三浦小太郎に突っ込む(2020年7月26日分)

逢魔名画座「からっ風野郎」上映会のお知らせ | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

「からっ風野郎」

 三浦小太郎に突っ込む(2020年3月29日分) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、この「からっ風野郎」、興行的には成功したようですが、三島の演技は「素人演技」として酷評されたようです。
 むしろ、その後の人斬り (映画) - Wikipediaでの田中新兵衛役の方が評価されてるようです。

場所 TKPスター会議室市ヶ谷

 映画館で無い辺りが「何だかなあ」ですね。プロジェクターでミニスクリーンに投影するぐらいはするのかもしれませんが。

 三島決起50周年の今年

 「決起」と美化して恥じない辺りが極右の三浦らしい。三島について取り上げた記事の多くは

1)「三島死後50年」、「三島没後50年」など「死去してから50年」と言う表現
2)「三島事件から50年」など、三浦のような価値評価を付け加えない形での「事件から50年」と言う表現

なんですけどね。
 さて話が脱線しますが、この機会に「三島由紀夫」でググってヒットした最近の記事にコメントしてみます。

【三島由紀夫 50年】日本史の悲劇の英雄たちと同じ… 三島由紀夫事件は100年に一度の「正気の爆発」だった (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト宮崎正弘

 正気(せいき)は、過去の日本史には危機に際して忽然(こつぜん)と出現する英傑に共通する。
 三島の友人で、『金閣寺』の翻訳でも知られる英国の翻訳家で日本文学研究者のアイバン・モリスは『高貴なる敗北』(中央公論社)を綴った。その中で、日本史の悲劇の英雄はヤマトタケル義経楠木正成大塩平八郎西郷隆盛とし、最後の章に三島を加えた。
 日本史における三島事件の重みとは、100年に一度くらい起こる正気の爆発なのである。

 宮崎と夕刊フジなら予想の範囲内ですが、テロ行為「三島事件」を公然と美化するのだからいい度胸です。


天皇論 江藤淳と三島由紀夫 富岡幸一郎著:東京新聞 TOKYO Web

 「戦後」の日本に愛想をつかし、自決という形で強烈な結末をつけた二人の文学者がいた。三島由紀夫江藤淳である。

 おいおいですね。自衛隊員にクーデターを呼びかけ失敗して自決した三島はともかく江藤の自殺はそう言う話じゃ無いでしょうに。

江藤淳 - Wikipedia
・妻の葬儀のあと、自身も脳梗塞の後遺症に悩んでいた。
・慶子夫人との間に子供はおらず、喪主は実妹が務めた

ウィキペディアも書くとおりです。つまりは健康不安を抱えている上、妻が病死し、子どももいなかったため、精神的な不安を慰めてくれる人間が周囲におらず、「精神不安から起こる自殺願望」を止められる人間がいなかったという話でしょう。
 「健康不安による自殺」を「戦後の日本に愛想を尽かし」と描き出すのはデマも甚だしい。
 この分だと

西部邁 - Wikipedia
 健康面では背中に持病を抱えていて激しい痛みに襲われることもあり、重度の頚椎症性脊髄症のため細かな作業や重量のある物を持つことができず、執筆活動が困難になっていた。自殺するまでの数年、親しい人には「死にたい」と漏らしていた。

という西部邁の自殺もそのうち「戦後の日本に愛想を尽かし」とデマで描き出すんでしょうか。しかし一般にはリベラル扱いされてる東京新聞で「外部筆者」とはいえ、こんな「江藤を美化(?)し、戦後日本を誹謗するデマ記事」ですか(呆)
 なお、三島事件(1970年11月25日)のあった50年前(1970年)と言えば、1970年 - Wikipedia1970年の日本 - Wikipediaによれば

◆3月5日:核拡散防止条約が発効
◆3月14日:日本万国博覧会大阪万博)開幕(~9月13日)
◆3月31日:日本航空機よど号ハイジャック事件(4月5日に北朝鮮よど号メンバーの亡命受け入れをしたことでひとまず解決)
◆4月10日:ビートルズ解散

等の事件がありました。