「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2020年11/24日分:荒木和博の巻)

1960年体制と日本社会党(11月24日のショートメッセージ): 荒木和博BLOG

 令和2年11月24日火曜日のショートメッセージ(Vol.236)。日本社会党についてですが、1960(昭和35)年に民社党社会党から別れてできた後の、私たちが「1960年体制」と呼ぶ自民党政権が磐石で、社会党が野党第1党だった時代のことも含めてお話ししました。

 8分30秒程度の動画です。
 色々な意味で「アホか?」「くたばれ、荒木のカス野郎」ですね。
 まず第一に「1960年体制と日本社会党」なんて話が拉致問題と何の関係があるのか。何一つ関係ないわけです。
 この動画は「拉致問題解決のための動画」ではなかったのか?。いつの間にか「荒木が好き勝手に放言する動画」に変わってしまったようです。
 第二に「1960年体制」なんて「世間に全く流通してない言葉」を平気で使える神経に呆れますね。
 「1960年の民社党結党」なんて世間的に全く評価されてないし、だからこそ「1960年体制」なんて荒木ら旧民社連中しか言わないわけですが。もちろん世間的には「1955年体制」ですよねえ。
 ちなみに1955年というと

1955年 - WikipediaCategory:1955年の日本 - Wikipedia参照
◆1月1日
 トヨタ自動車が「クラウン」を発売
◆4月18日
 インドネシアのバンドンで第1回アジア・アフリカ会議バンドン会議)開催。いわゆる平和十原則が発表される。
◆5月11日
 紫雲丸事故(犠牲者168名)
◆5月14日
 ワルシャワ条約機構結成
◆5月25日
 広辞苑初版発行(岩波書店
◆6月7~9日
 第1回日本母親大会開催(日本母親大会については日本母親大会【公式ページ】日本母親大会 - Wikipediaを参照)。
◆7月7~10日
 第1回世界母親大会開催
◆7月17日
 アメリカのカリフォルニア州アナハイムにディズニーランド開園
◆7月22~29日
 日本共産党第6回全国協議会(いわゆる六全協)開催。徳田球一前書記長の「火焔瓶闘争」路線が正式に否定され、これを契機に宮本顕治が党の実権を握ることになる(1958年に、第7回党大会第1回中央委員会総会で宮本が党書記長に選出されたことで名実ともに宮本が党のトップになる)。
◆7月25日
 日本住宅公団(現在の都市再生機構)設立
◆8月3日
 集英社が少女漫画雑誌「りぼん」を創刊。
◆8月6日
 第1回原水爆禁止世界大会開催。原水爆禁止日本協議会原水協)が結成される。
◆8月24日
 森永ヒ素ミルク中毒事件が発覚
◆9月10日
 日本が『関税および貿易に関する一般協定 (GATT)』に正式加盟
◆9月30日
 アメリカの俳優ジェームズ・ディーン*1が交通事故死
◆10月13日
 日本社会党が左派と右派の分裂状態を4年ぶりに解消(社会党再統一)
◆10月26日
  ベトナム共和国南ベトナム)が成立。初代大統領にゴ・ディン・ジエム。
◆11月11日
  下中弥三郎平凡社創業者)、植村環(日本YWCA会長)、茅誠司(東大教授)、上代たの(日本女子大教授)、平塚らいてう日本婦人団体連合会婦団連)初代会長)、前田多門(東久邇宮、幣原内閣文相など歴任)、湯川秀樹(1949年ノーベル物理学賞受賞者、京大教授)の7人によって世界平和アピール七人委員会結成
◆11月12日
 ドイツ連邦軍発足により西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の再軍備はじまる。
◆11月14日
 日米原子力協定調印。
◆11月15日
 社会党の再統一に刺激され、自由党日本民主党が合併し、自由民主党が誕生(保守合同)。
◆11月22日
 中東条約機構結成
◆12月1日
 モンゴメリー・バス・ボイコット事件(1955年、ローザ・パークス

など色々と、政治、経済、文化などの面でビッグな出来事がありました。ある意味1955年とは「歴史上極めて重要な年」といっていいでしょう。
 このうち、自民党の結党(いわゆる保守合同)と『右派社会党左派社会党の合同』から「1955年体制」と言われるわけですが。
 ちなみに「民社党が結党された」ということで「元民社党職員」荒木がやたら重要視する1960年には

1960年 - Wikipedia参照
◆1月19日
 新日米安保条約調印。
◆1月24日
 民主社会党民社党)結成大会。
◆2月13日
 フランスが、サハラ砂漠原子爆弾実験。アメリカ、ソ連(現在のロシア)、イギリスに次ぐ第4の核兵器保有国となる。
◆2月23日
 皇太子明仁親王(現・上皇明仁)と同妃美智子(現・美智子上皇后)夫妻の第1子として、浩宮徳仁親王(現・今上天皇徳仁)が誕生。
◆4月19日
 韓国で、不正選挙を理由に李承晩打倒を叫ぶ市民が蜂起し(4.19人民蜂起)、四月革命が開始。4月27日に李が大統領を辞任。
◆5月3日
 創価学会第三代会長に池田大作が就任。
◆6月10日
 安保闘争がらみで東京国際空港羽田空港)でジェイムズ・ハガチー米大統領報道官の一行がデモ隊に包囲され、アメリ海兵隊のヘリに救助される(ハガチー事件)。
◆6月15日
 改定安保条約批准阻止の全学連7000人が国会に突入。樺美智子死亡。
◆6月19日
 新安保条約が自然成立。7月15日に岸*2内閣が総辞職。
◆7月19日
 第1次池田*3内閣成立。
◆7月27日
  経済協力開発機構OECD)創設。
◆9月14日
 石油輸出国機構OPEC)結成。
◆10月12日
 浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件。
◆10月19日
 現行の生活保護水準は低すぎると訴えた朝日訴訟東京地裁は原告勝訴の判決を下す。
◆11月8日
 アメリカ大統領選挙で、ジョン・F・ケネディが当選
◆12月27日
 池田首相が所得倍増計画を発表。

などの出来事がありました。
 それにしても以前、産経で某民社党シンパも「浅沼稲次郎が暗殺されたことで社会党に同情票が集まったことで1960年衆院選民社党が大敗した」と強弁してましたが、荒木もこの動画で全く同じ事を言ってるのには呆れます(この荒木ら旧民社関係者の与太、寝言については例えば第二自民党あるいは自民党補完政党もしくは極右政党の解党・壊滅的打撃を嘆く産経新聞 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。
 旧民社関係者の間では「浅沼が暗殺されなければ、旧民社はもっと躍進できた」というのが通説化してるのか。
 1960年の民社党結党、浅沼暗殺から、1994年の民社党解散まで34年も経ってるのにその34年間ずっと「浅沼暗殺の同情票で旧民社は社会党に負け続けた」と言う気なのか。そもそも社会党どころか、公明党共産党にも議席数で負けたことがある旧民社が全く何を抜かしてるのか。
 それにしても「社会党公明党に我々、民社党は第二自民党と言われて非難されてきたが、村山自社さ連立や自公連立は何なのか?*4(荒木)」てよほど、「旧民社は第二自民」と言われ続けてきたことが屈辱らしいですね。「第二自民で何が悪い!」とは何故か居直れないらしい。
 実際、旧民社は「第二自民党」以外何物でも無いでしょうにねえ。そんなことは自社さ連立や自公連立をどう評価するかと全く関係ない。

*1:1931~1955年。1955年に『エデンの東』で、1956年に『ジャイアンツ』でアカデミー主演男優賞にノミネート( ジェームズ・ディーン - Wikipedia参照)。

*2:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*3:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*4:まあ、荒木とは別の意味で共産党などが「社会党公明党が過去に自民批判していたのは何だったのか?」と批判したのは事実です。その結果、社会党社民党)は過去には最大野党だったのに今や共産党公明党議席数が抜かれるほどに衰退しますし、公明党沖縄県知事選や先日の大阪都構想住民投票では明らかな造反が出るわけです。