今日の産経ニュース(2020年8月16日分)

【聞きたい。】田中ひかるさん『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』 - 産経ニュース

『女医第一号の荻野吟子さんが有名すぎてかすんじゃったのか、瑞(みず)さんのことはほとんど知られていない。でも、調べてみると、貧しく苦労しながらも、たくましく、勇ましく、とにかく痛快な人生なんです』
 明治期の医術開業試験に合格した、女性で3人目の医師、高橋瑞(1852~1927年)の生涯をたどるノンフィクション・ノベル。吟子や2人目の女医、生澤久野(いくさわ・くの)ら、それまで女性が受けられなかった試験の門戸をともにこじ開けた人々も魅力的だが、なかでも瑞は異彩を放つ。

(3ページ目)男装の女医・高橋瑞の波瀾の人生「あとに続く女子医学生たちのために自らを標本に」|教養|婦人公論.jpの写真を見れば、わかりますが男装と言っても「機能性を重視して頭を五分刈りにし、二重回し(男性用の和装コート)を着て」と言うだけの話であり、「男装」と言う言葉から連想されるもの(例:リボンの騎士宝塚歌劇など)とはかなり違います。
渡辺淳一 「花埋み」 : どっこいSHOTも指摘していますが、正確に言うと「明治新政府が構築した近代的医師制度における女医第一号」ですね。女医それ自体なら、荻野吟子以前にも、シーボルトの娘「楠本イネ」などが既にいますので。
・まあ「ナンバー1」は有名だが、それ以降は無名ってのは珍しくない話です。「日本で最も高い山・富士山」「日本で最も大きな湖・琵琶湖」は有名でも「ではナンバー2やナンバー3は?」というと知らない人も多いでしょう。日本人で一番最初に「ノーベル賞を取った湯川秀樹」は有名でもそれ以降となるとガクンと知名度が落ちるわけです。(ちなみに日本の山一覧 (高さ順) - Wikipedia湖沼の一覧 (面積順) - Wikipediaによれば、ナンバー2は北岳霞ヶ浦、ナンバー3は奥穂高岳サロマ湖です。日本人のノーベル賞受賞者 - Wikipediaによれば湯川(1949年受賞)の次の受賞者は朝永振一郎(1965年受賞)です)。
・つうか荻野吟子(いわゆる埼玉三偉人の一人:他の二人は、『群書類従』編纂で知られる塙保己一、1万円札の肖像になることや来年の大河ドラマになることが決まった渋沢栄一。埼玉三偉人については例えば理想求め、意志貫く 埼玉3偉人の1人、近代日本初の女性医師 | 47NEWS参照)だって「医療関係者」や「埼玉県民」を除けばそれほど有名でもないでしょう。
 実は

花埋み - Wikipedia
渡辺淳一の小説。日本最初の女医、荻野吟子の生涯を題材とした作品。1970年に河出書房新社より発表(後に、新潮文庫、角川文庫、集英社文庫に収録)
・1971年に大空真弓主演で、ポーラ名作劇場(当時はNET、現在のテレビ朝日)にてドラマ放送された。
・1980年に山本陽子主演で、1998年に三田佳子主演で舞台化された。

そうですが、これを知ってる人も少ないでしょうねえ。
 ちなみに生沢クノ/深谷市ホームページによれば生沢は埼玉県深谷市出身ですが、荻野吟子に比べれば埼玉県内ですら知名度はかなり落ちると思います。
 まあ、荻野、渋澤、塙の場合

さいたま郷土かるた(1982年11月発行 旧版) - 埼玉県立図書館
お:荻野吟子 日本の女医 第一号
に:日本の 産業育てた 渋沢翁
み:見えずとも 心で学ぶ 塙保己一

埼玉郷土かるた - 埼玉県立図書館
え:栄一も 食べたネギ入り にぼうとう
は:版木にて 歴史を刻み 名を残す(ボーガス注:塙保己一のこと)
を:女医一号 未来を開いた 荻野吟子

「さいたま輝き荻野吟子賞」について - 埼玉県
渋沢栄一賞 - 埼玉県
第14回「塙保己一賞」表彰候補者の募集を開始します - 埼玉県
ということで県内においては割と宣伝がされています。

【参考:荻野吟子】

理想求め、意志貫く 埼玉3偉人の1人、近代日本初の女性医師
 埼玉県民ではない方々にとってはどうでもいいことかもしれないので、おそるおそる聞くわけだが、「埼玉3偉人」をご存知だろうか。(共同通信=田村文)
 3人の中で最も知名度が高いのは、実業家の渋沢栄一(1840~1931年)だろう。「日本資本主義の父」とも呼ばれ、2024年度から発行される新1万円札の“顔”になる。21年のNHK大河ドラマ青天を衝(つ)け」の主人公にも決まった。いま、出身地である埼玉県深谷市は大いに盛り上がっている。
 もう1人は、盲目の国学者塙保己一はなわ・ほきいち、1746~1821年)である。文字が見えないので、人が音読したものを暗記して学んだ。抜群の頭脳を持つ努力家。希少な歴史書、和歌、日記などを集めた「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」約670冊を編さんし、ヘレン・ケラーが目標にしたという人物だ。こちらは本庄市生まれ。
 最後の1人は、他の2人に比べると知名度は若干落ちるかもしれない。しかし、いま最も注目されるべき人物だと思う。
 荻野吟子(おぎの・ぎんこ、1851~1913年)、熊谷市生まれ。近代日本初の女性医師である。
 吟子の半生を描く映画「一粒の麦」が完成した。10月26日に熊谷市と東京・新宿で公開されるのを皮切りに、名古屋市さいたま市横浜市、札幌市、大阪市など、各地で上映される予定だ。8月下旬、さいたま市で試写会が開かれ、監督の山田火砂子さんや吟子を演じる若村麻由美さんが挨拶した。
 山田監督は昨年発覚した医学部入試における女性差別問題で「日本は明治時代なのか!」と憤慨し、製作を思い立ったと明かした。
 生家があったあたりにはいま、荻野吟子記念館がある。案内してくれた小林司郎さん(NPO法人めぬまガイドボランティア阿うんの会)によると、吟子の業績に光が当たるようになったのは、作家の渡辺淳一さんが吟子を主人公にした小説「花埋み」(1970年)を出版して以降だという。三田佳子さんが主演した劇作「命燃えて」も知名度アップに貢献した。

 赤字強調は俺がしました。「昨年(2018年)発覚した医学部入試における女性差別問題」については2018年における医学部不正入試問題 - Wikipediaを紹介しておきます。
 記事に名前が出てくる山田火砂子氏は

◆山田火砂子(やまだ ひさこ、本名・山田久子(読み同じ)1932年1月23日~:現代ぷろだくしょん - Wikipedia参照)
 現代ぷろだくしょん初代代表取締役・山田典吾(1916年5月28日~1998年5月14日)の妻。夫の死後、現代ぷろだくしょん代表取締役に就任。

現代ぷろだくしょん - Wikipedia
【エピソード】
・1951年(昭和26年) 山田典吾を代表取締役とし、山村聰森雅之、夏川静枝を中心に俳優集団を旗揚げ。後に三國連太郎も一時的に参加し、現代ぷろだくしょんの基礎となる。現代ぷろだくしょんではこれをもって会社創立としている。
・1955年(昭和30年) の「八海事件の担当弁護士」正木ひろしのベストセラー「裁判官:人の命は権力で奪えるものか」(カッパ・ブックス、八海事件の弁護体験に基づいたルポルタージュ)を原作とする『真昼の暗黒』の製作を山田典吾が立案。今井正を監督に迎え、橋本忍に脚本を依頼した。再審無罪判決が出ていないため、山田と今井は「真相は不明」という形での結末にする構想だったが、橋本は「はっきりと、『絶対に無罪』という線で行きたい」と述べたため、二人も「有罪だったら映画はもう作らない」という覚悟でそれを受け入れたという。最高裁からの圧力も受けたが、1956年に公開された映画は大ヒットした。
【主な作品】
蟹工船 - Wikipedia(1953年)
 現代ぷろだくしょん創設時に出資もしている山村聰の監督、主演
真昼の暗黒 (映画) - Wikipedia(1956年)
はだしのゲン - Wikipedia三部作(1976,1977,1980年)
裸の大将放浪記 - Wikipedia(1981年)
 山下清の人生を取り上げた作品。現代ぷろだくしょん映画と一般商業映画の大きな違いを示す好例としてよく取り上げられる。小林桂樹*1主演による東宝製作の映画版(1958年)や、関西テレビ放送製作のテレビドラマ版(1980~1997年、芦屋雁之助主演)とは異なり、山下の一生を「流浪の天才画家・山下清の放浪の物語」ではなく「知的障害者山下清と周囲の人たち(先生・家族)との物語」として真摯に取り上げて製作されている(ただし現代ぷろだくしょん版の山下清は、関西テレビ版と同じ芦屋雁之助)。作中、母親が「障害のある子どもたちの親のほとんどは、子どもより先に逝かねばならない苦しみを恐れながら生き、自分が死んだ後の子どもたちの将来を憂いながら死んでいる」として、清は才能と短命ゆえにまだ幸運な存在だったのだと語るなど、障害者とその家族に対する理解と支援を強く訴える。
石井のおとうさんありがとう - Wikipedia(2004年)
 日本最初の近代的な孤児院を設立し、児童福祉の父と呼ばれた石井十次の生涯を取り上げた作品。
筆子・その愛 -天使のピアノ- - Wikipedia(2007年)
 日本初の知的障害児施設「滝乃川学園」を創設し、障害児教育・福祉の先駆者と呼ばれた石井筆子の生涯を取り上げた作品。
大地の詩 -留岡幸助物語- - Wikipedia(2011年)
 東京の巣鴨と北海道の現遠軽町に家庭学校(現在に言う児童自立支援施設)を創立・運営した留岡幸助の生涯を取り上げた作品。
母 小林多喜二の母の物語 - Wikipedia(2017年)
 小林多喜二の母、小林セキを描いた三浦綾子の小説『母』の映画化。

と言う御仁です。

渡辺淳一 「花埋み」 : どっこいSHOT
 日本で女医と言うとまず頭に浮べるのが(ボーガス注:吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘』(新潮文庫)、TBSポーラテレビ小説オランダおいね』(1970年、丘みつ子主演)等で知られる)「オランダおいね」と呼ばれたシーボルトの娘イネの事ではないでしょうか。「日本最初の女医」とか言われたりすることもあります。しかし正式な日本初の女医、つまり政府から医師の免許を取得して医師として開業し医療を施していたのはオランダおいねではありません。
 荻野吟子が正式な日本第1号の女医と言うことになります。しかし日本第1号と言う冠がありながらこの荻野吟子と言う人についてはあまり知られていませんし、日本の歴史の教科書でもふれられる事は余りありません。医師として働いていた作家渡辺淳一はこの事に疑問を持ち荻野吟子の事を調べだしたと言うことです。そしてやがて書かれたのが荻野吟子を主人公とした伝記小説「花埋み」です。
 1971年にNETの「ポーラ名作劇場」でTVドラマ化されています。吟子役を演じたのは大空真弓でした。

【参考:高橋瑞】

男装の女医・高橋瑞の波瀾の人生「あとに続く女子医学生たちのために自らを標本に」|教養|婦人公論.jp
・高橋瑞(1852〈嘉永5〉―1927〈昭和2〉)という明治時代の医者をご存知でしょうか。彼女なしに日本の医学史は語れないという存在であり、言動は破天荒、人生は波乱続きであったにもかかわらず、これまであまり知られずにきました。それもそのはず。本人が前半生を語ろうとしなかったため、まとまった形での伝記が存在しなかったのです。
・機能性を重視して頭を五分刈りにし、二重回し(男性用の和装コート)を着て人力車で往診する姿は人目を引き、「日本橋名物、男装の女医」と呼ばれるようになりました。
 順調な開業医生活でしたが、女医を侮る巡査とのトラブルがきっかけで、瑞は医学の先進国ドイツへの留学を決めます。
 当時、留学といえば、優秀な男子が官費で行くものでした。(ボーガス注:岩倉使節団随行する形で留学した津田塾大学の創設者)津田梅子、(ボーガス注:元老・大山巌*2の妻、東京帝国大学総長、九州帝国大学総長を歴任した山川健次郎の妹として知られる)山川捨松など、アメリカへの女子留学生は前例がありましたが、ドイツへの女子留学生、しかも私費で行こうというのは瑞が最初でした。
 しかし、当時ドイツの大学は、女子留学生どころか、自国の女子学生も受け入れていませんでした。
 ベルリン大学で門前払いをされ、気落ちする瑞を見て、下宿の主人マリーが大学に直談判します。その結果、大学での聴講を許された瑞は、嬉々として勉学に励みますが、無理がたたって喀血。水葬を覚悟で帰国の途に着きます。ところが日本へ到着したときには、すっかり回復していました。
 医院を再開した瑞は、帰国の報告を兼ね、新聞に「産科に限り貧窮者無償施療」という広告を出します。当時はお産で命を落とすことは珍しいことではなく、特に貧困層では医者にかからないまま亡くなる妊産婦が少なくありませんでした。瑞はこうした妊産婦たちを救い、死産をなくすため、無償施療を行うことにしたのです。
・瑞は献体するとともに、自分の遺骨で骨格標本を作るように遺言しました。それには理由がありました。
 今日、骨格標本はおもに合成樹脂で作られ、小学校の理科室でも見ることができますが、当時は貴重な教材で、本物の遺骨か、あるいは木製の高級品しかなく、医学校でさえ数体しか所有していませんでした。そのため男子学生が占有し、女子学生には見せないという嫌がらせもありました。女医第4号となった本多銓子(ほんだ・せんこ)は標本を見せてもらえず、高輪の泉岳寺の墓地に入り、落ちている骨を拾って勉強したという逸話も残っています。
 瑞はこの話を人づてに聞いていたので、あとに続く女子医学生たちのために自らが標本になろうと考えたのでしょう。献体先は、吉岡弥生の東京女子医学専門学校(現・東京女子医大)でした。
 今日「女医」という言葉が不適切用語だという認識もありますが、初期の女医たちはまさに女医として差別され、女医として生きたので、本書ではあえてこの言葉を使っています。

【参考:本多銓子】

「本多静六を支えた妻銓子と養父晋」企画展開催 |クオリティ埼玉
 久喜市本多静六記念館では、企画展「本多静六を支えた妻銓子と養父晋」を開催する。
 本多静六の妻銓子(せんこ)は、日本で4番目に公認女医になった人物で、英語にも堪能だったそうだ。養父晋は、一橋家の家臣で、後に彰義隊の頭取を務めた人物。久喜市(旧菖蒲町)で生まれ、「公園の父」として、明治神宮をはじめ、日本全国の公園設計や風景策を設計した、本多静六博士を知る上でも、妻と義父にスポットを当て紹介する企画展は意義深い。
◆開催期間:2015年11月16日月曜日~2016年3月27日日曜日
◆場所:本多静六記念館(菖蒲総合支所5階)久喜市菖蒲町新堀38

埼玉)「日本の公園の父」本多静六記念館がリニューアル:朝日新聞デジタル
 銓子は日本で4人目の公認女性医師で東京で診療所を開いた。子を産んだ後は診療所を閉じ、静六の助手として原稿の清書や英文翻訳、手紙の代筆までして夫を支えたという。晋は幕末の彰義隊幹部で、後に渋沢栄一の推薦を受けて大蔵省などに勤め、横浜正金銀行の役員になった。


首相検査に玉木氏「回復を祈念」 共産・小池氏は皮肉ちらり - 産経ニュース

 国民民主党玉木雄一郎代表は自身のツイッターに「十分に静養されて一日も早く回復されることを祈念します」と投稿。

 「回復を祈念」も何も少なくとも「建前上は」日帰りの人間ドックでしか無いのに何を言ってるのか。緊急入院とかなら「回復を祈念」もわかりますが。こういう馬鹿なこと言ってるようだから、玉木は「どうせ、最後は細野*3みたいに自民入りするんじゃねえのか」と疑われるわけです。

 共産党小池晃*4書記局長は記者会見で「心配するような状況ではないことを願っている」としつつ、「(記者)会見も国会もやっていないからお休みになる時間はあったのではないか」と皮肉った。

 ですよねえ。「激務云々」なんて明らかに嘘ですから。むしろ安倍に代わって「コロナ記者会見」してる西村コロナ担当相や加藤厚労相の方がよほど「激務」ではないのか。内心、西村、加藤ご両人は「コロナ対応を全部部下任せのくせに良く言う」くらい思ってるかもしれない。

 立憲民主党幹部は、第1次政権のように首相が体調不良を理由に退陣する事態も想定し、「その場合、次の首相が勝負に出るかもしれない」と突然の衆院解散・総選挙の可能性に身構えた。

 いや、安倍が病気辞任するかどうか自体、安倍がそこまでの病状かどうか怪しいこともあって、「残念ながら」疑問ですけど、「病気辞任→即解散」は普通に考えてない。大体コロナ対応の不手際で「政権や自民の支持率」が下がってる今、解散すれば「政権交代まで行くかはともかく」議席の減少は避けられないでしょうし。
 まあ、仮に安倍が病気辞任するとして、いつ辞任するかによりますけど「習主席訪日(安倍の辞任が訪日前の場合)」とか「コロナ終息(安倍の辞任が終息前の場合)」とか何か「新首相の手柄としてアピールできそうな物」でも無ければ新首相が誰でアレ、解散しないでしょう。特に「コロナの蔓延」はでかいでしょうね。与野党共に「コロナが蔓延してるのに政治空白をつくるのか」と言われたくが無いためにうかつに解散論なんかいえないわけです。野党は野党でコロナ対応を理由に「臨時国会開催」を要求してますし。


首相の疲労蓄積を心配 自民甘利氏「休ませて」 - 産経ニュース
麻生財務相、首相の激務「あれだけ休まなかったら体調おかしくなる」 - 産経ニュース
公明・山口代表、首相の体調気遣う「万全期し次の政治活動に」 - 産経ニュース
 国会も開かず、コロナ問題でも菅*5官房長官や加藤*6厚労相、西村コロナ担当相という子分ばかりを矢面に立たせ、自分は雲隠れしてるくせに何が「疲労蓄積だ」と腹立たしいですが、それはさておき。
 こんな言い訳をわざわざ「子分の麻生*7や甘利*8、あるいは山口*9公明党代表を使ってする」あたり、つまり「いつからいつまで夏休みをとります」と普通に言えない辺り安倍も
1)「コロナ対策の不手際」や「野党の要求を無視して国会開会を逃げてること」などに対して国民世論が批判的であること
2)その状況下で夏休み取得を口にすれば批判のネタになりかねないこと
を自覚してるのでしょう。しかし「安倍個人(そして、麻生や甘利と言った取り巻き連中も?)が無能&無責任」であることで「これこれこういうコロナ対策をとります」ではなく、「とにかく首相が疲れているので休ませて下さい」と泣き「だけ」が入るという情けない状況になったわけです。


自民・岸田政調会長、首相の検査「疲れがたまっていることは想像できる」 - 産経ニュース
 何でこういうおべっかをほざきますかね。それにしても昨日、夕方、ニュースを見てたら
日本テレビ安倍首相 検査のため都内の病院へ【速報】
フジテレビ【速報】安倍首相が「検診」のため都内の病院へ
フジテレビ【速報】安倍首相 まもなく検査終了 滞在6時間超え...心配の声も
などとして、日テレやフジが速報で「安倍の検査」を報じてたのには呆れました。
 「速報ってことは何か異常が見つかって緊急入院でもするの?。まさかとは思うけど、急病死した大平正芳*10小渕恵三*11並みにやばい可能性があるの?」と思ったら単に「検査しました」つうだけの話。「アホか」「共産国の報道か?」ですよねえ。文革時代中国(毛沢東がトップ)とかならまだしも、安倍が政権トップとは言え「病院の検査(それも日帰り)」程度でそこまで大騒ぎする話じゃ無いでしょう。
 いくら読売グループが「前川は援助交際の場所となってる出会い系バーによく通って」云々と「安倍政権リーク」で前川叩きやるほどの「安倍万歳企業」とはいえ、あるいはフジサンケイが安倍とズブズブとはいえ、少しは羞恥心や常識という物が無いのか。ないんでしょうねえ。読売の場合は、安倍万歳の経営幹部「ナベツネ」と「ナベツネの取り巻き共」に独裁支配されたやばい企業グループなんでしょう。

 岸田氏*12は来年9月末に党総裁任期を迎える首相の意中の後継候補とされてきた。首相の悲願の憲法改正について「憲法は国の基本であり、時代の変化とともに絶えず考え続けなければならない」と強調。「もし首相になったならば、憲法の問題にもしっかりと取り組む」と意欲的な考えを示した。

 まあどこまで本気かは疑問ですが、「細田*13派(安倍の出身派閥)の支援を受けて総裁選に出馬する気らしい」ですからね。こう言わざるを得ないのでしょうが、むしろ彼の宏池会は「宮沢喜一加藤紘一河野洋平」など護憲派が幹部の派閥だったし、一方、「最大のライバルと目される」石破*14改憲派(つまりこんな発言をしても石破との差別化にならない)なので「安倍の支援を受ける」と言う以外には何のメリットもない発言です。


安倍首相、慶応大病院入り 官邸「体調管理のため日帰り検診」 - 産経ニュース
自民・稲田幹事長代行、首相の検査入院「持病、しっかり検査を」 - 産経ニュース
 甘利発言と連動した茶番劇(体調を崩してるという同情狙いのアピール)でしか無いでしょう。まあ、仮に「本当に体調を崩してる」のだとしても国政私物化(モリカケ桜を見る会など)の安倍にはかけらも同情しませんが。
 そもそもそんなに体調が悪いなら病気を理由に辞任した石橋*15首相のようにとっとと辞任すればよろしい。しかし「安倍晋太郎*16や渡辺ミッチー*17が晩年、末期ガン(それも治療が難しいことで知られる膵臓ガン)だったのにそれを隠し通した」ように、「あの人はもう先が無いから付き合っても意味が無い」として「政治家としてのパワー喪失」になりかねないので普通、体調問題でこんなに騒がないんですけどね。
 「国会に出ないことを正当化するため」という目先のことしか安倍も取り巻き連中も考えてないんでしょう。


【産経抄】8月16日 - 産経ニュース

 胸を張りこそすれ、いわれなき責めを負う必要のない平和国家としての戦後の歩みである。

 そもそも問題にされてるのは「戦後の平和国家としての歩み」ではなく「戦前の歩み(侵略)に対する産経らウヨの無反省さ」なので話のすり替えも酷いですがそれはさておき。
 やれやれですね。そうした「平和国家日本」は「護憲派(社民、共産といった左派だけで無く、宮沢喜一*18加藤紘一*19河野洋平*20のようないわゆる自民党護憲派を含む)」によってつくられてきたのであり産経や安倍、日本会議のような「極右改憲派」によってつくられたわけでは無い。
 他人の手柄を泥棒して恥じないというのだから呆れます。しかもその結果「日本は十分反省したから改憲して何が悪い」と強弁。
 それでも「本当に反省してる」のならまだいい。
 「A級戦犯昭和殉難者靖国に合祀して何が悪い。そんな靖国を政治家が参拝して何が悪い」「南京事件慰安婦中韓の捏造」「太平洋戦争のおかげで東南アジアは独立できた」などとデマを飛ばす産経のどこが「反省している」のか。
 「河野談話河野洋平氏」ら自民党リベラルならまだしも「河野談話撤回」を主張する産経らウヨなど無反省以外の何物でも無い。


【主張】文大統領の演説 対日改善したくないのか - 産経ニュース
 「韓国は三権分立なので判決を政府がどうこうすることは勿論できない」「原告の意向を無視することも被害者救済という意味で適切で無い」「しかし、その条件の上で、可能な限り日韓の対話に努めるつもり」という文大統領のどこが「改善の意思なし」なのか。
 「原告の意向を無視し、三権分立を侵害してでも安倍総理の要望に応える」なんて言えるわけが無いでしょう。どれほど産経は非常識なのか。
 そもそも以前も俺がブログ記事に書いたことですが
1)「光華寮訴訟・中国敗訴判決(ただしその後、最高裁で台湾勝訴判決が破棄差し戻しされ中国が逆転勝訴)」の際に中国政府が「判決は日中平和友好条約違反だ、日本政府はなんとかしろ」と抗議したことについて
2)当時の中曽根政権が「日本は三権分立なので、仮に指摘通り判決が日中平和友好条約違反でも、政府には何もできない」と釈明したこと、当時産経は「中国は不当な内政干渉をするな」「中国には三権分立への理解が無い」などと非難したこととの整合性は「韓国最高裁判決は日韓基本条約に反する、文政権はなんとかしろ」という安倍や産経においてどうなってるのか。
 文政権の主張「三権分立上、政府には何もできない」は「中曽根の主張と同じ」であり、「中曽根が正しいなら文大統領も正しい」「文大統領が間違いなら中曽根も間違い」という論理構造にあります。
 産経や安倍のように「中曽根は正しいが文は間違ってる」なんてのは屁理屈です。

*1:1923~2010年。1955年に今井正監督の『ここに泉あり』で毎日映画コンクール助演男優賞を、1958年に『裸の大将』で毎日映画コンクール主演男優賞を、1960年に『黒い画集 あるサラリーマンの証言』でキネマ旬報男優賞、毎日映画コンクール主演男優賞を、1963年に岡本喜八監督、山口瞳原作の『江分利満氏の優雅な生活』で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞(小林桂樹 - Wikipedia参照)

*2:第1次伊藤、黒田、第1次山県、第1次松方、第2次伊藤、第2次松方内閣陸軍大臣参謀総長内大臣など歴任

*3:野田内閣環境相民主党幹事長(海江田代表時代)、政調会長岡田代表時代)、民進党代表代行(蓮舫代表時代)、希望の党憲法調査会長など歴任

*4:共産党政策委員長、副委員長などを経て書記局長

*5:第一次安倍内閣総務相等を経て、第二~四次安倍内閣官房長官

*6:第二次安倍内閣官房副長官、第三次安倍内閣一億総活躍等担当相、自民党総務会長などを経て第四次安倍内閣厚労相

*7:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、外相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*8:小渕内閣労働相、第一次安倍、福田内閣経産相麻生内閣行革等担当相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相、自民党選対委員長などを経て現在、自民党税制調査会

*9:公明党参院国対委員長公明党政調会長などを経て公明党代表

*10:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*11:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*12:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*13:小泉内閣官房長官自民党幹事長(麻生総裁時代)、総務会長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*14:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*15:吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相などを経て首相

*16:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)など歴任

*17:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相など歴任

*18:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*19:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)など歴任

*20:新自由クラブ代表、中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任