野原燐に突っ込む(2019年6月29日分)

■野原のツイートに突っ込む

野原燐がリツイート
 「黒田喜夫さんの社会主義への「信仰」に基づく「真摯さ」」なんてものに、評価すべき点があった(ある)とは思えない。吉本がどうこうのとは別の問題。
■河津聖恵*1
吉本隆明『情況へ』(宝島社)の黒田喜夫*2批判。やはり首をひねりながらでしか読めず、首が痛い。黒田さんの社会主義への「信仰」に基づく「真摯さ」を、絶対的な消費社会を根拠に「嘘ばかり」と断罪している。1984年という時代を味方につけたことで、吉本さんは自分の言葉を失ってしまった。残念。

 「id:noharraさんがそこまで黒田某氏を否定する理由は何ですか?」「そもそもあなた黒田某氏について何を知ってるんですか?」ですね(なお、俺は黒田について何も知らないので特にコメントはしません)。
 デタラメな野原のことなので、野原が「反社会主義&吉本信者(河津ツイートからは黒田が社会主義者で、かつ吉本と対立関係にあったことがうかがえる)」というだけで「河津氏の黒田評価ツイート」に悪口してる程度のくだらない話だと思いますが。
 後は河津氏が「朝鮮学校無償化除外に反対している」などといったところか。
 黒田についてこの男はおそらく何一つ知らないし、下手したら『吉本隆明『情況へ』(宝島社)の黒田喜夫批判』を読んですらいないんじゃないか。
 野原ツイートが黒田について具体的なことが何一つ指摘できてないのはそういうことでしょう。
 まあ結局id:noharraって男は「右翼」なんでしょうね。元労組員だそうなので「旧民社系の右翼」なんでしょう。「アンチ右翼」の俺が「右翼で人格低劣」なあいつを「反吐が出るほど大嫌い」なのも当然だと思います。

参考

私の好きな詩人 第25回 -黒田喜夫-小林坩堝 « 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト
 「好きな詩人は誰か」。
 これを、「現代詩を書くということを決定づけた、わたしを躓かせた詩(人)は誰か」と読み違えることにして、書くこととする。
『みずからの死をみつめる目をもたない者らが
 革命の組織に死をもたらす と
 これは訣別であり始まりなのだ
 生への
 すると一枚の紙片がやってきて除名するという
 何からおれの名を除くというのか
 革命から? 生から?
 おれはすでに名前で連帯しているのではない
(1961年・代々木病院で)』
 これは黒田喜夫『地中の武器』*3収載の「除名」より終結部を引用したものである。生来病弱であった詩人が、肺を病み入院したその先で書き記した一篇に、17歳のわたしは強く打たれた。この詩には、革命に就いての記述とともに、病で生と死の狭間をぬうかの如く生きる詩人の姿がグロテスクなほど微細に執拗に描かれている。日本共産党の党員として山岳工作隊に入り活動したかれのもとへ届いた「除名」の宣告。しかしかれは言う「おれはすでに名前で連帯しているのではない」。かれにとっての革命とは即ち生でありまた死でもあり、死をも賭して「生きる」ということだったのではないか。そのような自覚と病によって死の際まで追いやられたおのれの生をみつめる眼差し、その合一と分裂によってこの詩は成り立っている。これは詩であると同時に、詩人の、生に対する宣言でもあるといえよう。わたしはここまでの覚悟をもってして書かれた詩を読んだことがなかったし、その心性の表出としての表現の力に射抜かれたこともなかった。叙情でも叙事でもなく、レトリックに遊ぶこともなく書き連ねられた詩群に、わたしは圧倒され、そこで決定的に、詩に躓いた。
(中略)
 最後に、かれの代表作である詩集『不安と遊撃』より「毒虫飼育」の一部を引いて終わりたいと思う。政治性を抜きにしてもなおかれの詩が鮮烈であり現代に通底する強度をもっていることの証左として、この一篇は読まれてしかるべきとわたしは考える。
(後略)

燃えるキリン 黒田喜夫 詩文撰 書評|黒田 喜夫(共和国)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
 かつて、黒田喜夫という詩人が存在した。東北地方の貧しい農村から京浜の工業地帯へと社会の辺縁を移動しながら、1950年代から70年代にかけて、その独特の幻想的リアリズムの手法によって、革命の夢と荒廃した現実とのめくるめく交錯を比類のない詩的空間に書き留めたのち、ベルリンの壁ソ連邦の崩壊をみることなく世を去った。
 没後30有余年。本書は、今春から刊行が予定されている『黒田喜夫全集』に先立ち、そのエッセンスともいうべき詩と散文を選んで編まれたアンソロジーである。第一部には代表作「毒虫飼育」をはじめとする詩29篇を、第二部には「死にいたる飢餓」ほかの散文11篇を収める。巻末には、解説として、鵜飼哲*4による力作評論「黒田喜夫の動物誌――「辺境のエロス」をめぐって」が付されている。

黒田喜夫関連本のご紹介など | 共和国 editorial republica|世界を書物でロマン化します。
 2年越しでお待たせしている『不安と遊撃 黒田喜夫全集』は、いま第1巻を鋭意編集中です。とりわけこの巻は、単行本未収録のテクストや新発見の資料が、予定より増えることになります。当初ご案内していた構成や予価も変更になるかもしれませんが、くれぐれもご了承ください。2018年秋までに本の形にするつもりで作業中です。
 昨秋以来、いくつかの黒田喜夫論、関連書籍が発表になっています。遅まきながら、事務局宛にご献本いただいたものを中心に、とりいそぎご紹介させていただきます。いずれも貴重な成果ですので、ご関心のあるかたは、ぜひ手にとってみてください。
(中略)
2)下平尾直「『燃えるキリン 黒田喜夫詩文撰』」
 栗原康*5監修『日本のテロ:爆弾の時代60’s - 70’s』(河出書房新社、2017年8月)所収
 本書は、東アジア反日武装戦線をはじめとする60年代、70年代の革命闘争を知るためのムックですが、そのブックガイドの1冊として『燃えるキリン 黒田喜夫詩文撰』(共和国、2016年)について書かせてもらいました。
3)竹内栄美子*6編『大衆とサークル誌:コレクション戦後詩誌9』(ゆまに書房、2017年9月)
 山形県下の結核療養所で療養中だった黒田喜夫が中心になって、1952年10月に創刊された詩誌『詩炉』のうち、現在閲覧することができるほとんどすべてを復刻し、1冊にまとめた貴重な資料集です。本書によって『詩炉』のほぼ全貌が読めるようになったのは特筆されるべきでしょう。

*1:1961年生まれ。1998年『夏の終わり』(ふらんす堂)で第9回歴程新鋭賞、2003年『アリア、この夜の裸体のために』(ふらんす堂 )で第53回H氏賞、2013年、新藤凉子(1932年生まれ)、三角みづ紀(1981年生まれ)との連詩集『連詩 悪母島(ぐぼとう)の魔術師(マジシャン)』(批評社)で第51回藤村記念歴程賞受賞。『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』発行人(ウィキペディア「河津聖恵」参照)。

*2:1926~1984年。山形県寒河江生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘(1920~1994年)、菅原克己(1911~1988年)らと同人誌「列島」を始め、1959年、第1詩集『不安と遊撃』(飯塚書店)を刊行、翌年H氏賞を受賞。著書『燃えるキリン:黒田喜夫詩文撰』(2016年、共和国)(ウィキペディア黒田喜夫」参照)。

*3:1962年、批評社

*4:一橋大学名誉教授。著書『償いのアルケオロジー』(1997年、河出書房新社)、『抵抗への招待』(1997年、みすず書房)、『応答する力』(2003年、青土社)、『主権のかなたで』(2008年、岩波書店)、『ジャッキー・デリダの墓』(2014年、みすず書房)(ウィキペディア鵜飼哲」参照)。

*5:1979年生まれ。著書『大杉栄伝:永遠のアナキズム』(2013年、夜光社)、『現代暴力論』(2015年、角川新書)、『村に火をつけ、白痴になれ:伊藤野枝伝』(2016年、岩波書店)、『アナキズム』(2018年、岩波新書)、『死してなお踊れ:一遍上人伝』(2019年、河出文庫)など(ウィキペディア「栗原康」参照)

*6:1960年生まれ。明治大学教授。著書『戦後日本、中野重治という良心』(2009年、平凡社新書)、『中野重治と戦後文化運動』(2015年、 論創社)など(ウィキペディア竹内栄美子」参照)