今日の産経ニュース(1/26分)(追記あり)

■アフガン駐留米軍撤退で合意か 米とタリバン和平交渉
https://www.sankei.com/world/news/190126/wor1901260027-n1.html
 タリバン潰しに失敗したあげくこれとは「ブッシュのアフガン戦争とは何だったのか」というむなしさに駆られます。
 とはいえ「おそらくタリバンとの和解以外に手がない」「おそらくヒラリーが大統領でも同じ結果だった」のでしょうが。


■全豪優勝の大坂なおみ東京五輪金メダル有力候補に浮上
https://www.sankei.com/sports/news/190126/spo1901260049-n1.html
 いわゆる四大大会(全英、全米、全仏、全豪)やフェドカップ(女子の国別対抗戦)などと違い、世間的に評価されてない、歴史も浅い五輪テニスに大坂が出るかどうかは疑問符がつくでしょう。確かにでれば金メダル候補の一人ではあるのでしょうが。


伊達公子さん「新しい風」 大坂なおみを称賛
https://www.sankei.com/sports/news/190126/spo1901260061-n1.html
 大坂がでるまでは「日本女子テニス界で最も有名で実績のある選手」は伊達だったわけですからこういう記事になるのでしょう。何せ1)「グラフが絶不調の時期」とはいえ、あの「世界ランク1位」シュテフィ・グラフを破った実績(1996年のフェドカップ)を持ってる、そして、2)最高ランクが世界ランク4位のわけですから。


■大坂が全豪制覇 世界ランク1位へ
https://www.sankei.com/sports/news/190126/spo1901260045-n1.html
■「なおみ時代」到来の予感 大坂、セリーナ以来の四大大会2連勝
https://www.sankei.com/sports/news/190126/spo1901260046-n1.html
 ということで大坂が全豪オープンで優勝しました。すでに全米は優勝してるので、全仏、全英(ウィンブルドン)の制覇をどうしても期待したいところです。


■【田村秀男*1のお金は知っている】消費税尽くしだった平成30年間、財務省の“省是”が国を滅ぼす
https://www.sankei.com/premium/news/190126/prm1901260006-n1.html
 やれやれですね。もちろん財務省(財務官僚)が消費税税率を上げたがってることは事実です。
 しかし首相・安倍*2財務相・麻生*3が「消費税税率は上げない」と決断すれば財務省が上げたくてもどうにもならないわけです。
 安倍や麻生を批判したくがないが故に「安倍政権にとっての国是」「与党・自民党公明党にとっての国是」ではなく「財務省の省是」呼ばわりし「財務省だけ悪者にする」という論外の与太文章です。


■【産経の本】『神武天皇はたしかに存在した 神話と伝承を訪ねて』 初代天皇の息づかい伝わる
https://www.sankei.com/life/news/190126/lif1901260013-n1.html
 実在しないものを実在したと言い張るのだからタイトルからして唖然ですね。

 神武天皇は存在しなかったという見方も根強くある

 「根強くある」のではなくてそれが通説なんですが。「邪馬台国は近畿か九州か」などといったまともな話とは全く違います。


朝鮮軍が独断出兵 天皇統帥権はないがしろにされた
https://special.sankei.com/f/society/article/20190127/0001.html
 確かに統帥権干犯ですが、「満州事変の首謀者・板垣や石原が処分されなかった」のと同様にこれは結果オーライで不問にされます。
 当時の朝鮮軍司令官・林銑十郎は処分されるどころか、英雄扱いで、その後も、斎藤、岡田内閣陸軍大臣、首相と要職を歴任するわけです。


■満鉄線路を爆破!関東軍の怒濤の進撃が始まった
https://special.sankei.com/f/society/article/20190126/0001.html

 事件当夜、在奉天総領事館で執務していた領事の森島守人*4は、満鉄爆破と関東軍出動の急報に驚愕(きょうがく)した。関東軍による謀略の可能性が高い。外交当局が主導権を握らなければ、ますます紛争が拡大するだろう−。森島は、全職員に非常召集令を下すと、関東軍高級参謀の板垣征四郎のもとへ走り、説得を試みた。
 「平和的に解決すべきだ。奉天の平時占領くらいなら外交交渉で実現してみせる」
 板垣の顔色が変わった。
 「すでに統帥権の発動を見たのに、総領事館統帥権に容喙(ようかい)、干渉せんとするのか!」
 板垣のそばで参謀の一人が抜刀するのを見て、森島は無念の唇をかんだ。

 板垣(当時、関東軍高級参謀)の行動は「天皇や軍中央の同意のない行為」で明らかな統帥権干犯なのによくもこんなことが言えたもんです。
 つまり「結果さえ出れば暴走しても容認される」、「だから『統帥権発動で上の同意もある』と嘘ついても不問になる」と板垣は天皇や軍中央を見切っていたわけです。
 もちろんそこには「天皇や軍中央が欧米ともめることは恐れていても蒋介石中国はなめてた(蒋介石は簡単に屈服するとみていた)」という面もありました。
 いずれにせよ結果はその板垣の見込み通りになった。板垣は処分されるどころか、その後、関東軍参謀長、第1次近衛、平沼*5内閣陸軍大臣などを務め出世していきます。板垣を「統帥権干犯」で処分できなかったことが「1945年の敗戦」を招いたと言っていいでしょう。
 「結果さえ出ればルール違反してもいい」という風潮になって軍の暴走が止まらなくなる。
 さすがに昭和天皇も板垣を処分せず満州事変を容認したことを「後で後悔したかもしれない」ですがもはや遅すぎました。
 そして皮肉にも板垣は戦犯として戦後、死刑になるわけです。

 午前九時三十分、侍従武官長奈良武次*6より、昨十八日夜、満州奉天付近において発生した日支両軍衝突事件について奏上を受けられる。奈良はこの日の朝、自宅にて新聞号外によって事件の発生を知り、奏上の際には事件が余り拡張しないことを信じる旨を申し上げる。

 奈良が本心そう思ったか、仲間である陸軍(奈良は陸軍出身)をかばったかはともかく「事件が余り拡張しないことを信じる」などと言ったことは昭和天皇ら政府中枢に「事件が些細な問題」であるかのような誤解を与え事態を悪化させたかもしれませんね。
 なお、ウィキペディア「奈良武次」によれば

 満洲事変後、国連の中で未だ満州に関する処理で話し合いが続けられている最中にも関わらず関東軍が中国と旧満州の境に兵を進めること(いわゆる熱河作戦)について国際連盟の反応を懸念してこれを中止したいと考える昭和天皇が「統帥権最高命令によって作戦発動を中止せしめ得ざるや」と作戦の中止を奈良に打診した際、奈良は「それは閑院宮・陸軍参謀総長がいらしてからに」とこれを受け流した。しかし昭和天皇は尚、諦めず「さっき聞いたことについてはどうだ」と側近に書かせた手紙を奈良に送ったが、奈良は参内せず「天皇のご命令をもって作戦を中止しようとすれば紛擾を惹起し政変の原因になるかもしれず」と手紙で返答している。熱河作戦を天皇が強権を以って止めれば陸軍によって首相が殺され五・一五事件と同じような事態が起こる可能性を示して昭和天皇を脅迫し、作戦中止命令の発動を阻止することに成功したとされる。
 侍従武官長勇退の際には後任に満州事変勃発時の関東軍司令官であった本庄繁*7を推薦している。
 昭和天皇は本庄がかつて「満州事変は関東軍による謀略と聞くがどうか?」との自分の質門に対して「断じて軍の謀略ではありません」と答えたことに根ざした不信感から本庄の侍従武官長就任を何度も拒否したが、奈良は天皇の意向を無視して本庄を着任させている。

だそうです。
 またググったら

https://dot.asahi.com/wa/2014091700079.html?page=1
週刊朝日『「昭和天皇実録」軍部は陛下を「脅しているも同じ」 専門家が読み解いた』
 87年の生涯をまとめた「昭和天皇実録」が、24年5カ月の編集作業を経て公開された。側近の日誌や報道などをもとに天皇の動静を克明に記録。約1万2千ページにも及ぶ実録の見どころについて、磯田道史*8静岡文化芸術大学教授(43)が読み解いた。
(中略)
 意外なことに、軍部や臣下の返答は、陛下の意思に反する答えだらけです。天皇が軍部に対して疑問形で意思を表明し続けますが、軍部は表向き質問に答えつつ、聞き流す。陛下*9は反問できずに終わるパターンの繰り返しです。
顕著な例が、33(昭和8)年の中国・熱河(ねっか)作戦のくだりです。日本が国際連盟を脱退せざるを得なくなる直前に、関東軍が中国と旧満州の境に兵を進めます。
 なんとか中止したいと考える昭和天皇は「統帥最高命令によって作戦発動を中止することが可能か否か」と作戦の中止を奈良武次侍従武官長に打診します。天皇は40分間ほど粘るものの、奈良は「それは閑院宮・陸軍参謀総長がいらしてからに」と帰ってしまう。
 しかし昭和天皇はあきらめず、午後10時すぎに、「さっき聞いたことについてはどうだ」と側近に書かせた手紙を奈良に送りました。奈良は、参内せずに手紙を寄越します。その内容が恐ろしい。
天皇のご命令をもって作戦を中止しようとすれば、紛擾(ふんじょう)を惹起(じゃっき)し、政変の原因になるかもしれず」というものでした。
 前年に5・15事件で犬養毅首相が殺されています。奈良の返答は、熱河作戦を天皇が止めれば、首相が殺されるか、御所に機関銃をもった将校がなだれ込んできますよ*10と、脅しているも同じです。
 結局、昭和天皇万里の長城を越えないことを条件に、統帥最高命令の発動を見送ります。昭和天皇は自分が何を言っても、統帥最高命令は発動できないと悟った瞬間です。悔しかっただろうと思います。

なんて「ウィキペディア『奈良武次』の『熱河作戦』記述の元ネタではないか(ウィキペディアの記述と内容がほとんど同じです)」と思われる記事(2014年9月で少し古いですが)が見つかりました。
 磯田氏の認識が事実ならば、奈良の行為は関東軍の暴走を助長し1945年の敗戦を招くことに貢献したと言っていいのではないか。
 もちろん、昭和天皇が最高権力者である以上「奈良が悪い」ですむ話ではないし、結局、中止命令を出さなかったのは

天皇や軍中央が欧米ともめることは恐れていても蒋介石中国はなめてた(蒋介石は簡単に屈服するとみていた)」という面

があったのでしょう。
 いずれにせよ「満州事変の扱いを間違ったこと(板垣を処分せずあげく熱河作戦という追加の作戦まで認めてしまったこと)」がその後の事態をどんどん悪くしたかと思います。
 まあトラウトマン和平工作などがその後あるので「リカバリーが一応出来た」のに「結局それをしなかった」という面もありますけど。

【追記】
 磯田氏は熱河作戦での奈良侍従武官長の態度を「脅し」と見なしています。
 ただし、俺が持ってる本、山田朗*11昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)が指摘していますが天皇がこれ以前に『熱河作戦には特に問題などない』という軍の主張を鵜呑みにして、いったん軽い気持ちで「熱河作戦承認を求める関東軍」にOKを出してしまったことに注意する必要があります。後に斎藤実首相から「熱河作戦には反対だ」といわれ、かつその反対理由(英米との対立を招きかねない、最悪の場合国際連盟から除名されかねない)を「一理ある」と思った昭和天皇は不安を感じ、奈良にこうした打診をするわけです。斉藤首相の方針を確認せず、関東軍の報告を鵜呑みにした昭和天皇は重大なミスを犯したわけです。山田氏は1)斎藤首相の意思を確認した上で『命令を承認する前に』そうした作戦計画には反対だと言っていれば奈良の反応も違ったのではないか、2)奈良の主観が「政争の恐れを口実にした関東軍擁護だった」のか、「本当に政争を恐れていた」のか、どうであったかは分からないが「いったん出した命令を斉藤首相の意向を理由に中止すると軍タカ派による斎藤攻撃(最悪の場合、515事件の様な暗殺)を招きかねない、そこまでするほどの問題か」という奈良の主張は「英米の反発の恐れを斎藤とは違い非常に軽視してる点」をひとまず置けば、「軍部に対してあまりにも弱腰」とはいえても「それほどおかしな認識とは言えない」「少なくとも関東軍を擁護しているとは言えない」として磯田氏の「脅し」という認識には立っていません。むしろ「斎藤首相の方針を確認しなかった昭和天皇のミス」を山田氏は問題にしています。なお、小生はまだ読んでいませんが山田氏は『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)という本を出しています。
 この本でも山田氏の「奈良に対する評価」は磯田氏とは違い「脅し」という認識ではなさそうです。
 最後に山田本の書評をいくつか紹介しておきます。「関東軍の暴走に不満や不安を感じても、結局、結果オーライで関東軍の無法を容認する。しかし、その『結果オーライ』は『権益(日本の領土)が満州国建国などの形で拡大した』という短期的な視点によるものにすぎず、長い目で見れば『英米との関係悪化(アメリカによる対日経済制裁など)』でかえって結果は悪くなった。しかしそれに気づいたときには挽回困難な事態に陥っていた」というのが、昭和天皇の姿でしょう。
 彼は平和主義者ではまったくありません。

https://sabasaba13.exblog.jp/5413600/
■「昭和天皇の軍事思想と戦略」
・作戦や戦争を指導する際の、彼の基本的なスタンスはどういうものか。著者は簡潔にこうまとめられています。
「始まった作戦は仕方がないが、以後は自分の意図・方針を尊重せよ、という現状追認の論理、そしてその後にくる結果優先の論理」
 つまり統帥部のような強引なやり方は困るが、結果として領土・勢力圏が拡張することは容認する、ということですね。満州事変勃発の際も、熱河作戦の時も、日中戦争が拡大した時も、当初は反対した天皇が、現実的な戦果が挙がり勢力圏拡大が達成されると、事態を事後承認し、独断専行者たちを賞賛しつづけたことからもよくわかります。結果オーライの穏健主義者にして膨張主義者というのが、実像だったのですね。そしてこうした姿勢が、結果として軍部の独断専行の武力戦や謀略を奨励・激励することとなった、と著者は指摘されています。
・なお「神風特攻隊」に関して、次のような一文があったので引用します。
「このような異常な戦法に頼らざるをえなくなった原因は、(1)パイロットの技量が低下し、通常の爆撃・雷撃による戦果の望めなくなったことと、(2)どうせ、戦死するなら若者に有効な「死に場所」を与えたいという第一航空艦隊司令官・大西瀧治郎中将などの自暴自棄の精神論が突出したこと、にある。戦争はついに日本軍の作戦遂行能力の限界点を超え、統帥部の最低限の理性すら崩壊させたのである。天皇による「よくやった」という発言は、前線部隊にも伝えられ、さらなる特攻作戦を強行させる重要な要因の一つとなった。」

http://www.fben.jp/bookcolumn/2017/03/post_5002.html
昭和天皇の戦争
・「実録」では、天皇が一貫して平和愛好・戦争回避であったというストーリー性が強く出ていて、天皇の動揺や戦争論への傾斜については、ほとんど読みとることができない。
昭和天皇は、関東軍朝鮮軍による満州事変には一定の疑念をもちながらも、満州の占領という軍事行動の「成功」は賞賛し、「満州国」の建国、日本政府(斉藤実内閣)による同国承認は明確に容認した。
 昭和天皇現状追認の姿勢は、状況をリードしてきた軍部、とりわけ関東軍の増長をまねき、1933年にいたって熱河侵攻という形で再び天皇を憂慮させることになる。
 天皇は、熱河作戦に一定の歯止めをかけたかに見えたが、日本の進路にとって重大だったのは、斉藤実首相らが心配したとおり、この作戦が国際連盟における日本の立場を決定的に悪くし、結局のところ国際連盟からの脱退へとつながってしまったことである。
 現状追認のあとにくるのは、結果優先の論理であった。
・領土拡張・勢力圏拡大という点を、天皇が否定することはなかった。これは君主としての重要な任務であると認識していた。
 昭和天皇は、杜撰な計画や行動を非常に嫌い、つねに用意周到な計画、緻密な計算を要求した。それは結果的に、軍部の作戦計画の樹立を促進することがあった。
 敗戦色が濃くなったとき、天皇は、統師部のいう「台湾決戦」に期待していた。沖縄戦は最後の頼みの綱だった。天皇が戦争終結に傾斜するのは、沖縄戦の戦況が挽回不可能であることがはっきりした時点である、そこでは、いよいよ天皇も覚悟せざるをえなかった。
 天皇は、責任者の処罰*12と全面的武装解除に強く反対していた。
 大変歯ごたえのある本です。


■【映画深層】「ちいさな独裁者」が問う戦時*13の人間の本質
https://www.sankei.com/entertainments/news/190124/ent1901240012-n1.html

 この作品はどうしても祖国ドイツで撮りたかったという。「RED/レッド」など米ハリウッド大作もこなすロベルト・シュヴェンケ監督(50)の最新作「ちいさな独裁者」は、第二次大戦末期にドイツ軍で起きた事件を基に、人間の本質、集団心理の怖さを浮き彫りにした問題作だ。
 2月8日の公開を前に来日した監督は「今の社会にも通じる問いかけ*14ができたのではないか」と自信をのぞかせる。
ナチス国家社会主義が悲劇を生んだのは、すべての人が、暴走を許したか真実に目を背けたかのどちらかだったから。」

 で、日本の戦前もその点は「ナチドイツ」と変わらなかったわけです(そもそもナチドイツの同盟国が戦前日本ですし)。
 「ほとんどすべての日本人が『昭和天皇ら大きな独裁者』を容認する(場合によっては積極支持さえする)『小さな独裁者』だったから、その結果、日中戦争や太平洋戦争を容認したから」1945年の敗戦となった。戦争に批判的な声は押しつぶされた。また「別に反戦ではない」のですが軍に批判的な人間は「515事件で暗殺された犬養*15首相」「226時件で暗殺された斎藤*16内大臣、高橋*17蔵相」などのように時には暗殺すらされたわけです。
 あるいは今「大きな独裁者」安倍が無茶苦茶やってるのは「安倍支持層(小さな独裁者)が彼の暴走を許してるから」のわけです(さすがに野党支持層はもちろん安倍批判していますが)。「アベノミクスを支持してるだけ」など、どう言い訳しようが安倍を支持すると言うことは「モリカケや沖縄の地方自治否定」に代表される奴の無法を肯定するという意味でしかない。
 あるいはゴーンの問題にせよ、検察の主張する特別背任が事実で、彼が「大きな独裁者だった」としてもそれを許した「小さな独裁者(日産の取締役連中)」がいたことが問題だったわけです。
 日本マスコミは「ゴーン叩きばかり」にかまけて日産現経営陣の問題を全く追及しませんが。
 あるいは昔の話だと「三越岡田茂」なんかも話は同じです。

岡田茂ウィキペディア参照)
・社長・岡田のライバルとされていた坂倉芳明常務を追放し、坂倉は西武流通グループ代表・堤清二の招きで西武百貨店副社長となった後、西武百貨店社長となった(岡田失脚後に三越に復帰して三越社長)。

なんて粛清を実行する岡田におびえて、社内の誰も岡田批判が出来なくなる。「大きな独裁者・岡田」を「小さな独裁者(社内の岡田イエスマン)」が支持する構造が出来る。
 さすがに岡田があまりにも無茶苦茶なので

三越事件(ウィキペディア参照)
 1982年(昭和57年)6月、納入業者に対し三越の商品や日本映画『燃える秋』(三越が制作を支援)の映画前売券等の購入を要請(押し付け販売)、協賛金や社員派遣を要請、種々の催し物への費用負担の要請につき、三越独占禁止法第19条の「不公正な取引方法(優越的地位の濫用)」に当たるとした審決を受ける。
 1982年8月29日、三越日本橋本店で開催された「古代ペルシア秘宝展」の出展物の大半が『贋作』であることが、朝日新聞社の報道により判明した。さらに、岡田の愛人である竹久みちの経営する「アクセサリーたけひさ」に不当な利益を与えていたり、自宅の改修費用に会社の資金を流用していたりした問題まで出てきた。
 社外取締役であった三井銀行(現・三井住友銀行)相談役の小山五郎*18は、「独禁法違反や竹久みちとのスキャンダル」ではなく、「古代ペルシア秘宝展問題の引責」を辞任理由とすれば、岡田にあまり傷がつかないとして岡田に辞任を勧告したが、岡田は喧嘩腰にこれを拒否した。以降、小山を始めとする三井グループ幹部や三越内部の反岡田派は、岡田の社長追い落としを図り始めた。
 1982年9月22日には取締役会が行われたが、その途中で岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。配布資料で「その他」とのみ書かれていた第6号議案は、事前の打ち合わせでは岡田についての風説は事実に反することの確認とされており、それゆえの議長交代であった。
 そこで杉田は秘密裏に計画していた岡田解任決議案を発議、16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。このとき岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」は流行語となる。
 1982年10月に竹久が特別背任で逮捕、10月29日に岡田自身も特別背任で逮捕される。逮捕の際に取締役を辞任、これ以後三越とは株主の一人としてのつながりだけになった。1987年(昭和62年)に東京地裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決、控訴審の東京高裁で1993年(平成5年)に懲役3年の実刑判決が出され、上告するが係争中の1995年(平成7年)7月20日、腎不全のため死去。享年80歳。

として岡田は結局失脚しますが。
 ただ「この記事を書いた記者」はともかく「阿比留や古森、安藤慶太などを幹部とする極右新聞・産経」としては「ナチスドイツを生んだ問題は日本にも戦前存在したし、今も存在する」「例えば、安倍モリカケやゴーン日産がそうだ」つう理解はないでしょうね。そういう指摘をされたら「日本を誹謗するな」と言い出すのが産経でしょう。

 監督によると、この実話が歴史の中で埋もれてしまったのは、戦後のドイツに流布された神話によるところが大きい。神話とは、大虐殺に手を下したのはナチスの親衛隊など国家社会主義者たちで、今回の主人公のような国防軍の一兵卒は非道な行為には関与しなかったというものだ。
 「冷戦下、共産主義圏への脅威から、アメリカは早く戦後のドイツに復興してもらいたくて、みんながみんな悪かったわけではないという風潮になった。」

 俗に『清廉潔白な国防軍』神話というもんですね(ウィキペディア『清廉潔白な国防軍』参照)。守屋純『国防軍潔白神話の生成』(2009年、錦正社)と言った研究書もあるようです。
 日本でも『陸軍悪玉神話』『海軍善玉神話*19』『昭和天皇平和主義者神話(終戦の聖断神話)*20』などあるので人ごとではありません。
 東京裁判では死刑囚7人のうち「斎藤、岡田*21、第一次近衛*22内閣外相を務めた広田弘毅以外」は「板垣征四郎*23・元陸軍大臣」、「木村兵太郎*24・元ビルマ方面軍司令官」、「土肥原賢二*25・元奉天特務機関長」、「東条英機*26陸軍大臣」、「松井石根*27・元中支那方面軍司令官」、「武藤章*28・元陸軍省軍務局長」と皆陸軍軍人です。そもそも訴追者のほとんどが陸軍軍人(一部、海軍軍人や官僚などいるが数が少ない)ですが、こうなったのも明らかに「陸軍がもっぱら悪かったことにしよう(『陸軍悪玉神話』『海軍善玉神話』『昭和天皇平和主義者神話(終戦の聖断神話)』)」というアメリカの思惑があったわけです。
 もちろんそこには

「冷戦下、共産主義圏への脅威から、アメリカは早く戦後の日本に復興してもらいたくて、みんながみんな悪かったわけではないという風潮になった。」

という要素がありました。
 その上、「いわゆる逆コース」でA級戦犯だった重光葵*29賀屋興宣*30が「公職追放を解除」され、公然と政界に復帰した。
 そして、安倍の様な「河野談話否定、南京事件否定の櫻井よしこ*31歴史修正主義者とズブズブ」の極右男が首相になるまでに日本人は戦争に無反省になった(もちろん一方で河野談話村山談話アジア女性基金などやそれらに関わった河野*32官房長官、村山首相らは『百点満点ではないにせよ』一定の評価をされて当然ですがそれも安倍によって台無しになりました)。「戦争責任問題」では、いろいろ問題があるにせよ、ドイツは日本なんぞと比べたらまだましな方でしょう。もちろん日本が酷すぎるのですが。

*1:著書『人民元の正体:中国主導「アジアインフラ投資銀行」の行末』(2015年、マガジンランド)、『検証 米中貿易戦争』(2018年、ML新書)、『中国発の金融恐慌に備えよ!』(宮崎正弘との共著、2019年、徳間書店)など

*2:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*3:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)、首相など歴任。現在第二〜四次安倍内閣副総理・財務相

*4:1896〜1975年。戦前、ハルビン総領事、ドイツ大使館一等書記官、ニューヨーク総領事、ポルトガル公使など歴任。戦後、社会党衆院議員。著書『陰謀・暗殺・軍刀』、『真珠湾リスボン・東京』(1950年、岩波新書

*5:検事総長大審院長、第2次山本内閣司法相、枢密院議長、首相、第2次近衛内閣内務相など歴任。戦後、東京裁判終身刑。服役中病死し、後に靖国に合祀

*6:支那駐屯軍司令官、青島守備軍参謀長、陸軍省軍務局長、東宮武官長、侍従武官長などを歴任

*7:関東軍司令官、侍従武官長、傷兵保護院総裁など歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自決。

*8:著書『武士の家計簿:「加賀藩御算用者」の幕末維新』(2003年、新潮新書)、『殿様の通信簿』(2008年、新潮文庫)、『天災から日本史を読みなおす:先人に学ぶ防災』(2014年、中公新書)、『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(2017年、NHK出版新書)、『徳川がつくった先進国日本』(2017年、文春文庫)、『江戸の家計簿』(2017年、宝島社新書)、『素顔の西郷隆盛』(2018年、新潮新書)など

*9:こういうときに「昭和天皇」とは書いても、普通「陛下」とは書かないでしょう。磯田氏と彼の文を掲載した週刊朝日編集部が「昭和天皇をかばいたい」「軍部が悪いと言いたい」というバイアスを持っている疑いが否定できません。

*10:奈良発言を「515事件(犬養首相暗殺)の様な事態(斎藤首相暗殺)が起きかねない」とは理解できても、「御所の襲撃すらあり得る」とはとても読めないでしょう。はっきり言ってこじつけです。やはり磯田氏や週刊朝日編集部が「昭和天皇をかばいたい」「軍部が悪いと言いたい」というバイアスを持っている疑いが否定できません。

*11:著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の「成功」と「失敗」』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)など

*12:戦犯裁判のこと。昭和天皇は「自分が裁かれること」はもちろん東条英機元首相ら部下が裁かれることにも不満がありました。

*13:「戦時」には限りませんね。要するに「人間性が問われる非常時」つうことです。

*14:まあトランプとか、ルペンとかやばい人間(トンデモ右翼)が欧米において無視できない政治力を有してますからね。

*15:第一次大隈内閣文相、第二次山本、加藤高明内閣逓信相などを経て首相

*16:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任

*17:日銀総裁、第一次山本、原、田中義一、犬養、斎藤、岡田内閣蔵相など歴任

*18:三井銀行社長、会長、相談役など歴任。三井グループの幹部として、三井の首領(ドン)などといわれた。「日本を守る国民会議」顧問も務めた。

*19:海軍善玉神話に対する批判としては例えば、笠原十九司『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)、澤地久枝半藤一利戸高一成日本海軍はなぜ過ったか:海軍反省会四〇〇時間の証言より』(2015年、岩波現代文庫)などがある。

*20:昭和天皇平和主義者神話」に対する批判としては例えば、吉田裕『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書)、井上清天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)、纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社)、山田朗昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)などがある。

*21:田中義一、斎藤内閣海軍大臣、首相など歴任

*22:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自決。

*23:関東軍高級参謀として満州事変に関与。関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任

*24:関東軍参謀長、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官を歴任

*25:奉天特務機関長として、いわゆる華北分離工作を推進し、河北省に日本の傀儡政権「冀東防共自治政府」を成立させた。

*26:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任

*27:台湾軍司令官、上海派遣軍司令官、中支那方面軍司令官など歴任

*28:支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任

*29:東条、小磯内閣で外相。東京裁判で禁固7年。服役後、公職追放が解除され政界復帰。鳩山一郎内閣で外相。

*30:第一次近衛、東条内閣で蔵相。東京裁判終身刑となるが後仮釈放され、公職追放も解除。政界に復帰し、池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)など歴任

*31:国家基本問題研究所理事長、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表。一時安倍政権で中教審委員を務めた。

*32:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任