三浦小太郎に突っ込む(2019年10月7日分)

「くもとちゅうりっぷ」上映会に参加いただきありがとうございました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 記事タイトルが「くもとちゅうりっぷ」なのに同一人物(政岡憲三)がつくったというこじつけで記事内容のほとんどが「桃太郎・海の神兵」という「タイトルに偽りあり」のトンデモ記事です。
 三浦が「くもとちゅうりっぷ」には何の関心もなくウヨとして「桃太郎・海の神兵」を宣伝する前振りとしてのみ「くもとちゅうりっぷ」を扱ってることが丸わかりです。実に「くもとちゅうりっぷ」に対して無礼な態度です。
 なお「桃太郎・海の神兵」は「日本海軍のインドネシア侵攻」を美化した国策作品であり、今時「三浦らウヨ連中」のように手放しで評価できるような作品ではありません。
 その点については拙記事三浦小太郎に突っ込む(2019年8月14日分) - bogus-simotukareのブログでも高畑勲氏の批判高畑 勲「戦争とアニメ映画」講演録を紹介しました。是非、高畑氏の批判をお読み頂ければ幸いです。
 三浦らウヨ連中もさすがに「桃太郎・海の神兵」をネタに公然とは「日本の侵略」を美化できず「映像がきれい」だのごまかしに走っていますが、「侵略美化の右翼国策作品」がそれで済む話ではないことは高畑氏が批判している通りでしょう。
 例えば、「共産圏のイデオロギー的な映画作品」を左派の誰かが「イデオロギーは抜きにして、映像がきれい」等と評価したら三浦らウヨが何というかはいうまでもないでしょう。
 おそらく「本質を外してる」といって批判するのではないか。しかしここで、三浦らが「桃太郎・海の神兵」批評でやってるのはそうした「本質を外した批評」です。
 もちろん三浦らウヨ連中の最終目的は「日本の東南アジア侵略正当化」であることは今更言うまでもないでしょう。
 そこで「アニメ」という「実写に比べればソフトなイメージの映画」を持ち出すことでごまかしに走ってるわけです。というか戦前日本海軍の思惑も「ソフトなイメージによる侵略のごまかし」であることは言うまでもないですが。