アメリカの民主主義の危機を乗り越えてバイデン大統領が就任演説(1月20日) | 新・大森勝久評論集
未だに「トランプは国会襲撃を扇動などしてない」と強弁してトランプ擁護を表明する島田洋一などと比べれば、トランプを批判する大森氏の方が「近衛文麿はソ連の手先(明らかなデマ)」などの暴論を吐いていることを割り引いても、ずっとましだとは言えます。
令和3年3月14日日曜日のショートメッセージ(Vol.346)自分の就活の話です。このショートメッセージを見てくれている学生さんたちにと思って話したのですがあまり参考にはなりそうにありません。かえって「良い子は真似しないように」という感じかも。
8分程度の動画です。荒木は土日は「土日なので肩の凝らない話題を」などと強弁して毎回、拉致に関係ない話題をやりますが「ふざけんな!」ですよねえ。家族会も良く怒り出さないもんです。
それにしても、荒木が「中学三年生から民社党支持」「中学の担任教師が左派*1だったので反発があった」「高校の頃から民社党の機関紙を購読していた」というのには「はあ?」ですね。
気が狂ってるとしか言い様がない。これがまだ「宏池会(池田*2元首相、大平*3元首相、鈴木*4元首相、宮沢*5元首相など)」のような「自民党リベラル」ならまだわかりますが。「中学の担任教師が左派だったので反発があった」って普通の人間は旧民社のような右翼政党の支持者にはならない。
まあ俺は荒木とは逆で「中学の頃からアンチ右翼(左派という意味ではない)」ですね。だって「南京事件否定論」「河野談話否定論」「日本核武装論」「国家神道支持」などの「下劣なデマ右翼、非常識右翼」なんか人間として支持できませんよ。
それはともかく、慶応義塾大学法学部に荒木が入学したのも「政治学者の中村菊男(旧民社党ブレーンの一人)が慶應義塾大学教授だったから」という「右翼的理由」だそうですから全く荒木も「ゴリゴリの極右」ですね。
中村については
中村菊男 - Wikipedia(1919~1977年)
◆『民主社会主義の理論』(1952年、青山書院)
もちろん中村の場合「民主社会主義≒旧民社」でしょう。
◆『現代思想としての民主社会主義』(1960年、有信堂)
◆『松岡駒吉伝』(1963年、経済往来社)
同盟の前身に当たる「右派労組」、旧民社の前身に当たる「社会党右派」の幹部が松岡。一時、社会党衆院議員、衆院議長を務めた。
◆『戦後民主的労働運動史:同盟会議への歩み』(1960年、日刊労働通信社)
◆『満州事変』(1965年、日本教文社)
日本教文社はウヨ宗教「生長の家」系列のウヨ出版社
◆『日米安保肯定論』(編著、1967年、有信堂)
◆『核なき日本の進路』(1968年、日本教文社)
◆『西尾末広想い出の人』(1968年、民主社会主義研究会議)
西尾は社会党書記長、片山内閣官房長官、芦田内閣副総理、民社党初代委員長を歴任
◆『西村栄一伝』(編著、1980年、富士社会教育センター)
西村は民社党書記長、委員長を歴任。ウヨ政治家・西村真悟の父。
ということでいかにも「旧民社ブレーン(極右)」という感じの著書ですね。日本教文社から本をためらいなく出せるというのは相当のウヨでしょう。
なお、大学生時代も荒木は「中村先生のコネで、民社党職員になることしか考えてなかった(なれると思ってた)」というんだから「それ就活じゃねえだろ?」て話です。
ちなみに荒木の面接官は偶然中村で、荒木曰く「『中村先生に憧れて受験した』と面接で言ったから中村先生が合格させてくれたのかもしれない」。
それはともかく、「良い子は真似しないように」も何も「真似しねえよ、バカ!」ですよねえ。そもそも「どこの政党であれ」政党職員になりたがる学生も少ないでしょうが。
「私は民社党職員になりたいと思って実際になれた。頑張れば夢は叶うと思う」て「民社党職員ごときが夢?」「しかも民社党がなくなって失業してんじゃん。そのあげくがデマ(特定失踪者は北朝鮮拉致など)放言の拉致商売かよ(嘲笑)」と吹き出しました。
令和3年3月13日土曜日のショートメッセージ(Vol.345)。私の鉄道趣味の一番の専門(?)はローカル私鉄でした。今日は下津井電鉄(岡山県)などをネタにそんな話を。下に載せてあるのはそのとき撮った写真です。
8分程度の動画です。荒木は土日は「土日なので肩の凝らない話題を」などと強弁して毎回、拉致に関係ない話題(主として荒木の趣味だという鉄道ネタ)をやりますが「ふざけんな!」ですよねえ。家族会も良く怒り出さないもんです。
なお、「下津井電鉄」ですが下津井電鉄 - Wikipediaによれば「鉄道は1991年に全て廃線となり、鉄道事業からは完全撤退した」ものの会社自体は「下津井電鉄」という名前のママ存続し、「バス事業、不動産事業」などを行っているそうです。
ちなみに動画を最後まで見ましたが「など=紀州鉄道」でした。
ちなみにこの紀州鉄道ですが
紀州鉄道 - Wikipedia
1931年に御坊臨港鉄道(和歌山県御坊市)として開業。当初から経営は厳しく、戦後も風水害などの被災やモータリゼーションの進展によって、1960年代には廃止の危機に追い込まれていた。
1972年には、磐梯急行電鉄(1968年倒産、1969年鉄道廃止)の旧経営陣が設立した東京の磐梯電鉄不動産が「鉄道会社の不動産部門」という信用を得るため、御坊臨港鉄道を約1億円で買収した。
翌1973年1月、御坊臨港鉄道は「紀州鉄道」と社名を変更した。
その後、1979年には不動産・リゾート開発を営む鶴屋産業の傘下に入り、現在に至るまでリゾート開発を軸とする不動産業を主力部門としており、鉄道事業収益の割合は微少かつ慢性的な赤字で実態は不動産会社となっている。しかし、不動産業などを営む際に、鉄道会社ということが信頼に繋がるという利点があることから、赤字に関わらず営業を続けている。
◆ホテル・リゾート事業
那須高原・北軽井沢(群馬県嬬恋村)・房総白浜(千葉県南房総市)・熱海・箱根・伊豆一碧湖(静岡県伊東市)・名古屋市・大阪市など、日本各地にホテルを展開しており、関連会社の紀鉄ホテルが運営している。
そのほか、長野県の軽井沢(軽井沢町・御代田町)と塩嶺高原(岡谷市)で別荘の分譲・管理事業や、関連会社の紀州鉄道不動産による会員制リゾート事業、紀鉄航空サービスによる旅行会社事業を行っている。
◆鉄道事業
保有する鉄道路線は、和歌山県御坊市内にある紀州鉄道線(御坊駅ー西御坊駅間)2.7kmのみである。2010年の営業係数は367.8であり、現存する日本国内の鉄道では最も悪い数値であるものの、現状では廃止の話はない。
かつては「日本一のミニ鉄道」を称していたが、2002年10月に日本一保有する路線が短い鉄道事業者の座を千葉県の芝山鉄道(約2.2㎞)に明け渡した。ただし、芝山鉄道線は延伸の計画がある。
運輸政策研究機構の資料によると、2012年度の輸送密度は1日242人で、阿佐海岸鉄道の1日88人についで、2番目に少ない数値になっている。
だそうです。「赤字でも構わない」というのは「ええ?」ですね。