしょうが、「それを住民が支持するか」つう難問があるわけです。
 「イコモスや日本建築学会の保存勧告を無視して解体しようとするとは、都城市の市民と行政はなんと文化に理解がないことか」と罵倒するのも旧都城市民会館の行く末に物申す前に、建築家が知るべきこと|kenchiku|noteが指摘するように、「保存すべき」という立場に立つとしても、なんか違う気がします。こうなるともはや「国が保存に乗り出すべき問題」ではないか。
 なお、前衛の朽木論文も指摘していますが「あの世界遺産原爆ドームですら当初は解体論があり正式に保存が決定されたのは1966年」でありこうした建物の保存はそんなに楽なことではありません。

【参考:原爆ドームについて】

原爆ドームウィキペディア参照)
 原爆ドーム原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、1960年代には風化が進んで崩落の危険が生じた。一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。広島市当局は当初「保存には経済的に負担が掛かる」「貴重な財源は、さしあたっての復興支援や都市基盤整備に重点的にあてるべきである」などの理由から原爆ドーム保存には消極的で、一時は取り壊される可能性が高まっていたが、議論の流れを変えたのは、市内の大下学園祇園高等学校の生徒・楮山(かじやま)ヒロ子の日記である。
 楮山ヒロ子は、1歳のときに広島市平塚町(現在の広島市中区東平塚町・中平塚町・西平塚町)の自宅で被爆し、15年後の1960年(昭和35年)に「あの、いたいたしい、産業商れい管*54だけがいつまでもおそるげん爆を世にうったえてくれるだろうか(1959年8月6日付、原文ママ)」等と日記に書き遺し、被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった。この日記を読み感銘を受けた平和運動家の河本一郎や「広島折鶴の会」が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年(昭和41年)に広島市議会が永久保存することを決議する。
 翌年には保存工事が完成し、その後定期的に補修工事が施されるなど広島市単体での保存・管理が続いていたが、被爆50年にあたる1995年(平成7年)に国の史跡に指定され、翌1996年12月5日には、ユネスコ世界遺産文化遺産)への登録が決定された。

【追記】
大久保利通邸の茶室を移転保存へ 京都市が異例の取り組み(1/4ページ) - 産経ニュース
 「大久保*55の茶室」つうのは前衛論文がテーマとする「近代建築の保存」とは違いますが「大久保の茶室ですら取り壊しの危機にあったんかいな」と思うと「何だかなあ」感がします。


■スポーツ「知恵が激突するラグビーW杯」(大野晃*56
(内容紹介)
 今年はラグビーW杯が日本であります。で見所が2つ挙げられています。
1)日本がどれほど活躍するか
 開催地特権で出場できるわけですね。もうこれは「やっぱ開催地だしー、あんまりにも無様な成績で惨敗してほしくないしー」「南ア相手に勝利みたいな奇跡がまた見たいわー」つうことですね。
 このあたり、無責任に景気のいい話も出来ないし、とはいえ「惨敗するに決まってるだろ!(まあその可能性はたぶん高いのでしょうが)。そもそも誘致なんかするのが間違ってるんだ!」とはさすがに書けず、かなりぼかした書きぶりですね。
2)オールブラックスニュージーランド代表)が史上初の三連覇するか

*1:徳島大学教授。著書『「大学改革」という病:学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する』(2017年、明石書店)など

*2:ただし山口氏は理系分野の研究者ではなく『コンディヤックの思想』(2002年、勁草書房)、『ベンヤミンアレゴリー的思考』(2003年、人文書院)、『ひとは生命をどのように理解してきたか』(2011年、講談社選書メチエ)などの著書がある哲学研究者ですが。

*3:毎日新聞記者。著書『捏造の科学者:STAP細胞事件』(2015年、文藝春秋社→後に2018年、文春文庫)で、2015年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

*4:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*5:2017年、丸善プラネット

*6:文部科学省科学技術・学術政策局長、内閣府政策統括官(科学技術政策担当)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)副理事長など歴任。著書『理科系冷遇社会:沈没する日本の科学技術』(2010年、中公新書ラクレ)、『科学技術大国 中国』(2013年、中公新書)、『北京大学清華大学』(2014年、丸善プラネット)、『中国科学院』(2017年、丸善プラネット)、『中国の宇宙開発:中国は米国やロシアにどの程度近づいたか』(2019年、アドスリー)など

*7:著書『教育の新しい探究』(2009年、新日本出版社)、『いじめ解決の政治学』(2013年、新日本出版社)、『教育委員会改革の展望』(2015年、新日本出版社)、『教育勅語を読んだことのないあなたへ:なぜ何度も話題になるのか』(共著、2017年、新日本出版社

*8:著書『砂上の同盟:米軍再編が明かすウソ』(2009年、沖縄タイムス社)、『沖縄米軍基地と日本の安全保障を考える20章』(2016年、かもがわ出版)、『沖縄の基地の間違ったうわさ:検証 34個の疑問』(共著、2017年、岩波ブックレット)など

*9:著書『NATOはどこへゆくか』(2000年、新日本新書)

*10:著書『「象徴天皇」の戦後史』(2010年、講談社選書メチエ)、『皇居の近現代史:開かれた皇室像の誕生』(2015年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『明仁天皇と戦後日本』(2016年、洋泉社歴史新書y)、『近代天皇制から象徴天皇制へ』(2018年、吉田書店)、『天皇制と民主主義の昭和史』(2018年、人文書院)、『平成の天皇と戦後日本』(2019年6月刊行予定、人文書院)など

*11:さすがに天皇夫婦(現在の上皇夫婦)も「神武天皇は実在だし、神武天皇陵も本物です」とは思ってないでしょう。

*12:小生の別記事でも指摘しましたがこの場合の捏造とは「モノホンの古墳(ただし天皇陵ではない)を天皇陵扱いした」などという生やさしい物ではなく『言い伝えに寄ればここに神武天皇陵があったはずだが今はそれらしきものがない。言い伝えは絶対に正しいからあるはずだ。よし再現、復元しよう(勿論言い伝えが間違ってるというのが学界通説です、そもそも神武天皇なんて架空ですし)』という『再現、復元を口実にした完全なでっちあげ』です。なお、神武天皇が実在でないことは今更言うまでもないでしょう

*13:勿論、首相・安倍のこと。

*14:『不連続殺人事件』で1948年に第2回探偵作家クラブ賞(現在の日本推理作家協会賞)を受賞。著書に『桜の森の満開の下』(岩波現代文庫講談社学芸文庫)、『堕落論』(岩波文庫集英社文庫、角川文庫)、『不連続殺人事件』(角川文庫、新潮文庫)など。

*15:戦前、貴族院議長、首相を歴任。戦後、A級戦犯指定を苦にして自殺。

*16:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後、終身刑となるが後に仮釈放

*17:最近も山本太郎がそういうことをして批判されました。

*18:天皇制関係の著書として『昭和天皇』(2008年、岩波新書)、『「神々の乱心」を読み解く:松本清張の「遺言」』(2009年、文春新書)、『皇居前広場』(2014年、文春学藝ライブラリー)、『大正天皇』(2015年、朝日文庫)、『「昭和天皇実録」を読む』(2015年、岩波新書)、『皇后考』(2017年、講談社学術文庫)、『〈女帝〉の日本史』(2017年、NHK出版新書)、『平成の終焉:退位と天皇・皇后』(2019年、岩波新書)、『天皇は宗教とどう向き合ってきたか』(2019年、潮新書)など

*19:著書『重金属のはなし:鉄、水銀、レアメタル』(2012年、中公新書)、『いのちと重金属:人と地球の長い物語』(2013年、ちくまプリマー新書

*20:下山事件は「ただの自殺の可能性」もありますが、他の二つは事故ではなく、明らかな「故意による列車転覆」です。

*21:これについては三鷹事件、松川事件とは?三鷹事件の再審 早く/「語り継ぐ会」 東京高裁に署名提出11月25日(日) 「『謀略』『三鷹事件の真実にせまる』合同出版記念のつどい」でのあいさつ:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログを紹介しておきます。

*22:1971年のいわゆる渋谷暴動事件では「共産党ではないものの」左翼党派である極左過激派(中核派)に適用されましたが、それにしたってレアケースです。

*23:書記局長、委員長、議長など歴任

*24:一時は共産党を含む野党共闘に参加していたくせに全く鈴木宗男親子も「論外の恥知らず」です。

*25:安倍政権ですら「共産党ソ連からカネもらってた」などということを「演説会で麻生が放言する」のならともかく、さすがに政府答弁として閣議決定する度胸はないようです。

*26:当時、日本共産党書記長

*27:日本共産党第一書記、議長など歴任

*28:2005年3月10日午前2時頃、東京六本木の路上で酔い若い女性に抱きついてビルの壁に押しつけ、服の中に手を入れて胸を触った事から女性の被害届により警視庁麻布警察署に強制わいせつ罪の現行犯で逮捕される(現行犯は不逮捕特権の適用外)。その後、示談が成立し被害届が取り下げられたため、釈放され、不起訴処分となった。逮捕された10日夜に中西は弁護士を通じ、議員辞職願と離党届をそれぞれ衆院事務局と自民党本部に提出する。議員辞職願は15日の衆議院本会議で許可されたが、離党届は自民党が受理せず15日付で中西は自民党から除名された。なお、日本国憲法下で現行犯逮捕された現職国会議員は1964年に米国の原子力潜水艦シードラゴンが長崎県佐世保港に入港した際の反対デモに参加し、公務執行妨害罪で現行犯逮捕された楢崎弥之助から41年ぶりで2人目である(ウィキペディア中西一善」参照)。

*29:著書『ロッキード秘録:吉永祐介と四十七人の特捜検事たち』(2007年、講談社)、『消えた警官:ドキュメント菅生事件』(2009年、講談社

*30:1925~2017年。共同通信外信部長、編集局長、社長を歴任。著書『ジャーナリズムの思想』(1997年、岩波新書)、『ジャーナリズムの可能性』(2009年、岩波新書)、『ジャーナリズムに生きて:ジグザグの自分史85年』(2011年、岩波現代文庫)など

*31:1928~1999年。1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞を受賞。著書『サラリーマンは幸福か:慶応Kゼミ24人の軌跡』(1988年、ちくま文庫)、『わが亡きあとに洪水はきたれ!:ルポルタージュ 巨大企業と労働者』(1990年、ちくま文庫)、『妻たちの思秋期』(1994年、講談社プラスアルファ文庫)、『燃えて尽きたし』(1995年、講談社プラスアルファ文庫)、『生命(いのち)かがやく日のために』(1996年、講談社プラスアルファ文庫)、『父よ母よ!』(1996年、講談社文庫)など

*32:「高く評価する」というか、まあ、「あめ玉による口封じ」ですよね。

*33:元警察官僚。大平内閣自治相・国家公安委員長、中曽根内閣官房長官、宮沢内閣法相など歴任

*34:著書『障害者と戦争』(編著、1987年、新日本新書)、『日本帝国陸軍精神障害兵士』(編著、2006年、不二出版)、『ハンセン病児問題史研究』(編著、2016年、新日本出版社)、『太平洋戦争下の全国の障害児学校:被害と翼賛』(2018年、新日本出版社

*35:著書『徹底検証・日本の軍歌』(2011年、学習の友社)

*36:映画『そよかぜ』(1945年10月11日公開、松竹)の主題歌及び挿入歌として発表された。なお、『そよかぜ』は『リンゴの唄』を歌った並木路子が主演を務めた。この曲はテレビ番組などの資料映像として終戦直後の焼け跡、闇市、買い出し列車などが流れる際、必ずと言っていいほどBGMに使われる“定番BGM”としても知られている。1982年に学習研究社から発行された『証言の昭和史』6巻のタイトルは『焼跡に流れるリンゴの唄:占領下の日本』であった。また、『そよかぜ』のみならず、劇伴音楽も含めるとこの「リンゴの唄」は黒沢明素晴らしき日曜日』(1947年)、橋本忍私は貝になりたい』(1959年)、鈴木清順肉体の門』(1964年)、深作欣二仁義なき戦い』(1973年)など、今日までの日本映画に多く使われた歌謡曲である。(ウィキペディア「リンゴの唄」参照)。

*37:1949年1月に出版された永井隆の随筆。1949年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒットし、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化された。

*38:1955年に発表されたサトウハチロー作詞・中田喜直作曲による日本の童謡。1962年にボニージャックスの歌唱でレコーディングされ、LP『サトウハチロー童謡集』に収録。同年末の『第4回日本レコード大賞』で童謡賞を受賞した。

*39:「など」としては「悲しくてやりきれない」(1968年、フォーククルセダーズ)、童謡「お山の杉の子」「うれしいひなまつり」など。

*40:1958年生まれ。 1982年、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。NHK教育テレビおかあさんといっしょ』の「うたのおねえさん」のオーディションに合格していたものの、事情によりこれを務めることができなくなってしまい、その際、同番組の構成台本を担当していた横山由和より「いつかいっしょにミュージカルやろうよ!」と誘いを受ける。1984年、NHK教育テレビの幼児向け番組『なかよしリズム』に出演。1988年の番組終了までの4年間、歌のお姉さん「Uちゃん」役を務めた。同番組の終了が迫った頃、横山由和より改めて誘いを受け、1988年、ミュージカル劇団「音楽座」へ入団。1996年の劇団解散まで8年間在籍した。現在は、舞台を中心にTV、吹き替え、コンサート活動など、幅広く活躍している(ウィキペディア土居裕子」参照)

*41:1940年の 『フィラデルフィア物語』 でアカデミー主演男優賞を受賞。第二次世界大戦中は軍隊に志願。陸軍航空軍のB-24爆撃機パイロットとして活躍した。戦後はハリウッドに英雄として凱旋。映画会社は彼を主演に戦争映画を作ろうと目論んだが、彼は「本物の戦争を見てきた人間が、戦争映画に出たいと思いますか?」とそれらを全て断り『素晴らしき哉、人生!』(1946年)、『ハーヴェイ』(1950年)といったヒューマン・コメディに主演した。また、戦後は『ウィンチェスター銃'73』(1950年)、『怒りの河』(1952年)、『ララミーから来た男』(1955年)などの西部劇でも新境地を拓いた。1984年、長年の映画界への功績を称え、アカデミー賞名誉賞が授与された。

*42:著書『戦後野球マンガ史』(2002年、平凡社新書)、『戦後少女マンガ史』(2007年、ちくま文庫)、『戦後SFマンガ史』(2008年、ちくま文庫)、『戦後ギャグマンガ史』(2009年、ちくま文庫)、『藤子不二雄論』(2014年、河出文庫)など

*43:1909年に東京帝国大学建築学科卒業。卒業後は司法省に入り営繕技師になる。1919年、スペイン風邪で36歳の若さで死去。短命のため作品は少なく、旧中野刑務所正門のみが保存されている(ウィキペディア後藤慶二」参照)。

*44:著書『近代京都における小学校建築』(2015年、ミネルヴァ書房)、『近代大阪の小学校建築史』(2017年、大阪大学出版会)、『近代神戸の小学校建築史』(2019年、関西学院大学出版会)

*45:1894~1956年。1919年東京帝国大学建築学科を卒業。卒業後、逓信省経理局営繕課に入った。1953年、著書「日本の建築」で日本建築学会賞を受賞。建築家ブルーノ・タウトは来日した際に吉田の設計した東京中央郵便局を、モダニズムの傑作と讃えた(ウィキペディア「吉田鉄郎」参照)。

*46:都城市長を経て参院議員。第三次安倍内閣財務大臣政務官

*47:元財務官僚。都城市副市長を経て市長。

*48:1970年の日本万国博覧会大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年日本国際博覧会愛知万博)では総合プロデューサーとして会場計画を担当するなど、戦後日本を代表する建築家の一人(ウィキペディア菊竹清訓」参照)。

*49:1929~2015年。1961年、有名な「キッコーマンしょうゆ卓上びん」をデザイン。「しょうゆ=キッコーマン」というブランドを打ち立てるのに大いに貢献。この商品は、発売開始以来一度もデザインを変えることなくロングセラーを記録(ウィキペディア栄久庵憲司」参照)。

*50:回答率34%でどれほど信用出来るのか、つう問題はあると思います。

*51:1851年にロンドンのハイド・パークで開かれた第1回万国博覧会の会場として建てられた建造物。万博終了後は一度解体されたものの、1854年にはロンドン南郊シデナムの丘において、さらに大きなスケールで再建され、コンサート・ホール、植物園、博物館、美術館、催事場などが入居した複合施設となり、多くの来客を集めていた。1870年代頃から人気に陰りが見え始め、1909年に破産。その後は政府に買い取られ、第一次世界大戦中に軍隊の施設として利用され、戦後一般公開が再開されたが、1936年11月30日に火事で全焼してしまった。焼失後、水晶宮は再建されることはなく、現在では、水晶宮がかつて存在した地にある公園とスポーツセンター、そしてロンドンに本拠地を置くサッカークラブチーム、クリスタル・パレスFCにその名をとどめるのみとなっている(ウィキペディア水晶宮」参照)。

*52:まあ「中野本町の家」は公共建築ではなく「個人の住宅」なので性格が大分違いますが。

*53:サーセン、小生は行ったことがないし「解体前に」行く予定もないです。

*54:原爆ドームは1910年に「広島県物産陳列館(後に広島県産業奨励館に改称)」として建設された。

*55:大蔵卿、内務卿、参議を歴任。紀尾井坂の変で暗殺される。

*56:著書『現代スポーツ批判』(1996年、大修館書店)