「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年6/22分:高世仁の巻)

原発とジャングル3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 以前「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/8分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログで批判した高世記事原発とジャングル2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 幸福度ランキングでは重要な指標に平均寿命や識字率などが必ず入ってくる。

 そりゃ当たり前でしょう。文盲と「文字が読める」のとどっちが幸せか。
 「食糧不足や医療の貧困」「内戦や、犯罪集団の蔓延など治安の悪化」などで平均寿命が短いのと長いのとどっちが幸せか。言うまでもないでしょう。
 そこで「平均寿命が短かろうが、文盲だろうが、当人が幸せだと思ってればそれでいい」なんてのは欺瞞です。
 まあ、まともな国なら今時文盲なんてないし、平均寿命にしても「食糧不足の解決」「医療の進歩」などでかなりよくなってるはずですが。
 例えば日本や欧米のような先進国では「感染病による死者」「餓死」「戦死*1」なんてもんは発展途上国に比べたら「ほとんどない」わけです。

 「文明人」にとっては、医療施設がないというだけで、ジャングルの暮らしはすでに「しあわせ」ではないのである。何を「しあわせ」と感じるかがジャングルの人々とはすでに違っている。

 いやいやジャングルの人間だって「医療施設で病気が治った方がいい」でしょうよ。「医療施設で病気が治らなくて死んでもいい」と思ってはいないでしょう。
 それを彼らが望まないとしたら単に「そうした医療施設の素晴らしさを知らないだけ」でしょう。我々「文明人(?)」と価値観が違うわけではおそらくない。

 ただ、近代文明のなかで、こんなはずではなかったという思いは募っている。労働を省力化してくれるはずの「交通・通信・情報手段の発達が人間をより一層多忙にして来たことは、各自おのれを省みさえすれば直ちに明らかだ」。

 「多忙になった」のは「交通・通信・情報手段の発達」のせいじゃないですよねえ。
 「交通・通信・情報手段の発達で、今まで10時間かかっていた仕事が半分の5時間で済むようになった」というときに「残りの5時間を休息や趣味に使うか(その分、仕事がないので精神的余裕が出来る)」「それともその5時間に別の仕事を詰め込むか(多忙であることには変わりがない)」は「社会システムの問題*2」とか「個人の価値観の問題」とかであって、今の日本が「仕事を詰め込む風潮の社会」だからといって、それは「交通・通信・情報手段の発達」のせいじゃない。例えばフランスなんかは夏にバカンスが1ヶ月とれるそうですし。
 「そういう過労を是とする日本の風潮を是正すればいい話」であってそれが最近話題の「ワークライフバランス」「働き方改革」つう奴です。まあ、安倍の言う「ワークライフバランス」「働き方改革」は明らかにインチキですが。
 それはともかく「交通・通信・情報手段の発達」それ自体は何ら悪いことではない。「仕事をどんどん詰め込むこと」をしなければ、むしろ「交通・通信・情報手段の発達」は「今まで10時間かかっていた仕事が半分の5時間で済むようになった」ですから「交通・通信・情報手段の発達」が進めば進むほど、忙しくなくなる(時間に余裕が出来る)わけです。 
 また「交通・通信・情報手段が発達してない時代」が暇だったかといえばそんなことはないし、「交通・通信・情報手段」が発達してないと不便で仕方がないわけです。
 たとえばなんで征韓論論争なんか起きたか。今みたいに「交通・通信・情報手段が発達」していれば、洋行していた岩倉、大久保、木戸がすぐに留守政府と連絡を取れば済む話です。そうでないからこそあれだけ話がこじれ、西郷ら征韓論派も下野した。「交通・通信・情報手段が発達」していれば、話は穏便に解決し、西郷らも下野しなかったかもしれない。
 あるいは、「交通・通信・情報手段が発達してない時代」は誰かが病気で倒れたら、「医師に連絡を取ること」も、「病人を医師の元に運ぶこと」も一苦労だったわけです。今のように電話で連絡を取り、救急車が迎えに来てくれるなんて事はない。場合によっては「今の時代なら助かる命」も死んでいったわけです。

 ただ、(ボーガス注:平均寿命や識字率が低くても)ジャングルの暮らしには、文明によって規定されない、人類にとって普遍的な「しあわせ」があることも確かだ。

 ばかばかしい。高世や渡辺京二*3が無根拠に「ジャングルの暮らし(昔のくらし)」を美化してるだけでしょうよ。
 高世や渡辺のやってることは「三丁目の夕日(昭和30年代美化)」や「人情長屋の時代劇(江戸時代美化)」と変わりが全くない。「三丁目や時代劇」のように「娯楽ネタ」でやってるのならいいですが、本気で言われてもこっちが呆れるだけです。
 仮に「アマゾンジャングルで暮らしてる原住民」が「自分たちは幸せだ」と言っても彼らは「それ以外の暮らしを知らない」でしょうからね。自分から「ジャングルの暮らし」を選択したわけでもないでしょう。今後、「ジャングル」も次第に近代化していくでしょう。

 問題は、物質文明=科学技術の進展は不可避な自然過程かどうかということだ。マルクスはそう考えたし、吉本(隆明)氏はその点において全くのマルクス派である。自らを省みて、その点が私は違うと思う。

 いやいや「物質文明=科学技術の進展は不可避な自然過程」でしょうね。「不可避な自然過程」がいいすぎなら「多くの人間が目指すべき道として是とする方向性」でしょう。多くの「発展途上国」は近代化してきたわけです。日本も昔は発展途上国だったわけです。
 「物質が満ち足りていない状態」「科学技術が発展していない状態」「近代化、文明化してない状態」が是だと思う人間は普通いないでしょう。
 「近代化、文明化の支持」が「マルクス派(マルクス主義者)」だと渡辺が言うならこの世は「マルクス派」だらけでしょう。
 一般にはマルクス主義者扱いされない反共主義者、たとえば「日本の岸信介首相」「韓国の朴チョンヒ大統領」「台湾の蒋介石総統」などすら「マルクス派」になってしまう*4
 そんな「変なマルクス派定義はない」。こんなん、俺なら「渡辺京二ってバカ?」と呆れるだけです。呆れない高世は頭がどうかしています。
 なお、お断りしておけば「科学技術の進展を肯定的に評価すること」は「クローン人間の製造を認める」などと言うこととは話が別です(高世や、高世が引用する『渡辺の駄文』を見ているとその当たりごちゃごちゃにしているようですが)。
 「科学技術の進展を評価すること」と、「その進展の結果が社会に与える影響をどう評価するか」はまた別問題です。
 「クローン人間を作ろうと思えば作れるほど、科学技術が生命の謎を解き明かしたこと」それ自体はすばらしいことです。
 しかし「そうした科学知識を用いてクローン人間を作ることがよいことか」といったらそれは全く別問題です。

 望ましい文明の見取り図なら、掃いて棄てるほどあるのだ。しかし、それを実現する手続き、いやそれ以上に心構えこそ問題なのだ。(略)つまりはおのれの霊的自覚の問題になるのかも知れない。

 まあ、「霊的自覚」なんて意味不明な言葉が出てきますが、ここで渡辺が言ってることは何のことはない。
 「社会をよりよい方向に変えて行くには個人個人が自分に出来ることをやっていくしかない。他人任せではダメだ」
 「たとえば今の安倍政権がダメだと思うなら野党に投票しよう」「例えば環境のことを考えて節電に努めよう」、その程度の話です。
 「どうすれば世の中がよくなるのか」という具体論はともかく、一般論としては皆分かってる話です。渡辺が偉そうに説教する必要もない。

 原発というエネルギー発生装置が出現したのは人類史の必然=自然過程だったとしても、放射性物質を他のエネルギー源に替えることはわれわれ人間の自由な選択に属する。戦後の凡庸思想家、いや思想家などおこがましい一独学者である私の、これが最後の一句だ。

 「原発というシステムが発明できるような科学技術の発展」それ自体は評価できるが「原発自体は被曝の危険性があるから不可」「太陽光、地熱、風力、潮力など別の発電法にすべきだ」なんてのは多くの脱原発派が既に言ってることです。渡辺ごときがどや顔するような話では全くない。
 正直、ここで高世が引用する渡辺の文章って「あんた、バカ?」といいたくなるような「当たり前すぎて無内容な話(例:社会を変えて行くには個人個人の自覚が必要だ)」、あるいは「事実認識として間違ってる話(例:近代化したから忙しくなった)」しか出てこないんですよねえ。「自称・思想家」渡辺を評価し、感心できる高世の気が知れません。いつもながら高世はバカです。

*1:まあアフガンやイラクに派兵してる米国はその辺り微妙でしょうが。

*2:まあ「日本の過労」の場合は「社会システムの問題」ですね。「個人の価値観」で過労死してるわけじゃない。企業や政府が「過労を前提に動いている」わけです。

*3:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『神風連とその時代』(2006年、洋泉社MC新書)、『なぜいま人類史か』(2007年、洋泉社MC新書)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2008年、洋泉社MC新書)、『私のロシア文学』(2011年、文春学藝ライブラリー)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*4:そうすると「近代化に逆行していたとしか思えない文革ポルポト派」は渡辺や高世的には「反マルクス主義」なんですかね。まあ、マルクス素人の俺ですが、確かにマルクス文革のようなもんを支持していたとは思えませんが。