「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年8/13日分:荒木和博の巻)

◆何故かサイト更新をしなくなった荒木
 以前は「毎日更新」だった荒木が8月9日付「日本海新聞」と「しおかぜ」メッセージ: 荒木和博BLOGという8月9日付記事を最後に、何故かサイト更新を全くしなくなったことにやや驚いています。
 以前はサイトに毎日載せていたショートメッセージ(動画)も何故かツイッターのみ(ツイッターにおいては毎日ですが)。
 同様にサイトに毎日載せていた「特定失踪者問題調査会メルマガ」も「メルマガを発行しなくなった(あるいは毎日ではなく、発行が減った)」のか「今まで通り毎日発行しているが転載を辞めた」のか掲載されません。荒木にやる気が失せてるんでしょうか?


◆荒木のツイート

荒木和博 on Twitter: "令和4年8月14日日曜日「荒木和博のショートメッセージ」第862号。あまり詳しくありませんが台湾の鉄道は良いです。台湾自体が気持ち良すぎて刺激が少ないような。https://t.co/78awOGypGZ @YouTubeより" / Twitter
私的鉄道雑談(台湾の鉄道の話) - YouTube

 8分15秒の動画です。勿論拉致は何一つ関係ない。

荒木和博 on Twitter: "予備役ブルーリボンの会「レブラ君とあやしい仲間たち」第97回。前回に引き続きRBRAシネマフォーラム in 横須賀のミニトークの後半です。杉野正治特定失踪者問題調査会副幹事長と代表荒木が横須賀周辺で起きた様々な失踪・工作事案・不審な事件にメスを入れました。https://t.co/PAJbSC0j0A @YouTube" / Twitter
レブラ君とあやしい仲間たち その97 - YouTube

 19分16秒の動画です。そんな事が「拉致被害者の帰国と何の関係があるのか」と心底呆れます。そもそも「横須賀周辺で起きた様々な失踪・不審な事件」が北朝鮮工作員の犯行だという根拠も全くない。「自発的失踪」や「犯罪だが北朝鮮と関係ない」の可能性も十分ある。

荒木和博 on Twitter: "令和4年8月13日土曜日「荒木和博のショートメッセージ」第861号。28年前に解党した政党の話を今頃しても仕方ないのですが、どうしてもこだわりがあるもので…。 https://t.co/yyqqp0laVi @YouTubeより" / Twitter
民社党の解党について今頃になって思うこと(R4.8.13) - YouTube

 5分41秒の動画です。「荒木が元民社党職員」とはいえ、拉致と関係ないので心底呆れます。
 しかも荒木が何を言うかと言えば「民社党の解散にはある種の必然性があった」「党を今後も続けていくことに限界があった」という「間違いではないが当たり前すぎて内容に乏しいこと」です。「必然性があるから解散した」なんてことは当たり前の話です。
 ここで「必然性」「限界」が何かを荒木がまともに説明できないのが滑稽です。結局、それは「民社党の解散当時存在し、今も継続している国政政党(自民、公明、共産、社民(社会))」と比べ「民社党に劣る面があった」と認めざるを得ないところ、荒木にはそれを認めることは感情的におそらく「無理」ということでしょう(特にウヨの荒木が敵視する社民、共産について)。 
 ちなみに民社党が解散したのが1994年。「新生党(小沢*1、羽田*2グループ)」「公明党の一部*3」「日本新党(細川*4グループ)」などとともに新進党に合流したわけですが。その新進党は崩壊。その後、旧民社は新党友愛を結成しますが、長くは続かず、今は民主党民進党を経て、「立民にも旧民社グループはいる」物の、主要な部分は「立民と違い、自民党応援団であることに何ら躊躇しない」国民民主党になったといっていいでしょう。
 なお、新進党解散時には、新党友愛の他にも「フロムファイブ(細川元首相グループ)」「太陽党(羽田元首相グループ)」「自由党小沢一郎グループ)」「国民の声(鹿野道彦*5グループ)」「改革クラブ小沢辰男*6グループ)」などが誕生しますが、公明党に復帰した「新党平和(旧公明党衆院グループ)」「黎明クラブ(旧公明党参院グループ)」を除き結局「民主党(当初メンバーは新党さきがけの一部(鳩山由紀夫*7代表幹事や菅直人*8政調会長など)と社民党の一部(山花貞夫*9社会党委員長、横路孝弘*10など))」に全て参加することになります。

*1:中曽根内閣自治相・国家公安委員長新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長などを歴任

*2:1935~2017年。中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、新生党党首、細川内閣副総理・外相、首相、太陽党党首、民政党党首など歴任

*3:当時、公明は「関ヶ原合戦」で「家の存続」のために、西軍(真田昌幸、信繁(昌幸の次男))と東軍(真田信幸(昌幸の長男))に分かれた真田家のように、新進党が失敗した時に備えて保険をかけて、党を二分してその一部を新進党に参加させました。結局、新進党が失敗(解散)したことで公明党が残るわけです。

*4:熊本県知事、日本新党代表、首相を歴任

*5:1942~2021年。海部内閣農水相、宮沢内閣総務庁長官、菅、野田内閣農水相など歴任

*6:1916~2013年。田中内閣建設相、三木内閣環境庁長官福田内閣厚生相など歴任

*7:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官民主党幹事長などを経て首相

*8:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相、首相などを経て立憲民主党最高顧問

*9:1936~1999年。社会党委員長、細川内閣政治改革担当相など歴任。社会党副委員長を務めた山花秀夫は父。立民党・前衆院議員(2011年衆院選で落選)の山花郁夫は息子

*10:北海道知事、衆院議長など歴任。社会党国対委員長を務めた横路節雄は父。