今日もkojitakenに悪口する(2023年1月7日記載)

「左派は肌感覚を大事にしろ!とか言ってる奴は70年前なら非国民め!って言ってたろう」って、まさか。そんなことあるはずない - kojitakenの日記
 普通に考えて「80年前(1942年)の誤記」で「対米開戦批判派=非国民」でしょう。
 お粗末だとは思いますが、id:kojitakenのように居丈高に批判するほどのことでもない。
 「非常に善意に理解すれば」、「70年前」云々とはもしかしたら、1951年(約70年前)のいわゆる単独講和について南原繁東大総長ら批判派(全面講和派)に「曲学阿世の徒(吉田のニュアンス的には『非国民』に近い)」と吉田茂首相が誹謗したこと(吉田に同調して南原らに悪口の意味)を指してるのかもしれない。
 あるいは「約70年前」の松川事件*1(1950年の地裁判決で有罪が言い渡されるが後に全員無罪)、三鷹事件*2(1951年に東京高裁で竹内被告に死刑判決→最高裁でも判決が撤回されること無く獄中で病死、現在、再審請求中)、菅生事件*3(1952年に発生。後に公安警察の自作自演であることがわかり、無罪判決)をネタにした共産党叩きのことか。一応そう理解すれば「70年前の非国民」云々も「あり得ない話ではない*4」。

 150年前の1873年に部落差別を問題視する言論がどのくらいあったかについても残念ながら疑問だし(こちらは100年前の1923年なら全国水平社が結成された翌年だから話はわかる)

 1871年に解放令が出て「法的制度としての穢多非人」は否定されたので「部落差別を問題視する言論それ自体」は「全国水平社時代ほどの社会的影響力は無い」にせよ「当然、150年前に既にあった」でしょう(但しいわゆるアファーマティブアクションポジティブアクション的な制度を明治新政府が取らず、残念ながら差別を容認した→その結果として戦前の全国水平社、戦後の部落解放同盟のような運動が起こるし、戦後にいわゆる同和対策事業がされる)。
 解放令 - Wikipediaは解放令の実現に尽力した人物として大江卓、大木喬任*51871年当時は民部大輔)の名前を挙げています。この点はkojitakenの主張の方がおかしい。kojitakenってもしかして「解放令」を知らないのか?(呆)

 1993年に「女性は定年30歳!」なんて時代遅れなことを言う人なんかほとんどいなかったと思うよ。40年前の1983年ならかなりいたかもしれないけど。

住友セメント事件 - Wikipedia最高裁判決(女性結婚退職制について違法判決)が1966年に、日産自動車事件 - Wikipedia最高裁判決(男性55歳、女性50歳という日産の男女別定年制度について違法判決)が1981年に出て、これらを受けて1985年には男女雇用機会均等法が制定されていますからね。この点はkojitakenの言うとおりでしょうが、これまた、誤記では無いか。

*1:松川事件 - Wikipediaによれば大野達三 『松川事件の犯人を追って』(1991年、新日本出版社)、伊部正之(福島大学名誉教授)『松川裁判から、いま何を学ぶか:戦後最大の冤罪事件の全容』(2009年、岩波書店)等の著書がある。

*2:三鷹事件 - Wikipediaによれば高見澤昭治(弁護士)『無実の死刑囚:三鷹事件・竹内景助』(2009年、日本評論社)等の著書がある。

*3:菅生事件 - Wikipediaによれば坂上遼 『消えた警官:ドキュメント菅生事件』(2009年、講談社)等の著書がある。

*4:まあ、これは「あり得る可能性」にすぎませんが、そうした可能性を全く考えず「非国民=戦前日本」と決めつけるkojitakenも「短絡的だなあ」と思います。

*5:1832~1899年。1868年に東京府知事として東京奠都に関与。1872年に文部卿として学制を制定。1876年に司法卿として神風連の乱萩の乱の事後処理に当たった。その後も元老院議長、枢密院議長、第一次松方内閣文相など歴任。 佐賀の七賢人 - Wikipediaの一人(大木以外の6人は、佐賀藩主・鍋島直正、北海道開拓判官を務め「北海道開拓の父」と呼ばれた島義勇、司法卿を務めた江藤新平(江藤、島は後に佐賀の乱を起こし死刑)、「大蔵卿、第一次松方内閣農商務相、日本赤十字社初代社長」などを歴任した佐野常民、「外務卿、枢密院副議長、第一次松方内閣内務相」などを歴任した副島種臣、「大蔵卿、第一次伊藤、黒田、第二次松方内閣外相、首相」などを歴任した大隈重信)(大木喬任 - Wikipedia 参照)