司馬遼太郎氏のエッセー『余話として』(文春文庫)を読み返してみた。収録されている「日本人の顔」では、「面長のひとには頑固なひとが多いことに気づいた」というくだりがある。
三島由紀夫、福田恆存(つねあり)ら“面長”の言論人を挙げ、「どこをどうたたいてもつねに明晰(めいせき)な論理を展開しうるのは、よほど鞏固(きょうこ)な思想と信念が内部にあるから」と評している。
まあ、司馬も本気では無く冗談だと思いますが「何だかなあ」ですね。
ちなみに「面長(馬面)のひと」では「俳優の伊藤雄之助」「先代の三遊亭円楽(笑点メンバーが司会の円楽をそれをネタにからかう)」がそれをネタにしていました。
伊藤が城代家老で出演した「椿三十郎*1」で事件が円満解決を迎えた後に、伊藤家老が「次席家老(志村喬)や側用人(藤原釜足)が自分をないがしろにして不正を働いていた」のも「若侍たち(加山雄三、田中邦衛など)が自分を信用せず大目付(清水将夫)に内部告発に駆け込む(但し大目付も共犯であることが直後に判明)」のも「乗った人より馬は丸顔」というギャグまで飛ばしながら、「自分が馬面で風采が上がらないことも一因かもしれない」と言う趣旨のことをぼやいて周囲を笑わせるシーンがありますね。伊藤があまりにも淡々と、ひょうひょうとした「気負いの全く感じられない演技」なのでかえって笑ってしまう。
伊藤雄之助 - Wikipediaによれば元々は歌舞伎役者の息子だったところ、父、祖父が幼少期になくなり、後ろ盾を失い冷遇されたことで、映画界入りしたようです。
「歌舞伎出身だが冷遇されたので映画界入り」といえば他にも萬屋錦之介 - Wikipedia、
市川雷蔵 (8代目) - Wikipediaなんかもそうでしょう。
▼安倍晋三前首相は今月19日、靖国神社を参拝した。ご英霊に首相退任を報告したという。
▼英霊に背を向けた中国や韓国への無用の配慮*2は、さらなる干渉を招くだけだ。菅首相が閣僚を率いて靖国を参拝し、平和と国の守りをしっかりと誓う日を期待したい。
書き出しは「ただの暇ネタかな」と思いきや落ちがいつもの「極右落ち」です。
ということで、産経にとって安倍や菅は「面長(馬面)ではない(ですよねえ?)が、頑固に靖国参拝して欲しい」という話ですね。まあ、官房長官時代そんなことをしてない菅がそんなことをするとは思いませんし、安倍については「第二次安倍内閣の1年目のみ首相として参拝(しかし国内外の批判から翌年以降は中止(但し玉串料は奉納))→首相辞めてから参拝再開」なのだから「何を今更」の話ですが。
【参考:椿三十郎】
やっぱり良かった「椿三十郎」 : シヌマDEシネマ/ハリー東森
昨夜のNHK BSで放映した「椿三十郎」(1962年)やっぱりいいねぇ。若い頃は断然「用心棒」のほうが好きで、作品の出来もいいと思っていましたが。歳をとったせいでしょうか「椿三十郎」のほうが味があっていいねぇ。
ラストで幽閉されていた城代家老の伊藤雄之助が出てきて、作品の雰囲気がさらにほっとゆるみます。本人のセリフで、「ワシに人望がなかったのがコトの発端」「この間延びした馬ヅラだから」「昔、馬に乗っていたら、”乗った人より、馬は丸顔”と言われた」と笑わすのですが、このあたりは配役が決まってから脚本が書かれたような気がするのですがどうでしょう。
椿三十郎 : Past Geronimo's Disco
「椿三十郎」を不朽の名作たらしめている要素にはユーモアがあります。
そもそも三十郎からして、名を問われた際、庭に咲く椿の花を見て、「私の名は・・・椿三十郎。もうそろそろ四十郎ですが」と澄ました顔で飄々と答える。
まあこれは黒澤明の前作「用心棒」で、本作と同様に三船敏郎演じる主人公が名を問われた際に、桑畑を見ながら「桑畑三十郎。もうそろそろ四十郎ですが」と答える場面を踏襲したもので、「椿三十郎」が「用心棒」の続編として扱われる根拠でありますが、「用心棒」はユーモア性が希薄なシリアス路線なので、作品のトーンは異なっています。
「椿三十郎」のユーモアといえば、ずっと幽閉されていて、映画の最後の方でようやく姿を現す城代家老。
「乗った人より馬は丸顔」ってもう出オチ的なユーモアですけどねw
もちろん「椿三十郎」は、ただユーモラスでコミカルな映画というワケではなく、基本的にはスリリングなアクション活劇であって、その軸となるのが、仲代達矢演じる室戸半兵衛と三十郎の駆け引きです。
最後の決闘の前、城代家老の無事を祝う祝宴の席に姿を現さず、そのまま行方をくらませた三十郎に向けての城代家老の言葉。
「ありがたいことにあの男は戻ってこやしないよ。あの男はなかなかのヤツだ。でもな、桁外れのああいう男はわしには困るよ」
椿三十郎 - おじさんの映画三昧
この映画の面白い所は、登場人物がすべてどこか浮世離れしていてとってもおかしいところだと思う。
その筆頭は、入江たか子さんと団令子さんのコンビだ。
誘拐された城代家老の奥さんと、娘さんなのだが緊迫感がまるでない。
人の良さがにじみ出ている城代家老の伊藤雄之助さんがまったくの昼あんどんで・・・。
捕らえられた敵方の侍である小林桂樹さんも、時々押し込められている押入れから出てきては意見したり、かえって味方したりしてしまう。
三十郎は奥方を実の母親とでも思っているのだろうか、ふてくされながらも何かと親切にする。
さらにこの映画の構成として、自分は切れ者だと思っている人間がことごとくその皮をひんむかれる。
大目付の菊井は次席家老などを小馬鹿にしているような所があるが、自分の力を過信したプライドから切腹して果てる。
その菊井を手玉に取っていると思っている室戸半兵衛は、実は(ボーガス注:三十郎に)コケにされていたのだということに我慢がならず結末を迎える。
逆に全く頼りないと思われていた伊藤雄之助の城代家老が一番分別があり、素浪人の性格も扱いの難しさもお見通しだった。
椿三十郎
まずは、入江たか子(笑)
お若い方はご存じない女優さんかもしれない。なにしろ遥か昔の無声映画時代における花形スター。ちなみに、いくら歳喰ってる僕でもその頃にはまだぜんぜん生まれてなかったすよ
『滝の白糸』(1933年、溝口健二監督)などがその当時の代表作になるのかなぁ。なにしろ「銀幕の女王」と呼ばれた無声映画の大女優だった。しかもお公家さんの出身で貴族の気品を自然と身につけた珍しい女優さんだったらしい。ところが日本に音付きの映画(トーキー映画)が上陸し普及した辺りから、彼女の声質の問題(ガラガラ声?)があってか、女優としての人気が落ちてくる。そこから長い停滞期を経たあと、1950年代になってから、なんと!化け猫女優として復活してくる。これが彼女の当たり役になる。僕ら団塊世代には入江たか子=化け猫女優のイメージしかなかったです。で、1955年に知る人ぞ知る『楊貴妃』降板事件ってものがあった。これがまた可哀相な話で、入江たか子が監督である溝口健二に演出をつけてもらってるとき、溝口が入江にとんでもない暴言を吐いたのだ。
「そーゆー演技をしてるから化け猫映画にしか出られないんだよ」。
この侮辱的な言葉を受けて入江は『楊貴妃』から降板しちまい、その後女優業から遠ざかることになる。銀座のバーのマダムになったりします。そんな入江をひさしぶりに女優として使ったのが黒澤明だった。この『椿三十郎』で、なくてはならない重要な役柄を彼女に与えます。
なんだか、入江たか子のコーナーで終わりそうなぐらい長々と書いちまったけど、ようするに、黒澤がそんな彼女を呼び戻してまでこの役柄を与えたのは、この役柄で必要な、貴族訛りの口調と気品が柔らかに光っているような個性を持つ女優は、けっきょくは彼女しかいないと芯から思えたからだろう。
『椿三十郎』で入江たか子扮する家老の奥方が荒々しい三十郎を諭すセリフがある。
「あなたは少しギラギラし過ぎてますね。鞘(さや)に入っていない抜き身みたいに。でも本当にいい刀はちゃんと鞘に入ってるものですよ」
三十郎の男臭さと血なまぐさい殺陣がこの映画のひとつのトーンになっているなかで、それとは違った、穏やかで柔らかな空気を送り込んでくるもう一方の重要なトーンをおもに入江たか子が荷なっていた。上のセリフを彼女は、嫌味の欠片も感じさせない、まるで柔らかな優しい光で包み込むように発している。
◆脇役たち
◆小林桂樹
敵方の侍で三十郎たちに拉致される。しかし家老の奥方(入江たか子)の人柄に引かれ協力するようになる。いつも押入れに閉じ込められているが、時おり「失礼します」と言って押入れから出てきて、みんなに助言をする。言い終わったら「失礼しました」と自分からまた押入れに入っていく。
椿三十郎 | 元代表の穴 - 楽天ブログ
おっとり優しい入江たか子さんが最高。
押入れから出入りする小林桂樹さんに大爆笑。
押入れから出るタイミングも、いちいち律儀に押入れに戻るそのタイミングも絶妙。
伊藤雄之助さんの馬面押しの飄々とした場面がこれまた最高。
入江さんと伊藤さんのコンビ素敵だ〜。
黒澤明&三船敏郎『椿三十郎』三十郎の哀愁の源泉 | シネマの万華鏡
最初はほんのコメディリリーフに見えた城代家老の奥方が、実はこの作品の重要なカギを握っているということに、終盤になって気づかされます。
剣が立ち、何事も力で解決していく三十郎に対して、奥方は平和的に事をおさめる太陽政策の人。
「本当にいい刀は、鞘に入っているもの」という彼女の名言に、三十郎もタジタジとなってしまいます。
これ、女性ならではの考えなのかと思いきや、実は城代家老も同じ考えの人間だということが最後の最後で分かる。
黒澤明は、この城代家老に、藩は三十郎のような桁外れの人間を必要としていないし、仮に召し抱えても持て余すだけだと言わせているんですよね。(もっともその時には三十郎本人はすでに自ら行方をくらましているのですが・・・)
時代劇には、もめ事のある土地にふらりと現れて、超人的な知略と剣の腕前であっという間に事をおさめ、礼も受け取らずに去っていくという、まさに三十郎ばりのヒーローは珍しくありません。
さまざまな土地を渡り歩くこうしたタイプのヒーローは、シリーズものには持って来い。
彼らが一体何故、ただならぬ能力を持ちながら、武士としての出世の道を選ばないのか?なんてツッコミは野暮というものです。
でも、『椿三十郎』では、最後にその「何故?」の答えを仄めかしています。
平和な時代に武士らしい武士は不要、むしろ世を乱す存在だということ。
三十郎のような男の居場所はどこにもない・・・そのことは三十郎が一番良く知っています。
黒澤映画/「椿三十郎」(1962年) | ワンダの映画三昧
人生の辛酸を舐め尽した三十郎と、世間知らずの若侍たちとのやりとりが軽妙で楽しく冒頭から引き込まれます
「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人!」
「10人だ!てめーらのやることは危なっかしくて見てられねえ」
万事おっとりした奥方(入江たか子)のセリフがいいです
「すぐ人を斬るのは悪いクセですよ」
「あなたは(三十郎は)なんだかギラギラし過ぎてますね、ヌキ身みたいに」
「あなたはサヤのない刀みたいな人。よくキレます!でも、本当にいい刀はサヤに入ってます」
なんといっても入江たか子と団令子の奥方と娘の二人が良かったですねえ。砂漠にあるオアシスのようにこの映画に潤いを与えており、スピーディな展開の中で、二人が出るシーンの間がち密に計算されつくしていたと思います。
【参考:司馬遼太郎と『面長』】
頑固者 : 山の彼方の空遠く
日本人の顔は、西洋人に比べると縦に脳味噌が収まっているようで、僕も俗に言う馬面なのは承知している。
林ふみこの放浪記でも、「乗った人より馬が丸顔」と可笑しみな表現を使っている。
江戸期から明治に掛けての日本人に馬面と言われるほどに面長の人が多かったと司馬遼太郎の短編集にあり、面長は頑固者だとも続く。
そのままに引用。
《ひとのことをいってはいけないが、ちょっと失礼させて頂くと、池波正太郎氏が、なんともいえぬ塩味のきいたむかし顔である。池波氏とむかいあっていると、日本人の顔はこうなくちゃいけないとつい声をあげたくなる瞬間がある。
いまは亡い村松梢風氏も面長だったし、宇野浩二氏などは、高村光太郎とならんで骨のあつい昔日本人の馬面だったようにおもわれる。
そんなことをある日拙宅の客に話していると、ふと面長のひとには頑固のひとが多い事に気づいた。》
「乗った人より馬が丸顔」とは「椿三十郎」での城代家老・伊藤雄之助の台詞ですが、ということはあの台詞の元ネタは、林芙美子『放浪記』だったわけです。
とはいえ「乗った人より馬が丸顔」でググったところ
筑摩書房 『幕末 写真の時代 【第2版】』 高杉晋作
◆高杉晋作 上野彦馬撮影 慶応2年(1866)鶏卵紙
長州藩士。(中略)「乗った人より馬が丸顔」と評された長い顔、わりと小柄で華奢な体軀といわれる風貌を、よく伝えている。
【花燃ゆ維新伝(18)】吉田松陰の志を受け継ぐ「高杉晋作」登場…「無頼の剣術好き」が読書に励む(1/3ページ) - 産経WEST
「こりゃどうじゃ、世はさかさまになりにけり、乗った人より馬が丸顔」と、晋作は馬づらで身長155センチと小柄
筑波常治の高杉晋作
残っている写真をみても、顔の大変に長い、痩せた人だったことがわかります。
晋作が奇兵隊をひきいて馬にのって進軍したとき、だれかがこれをみて、
『こりゃどうじゃ、世はさかさまになりにけり、乗った人より馬が丸顔』
という歌をつくった、ともいわれているくらいです。
がヒットしました。ということで「乗った人より馬が丸顔(高杉晋作)」だそうですので、出典は「幕末維新」まで遡れそうですね(もしかしたら高杉以前にも遡れるかもしれませんが)。もちろん司馬にとっては高杉も「頑固な人」なのでしょう。なお、「安倍晋三」の「晋」はやはり「高杉晋作」からとったようです。
司馬遼太郎著「侍はこわい」: 感謝カンレキ雨あられ @アジア群島人
この本の解説は作家三好徹。
一度出版社主催の講演会で同行したときのこと。三好が「私の先祖はどこか見当つきますか」と質問したら、「ヒントを一つくれんか」。「関ヶ原の西」と答えたら、司馬は即座に「ああ、長州やね」と喝破した。「やや面長の長州づらと撫で肩」と説明。